第106話 「庭から物凄く視線を感じる・・・・・・」
遂に到来した料理対決、その当日。
動物たちのいなくなったエルルゥ家の庭では、白のクロスで覆われた横長のテーブルが二つと、その中央に円卓が一つ設置されていた。忙しなく屋敷と庭を往復するのは、アヒル人間のカールを含んだ数名の使用人達。
『今日はお天気だからぁ、会場はお外にしましょうよ。うちの食堂は狭いしねぇ』
唐突なアリステラの言葉が発端となり、彼らは朝から会場のセッティングに追われていた。動物を屋敷裏手の小屋へと誘導し、排泄物は片付け、匂い消しの為に香水を振りまく。
それが終われば、几帳面なネロの指導の下に椅子やテーブルの設置。あっちへ置いては「そうじゃない」、こっちに置いては「やはりさっきの位置へ」。簡易的な会場が完成した時には時刻は正午、使用人達は疲労困憊の状態となっていた。
「おいお前ら、休んでいる暇はないぞ。“お客様”がお見えだ」
眼鏡をクイと整えたネロの視線の先には、地響きを鳴らしながら向かってくる一つの猪車。乗車しているのは、彼が心待ちにしていた今回の主賓である。
「一層住民街までご足労いただき、恐悦至極に存じます。ルートミリア様」
「苦しゅうない。旅は嫌いではないからの」
跪いて頭を下げ、猪車より降り立つ昔の主を迎えるネロ。
ルートミリアは青年を一瞥した後、きょろきょろとエルルゥ家の庭へと視線を巡らせた。
「なんじゃ、シモンやナナの言っておった生き物がおらんではないか」
「本日はアリステラ様の計らいにより、庭にて昼食を摂って頂く手筈となっております。なので動物達は小屋の方へ」
「そうか……つまらんのぅ」
「お嬢様、目的を忘れてはなりませんぞ!」
期待していた動物達を見れずに口を尖らせるルートミリアだが、御者台のアドバーンに牽制され「分かっておる」と素直に頷いた。
「じゃあ悪いけど、マルーを頼む」
「お願いしますね!」
「グワ」
猪車をカールに託した稲豊とナナは、今日の対戦相手へと顔を向ける。
二人の視線に気付いたネロは一瞬だけ不敵な笑みを浮かべたが、直ぐに顔をルートミリアへと戻し、おべっかへと神経を注ぐ。余裕のあるその表情は、まるで勝者のそれである。
「イ、イナホ様~!」
「まぁなるようになるさ。俺は精一杯やるだけ、負けた時に骨を拾うのは頼んだ」
「嫌です~!!」
瞳をギュッと閉じ、『離れたくない』とばかりに少年に抱きつくナナ。
稲豊は少女の頭を優しく撫でた後、その左手で地面に置いていた料理鞄を持ち上げる。そして右手では食材の入った麻袋を肩に担ぎ、武者震いと共に決戦の地へと足を踏み入れた。
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「ルートミリアお姉さまぁ、ご機嫌よう。本日はお日柄も良く、絶好の対決日よりですわねぇ!」
「それに対し異論はないが、庭で食事とはの。インドア派の妾としてはちと堪えるのぅ」
「嫌ですわぁ、ルートミリアお姉さまぁ。それではまるで吸血鬼じゃないですの」
上品に笑うアリステラだが、ルートミリアの方は洒落を言った訳ではない。
インドア派の彼女はパラソルの下にある椅子に早々と腰を掛けると、足と腕を組み二人の妹へとその緋色の瞳を向けた。
「料理人同士の神聖なる勝負。勝っても負けても恨みっこ無しじゃぞ?」
「無論です。しかしこの対決、分が悪いのはルト姉さんのコックでは? 聞けばあの男はこの世界に来て数ヶ月しか経っていないとのこと。それで当家のコックの相手が務まるとお思いか?」
自信ありげなルートミリアの様子が気に触ったクリステラは、挑発とも取れる質問を返す。昔から長女として偉ぶる姉の鼻っ柱へと放った彼女の挑発だったが、当の本人はどこ吹く風。それが更に妹の神経を逆撫でした。
「妾はシモンを信じておる。奴以上の料理人はおらんと確信しておるのだ。シモンならば、必ずこの難局を良好へと導いてくれるはずじゃとな」
双子の王女は、自らの料理人を信じるという姉の言葉に動揺を覚えた。
もちろん、動揺を分かりやすく表情に出すことはしなかったが、それでも二人の心にはしこりが残ったのだ。
『なぜそこまで人間を信頼する事が出来るのか?』
互いに人間の料理長を持った者同士には違いないが、双子の王女はその信頼に大きな差を感じずにはいられなかった。何処まで行こうとも人と魔物、そんな差別とも区別とも似る思いは、どんな魔物でも捨て去る事は出来ないもの。二人はそう思っていたのだ。
だが目の前の姉は、己の料理人を心から信頼していると言い、しかもその瞳には一抹の迷いすら映ってはいないかった。
「……ずいぶんとお熱いこと。矮小な人間を“信じる”という行為が、後にどんな結果を呼ぶのか? 楽しみにしてますわぁ。とかくこの世は実力主義。力の差は“信頼”だけで埋める事は出来ませんもの」
「敗者に笑いかける太陽などありはしない。あのコック、勝負の結果如何で日陰者になるかも知れませんね」
負け惜しみを言う双子の王女だが、ルートミリアは涼しげな顔で扇子を拡げている。余裕のある態度は、魔王を目指す者の矜持のようにもクリステラは感じられた。
そんな妹達の視線を受け流しながら、ルートミリアは椅子の背もたれに体重を預け。
後ろに控える少女メイドへと声を掛けた。
「不安が顔に出ておるぞナナ。負の念は見ている者に伝播する、こういう時こそ強く構えるのじゃ」
「は、はい! ご主人様!」
拡げた扇子で口元を隠した小さな声は、妹達に悟られないため。
ルートミリアは追い詰められた時にこそ胸を張ろうと心がけていた。――そう、稲豊に信頼を寄せる彼女とて、全く不安が無いわけではなかったのだ。その証拠に、どうしても屋敷の厨房へと視線を送ってしまう。
『頑張れよシモン』
ルートミリアは「せめてでも」と、何度目かになるエールの視線を厨房へと送った。
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「逃げずに良く来たじゃあないか。食材を持参して来た事も褒めてやる」
「巻いて逃げる尻尾が無いもんで」
厨房へ入って早々に飛ぶネロの皮肉に、稲豊も負けじと言い返す。
コンロの摘みを捻ること無く火花を散らす両者に、アドバーンは青春を感じながらも咳払いを一つ。そして二人が良く見える位置に立った彼は、大仰なポーズを取った。
「ではお二人とも、調理の準備は整いましたかな?」
大きく頷くネロと稲豊の姿を見届けた後で、アドバーンは壁の浮遊砂時計で時刻を確認する。
「僭越ながら、この私めが見届人を務めさせて頂きます。これから先、私めは一切の私情を挟む事無く、公平な判断をする事を魔王様に誓います。これは神聖なる料理勝負、不正を働いた者にはその場で負けを宣告致しますのでご注意下さい」
老執事の宣誓を聞きながら、ネロと稲豊は別々の調理台で開始の合図を待つ。
料理人のユニフォームに身を包んだ両者は、調理器具を目の前の台に並べ、敵の姿をその双眸に焼き付けている。そんな一触即発のビリビリとした空気の中で、
「如何に審査員を満足させられる料理を提供出来るか? で雌雄を決したいと思います。制限時刻は一時刻(一時間)、メニューは何品作って頂いても構いません。ただし、刻限を過ぎてからの調理は無効となります。途中までの料理は食卓に上りませんのであしからず。それでは! 料理対決ぅ~~スタートでございます!!」
アドバーンが開戦を告げるや否や、二人の料理人は脇目も振らずに目的の食材へと手を伸ばす。
「ふん、僕と同じ厨房で料理が出来る事を光栄に思うが良い」
果物カゴからヒャクを取り出したネロは、それを手の平で覆いまな板の上でゴロゴロと転がし始める。一見、異様とも思える光景に稲豊が目を奪われていると、その好奇の視線に気付いたネロは軽くため息を吐いた。
「ヒャクはこうして軽く抑えながら転がしてやると、果汁が無駄なく絞れるようになるのさ。そしてある程度の柔らかさが出てきたら、縦からではなく斜めから切り八等分する。そうすると――」
「お、おお!」
工夫を凝らしたネロのヒャクは、稲豊が知る量の倍近い果汁を皿へと吐き出した。簡単な工夫ではあるが、その効果はまさに絶大。己よりもヒャクの扱いに長けている青年に、稲豊は最初の調理肯定にも関わらず、力の差を感じずにはいられなかった。
「やれやれ、そんな初歩も知らなかったのか? まあ、別に僕の専売特許って訳じゃあないし、試してみるといい。その袋の中に持ってきているんだろう?」
鼻を高くしたネロが指差すのは、稲豊が持参してきた麻袋だ。
わりと大き目の麻袋、その中では様々な食材たちが「今か今か」と活躍の時を待っている。稲豊は袋の中へ手を忍ばせると、本日最初の食材を調理台の上へと置いた。
「は?」
ネロは稲豊が取り出した食材を見て、素っ頓狂な声を出す。
それもそのはず、少年が取り出したのはヒャクではなく、市場で普通に売っている山菜だったからだ。更に稲豊は鳥の胸肉や野菜などを取り出したが、どこにもヒャクの姿は見当たらない。
食材が出る度に怪訝な顔へと変わっていくネロに、稲豊は決定的な言葉を口にした。
「俺はヒャクを使わない」




