第104話 「どっちかは無理じゃない?」
「…………え?」
稲豊は最初、自らの胸に突き刺さる腕をどこか他人事のように眺めていた。
しかし、脳の演算処理が追いついてくればそうもいかない。便利な修復魔法や治癒魔法も、“即死”ならばその恩恵に肖る事は出来ないのである。
「うわぁ!? ちょっ! えっ? 痛くねぇ!!??」
貫通したアリステラの腕を抜こうと引っ張る稲豊だが、華奢なはずの右腕はビクともしない。少年はどうしようも無くなり、助けを求めて視線を彷徨わせた。
「……護り切れなかったけど、おれのとこに化けて出ないでねー」
「くぅ! ハニーと一つになるん先越された~!」
「嘘でも良いから俺の死を悲しんでくれよ、人でなし! って人じゃなかった!!」
タルタルは諦めモード、マリアンヌは涙目になってはいるが要点がズレている。
そして稲豊が『こいつらはダメだ』と心で見切りを付けた頃、アリステラの小鳥の囀りのような笑い声がバルコニーに響いた。
「あっははは! いいわぁ~貴方、満点の反応ねぇ。死んだりなんかしないから、とりあえず安心して良いわよぉ?」
「ほ、本当だな!? 嘘だったら泣くぞ!! って…………あれ?」
動揺する稲豊が正面を向くと、つい今し方まで立っていたアリステラの姿は影も形もなかった。美しい桜色の髪も、少年の胸を貫いた細腕も、まるで幻のようにその場から消失していたのである。
だが、消えたのは少女だけではない。
貫かれたはずの稲豊の胸は、いつもと同じように鼓動を刻んでいた。服も破れていなければ、胸からは血の一滴すら流れてはいなかったのだ。
「さっきまで俺の目の前に居た……よな?」
首を目一杯に動かし、アリステラの姿を捜す稲豊。
しかしどれだけ目を凝らそうとも、彼女の姿は一向に少年の視界には入っては来なかった。
「どちらを捜していますのぉ? アリステラはこちらですわぁ?」
またも直ぐ側から少女の声が聞こえ、稲豊はそちらへと視線を走らせる。
だが、アリステラの姿を捉えることが叶わない。声はするのに、その姿が見つからないのだ。
「こちらですわ、こ・ち・ら」
「こちらって言われてもなぁ――――――ん?」
少年が捜索を諦めかけたその時、彼は自身の腹部に違和感を覚えた。
そして視線を下方へとスライドさせた稲豊は、そこで信じられない光景を目の当たりにする事となる。
己の腹、そのヘソの部分からアリステラの生首が映え、剰えそれが稲豊に向けてニコリと笑みを浮かべたのである。
「うわぁぁぁ!!!!!!」
絶叫しながら後退った稲豊は、バランスを崩し後ろに倒れる。
咄嗟にミアキスに支えられ少年に怪我はなかったが、今の彼にはそれどころではない。
「失礼ですわねぇ、こんなに可愛いアリステラを捕まえておいて」
「俺には生首を愛でるサイコパスな趣味はない!!」
腹の上で不満を漏らす生首に稲豊が叫ぶと、アリステラは「クスクス」と笑いながら、まるで水面から出るかのようにスルリと上半身を持ち上げた。
「うわぁー、シモッチ変な生き物みたいになってるよー」
「見てないで助けろ! いくら美少女でも俺の体から生えたのはノーサンキューだ!」
少年の腹部からはアリステラの上半身が生え、腰からは足先が覗いている。
まるで稲豊という名のプールを少女が泳いでいるかのようだ。パニックとなった稲豊を鎮めたのは、憤慨するマリアンヌの一言であった。
「だから近付いたらアカンて言うたやろ? それがアリステラの『魔神の右腕』の能力やねん」
「ま、魔能? これが?」
ネタバラシをされたアリステラは、おもちゃを取られた子供みたくつまらない顔を浮かべ、「もう終わり?」とでも言わんばかりにため息を吐いた。
「魔神の右腕、その能力は【融合】。アリステラわぁ、この右腕で触れたものを混ぜ合わせる事が出来るんですの。いま貴方とアリステラは一つになっているんですのよぉ、光栄でしょう?」
「こんな形で一つになって喜ぶ男子はいません! とりあえず離れて下さい」
稲豊が能力の解除を要求すると、アリステラの表情がいっそう曇る。
彼女は申し訳なさそうに両の人差し指を合わせてから、恐る恐ると口を開いた。
「アリステラの魔能は混ぜるだけ、だからそのぅ……分離は専門外といいますか……」
「はぁ!!??」
――そう、アリステラの魔能は融合。
彼女は物を混ぜ合わせる事は出来るのだが、その解除までは不可能なのだ。
「……まさか」
稲豊の脳内にある存在が浮かび上がる。
それはこのエルルゥ家の庭に屯する、異様なペット達の姿だ。この異世界においても奇っ怪な姿をした彼らは、一体どこからやって来たのか? 稲豊はその答えに辿り着き、顔色を青くした。
「庭のペット達ってもしかして――――混ぜた?」
頬を引き攣らせた稲豊の質問。
それを聞いたアリステラは、「テヘッ」と小さな舌を覗かせた。その可憐とも言える行動が示す解答は一つ、『肯定』である。
瞬間、稲豊は走馬灯の逆パターンを味わう事となった。
その脳内イメージの中では、これから先の人生を常にアリステラと行動する彼自身が存在していた。食事、風呂、就寝は言わずもがな。更にトイレやルトとの月夜デート時も、妄想の中の彼は少女の生首を生やしている。
「ぜ、絶望した……」
少年が絶望の闇に呑まれ、暗黒面へと堕ちようとした――――まさにその時。
「いい加減にしないかアリス、悪趣味だぞ」
業を煮やしたクリステラが、そんな言葉と共に“二人”の下へと近寄った。
彼女は辟易とした顔で稲豊の前に屈み込むと、白魚のような左手を少年の肩の上へと乗せる。すると三秒も経たない内に、融合した二人は元の人間と魔物の姿へと分けられた。
「おお! 戻った!」
歓喜する稲豊とは対照に、面白くないのはアリステラ。
姉にクドクドと説教をされ、桜色の口唇を可愛らしく尖らせている。
「姉のクリステラの『魔神の左腕』、その魔能は【遊離】。彼女は妹とは逆で、左手で触れたものを分離させる能力を持っている。なるべくアリステラには近付かない方が良い」
そんな説明と忠告をしながら、ミアキスは稲豊を立ち上がらせる。
もちろん、彼の服に付着した埃を払うことも忘れない。
「そうそう! 悪戯好きなんは姉妹の中でも断トツやからな、ウチも子供の頃に猪と混ぜられてエライ目にあったわ」
「それはちょっと見てみたかったけど、了解したよ。物凄く危険な魔能だと脳にインプットした」
稲豊の側に寄るマリアンヌと、逆に離れていくミアキス。
そしてちょっかいを出した張本人は、姉の説教を受け少しだけしおらしくなっていた。
「貴方がとても可愛かったから、少しだけからかってみたかったのよぉ。ごめんなさぁい」
「……次からは気持ちだけいただきますよ。じゃ、そろそろお暇するんで」
「もう~? 残念ねぇ」
引き気味となった稲豊は、そそくさと帰宅の準備を始める。
そして少年が準備を始めれば、必然的にマリーとタルタルもそれに従った。
「愚妹がすまなかった、姉として謝罪する」
「もう良いッスよ、怪我はなかったんだし。一応……美少女と一つになれたんで」
やせ我慢をする少年に、クリステラは呆れ顔を浮かべ鼻息を一つ。
そして直ぐに凛々しい表情に戻すと、彼女はピシと姿勢を正してから声高らかに宣言をした。
「私は人と魔物を完全に隔離する世界を目指している。そうすれば無意味な啀み合いも、食糧を奪い合う事もない平和な世界が訪れるからだ。それこそが私の食糧改革、お父様に託された使命である! と、ルト姉さんに伝えてくれ」
闘志を宿らせたクリステラの宣言。
それに触発されたアリステラは姉の隣に並び、麗らかな声を上げた。
「アリステラの目指す食糧改革わぁ、二人が一つに融合した世界よぉ。人も魔物も一つの存在になってしまえば、闘争なんて起きようが無いでしょお? それこそがアリステラの食糧改革、ルートミリアお姉さまに伝えて下さる? 魔王になるのは私達だって」
宣戦布告とも取れる双子の言伝。
稲豊はその二つの緋色の双眸に、狂気じみた決意のようなものを感じ取っていた。
だがそれが何に対する決意なのか?
この時の稲豊には、知る由もなかった。
前回に腕の表記を間違えてしまったので、それを押し通す事にしました。
困惑された読者様、大変申し訳無いです!m(_ _)m




