第24話 「思い出の味が・・・・・・コレ?」
絶句する竜。
自身の生命を何百年もの間支え続けた果実だ。
世界で一番旨い物であると疑う事すらしなかった食物だ。
生きるだけで大量の魔素を消費する彼には、無くてはならない生命の果実だ。
それが………………不味い?
想像だにしていなかった人間の言葉に、軽い目眩すら覚える翼竜。
何かの負け惜しみかとも思ったが、その人間の顔は嘘をついているようには見えない。
自然と緩んだ竜の指。
胸の圧迫が軽くなり、稲豊は呼吸を整える時間が出来た。
「こんな物の為に命掛けてたとか笑えねぇ」
「こんなもの……」
心底悔しそうに眉を顰める人間。
呆然と復唱する翼竜。命を掛けて、人間から守ってきた果実。まるで自分の生涯を否定されたような気がして、少なくないショックを受ける怪物。
「でも…………」
不思議な顔をして、自身の齧り付いた果実をまじまじと稲豊は眺める。そしてもう一度果実を齧り、その味を良く噛みしめた。どこかで味わった気のする味だ。
甘苦いような、鼻の奥を刺激するその味。
喉を通る時にじわりと広がる甘み。胃に流し込んだ際、鼻にまで戻ってくる芳香。
――――これはまるで。
「イ、イナホ様……」
ハラハラとした顔で二者を見つめるナナと、怪訝そうな表情を浮かべるミアキス。
未だ稲豊は竜の腕の中。絶望的な状況には違いないのに、翼竜は口をぽかんと開け、稲豊はその下で果実を咀嚼する。どこか滑稽な状況にも見えた。
「き、貴様。吾の生命の果実を……不味いだと! それは」
「今考えてんだからちょっと黙ってろ!!」
ようやく我に返った竜が稲豊に反論しようとするが、強い剣幕の稲豊に押し返されてしまう。今まで敵を追い詰めた場合、命乞いをするか、殺せといった反応しか見なかった。まさか説教されるとは想像にもしていない。訳の分からないその存在を持て余してしまう翡翠の竜。
そんな竜の事など蚊帳の外に置いといて、果実の味に全神経を注ぐ稲豊。間違いなく、それと似たような味を元の世界で口に入れた事がある。そしてそれは、なぜか最近見た気もする。元の世界の物なのに、こちらの世界で見たというその矛盾。その答えは。
「――――夢だ」
母の記念日の為に、サプライズの料理を作ろうとしていた過去の自分。それに話しかける男。つまりは父のカゴの中に入っていた“ソレ”。ぽつりと呟いた稲豊。その次の言葉は、希望を孕む大声だった。
「日本酒!!!」
そう、間違いない。何度も味わった事のあるそれは、色々な料理に用いられ稲豊の口に飛び込んでいる。日本の神話でも酒を好む竜の話が出て来るが、こちらの世界の竜も同じ様な味覚をしているのかも知れない。オサの恍惚の表情も納得である。だがもしこの食材が味だけでなく、酒の持つ力まで同様なら奇跡だって起こせる。瞳に確かな力が宿った稲豊、次は彼の方から化物に話し掛ける。
「おい森の番人。取引をしないか?」
「――――なに?」
五百年、人から取引を持ちかけられたのは初めてである。
少しの興味が湧いた竜は、取り敢えず話だけでもと耳を傾ける。
「その前に確認事項がある。この場所にあるヒャクが尽きればお前は死ぬしか無い、間違いないか?」
「如何にも。魔素の補給が断たれるだけでなく。森の番人である吾が果実一つも守れぬとあっては……、生きる価値も無い」
断言するその言葉。
稲豊は整っていく条件に「よし!」と自身に激励を送った。
「なら話は簡単だ。お前は俺にヒャク数個とその育て方の情報を渡せ。俺はお前の生命、つまりは食糧問題をどうにかしてやる」
「――――――ふん」
鼻息を出しどこか中空を眺める翼竜。
その表情は人間の稲豊には読めないが、悩んでいるように見えなくもない。僅かな可能性を感じ取った彼は更に畳み掛ける。
「おいおい。よく考えてみろよ? 楽園の連中がまた来る可能性はゼロじゃないんだろ? その際はこの大樹だって危ないかも知れない。だったら俺達が別の場所でヒャクを育ててやるよ。そうすれば連中が来なくなった後のこの森で栽培出来るし、お前だって死ぬことも無くなって万々歳だ!」
竜にとっても悪い話ではないはず。その確信を元に出来うる限りの快活な声を出し、相手の背中を押す。今度は明らかな迷いを見せる翼竜だが、ハッとしたように稲豊の顔に視線を戻し、懐疑の声をぶつけて来る。
「だが貴様が楽園の手先ではないという保証が何処にある? 奴らの小癪な作戦ではないと断言できるその証拠を示せ」
稲豊の言葉が真実だとするならば、怪物にとっては願ってもない好条件のはずである。証拠を求めるその言葉は、もしかしたら信じさせて欲しいとの懇願の声かも知れなかった。稲豊はその証拠を持ってはいなかったが、決定的な根拠を示す事は出来る。後もう少しと、竜の背中を力強い言葉で更に押す。
「証拠なんて大層なものじゃないけど……見てくれよ」
そう促した稲豊の視線の先を見やる翼竜。
その先にいたのは彼を心配する二人の仲間。
「楽園の連中はさ、魔物に命を賭けて守って貰えるような奴らなのか? そんで、魔物にあんな顔をさせる事が出来るような奴らなのか?」
「――――む……う」
竜の視線の先には片腕のない人狼と、今にも泣きそうなアラクネ族の少女。
確かに楽園の連中は全魔物の敵である。魔物というだけでその命を喰らい、魔物が住むというだけで緑豊かな大地を焼く。奴らの身を案じる魔物など聞いたことがない。
完全に迷いを隠せなくなった竜に、稲豊は最後の一押しを加える。
「この取引でお前はヒャクが守れるんだ。森の番人としての大切な仕事が全う出来るんだよ」
「――――――守る」
「収穫したヒャクは必ずお前の元にも届けてやる。いや、ヒャクよりもっと美味い物も持ってきてやる。だから……」
稲豊はそこで一旦深く息を吸い込み。
卑怯で、誠実な言葉を翡翠の翼竜に送った。
「俺を信じろ」
強い言葉とその瞳に、遂に戦意喪失した怪物は「よかろう」と一言呟き、静かにその腕を稲豊から離す。掛かっていたプレッシャーが無くなり安堵するその体に、ナナが勢いをつけて飛び込んでくる。
「イ゛ナ゛ボざま~!! ナ゛ナ゛は、ナナは! 信じてまじた~!!」
「おい!? 足! 足が触ってる!!」
灰のシャツをナナの涙と鼻水でぐしゃぐしゃにされながら鳥肌を立てる稲豊。それを微笑ましそうに見つめるミアキス。竜はそんな三人を少し遠い位置から不思議そうに眺めている。
近寄ってきたミアキスが少年と少女の頭を撫でるが、痛々しい左腕が視界に入り稲豊は素直に喜べない。責任を感じ俯くその目の前に、白い果実が幾つか転がって来る。ゆっくり視線を上げると、眼前に迫った竜の口から真剣味を帯びた声が発せられた。
「これは契約だ。破棄した場合その生命を持って償って貰う」
「持ち掛けたのは俺だよ。死んでも守ってやる」
脅しを掛ける怪物に全く怯まずに答える少年。
何処か良く似た一人と一匹は、ここに絶対の契約を結んだ。
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「ナナ。コレは少し酷いのではないか?」
そう尋ねるミアキスの視線の先には、糸でぐるぐる巻きにされたマルーの姿。ナナがマルーを逃がさないように講じた手段のようだ。巨大な蓑虫と化した猪は、それでも挑戦的な目元を崩さない。目付きが悪いのは生まれつきかも知れない。
「も、もし逃げちゃったら帰れなくなるかもしれないので! ちょっとやり過ぎかな? とは思ったんですけど、あの時は少し急いでて」
言い訳をしながら糸を解いていくナナと呆れるミアキス。
そこから少し離れた森の入り口には、翼竜と稲豊の姿があった。
「じゃあな。人に殺られんなよ?」
「無論だ」
森の入り口まで見送る竜に、再び黒いコートに身を包んだ稲豊が別れの挨拶を告げる。
それに答える竜の姿に、何故か哀愁を感じる稲豊。森を何百年も孤独に守り続けるのはどんな気分なのか? それはきっと寂しいものだ……、簡素な挨拶では味気ない。もう一言あっても時間は許してくれるだろうと稲豊は考えた。
「お前名前は何て言うんだ? 契約相手の名前ぐらい知っておきたいからな」
振り返って語りかける稲豊に、竜は自らの名を初めて披露する。
「ネブだ」
「ネブね。俺は志門 稲豊だ。今後共よろしくな? じゃあ、また近い内に来るからさ」
なんの気なしに見せる稲豊の笑顔に、竜は大きく目を開く。
そんな様子に全く気付きもしないで。少年とその一行は白い果実と“ソレ”を乗せた猪車と共に、騒乱のあった森を去った。
もちろん、後に残った翡翠の翼竜が「まさかな」と呟いた事など知る由もなく……。
長寿の果実ヒャク。
元ネタは言わずもがな百薬の長である酒でした。
ちなみに枯れたヒャクの樹の出す匂いは果実とは若干違いがあり、食べてみるまで日本酒の味だとは気付かない設定です。




