第102話 「負けた時はアドバーンさんに、ってさすがにダメか」
回想編を三話に纏めた結果、話数が一つ減っておりますのでご注意下さいm(_ _)m
「……僕は耳がおかしくなったのか? 神聖な料理勝負の厳格なる審査員に、芋と豆の味の違いも分からないミアキスを所望する――と、僕にはそう聞こえたワケだが?」
「安心しろ、お前の耳は正常だ。味の分からない審査員なんて斬新だろ?」
何かの冗談かと確認を取ったネロだが、稲豊の口から出たのは肯定。
青年は呆れた表情を浮かべたかと思うと、数秒後には真剣な顔に戻し思慮に耽る。稲豊の姑息な手段に痛い目を見ていた彼は、少年が再び『何かしらの謀略を企てているのでは?』と考えたのだ。
無言での腹の探り合いを経由した後、やがてネロはゆっくりと首を縦に振った。
「良いだろう、その条件を呑んでやる。お前の元仲間に審査をさせるというハンディキャップだが、受けてやろう。勝つのは僕と決まっているからな」
「野郎のは勘弁だけど、胸を借りるつもりで挑ませていただきますよ。“先輩”」
火花をバチバチと散らす前と現の料理長。
蚊帳の外に置かれたミアキスとナナは、もはや成り行きを見守ることしか出来ない。
「勝負は十日後、場所はこの屋敷でも構わないな?」
「おーけーおーけー」
着々と現実のものとなる料理対決。
場所も日取りも決まったことで、稲豊は“もう用は済んだ”と言わんばかりにネロに背中を向ける。そしてハラハラとした面持ちのミアキスを一瞥した後、「待ってて下さい」とだけ彼女に告げて休憩所を後にした。その後ろには、慌てて付き従う少女の姿も見える。
休憩所に残されたミアキスは、隣にいる青年の様子を窺い言葉を失った。
彼女の視線の先には、既に勝ち誇った笑みを浮かべるネロの姿があったからだ。ミアキスは委ねられた物の重みに耐えきれなくなったようにベンチに腰を下ろすと、文字通り頭を抱えて深い深いため息を零した。
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「あ、終わった?」
稲豊とナナの二人が庭の中心にまで戻ってきた時、マリアンヌが二人の姿を見つけ駆けて来る。尻を払う仕草から、稲豊は彼女が庭で待っていた事を知った。
「別に屋敷の中で待ってても良かったのに、積もる姉妹の会話は一週間程度じゃなくならないだろ?」
「ええねんええねん。あの二人お父様の事になったら話が長なるからな、それに奇怪な生き物達の中におっても、ハニーを待つのは飽きへんしね」
愉快に話すマリアンヌの後ろから、カールがその姿を覗かせる。
つぶらな瞳と目があった稲豊は、体を屈ませて彼と目線を合わせた。
「マリーの相手してくれてありがとな」
稲豊がそう言いつつ頭の羽毛を撫でると、カールは気持ち良さそうに目を細める。
「遊んであげてたんはウ・チ!」
それが面白くないマリアンヌは腕を組みながら憤慨するが、動物好きの稲豊は聞く耳など持ってはいない。次々と集まってくるペット達の相手をしては、またも涎に塗れている。
「まったくもう――」
少年の連れない態度も、彼の無邪気な笑顔を見れば怒りの炎は鎮火してしまう。
マリアンヌは惚れた弱みに白旗を揚げながら、カールの方へ向き直った。
「ほな悪いんやけど、タルタル呼んできてんか?」
呼び出しの頼みに頷きを返したカールは、くるり反転すると屋敷へと入っていく。彼の目指す先は浴室。タルタルの潜伏先は、常にそこと決まっている。
「ん? ナナちゃんどないしたん?」
次にマリアンヌが気になったのは、来た時とはまるで違う少女の様子だ。
太陽のように眩しかった笑顔は、今や落月のそれ。引っ掛からない方が不自然というものである。
「……なんでも……ありません」
しかし少女は、今にも泣きそうな顔を浮かべながら否定する。
只事では無い様子だが、無理に聞き出すことはスマートではない。困り顔を見せるマリアンヌは、次にその表情を稲豊へと向け、「何があったのか?」を視線で問い掛けた。
「詳しい事情は後で説明する。今日もルト様の屋敷に厄介になるつもり何だろ?」
「もちのろんや!」
稲豊がこの嫌がらせ作戦を敢行してから、マリアンヌは毎日をクロウリー家で過ごしている。彼女曰く「送り迎えが楽だから」ということであるが、その態度から稲豊への邪な思いが見え隠れするため、ルトやナナとトラブルになることも少なくはなかった。
しかし、そんなことで身を引くマリアンヌではない。
彼女は今日も今日とて、想い人の傍をキープするのであった。
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時間は進み、ルトの屋敷での夕食の時間。
ミアキスを欠いた四人に、タルタルとマリアンヌを加えた六人が食卓に着き、本日の晩餐に舌鼓を打っている。そして宴も酣となった頃、屋敷の主が徐に口を開いた。
「シモン、今日の首尾は?」
作戦を開始してから、ルトがその進行具合を聞くのはいつものこと――――なのだが、今日は声色に真剣味がスパイスされている。帰って来た皆の様子から、ルトは既に進展を察していたのだ。もちろんその良し悪しまでは分からないので、返事が来るまで小さな胸は高鳴りっぱなしである。
「その話なんですけど――」
期待と不安の入り混じった瞳を向けられる中で、稲豊は今日あった出来事を報告をする。ただし、口止めされた内容は入ってはいない。ミアキスの去った理由を話すと主に誓った稲豊だが、まだその時ではないと判断したのである。
「料理対決じゃと!?」
「負ければ屋敷を去る!?」
事情を知ったルートミリアとアドバーンは、同時に素っ頓狂な声を出した。
そして身を乗り出した二人は、鼻息を荒くして稲豊に顔を近付ける。
「妾に相談もせずに決めてもらっては困る! 相棒であるお前が居なくなったら、妾はどうすればよいのじゃ! シモン以外の料理人など雇いとうない!!」
「イナホ殿、水臭いではありませぬか! 私めに一言仰って頂ければ、邪魔者の一人や二人すぐにでも冥府という名の落とし穴に叩きこんでやるものを!」
「す、すんません! 他に方法も思い浮かばなかったもので! あとアドバーンさんは物騒過ぎます、相手を料理する対決じゃないんスから」
二人のあまりの剣幕に、慌てて頭を下げる稲豊。
しかし既に決まってしまった料理対決は、いまさら反故になどできない。ルトは親指の爪を噛みながら、恨みがましい目を稲豊へと投げ掛けた。
「ま~ま~、ええやないの。もしハニーがこの屋敷を離れる事になってもぉ、ウチがちゃ~んと迎え入れたるから安心してな? もちろん料理長のポジションも用意したげる!」
「あー、もしかして、今おれをクビにしましたー?」
今の状況が面白いマリアンヌは、不満顔のタルタルを余所にここぞとばかり自己アピールを強める。彼女にとっては、稲豊が負けた方が好都合なのだ。
『ありがとうマリー、助かったよ。やはり俺の伴侶は君しかいない、結婚しよう』
『……嬉しい。絶対に幸せにするからね、あ・な・た』
負けた後のあり得ない妄想を展開し、口元をでへへと緩ませるマリアンヌ。
幸せそうに体をくねらせた彼女だが、その視界に映ったものが瞬時に彼女の妄想を吹き飛ばす。それだけの陰鬱な雰囲気を、斜め向かいに座る少女メイドが放っていたのだ。
「………………ぐすっ」
鼻を啜ったナナの顔は、まるでこの世の終わりと言った表情。
見た者すべての胸を抉る破壊力を持っている。
「だ、大丈夫だって! まだ負けたと決まった訳じゃないだろ? まぐれで勝つ可能性だって0じゃないんだし」
「だって、あの人は料理の腕“だけ”は確かなんです……。ナナだってイナホ様を信じたいですけど、でも……」
稲豊の掛けた気休めの言葉も、気落ちしたナナには通じない。
俯きに拍車が掛かった少女を不憫に感じたルトは、習得した魔法の中に“味を良くする魔法”が無いのを口惜しく思った。
そしてしばしの沈黙に包まれる食堂内。
食器や咀嚼の音だけが聞こえる重苦しい空気を変えたのは、タルタルが何とはなしに放った一言が切っ掛けであった。
「対決に勝てる料理でも分かれば良いんだけどねー、マリお嬢の魔能で」
「マリーの【正答】は未来には干渉出来んから無理じゃろうな………………ん?」
自分で言った台詞に引っ掛かりを感じたルトは、数秒だけ難しい顔をした後で「あーー!!」と突然声を上げた。いきなりの事に目を丸くする食堂内のメンバー。ルトは彼らの中の一人を睨みつけ、糾弾の言葉を放つ。
「あれから二週間は経った、既に魔素は貯まっている筈じゃぞマリー! シモンを召喚した者を調べるという約束はどうなったのじゃ!」
「タルタルのあほぅ! 隠してたんがバレてもうたやないか!」
「阿呆はお前じゃ!」
そして食堂内に響く、ルトの放ったデコピンの快音。
マリアンヌは「あだっ!」と叫んだ後で、涙目になりながら額を両の手でさすさすと撫でた。
「し、調べたら良いんやろ調べたら……」
ぶつぶつと不満を零しながらも、隣に座る稲豊の方を向くマリアンヌ。
そして神妙な顔付きをした彼女は、生門より引き出した魔素を自身の耳へと送る。
――――そして、
「待った」
マリアンヌが【正答】に問い掛ける直前、稲豊がそれに待ったを掛ける。
肩透かしを喰らった者達は、皆がきょとんとした瞳を少年へと向けた。しかし当の本人はどこ吹く風、俯き気味で顎に右手を添え、自分の世界に没入している。
「シモン?」
皆の間を葛藤が巡った後で、ルトが代表し怖ず怖ずと声を掛ける。
すると稲豊は沈んでいた瞳を持ち上げ、そして力強い表情をしてから言った。
「この勝負――――なんとかなるかも知れない」
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稲豊が天啓を得たその夜。
ミアキスはネロに呼ばれ、青年の部屋を訪れていた。
「愚かな少年だとは思わないか? 本気でこの僕と勝負するらしい」
果実酒で気の早い祝杯を上げていたネロは、窓ガラス越しに夜空を眺めながら、扉の前に立つミアキスへと問い掛ける。しかし人狼はその問いに答えず、伏し目がちに棒立ちするだけ、ネロは「はっ」と鼻で笑いグラスの中身を呷った。
「本来であれば、僕の勝ちは揺るぎのないものだ。だが、今回は審査員が悪い。僕が完璧な料理を用意したところで、お前はそれを味わう舌を持っていないのだからな」
「…………すまない」
嘆息するネロを前に、ミアキスは頭を垂れる事しか出来ない。
青年はグラスを窓際の卓に置いた後で振り返り、悪意ある笑みを浮かべた。
「別に構わないさ、お前が『正しい』審査をするのならな」
「……正しい?」
そしてネロは困惑顔を浮かべるミアキスの正面まで移動すると、「単刀直入に言う」と前置きをしてから、
「僕を勝たせろ。従わないと言うのなら、全てを白日の下に晒す」
そうミアキスを脅迫した。
氷の如く冷えた青年の瞳は、その言葉に嘘偽りが無いことを如実に物語っており、見入られたミアキスの背筋を一瞬の内に凍らせる。
「し、しかしそれでは……少年が……」
「ではルートミリア様を見捨てるとでも? 彼は屋敷を去っても行く場所はあるだろうが、覇道はそうもいかない。“この国へ人間を連れ込んだ人狼を騎士として側に置いていた”――――魔王への道は絶望的だな」
ミアキスの小さな反撃も、ネロの優位は揺るがない。
凍える背中の温度が伝わってしまったかのように、青くなるミアキスの顔。
稲豊を選べばルートミリアが不幸になり、
ネロを選べば稲豊が不幸になる。
両方は選べない。
どちらかを立てれば、必ず大切な者に不幸が訪れる。
そんな思考の袋小路は、ミアキスを何処までも追い詰めていく。
「わ……我……は…………」
悩める人狼の姿を見つめるネロは、心の中でほくそ笑んでいた。
四年前に族長の言葉を裏切った結果、待っていたのは両親と仲間達の死という最悪。ミアキスの実直な性格では、もう二度と主を裏切る事など不可能だろう。そう確信したからこそ、ネロは稲豊の案を呑んだのだから。
『勝つのは僕だ』
心の中で宣言したネロは窓際まで戻ると、残っていたワイングラスの中身を一息で飲み干す。そして誰にも聞こえないぐらいの小さな声で、“ある女性”の名前をぽつり零した。




