第110話 「料覧会」
「いよっしゃあ!! 約束通りミアキスさんは返してもらうぜ!」
稲豊のする勝利宣言に、ネロはもはや反応すら見せない。
呆けた表情で、力なく座り込んでいる。暗い影さえ見えそうな彼の背後では、
「ミアキス様ぁ! ほんとうに良かったです~!!」
「ナナにも迷惑を掛けたな。でも安心して良い、我はもう――姫を疑わないから」
帰って来た同僚に涙目で抱き着くナナと、それを宥めるミアキスという対照的な光景が展開されている。その姿を見守るアドバーンにルートミリアも、今日一番の笑顔を覗かせていた。
「やられてしまいましたわね。さすがはルートミリアお姉さまのコック……と言ったところかしら」
「敗北は敗北、認めるしかないだろうな」
双子の王女も、勝負の結果には納得の声を漏らす。
その潔さは、ルートミリアの妹である事を稲豊に彷彿とさせた。
「ミアキス様。貴女の稽古を受けられなくなったのは残念ですが、致し方ありません。いずれ腕を上げた時にでも、また貴女と剣を交えたい」
「勿体無いお言葉、感謝致します。こんな我でよろしければ、いつでもお受け致します」
爽やかな握手を交わすクリステラとミアキス。
そんな二人の侠気を見て感動する稲豊に、アリステラがすすっと顔を寄せる。
「ここだけの話、昔のクリステラお姉さまは地味で大人し目のレディでしたの。それがたまたま城の集まりでミアキスを知り、今のお姉さまになったのですわ」
「え? それって……?」
「んふふ! 強く逞しいミアキスがよっぽど眩しく見えたのでしょうね。それから握った事もない剣の素振りなんかして……。だから本当は今、心の中ではさぞお嘆きになって」
小声で会話しながら、よよよと手拭いを取り出し右目を覆うアリステラ。
しかし、その口元は堪えきれない笑みが零れだしている。下手な泣き真似に稲豊が苦笑を浮かべたのも束の間、件の姉が鬼の剣幕で二人へと近寄った。
「聞こえたぞアリス! その話は口外するなと常日頃から言っているだろ!! お前というヤツは!!」
「あっははは! クリステラお姉さまが怒った~!」
姉の怒号を聞いて、心底愉快そうに駆け逃げる妹。
対決時のピリピリしたムードは何処へやら、エルルゥ家の庭は、今や微笑ましい空気へと変わりつつあった。
敗北の男以外は――――
「なぜこんな事に……? この僕が……素人に負けるなんて……あり得ない」
未だ表情を絶望の一色にし、現実逃避にも似た言葉を呟き続けている。
その姿を見たルートミリアは、業を煮やしたようにネロの側に近付くと、
「自分がなぜ負けたのか? まだ理解しておらんとはな」
そんな言葉を投げかけた。
「ル、ルートミリア様……」
「お前は“あの時”から全く変わっておらんな。料理の腕は磨いたのかも知れんが、その性根は全く成長しておらん」
声に反応し縋るように面を上げたネロを、ルートミリアは憐れみの瞳で突き放す。どこか重苦しい雰囲気を感じ取った周囲は、空気を読んで動きを止めた。
「“あの時”ってなんスか?」
好奇心を抑えきれなくなった稲豊が、近場にいたアドバーンに声を掛ける。
老執事は髭を右手で弄った後で一つ咳払いをし、彼方を見つめながら口を開いた。
「イナホ殿がクロウリー家の料理長となる一月ほど前、魔王城にて“料覧会”なる催しが開かれました」
「りょうらんかい?」
「魔王候補の姫達の料理人による、言わば料理のお披露目会で御座います。コックにとっては貴族や将官らに腕を披露する絶好の機会であり、また姫達にとっては自らの人材や力を誇示できる催しとなっております」
生まれて初めて聞く単語に稲豊が「へぇ」と関心を示していると、
「旨い料理ほど体内の魔素が増え、必然的に魔物の性能は上がる。『腕のある料理人は一万の兵士にも優る』――というのはある軍師の言葉だが、その通りだと私は思う。良いコックを傍らに置くということは、魔王候補としては相当なアドバンテージが得られるわけだ」
と、クリステラが補足した。
彼女の説明を聞きながら稲豊が考えていたのは、ルートミリアの言葉である。
『仲間』
稲豊は良く知る言葉の重みを再認識した。
「じゃあネロがクビになったのって――」
――料覧会で大失態をやらかしたんですか?
喉まで出掛かった言葉を稲豊は呑み込んだ。
本人の前で根掘り葉掘り聞くのは些か気が咎めた上、もしそれが本当なら“明日は我が身”の可能性が生まれてしまうからだ。
料覧会が魔王になる為の大切な場であることは稲豊にも理解できた。
しかし、そこでへまをやらかしたネロにルートミリアが退職を言い渡したのなら、少年は若干の非情さを感じずにはいられなかったのである。彼自身にだって、そんな大きな場で上手くやれる保証など持ってなかったのだから。
だがそこは“完璧執事”を自覚するアドバーン。
呑み込んだ稲豊の言葉を察した上で、老執事は首を左右へと振った。
「その“逆”で御座います。彼は料覧会に参加した者達のほぼ全員から、絶賛の声を浴びせられました。客達の反応の中では、一片の迷いもなく最高であったと言えるでしょうな」
「え?」
予想とは逆だった事実に、少年の頭は更なる混乱を見せる。
料覧会が成功したのならば、何故ルートミリアはネロに解雇を言い渡したのか? 色々と想像を巡らせた稲豊だが、結局こたえは見つからなかった。仕方なく稲豊は老執事の次の言葉を待ったが、アドバーンは珍しく躊躇するような動きを見せ、それ以上を語ろうとはしない。まるでそこから先は、禁句にでもなっているかのようである。
そしてそれはアドバーンだけに言えたことではない。
稲豊が視線を向けたミアキスやルートミリア、果てには双子の王女までもが複雑な表情で口を噤んでいる。
『踏み込んではいけない領域もある』
そう自分を戒めた稲豊が答えを諦めかけたその時。
何かに気付いたミアキスが、俯き気味だった面をハッと上げる。その表情は隠しきれない驚きに溢れていた。
「では、そこから先はワタシの方から説明を致しましょう」
そんな台詞と共に現れた人物を見て、双子の王女らもミアキスとは数秒遅れで驚き顔を披露する。なぜなら、エルルゥ家の門扉の方角から歩いてやって来たのは、この場所に来るはずも無い“人間達”だったからである。
「と、父さんに……兄さんまで……?」
よろよろと立ち上がったネロは、自分の父と兄の姿を見て頬を引き攣らせた。
敗北した姿を家族に見られた事への羞恥心が、青年の心を容赦なく抉って切り裂く。しかしそんなネロの心境など意に介さず、オサとパイロの二人は皆の前で足を止めると、双子の王女へと深々と頭を下げた。
「この度はワタシ共のような者が大切な庭を汚し、大変申し訳ございません」
「それは別に構わないけど、どういう事なのか説明をして下さるかしら?」
そう返事をしたアリステラだが、その視線の先にあるのはオサの姿ではない。
彼女が不満の眼差しをぶつけたのは、腕を組み涼し気な顔をするルートミリアだった。
「シモンに頼まれて妾が進入を許可した。別に問題はないじゃろ?」
「い、いやルト姉さん……それは凄く問題だと思いますが……」
「な~んにも聞こえんのぅ」
素知らぬ顔で口笛を吹く姉の姿を見て、双子の王女は同時にため息を吐く。
悪ノリをしたルートミリアを止める事は、巨大な猪の突進を止めるよりも難しい。彼女達はそれを身をもって知っていたのだ。
「まあネロの家族のようですし、今回ばかりは目を瞑らせていただきますわね」
「よし主人の許可が出たぞ。面を上げるが良い」
ルートミリアの言葉で頭を上げたオサとパイロは、ばつの悪そうな顔をするネロを一瞥した後、稲豊の方へと体を向ける。二人の表情からは、全てを語る覚悟が窺い知れた。
「しかし少年、なぜ二人を態々この場所に? 言っては悪いが、貴族街は人間には向かない所だ」
「ええ、確かにそっスね」
稲豊は初めて貴族街を訪れた時を思い出していた。
周囲からの白い目に、人の肉を狙う誘拐犯。人間がここを訪れるには、相応の覚悟と準備が必要となる。
「ミアキス様、我々の方からイナホ様に申し上げたのです。この男に物申したいこともありましたし、あのスープを使った結果がどうしても気になったものですから」
「……なぜ貴方がスープの事を?」
「それは追々にお話致します。今はこの男の『罪』を白日の下に晒したいのです」
ミアキスの質問を後へ回したオサは、視線をネロへと投げかける。
その瞳は鷹の如く鋭く、実の息子でさえ戦慄を覚えるほどであった。
「……罪?」
条件反射で呟いた稲豊の言葉に、オサは首を大きく縦に振る。
そして苦虫を噛み潰したような表情をし、まるで彼自身が罪人でもあるかのように、ぽつりぽつりと口を開いた。
「料覧会に出る事を主より仰せつかったネロは、ある種のスランプに掛かりました。城という大きな会場で、初めて大勢に振る舞うプレッシャー。そうなるのも、当然だったのかも知れません」
少しずつ明らかになる己の過去に、ネロはもはや諦めの境地に達していた。
魂の抜けきった顔で、呆然とオサの話に耳を傾けている。
「あの頃のこいつは、いつも頭を抱えていました。幾度となくメニューを考案しては失敗の繰り返し。ネロは日に日に元気を無くしていき、食事もほとんど喉を通っていかなかったそうです」
「でも料覧会は大成功だった。起死回生のメニューが作れたって事ですよね?」
「……ええ。こいつの提供した料理は貴族たちの舌を射止め、料覧会は大成功を収めました。しかし、それも当然の結果と言えるでしょう。何故なら…………」
オサはそこで口を閉じ、稲豊が見たことも無い複雑な表情を浮かべる。
そして長く苦しい沈黙を経た後、血でも吐くかのように――――言った。
「ネロは我が妻……つまりは自分の母を提供したのですから」




