第108話 「味」
ドームカバーを右手に持った状態で、驚嘆し硬直するミアキス。
そんな彼女の様子にしたり顔を浮かべた稲豊は、残り二つのカバーも取り去り、皿の中身を白日の下へと晒した。
「な、なんだコレは?」
興味本位で皿の中身を覗き込んだクリステラは、怪訝な表情で言う。
そんな言葉が口をついて出るぐらいに、彼女の目にはそのメニューが異様に映ったのだ。
「何って見ての通りッス。茹でた鳥のサラダと焼いた肉、それと茸のスープです」
「キノコってあの淫靡な形をしたやつよねぇ。食べられるのぉ?」
姉の会話に加わったアリステラは、普段目にしない食材に興味を持ち自身のコックに問い掛ける――――が、ネロは主の質問に返答しなかった。というより、質問自体が耳に届いてはいなかった。青年は真剣な表情を浮かべ、ミアキス同様にただ稲豊の料理に視線を奪われている。
「この料理はどれも焼いただけ、茹でただけ、煮込んだだけの料理に見えるな……。調味料は特別な物に見えないし、ソースすら掛かっていないではないか」
「素朴な味がテーマなんで。シンプル・イズ・ベストってやつです。普段あまり使わない食材だったんで、ちょっと苦労しましたけどね」
料理を披露した後も自信ありげな稲豊の様子に、クリステラは呆れ顔をルートミリアの方へと向ける。するとあろうことか、ルートミリアさえもどこか満足げな表情を露わにし、剰え軽い笑みすら浮かべていた。
「いったい……何を考えている?」
「ネロ! どうしたのぉ?」
クリステラが不穏を感じているその後ろでは、アリステラが放心するネロへと詰め寄っていた。主の小さな怒声で我に返った彼は、「申し訳ありません」と一度頭を下げた後、ナイフみたく鋭い瞳を稲豊へと投げつける。そして地鳴りのような低い声で、
「そういう事か…………卑怯者め!」
と怨嗟の声を喉奥から絞り出した。
理解できないのは双子の王女、二人共が複雑な表情で首を傾げている。そんな彼女達にも理解るように、ネロは感情を抑えきれない声で説明を開始した。
「このサラダに入っている鳥肉は“キクリ鳥”、ステーキは“空腹熊”。そしてスープに用いられてるキノコは“ヒマ茸”。全て僕の……いえ、彼女の故郷の食材が使用されているんです!」
ネロが糾弾したように、稲豊はその食材の全てをミアキスの故郷の食材で固めていた。『思い出の補正が掛かる料理は、普通のメニューよりも評価が高くなるに決まっている』。そう考えたからこそ、ネロは稲豊を“卑怯者”だと断じたのである。
「食材の制限は設けられちゃいなかったはずだろ?」
「だ、だからと言って! 審査員の好物を揃えるのは如何なものか!」
ルールの穴を指摘する稲豊に、諦めきれず食って掛かるネロ。
稲豊はその姿に「やれやれ」と手を上げた後で、アドバーンの方へと向き直った。
「見届人、問題はありますか?」
「いえまったく。毒以外の食材でしたら何を使って頂いても結構! 問題は御座いません」
見届人のアドバーンに認められたら、さしものネロでも折れぬ訳にはいかない。
青年は口唇を噛みながら一歩後ろへと下がった。
ネロが下がった事でフリーになった稲豊に、今度はミアキスが疑問の瞳を向ける。
「だ、だが……少年、この食材は一体どこで? どれも王都では手に入らない物のハズだ」
「そうだ! どこで入手した!! 王都で僕が知らない店なんて、ある訳がない!!」
訳が分からないといった顔をするミアキスと、その問い掛けに便乗し稲豊へと詰め寄るネロ。そんな二人の疑問に答えたのは、
「王都じゃありません!」
ずっと静観していたナナであった。
そして真っ直ぐな瞳をした少女は、ミアキスだけを一途に見据え、力一杯に口を開く。
「その食材は、何から何までミアキス様の故郷から持って来た物です! イナホ様にご主人様に執事長にナナ! みんなで見つけてきました!」
「なっ……!?」
ナナの言葉に、ミアキスだけでなくネロや双子の王女まで驚愕を露わにした。
人狼の里が魔王国とエデン国の国境近くにあるのは、この場の誰もが知っている。だからこそ、それがどれだけ危険なことかも理解しているのだ。
「ルト姉さん……貴女まで彼の地に赴いたのですか? なんという無茶を……」
「ほんとよぅ。下手したらエデンの兵に捕まって、あんな事やこんな事をされていたかも知れませんわぁ」
「ふん、妾をなめるでない。そんな不覚は取らん」
いつもの如く不遜な姉の態度に、双子の王女は同時に嘆息した。
だが、ミアキスはため息だけでは済ませない。ふるふると双肩を震わせ物思いに耽っていたかと思うと、突然立ち上がり稲豊へと吠えて猛った。
「なぜそんな馬鹿な事をしたんだ! 何事も無かったから良かったものの、何かあったらどうする気だったんだ!! 君は……あそこで二度も殺されかけたんだぞ!!!!」
「どうしてそんな事をしたのかって? んなの決まってるじゃないッスか」
皆への心配から本気で怒鳴るミアキス。
その真摯な瞳を真っ向から受け止めた稲豊は、肺に大量の酸素を送ってから――――言った。
「貴女に! 喜んで欲しいからですよ!! 『美味しい』って感じて貰いたいから、『ありがとう』って言って欲しいからです!! ええ、危険な事ぐらい承知してましたよ! でも、そんなものが見えなくなるぐらい……みんな貴女に笑って欲しかったんだよ!!」
負けじと言い返す稲豊に、ミアキスは言葉を返さない。
いや、返せなかった。心の奥から込み上げるものが胸を埋め尽くし、喉まで言葉が通ることを許さなかったのだ。
そんな彼女に、稲豊は全身全霊を賭した。
自身がルートミリアがナナが言えなかった言葉を、稲豊は自らの魂に乗せて叫んだ。
「そんなに俺達が心配なら守れよ……守って下さいよ!! 『馬鹿で無茶な行動だ』って、さっきみたいに怒鳴って下さいよ!! こんな目の届かない場所に居たら、大切な人なんて守れる訳が無いじゃないですか!! 無茶をして欲しくないんだったら、俺達の傍に居て下さいよ!!!!」
「イナホ殿、それ以上は」
「ええ、分かってますよ。これ以上は――――料理で語ります」
熱くなった少年の肩に手を置き、制止を促すアドバーン。
老執事を見て熱が抜けていくのを感じた稲豊は、食卓の上で湯気を立ち上らせるスープの事を思い出していた。今の自分と同じように熱が引いては堪らない。稲豊は言葉を詰まらせるミアキスへと、ひたむきな表情を向けた。
「食べてください。技術は無くとも、皆の想いで作られた料理です」
稲豊の言葉に誘導させられたミアキスは、無言のまま料理へと視線を落とす。
そして、彼女の足音だけが聞こえる静まり返ったエルルゥ家の庭で、ミアキスは再び中央の席へと腰を下ろした。
「…………まさかまた、このスープを見る日が来るとは思わなかった」
誰ともなく呟いたミアキスは、郷愁の瞳を浮かべる。
皆が彼女の一挙手一投足に目を配る中、ミアキスは銀のスプーンを右手に持った。
誰かの喉を鳴らす音が聞こえる。
その音を合図にするかのように、ゆらりと持ち上がる銀の匙。
それはスローモーションで薄飴色のスープの中へと沈んでいく。
「……いただきます」
吹けば飛ぶような声を出したミアキスは、十秒ほど匙の中の液体を見つめ、やがて意を決したように口内へと運んだ。傾いた匙から零れ落ちたスープは、味覚を無くした彼女の舌を優しく抱擁し、その温もりを残して喉奥へと流れ込んでいく。
「――――あ」
そう零したのも束の間、ミアキスの何かが刺激を覚える。
ぼんやりとしたそれは、その姿形とは違うハッキリとした声で言った。
『今日の夕食はヒマ茸のスープよ。嬉しい?』
柔らかな女性の声。
ミアキスを安心させるその声は、女性から誰かへの問い掛けであった。
『うん!』
問いに反応したのは、小さな子供の声だ。
ミアキスが声が聞こえた方へ顔を向けると、そこにはスープの入った皿を待ち詫びる少女の姿があった。既に銀の匙を握っていた少女は食卓につき、もどかしそうな表情でパタパタと尾を振っている。
『はい、お待ちどうさま。フーフーしてから飲むのよ?』
『フーフー!』
次第とはっきりとしてくる情景は、狭い上に生活に必要最低限の家具しか置いていない木造の家。食文化でさえあって無いようなその場所が、少女にはかけがえのないものであった。高価な調味料も存在しないここでは、高度な料理は望めない。だが、それでも少女は良かったのだ。なぜなら、彼女の前には最愛の母が居て、最高の料理を用意してくれるのだから。
『美味しい?』
『うん!!』
『どのくらい?』
『いっぱい!!』
キノコ料理が苦手だった娘の為に、母が苦肉の策で生み出したスープ料理。
今ではそれが少女の大好物となっていた。その事実が嬉しくて、少女の母親はこのスープを作る度に味を何度も聞いてしまう。
『本当に?』
『うん!!』
『じゃあ、おかわりする?』
『する!!』
少しくどいやり取りも、目の前の好物に舌鼓をうつ娘は律儀に応えた。
細やかながらも、幸せに満ち溢れている空間。もう二度とは戻れない、ミアキスの過去だった。
過去の母は、記憶を旅するミアキスへと不意に顔を向ける。
そして優しく微笑んだかと思うと――――
『美味しい?』
そう娘へと問い掛けた。
「――――あ」
次の瞬間。
我に返ったミアキスが周囲へと双眸を向けると、そこには心配そうに彼女を見る仲間達と、不思議な顔をする他の者達の姿があった。
狭い家も、過去の少女も、優しい母親も存在しない。
唯一残っている物は、銀のスプーンと薄飴色のスープだけ。
――――夢でも見たのだろうか?
自問を呟きながら、ミアキスはヒマ茸のスープへと視線を落とす。
何かに導かれるように動き出すミアキスの右腕。その腕は食卓の上を往復し、スープで満たされた匙を彼女の口へと運んだ。
「え?」
瞬間、ミアキスの表情がハッとしたものへと変わる。
そして少しの硬直を見せた彼女は、“それ”を確かめるべく三度目のスープを啜った。
仄かな塩味に、煮立てられたヒマ茸の旨味。
喉を通る際には、調味料により盛り上げられたコクと共に流れて落ちる。
それらは間違いなく。
四年もの長きに渡りミアキスが失っていた、『味』そのものであった。
「わかる……わかるっ!!」
呆気に取られる皆の前で、またスープを口へと運ぶミアキス。
再度己の感覚を確認した彼女は、ギュッと右手のスプーンを握りしめる。
そして頬を濡らす涙と共に、
「……いっぱい美味しい」
そう零した。




