第338話 「見てきたもの」
すべての景色が、白一色で塗られた世界。
そのあまりの眩しさから、稲豊は薄っすらと目を開けながら叫んだ。
「ルト様、無事ですか! ルト様……?」
ルートミリアの姿も、どこにもない。
一瞬の恐怖に囚われた稲豊だったが、それを察したかのように、徐々に世界に彩りが戻ってくる。
しかし安堵するのも束の間、目の前の光景は先ほどと一変していた。
「なんだよ…………ここ」
茶色の巨大な岩石の上。
どこまでも続く、荒涼とした大地。
青空に浮かび、眩しく輝く太陽。
「さっきまで夜だったのに、なんで太陽……? それになんだ? 視線が……動かせない?」
まるで頭を固定されているように、顔をまったく動かすことができない。理解不能な事態に混乱する稲豊の前で、さらに奇妙なことが起きた。
『さすがだね、やはり君との戦いは楽しいよ』
どこからともなく現れた勇者ファシールが、目の前の大岩に着地したのだ。あまりの出来事に、稲豊は驚き絶句する。
すると――――――
『オレ様は楽しかねぇな。テメーのようなイケ好かねぇ野郎の面は、二度と拝みたくなかったのによ』
魔王サタンの声が、稲豊のすぐ側から響いた。
そして誰かの両腕が稲豊の前に伸び、そこから巨大な火球がひとつ放たれる。
ファシールはそれを、いとも容易く両断した。
「この世界……そういうことか!」
稲豊はそこで、すべてを理解した。
「この光景は、サタンの……記憶」
稲豊はいま魔王サタンの視点を借り、過去の世界を見ている。先ほどの玉の力により、記憶の断片を覗いているのだ。
『まだまだまだまだ!』
連続で放たれるサタンの業火球。
しかしファシールは、まるで狙いが始めから分かっているかのように、華麗に火の玉を回避する。
『アハハ、ひとつでも当たれば致命傷だ。でも、だからこそ面白い!』
『その余裕、今日こそは消してやるぜ!!』
激しさを増す両雄の激突。岩は砕け、地面は抉られ、空気が鳴動する。全長数キロメートルはある巨大な岩は、ふたりの戦闘によって削られ、やがて蟻の巣のような歪な形状へと変わっていった。
『ハァ……ハァ…………』
『息が上がっているようだね。ここいらで休憩とするかい?』
魔王の前ですら、ファシールの余裕は揺るがなかった。
サタンはぺっと唾を吐き捨てたのち、恨みがましい目を向ける。
『憎ったらしいぐらい攻撃が当たんねー。どういうわけだ……ったく』
『ああ、やはり気になるかい? 簡単な話だよ』
『あん?』
ファシールは微笑み、自らの右目を指差す。
『僕の神籬は【神の右目】。能力は“未来視”さ』
『んだとぉ…………だからオレ様の攻撃が、悉く躱されてたんだな! 数百年の時を経て発覚する、衝撃の事実!!』
『あっはっは。まあ、そういうことだね』
あっけらかんと笑うファシール。
サタンはぎぎぎと奥歯を鳴らしたあとで、スッと表情を真顔へと戻した。
そして大きく腕を組んでから、口を開く。
『……………………嘘だろ? それ』
空気が、一瞬のうちに変わった。
『うそ? なんのことだい?』
『とぼけんなよ、神籬のことに決まってんだろ?』
『へぇ、どうしてそう思うのかな』
『最近になって、“思い出したこと”があるんだよ』
サタンは口角を釣り上げ、悪戯っぽく笑う。
そしてその緋色の瞳で、まっすぐにファシールを見つめた。
『テメーの本当の神籬は…………✘✘✘✘なんだろ?』
サタンが神籬の名を告げた途端、初めてファシールの顔から笑みが消えた。それは稲豊も初めて見る、感情のない勇者の表情だった。
ファシールは急になにかを思い出したようにフッと軽いため息を吐き、おもちゃを取り上げられた子供のように、さもつまらなさそうに言った。
『そうか、遂にバレてしまったんだね。魔人の耳とやらで知ったのかい?』
『ちげーよ。あれ使おうとする度に邪魔してきたのはどこの誰だっての。言っただろ? 思い出したのさ』
『ふーむ。あのときはまだ不完全だったし、仕方がないのかな。いつかは記憶が戻るだろうとも思っていたしね』
ファシールは天を仰ぎ、少し考える素振りを見せた。
だがすぐに顔を正面に戻し、右手に持った聖剣を握り直す。
そして、色の無い声で告げた。
『なら……残念だけど、この“遊び”もここまでかな』
『あん?』
訝しげに眉を顰めるサタン。
するとファシールは、驚くほど静かな声で言った。
『熾天の剣――――終』
たった一度の瞬きの直後、ファシールは眼前にいた。
掛け声も、地面を蹴る音もない。ただ気がついたときには、ファシールは手の届くような距離まで近づいていたのだ。
右手から伸びた聖剣【トワイライト】が、鈍い輝きを放っている。
『おま』
そしてサタンが言葉を発するよりも早く、突き出された剣は緋色の瞳の中へと滑り込んでいた。
「うわぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!!!!」
頭部を貫かれる。
そんな錯覚を覚え、稲豊は絶叫した。
「はぁ……はぁ…………は…………え?」
我に返った稲豊の瞳に、暗い夜空が映り込む。
太陽も、茶色の大岩も、ファシールの姿もどこにもない。
そこでようやく、稲豊は記憶の世界から戻ってきたことを知った。
「ヤバい…………走馬灯が見えた」
まるで泳いだあとのように全身が汗で濡れている。
両の手のひらを見てみると、無数の汗の玉が浮かんでいた
サタンの記憶の中だというのに、全身の震えが止まらない。
一瞬だが、稲豊は本当に自分が死んだとさえ感じた。
「そうか、サタンが異世界への転生を決意したのは……この戦いで深手を負ったから……」
サタンすら寄せ付けないファシールの強さ。
稲豊はその計り知れない力に、確かな恐怖を刻まれた。
しかし恐怖と一緒に、得たものもある。
「ファシールの神籬……。もしサタンの言った名が事実だったなら、その能力は――――――」
そこまで口にして、稲豊は思い出した。
そういえばとなりに、ルートミリアが座っていたはずだ。
「ルト様! 俺ファシールの……」
報告をしなければ……と、ルートミリアの方を見た稲豊は、息を呑んだ。
「…………ルト様?」
ルートミリアは稲豊が記憶の世界に飛ぶ前と同じように、玉を月明かりに翳していたところだった。しかし大きく見開いた目はピクリとも動かず、依然として玉を眺め続けている。
声をかければ良いのか?
それとも、そっとしておいた方が良いのか?
稲豊が答えを出せずにいると、ルートミリアの指先にあった玉がいきなり割れ、砂となり散っていく。同時に、ゆっくりとルートミリアの瞳に生気が戻ってきた。
「大丈夫…………ですか?」
目の焦点は合っている。
しかしルートミリアも稲豊と同様に、額に大粒の汗を浮かべ、わなわなと震えている。
そこで稲豊は直感した。
ルートミリアも、なにかとんでもないものを見てきたのだ。
「ルト様………………」
現実へ帰ってきたというのに、まだ驚愕の収まらないルートミリア。
稲豊は彼女が話せるようになるのを、静かに見守り続けるのだった。
【 第十章 ~終焉の魔人~ 終】




