第101話 「アンフェア」
「契約を結んだ我は、皆を弔った後で魔王様と共に住人達の下へと戻った。そこで魔王様は言ったんだ、『村に戻って平和の中トロアスタに殺されるか、オレの国で冷遇の中を生き永らえるか。どちらかを選択しろ』――と」
「そ、それで村長が選んだのは?」
淡々と話すミアキスに、ナナがおずおずと尋ねる。
稲豊はここまで聞いた時点である程度の察しがついていたが、敢えて口を挟みはしなかった。
「答えは既に知っているはずだ。何度も“ソコ”に足を運んでいるのだからな」
ミアキスの言葉に、少女はハッとした顔を浮かべる。
「……そうだ。ポタロ村は魔王国でその名を変えた、二人も良く知る【非人街】とな。最初はオサの決断に反発する住人もいたが、人狼族の最期を知ったことで流れが変わり、やがて一人また一人と折れていった。まぁ、未だに納得のいっていない者もいるだろうが」
終始、沈んだ表情をしている人狼はそれを助長させる嘆息を漏らす。
その様子は、全てが『自分の所為』だとでも主張しているかのよう。
「そして他の魔物達を納得させる為に、“非常食”という形で住人達は暮らす事となった。手を出せるのは上級魔族だけ、その上級魔族も魔王様の許可が無ければ手を出せない。食糧難に苦しむ魔王国だ、国民が飢餓に苛まれている最中に人間だけを優遇する訳にもいかない。魔王様も、その事はずっと気に病んでいた」
「気に病んでいたのは、ミアキス様も同じですよね? お給金の行き先、ナナは知ってます」
少女の言葉通り、ミアキスは給料のほぼ全てを贖罪に充てている。
それを知ったルトが給料を上げもしたが、それすらも食糧を買い、非人街へと匿名で寄贈してしまうのだ。
「全ては我の責任だからな。我が取った行動の所為で大勢が死んだ、大勢が不幸になった。少年達に迷惑を掛けた我の悪夢は、あの日の悪夢だ。父さんが、母さんが、族長が……皆が我を呪う。白く濁った瞳で、怨嗟の声を投げつける。だがそれも仕方が無いこと、我自身が一番理解しているのだ。自分が一番悪いって事をな」
自身の両腕を抱き、ぶると体を震わせるミアキス。
そんな人狼の様子は、寒さに震える小さな子猫のようである。話を静かに聞いていた稲豊は、心の底からミアキスが可哀想になった。
「でもミアキスさん。貴女は良かれと思って行動したんだ。人間の為に、正義の為に行動を起こしたんです! それは凄く立派なことで、きっとご両親もそんなミアキスさんを誇りに――」
「違うっ!!」
ミアキスの出した叫びにも近い大声に、彼女を慰めようとした稲豊は体をびくと反応させ言葉を中断する。そして稲豊がこわごわと彼女の様子を窺うと、人狼は両指をわなわなと震わせ瞳を泳がせていた。
「そんな崇高なものなんかじゃない! だって我は……あの日……あの里での惨劇を目の当たりにした時……父さんと母さんの死体を目にした時……思ったんだ……思ってしまったんだ……っ!!」
体と同じように声も震わせた人狼は、両手で顔を覆い、そして――――
「『人間なんか……助けるんじゃなかった』って!!!!」
指の隙間から涙を伝わせ慟哭した。
そして驚きに目を見開く少年少女を余所に、腰の片手剣を抜いたミアキスは、それを過去の自分に向けて何度も振るう。
「結局、我は正義の為になど動いてはいなかった! “正義の騎士ごっこ”がしたかっただけだったんだ!! 誰かに認められたかっただけなんだ!! 何が正義だ……何が誇りだ……っ!! エゴイストめ! お前なんか……呪われて当然だ!!」
自らに呪いの言葉を繰り返し吐きながら、涙と剣を振り払うミアキス。
その顔に宿る悲壮感は、稲豊の心をこれでもかと締め付ける。やがて剣を下ろした彼女は、肩で息をしながら口を開いた。
「それからだ……何を食べても味を感じなくなったのは……。きっと死んでいった皆の呪いなのだろう。戦場に何度となく足を運んだのに、未だ仇も討てていないのだから当然だな」
全身に汗を掻きながら、乾いた笑みと共にミアキスはそう零す。
痛々しいその姿は、見る者全ての心に痛みを植え付ける。ナナは無念の表情で視線を落とした。
「こんな役立たずが、ルートミリア様の傍に居ることさえ烏滸がましい。今回の件も呪いの力が働いたに違いない。だからこそ、ネロが我の前に現れたんだろうからな」
自虐を極めるミアキスの言葉に登場した名前に、稲豊の眉が持ち上がる。
その名が騎士の鞍替えに一枚噛んでいると睨んでいた少年は、その真偽を確かめるため一歩足を踏み出した。
「……やっぱり、あの野郎のせいってことで良いんですよね?」
ドスの利かせた声で尋ねる稲豊。
ミアキスは少し困ったような顔を浮かべた後で、「切っ掛けは……な」と切り出した。
「あの日、オサの家の前で待機していた我にネロが声を掛けてきた。要件は一つ、“双子の王女の騎士になること”。無論、最初は『何を馬鹿な事を』と退けた。だが……彼は引かなかった」
露骨なまでの嫌悪を表情に出し、人狼は過去を振り返る。
「魔王国への移住を最後まで反対していたのがネロだった。終いこそ母親の説得で折れたとは言え、未だ根に持っているのだろう。彼は言ったよ、『お前の所為で住処を追われたんだ』『昔の暮らしの方が良かった』と」
「何だ……それ……っ!」
傷心しているミアキスの傷口を抉る刃物のような言葉。
稲豊は、建物の中に居るであろうネロへと怒りの念を送った。
「困惑する我に、ネロは“取引”を持ちかけた。それは『四年前の事件を口外しない代わりに、自分の命令に従う』こと」
「な、なんてこと……!」
今度はナナも怒気を宿らせる。
そして少女から数秒遅れで、稲豊もその意味に気が付いた。
事件の関係者による、悪意のある吹聴。
それはミアキスの印象を悪くするだけに留まらず、彼女を傍に置くルトの沽券まで貶める事となる。
「きったねぇ!」
もはや脅迫。
稲豊はミアキスが自らの意思で去った訳ではなかった事に安堵しつつも、ネロの一線を超えた卑怯なやり口に辟易とした声を出した。
忠誠心の強いミアキスが、ルトの魔王になる夢を潰せる訳がない。
二人の心情を察した稲豊は、拳を強く握り込んだ。
「この話はくれぐれもルートミリア様には聞かせないでくれ。優しい方だ、きっと『自分の所為だ』と気に病んでしまう」
「で、でも……それじゃあ、ミアキス様が……」
諦めの境地に至るミアキスに、ナナが今にも泣きそうな瞳を送る。
稲豊とて少女と同様の思いを抱いていたが、かと言って何をどう踏み出せば良いのか分からず、やきもきした感情に振り回されることしか出来ない。
「クソッ! ネロが心変わりするしか無いのか……でも」
ネロに手を出せば、それは巡り巡ってルトへの毒となる。
しかし説得に耳を貸すような男ではない。八方を塞がれた気分となった稲豊は、無念の苦味を噛み締めながら、静かに地団駄を踏んだ。
――――すると、そんな彼の嘆きに呼応するかのように、
「そうだ。そんな事はありえない」
件の青年が、不敵な笑みを浮かべながら皆の前に現れた。
「盗み聞きとは素敵な趣味ですこと」
「はっ。ペットの管理も飼い主の仕事では?」
稲豊の嫌味も、ネロは余裕綽々といったところ。
それが少年の逆鱗を更に逆撫でする。しかしこの場で怒り猛っても、それはネロの思う壺でしかない。稲豊は喉まで込み上げた憤怒をグッと呑み込んだ。
「僕は彼女の所為で安住の地を追われ、彼女の所為で魔物の国へと放り込まれた。魔王はトロアスタ様が我々を見捨てたと言っていたが、その話を信じる根拠なんか何処にも無いじゃないか。もしかしたら人狼達から守るためにエデンは闘ったのかも知れない。どうだ? 僕には復讐する権利も資格もあるとは思わないか?」
流暢に動機を話すネロだが、稲豊とナナの瞳には未だ敵意の炎。
やれやれと首を振りながら鼻息を漏らした青年は、右手をヒラヒラと振りながら言った。
「どちらにしろ、お前達に出来ることはもう何も無い。要件が済んだのならお引き取り願おうかな? こちらも暇ではないんだ」
「……チッ」
負け犬の遠吠えすら吐けない稲豊は、舌打ちで不快感を露わにする。
ルトに「任せて下さい」とまで言った手前、尻尾を巻いて帰るのも情けない。チラと隣に視線を走らせた彼だが、聡明な少女メイドも状況を打破するアイデアは浮かんでいない様子。
『――――これまでか』
そんな弱音が稲豊の脳裏を過ぎった時、光明は彼にとって意外な場所より訪れた。
「と、本来なら追い返したいところだが、お前達は運が良い。いや、悪いと言った方が良いかな? 一度だけチャンスを与えてやっても構わない」
「あんだって?」
敵から送られた塩に、驚きつつ返答する稲豊。
目を丸くしたのは彼だけではない。少女メイドやミアキスまでもが、目を皿のように丸くして視線を青年へと釘付けにした。視線の集中砲火を浴びたネロは、鼻高々に次の言葉を口にする。
「なあに実に簡単な話だ。僕とお前で“勝負”をして、負けた者は勝った者の言う事を聞く。単純明快だろう? まぁ万に一つも無いことだが、お前が勝ったら『ミアキスを戻せ』という願いも聞き入れてやる」
「マジで!? おっしゃあ! その勝負を受けてや――」
「待ってください!」
八方塞がりの中での破格の条件。
藁にも縋る気持ちでネロに詰め寄った稲豊だが、承諾の声は少女の叫びに掻いて消される。ナナは、眉をハの字にする少年の前へ庇うように躍り出た。
「“何の勝負”で、“貴方は何を望む”んですか?」
真っ直ぐな瞳をネロへと向けるナナ。
ひたむきな瞳に射抜かれたネロは、軽い舌打ちをした後で回答した。
「僕達は料理人だ。コック同士でする勝負は、“料理対決”と決まっている」
勝負項目を聞いたナナは、「やっぱり……っ!」と眉を吊り上げる。
コックを始めて数ヶ月の稲豊と、数年になるネロでは料理人としての熟練度がまるで違う。ネロはそれを承知で料理対決を持ち掛けたのである。
「そして僕の望みは――志門稲豊。君があの“屋敷を去る事だ”」
「な、なにっ!?」
絶句する稲豊を余所に、今度はミアキスが声を上げる。
「そんなことは聞いていないぞネロ! 少年、こんな理不尽な話に耳を貸す必要はない!」
ナナの隣に立ったミアキスを跨いで視線を交差させる稲豊とネロ。
そして少しの逡巡を通過した後、少年は口を開く。
「乗った」
「少年!?」
「イナホ様!?」
驚愕と沈痛の入り混じった表情を浮かべるミアキスとナナ。その背後には悪意ある笑みを浮かべる青年の姿。稲豊は『どうして?』といった顔を向けてくる仲間の間を割るように一歩進み、「ただし」と前置きをしてから、
「条件がある」
と切り出した。
当然の如く「条件?」と首を捻るネロ。稲豊は表情を崩し、ヘラヘラと笑う。
「正直なところさ? ズブの素人がプロに挑むような闘いになると俺は考えてる。勝ち目なんか、滑った拍子に美少女と組んず解れつするレベルで無いものだろうな。だからよ? こっちの条件を一つ呑んでくれ」
「アンフェア過ぎると? で? その条件とは?」
「なあに実に簡単な話さ。料理勝負という事は、それを食って審査する人がいるだろ? その審査員なんだけどさ?」
稲豊はそこでわざと言葉を区切り、ある者へと視線を向けてから言った。
「ミアキスさんを希望する。単純明快だろ?」




