第109話 「味音痴の迷審査」
無味だった四年間を取り戻すかのように、他の料理にも手を伸ばすミアキス。
その姿は“食べる事の幸せ”を体現しているかのよう。それは当然、見ている側に伝わらないはずもない。此度の審査員がどちらの料理に満足しているのか? それは誰の目から見ても明らかだった。
「ば、馬鹿な……あり得ない……っ!」
自らの勝利を確信していただけに、ネロの受けた衝撃も相当なものがあった。
彼は大量の冷や汗を流しながら、なぜこんな事態になったのかを模索し続ける。そんな青年がたどり着いたのは、ミアキスの記憶を呼び起こしたヒマ茸のスープだった。
「なぜだ……なぜお前はこのスープを用意した! 故郷の食材の中で偶々ヒマ茸を選び抜き、偶々スープにしたのが彼女の思い出の味……。そんな偶然が起きるハズがない!! なぜお前はこのメニューを選択したんだ!!」
ネロは稲豊の胸倉を掴みながら声を張り上げる。
彼の料理人としてのプライドが、“偶然”などという事象を認める訳にはいかなかったのだ。料理というのは知識と技術の結晶。そう信じてやまないネロが反発するのも、仕方がないことかも知れなかった。
「ミアキスさんへの想いがなせる業――なんて言いたいところだけど、もちろん偶然なんかじゃねぇよ」
茶化した言葉を吐く稲豊だが、その表情は至って真剣そのもの。
ゆっくりと少年の胸倉から手を離したネロは、自分が訊ねたにも関わらず、どこか怯えた瞳を浮かべていた。
「この勝負を決めた翌日。俺が訪ねたこと、覚えてるか?」
「厨房を覗きに来た……あの日か? 貴様、あの時に何かしたのか!」
必死に記憶を辿るネロだが、あの日の稲豊の様子におかしい部分は見つけられない。ならば、自分と別れた後に何かをした事になる。だが、双子の王女の前で何らかの行動を取った場合、それに二人が気付かない筈がない。
つまり可能性があるとしたら――――
「ミアキスに見送られた時……そうとしか考えられない。なら……だったら、僕を裏切ったのかミアキス!!」
非難の目をミアキスへと投げ掛けるネロ。
彼女が“思い出の料理”を稲豊へと教えたのなら、この事態にも納得がいく。彼はそう考えたのである。
――――しかし、
「あの時に何かしたのは確かだけど、残念ながらミアキスさんはお前を裏切っちゃいないさ。裏切れない理由は、お前が良く分かってんだろ?」
「……う」
そうなのだ。
ミアキスが主を裏切れない事を知っていたからこそ、ネロは“脅迫”という禁じ手を選択したのだ。そして思い返せば、先程の激怒も演技には見えなかった。正解を導き出せなかったネロは「じゃあ何なんだ!」と稲豊に解答を迫る。
すると、特に隠す気も無かった稲豊は、淡々とした口調で言った。
「目には目を“反則には反則”を、あの時に何かしたのは俺じゃない。マリーが魔能を使ったんだ」
「ま、魔能?」
「色々と制限はあるけど、マリーの魔能は情報を得るのに特化してる。だからあいつに調べて貰ったんだ、『ミアキスさんが一番食べたい料理は何か?』をな。何度もここに足を運んだ経験上、ミアキスさんが見送りに出る事は判ってた。そこを利用したんだ」
語られる真実に、ネロは頬を引き攣らせながら当時の事を思い返していた。
ミアキスを顎で使っていた彼は、しつこく来訪する稲豊達を追い返すため、彼女に“見送り”を命じた事も一度や二度ではない。それがいつしか定着していた事も、今回の敗因の一つであった。
「くっ……王女の魔能まで利用するか……っ!」
ネロは稲豊を“少年”だと甘く見ていた事を後悔した。
目的の為なら、どんな手段であろうと厭わない。卑怯者を自負する少年は、その名に恥じない卑怯者だったのである。
ある意味で稲豊を買ったネロは、何とかして『一泡吹かせたい』という欲を生み出す。そして醜悪な欲を原動力にした思考は、やがて青年からこんな言葉を吐き出させた。
「まだだ……」
プライドを傷つけられ半ばヤケになった青年は、唯でさえ鋭い目を更に尖らせ、傾いた眼鏡を整える。その表情には、薄っすらとした笑みさえ浮かんでいた。
「彼女はどちらの料理が上かを明言していない! まだ勝負はついちゃいない!!」
「はぁ?」
「そ、そんなの! ミアキス様を見れば一目でわかるじゃないですか!」
往生際の悪いネロが叫んだ言葉に、稲豊とナナは同時に怪訝な顔をする。
しかし青年は意に介さず、その鋭い視線の矛先を老執事へと向けた。
「見届人! まだ勝敗はついていないはずだ!」
「ええ、その通りですな。ミアキス殿がはっきりと『どちらが上か』を口にしない限り、決着はつきません」
尤もなアドバーンの言い分に、稲豊とナナも引かざるを得ない。
そんな二人の様子を見て醜悪に笑ったネロは、不穏な雲行きに食事の手を止めたミアキスへと迫った。
「さあ! どちらが上なのか言ってもらおうか?」
卓に音を立てて両手をついたネロの瞳は、
『返答次第では判っているな?』
そう如実に物語っている。
追い詰められた男の、執念にも近い悪足掻き。
それは脅しという名の断頭台となって、ミアキスの心を拘束した。
勿論、彼女の中では既に結果は出ている。
だが心のままに口にしてしまえば、ルートミリアに多大な迷惑が掛かってしまう。命の恩人でもある魔王に託された以上、ミアキスはそれだけは避けたかった。
「わ、我が……上だと思ったのは…………」
しかしまた、志門稲豊も命の恩人である。
時に助けられ、時に弱った心に激励をくれた。自身の為に、進退だけでなく命まで懸けてくれたのだ。そんな少年を見捨てる事も、ミアキスには出来そうもなかった。
「まだウダウダと悩んでいるのか! 忠誠心さえあれば、答えはすぐに出せるだろうが!!」
どうしても答えを出せないミアキス。
その姿に苛立ちを募らせたネロは、声を荒げて結果を催促した。
――すると、
「いい加減にしろ」
冷たくも力のある声が庭の中を通り抜け、ネロの肝を大いに冷やした。
興奮で赤くなっていた顔色を一瞬で青くした彼は、またも大量の冷や汗を流しながら、声の主へと体ごと顔を向ける。
「……ク、クリステラ様」
「勝ちへの執念は理解出来るが、ミアキス様への不躾な態度は理解出来ない。これは料理人が日頃から培ってきた腕を競う、神聖なる料理対決。その審査もまた、厳格なる物でなくてはならない。時間が掛かるのも当然。恫喝にも似た催促など以ての外だ」
静かだが有無を言わさぬ迫力を持ったクリステラの声は、ネロに後退りさせるだけの力を発揮する。主に嗜められ意気消沈した彼は、弱々しい声で「申し訳ありません」と零し、ミアキスの卓から離れた。
暫くの沈黙に支配されるエルルゥ家の庭。
その静寂を破ったのは、
「ようやく合点がいった」
皆のやり取りを静観していたルートミリアであった。
彼女は椅子から腰を上げると、組み立てた考えを確認しながらゆっくりと歩き、やがてネロとミアキスの間で足を止める。
そして誰の方を向くわけでも無く、纏め上げた考えを語った。
「ずっと疑問には感じておった。なぜ忠臣であるミアキスが妾に何も告げずに去っていったのか? なぜシモンとナナにはその理由を話したのか? その答えが……今ようやっと判った」
そこまで口にしたルートミリアは、氷柱のように冷たく鋭い瞳をジロリと動かし、その中心に青い顔をするネロを捉え――――言った。
「ネロよ…………ミアキスを脅したな?」
核心を突く言葉に、ネロの体がビクンと跳ねる。
その様子から自身の考えに間違いが無いことを悟ったルートミリアは、深く大きく嘆息した。
「目的は妾への復讐じゃな? 首切りをずっと根に持っておった……と」
「なっ!? ルト姉さんの言った事は本当なのか? 答えろネロ!!」
ルートミリアの問い掛けにも、クリステラの問い掛けにも閉口するネロ。
皆の視線から逃げるように、ただ俯き目を泳がせている。
「妾も阿呆じゃな。もっとミアキスを信じておれば、早くこの結論に達していたものを……」
自身の未熟さを痛感するルートミリア。
彼女はネロから外した視線をミアキスへと移動し、優しく微笑み掛ける。
「お前が妾を裏切るはずなど無いのに……、少しでも疑った己が憎らしい。全ては妾の為なのだろう? そう考えれば全ての辻褄が合う」
「……姫」
「だが、謝りはせんぞ。お前とて同罪なんじゃからな」
小悪魔的な笑みを浮かべるルートミリアの言葉で、ミアキスは呆けた表情を見せる。その意味を理解出来ていない元騎士に、元主は緋色の魔眼を投げつけた。
「侮るなよミアキス。どんな脅しを受けたのか知らんが、妾がそんな物に屈服すると本気で思ったのか? 妾は次代の魔王ぞ! くだらない脅しや復讐に負けるほど脆弱ではない!! どんな壁であろうと、粉砕し突き進むのみ!! お前はただ、妾を信じてついて来れば良いのだ!!」
右手を力一杯に伸ばし覇気を放つ姿は、ミアキスの脳裏に在り日しの魔王サタンを思い出させる。それは彼女だけでなく、ハンカチで涙を拭うアドバーンもまた同じだった。
「命令するぞミアキス! 此度の料理勝負、どちらがよりお前を満たしたのか? 忌憚なき感想を申せ!」
「ぎ、御意!」
有無を言わせないルートミリアの命を受け、ミアキスは咄嗟に返事をしてしまう。自然と頭を下げていた彼女の内心は、命令される喜びに満ち溢れていた。ルートミリアの言葉が、心を縛り付けていた鎖を打ち砕いたかのようである。
晴れ晴れとした表情を覗かせたミアキスは、皆の顔を見渡したのち、
「待たせて申し訳なかった」
そんな謝罪と共にもう一度頭を下げた。
そして、もはや顔色が青から白に変わりつつあるネロへと向けて口を開く。
「我は少年の給仕を手伝う事も少なくない。だから最初の料理が如何に素晴らしい物なのかは理解しているつもりだ。調理技術という分野に置いては、ネロの勝利と言えるだろう」
しかしミアキスは、その言葉の後に「だが」と付け足す。
「今目の前にあるこの料理だけは、どんなに素晴らしい技術が使われようと、世界中にあるどんな食材を持ってこられようと、超えられるものではないんだ。一口食べるだけで幸せになれる。一口啜るだけで家族に会える」
稲豊の料理をさも愛おしげに見つめるミアキス。
彼女は少しぬるくなったヒマ茸のスープを一口啜り、そして言った。
「ネロ……悪いがお前の言う通り、我は味音痴らしい。味音痴の我が判断するのは、その料理に込められた想いにしたい。今回の料理勝負、我はシモン=イナホの料理に軍配を上げる」
ミアキスの言葉に会場の空気が止まる。
そして永遠にも一瞬にも感じられる時間が経過したのち、
「勝者!! イナホ殿ぉぉ~!!!!!!」
見届人の高らかな声が、青く澄み渡った空へと抜けていった。




