第96話 「正々堂々と陰湿に行こう!」
稲豊の言葉に、二人の王女だけでなく背後で控えていたネロやミアキスまでが目を丸くする。そしてクリステラはもう一度視線をマリアンヌに戻し、その様子から少年の言葉が冗談ではない事を理解した。
「どういう事だネロ? ミアキス様は自らの意思で我々の護衛に志願したのではなかったのか?」
「ええそうです。そうなのですが、そこの少年だけはその事実に納得がいってはいない様子で。まあ、聞き分けのない子供は何処にでもいるものです」
「あらぁ、アリステラは嫌いじゃないわよ? 囚われの姫を迎えに来た王子様みたいで格好良くなぁい? ねえミアキス?」
そして集まる皆の視線に、ミアキスは困ったような顔を浮かべる事しか出来ないでいる。誰にも聴こえないように小さく舌打ちしたネロは、次に稲豊の方へと視線を向けた。その表情には明らかな敵意が宿っている。
「そんな戯言を告げるために貴族街まで来たのか? 大した行動力だが、それは何一つ意味を持っていない行動だ。君が来たところで状況は何も変わりはしない。彼女が自らこちらに来た時点で、既に決着はついているのさ。いい加減に男らしく諦めて――――」
「断る」
ネロがうんざりしたように吐く言葉を、稲豊は邪悪な笑顔で一蹴する。
「悪いけど俺はしつこいんだ。庭の動物に舐められまくったのなんて目じゃねぇくらい、ドロドロでネチャネチャでグチョグチョだ。納得が行くまで、男の肩書きは掲げねぇ!」
「呆れた奴だなお前は……」
「おおよ! 俺は卑怯で陰湿で粘着質だ。ミアキスさんの口から理由を聞くその時まで、いつまでもしつこくねちっこく関わってやる!」
自らの醜悪さを肯定した上での稲豊の吹っ切れた発言に、ネロは開いた口を塞ぐことが出来なかった。そして彼は助けを求めて視線を彷徨わせるが、クリステラは困った顔を浮かべるだけで、アリステラは楽し気に微笑むだけである。行き場を無くしたネロの双眸は鋭さを取り戻すと共に、やがて一人の人狼のところでピタリと止まる。
『なんとかしろ!』
そう如実に訴えるネロの視線を受けて、ミアキスは嫌々ながらも覚悟を決め、少年の前へと重い足を踏み出した。
「……理由は……言えない。ルートミリア様にも言ったが……少年。我を忘れて欲しい。こんな我に関わるだけ時間の無駄だ。自分の主人の事を考えるなら、諦めてく――――」
「嫌です。俺は父から、『鳩に三枝の礼あり、鴉に反哺の孝あり』と言われて育てられました。受けた恩は返すという意味の言葉です。命の恩人を忘れることなんて出来ないし、命の恩人の願いを諦めることも出来ません。妥協点があるとするならば、納得のいく理由を知った時だけです」
「――――っ!」
目を泳がせながら拒否するミアキスの言葉では、鉄の如く固い稲豊の意思は崩せない。結局ミアキスは、少年を追い返すことも納得させることも出来ず、ただ俯きその強い視線から逃げることしか出来ないでいた。
「どういうつもりだ貴様は! ルト姉さんに言われ宣戦布告に来たとでも言うつもりか!!」
自身の屋敷で好き勝手に話す人間に、遂にクリステラが語気を荒らげる。
腰の剣に手を掛けた仕草は、「喧嘩なら買ってやる」という苛烈な意気込みさえ稲豊には感じ取れた。だが相手が怒ることも彼の予想していた事象の一つ。当然、言い訳は用意している。
「この件に関しては俺の独断と偏見です。ルト様は関わっちゃいません。ついでに言うなら、マリアンヌも俺の脅迫に屈しただけです。彼女にも責任は何もないのでよろしく」
「そうなんよ。言われた通りにせなアカンねん。そんでハニーになんかあった時はウチの秘密が暴露されることになってるんよ。やから手を出すの止めてな?」
「そ、そんな都合の良いことがあってたまるか!」
「んじゃあ、俺をその剣で切りますか? 良いですよ別に? その時はルト様とマリアンヌを敵に回すだけでなく、不名誉な噂も広まりますけどね!」
飄々《ひょうひょう》と語る少年にクリステラは怒りを覚えるが、実際に稲豊は会話に来ただけに過ぎないのだ。ここで一方的に手を出すことは、“あの”ルートミリアに戦闘の大義名分を与えることになってしまう。彼女の力を知っている者としては、歯噛みしながら身を引くしかないのである。
「うふふ。なるほどねぇ。厭らしい手を使いますわねぇ。…………良いじゃありませんのクリステラお姉さま? 彼の好きにさせて見ましょうよぅ? コレはミアキスが護衛になる為の試練なのかも知れないわぁ」
「……むぅ」
話の分かる妹の説得に、剣に掛けていた手を渋々と離すクリステラ。
その行動は、『肯定』として皆の瞳にしっかりと焼き付けられた。それがどうしても気に入らないのはネロである。彼は全身で不満を表現しながら、一歩前に踏み出し声を上げた。
「ま、待ってください! こんな胡散臭い異世界人の言い成りになるんですか!? それは幾らなんでも」
「じゃあ貴方に名案はあるのかしらぁ? そこのキュートな“王子様”はこちらに何かした訳ではないのよぉ?」
「そ……それは……そうですが……」
「これは根比べ。ミアキスが彼を諦めさせるのが先か? 彼がミアキスを諦めるのが先か? 面白そうじゃない! ネロぉ、彼の好きにさせなさい。命令するわぁ」
主の命令を無視するなどという選択肢は、最初からネロの中には存在しない。彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「畏まりました」と項垂れるみたいに頭を下げた。
「いやぁ~、話の分かる方で助かりました。こちらとしても直ぐに決着がつくなんて思っていません。だから今日はここんところで引き上げますね? また明日来ます」
「積もる話はまた今度しよな? ほなさいなら」
「そんじゃ失礼しますー。新しい護衛が必要ならおれに」
「はいはい。終い終い!」
伝えたいことを話し切った少年は、皆の心を掻き乱すだけ掻き乱して本当に会話だけで去っていく。コミカルにそれに続くマリアンヌと、彼女に引っ張られていくタルタルの背中を見送りながらも、ネロは心に一抹の不安を感じざるを得なかった。
そしてそんな彼の嫌な予感は、“卑怯で陰湿で粘着質に”的中する事となる。
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翌日の同時刻。
またしてもエルルゥ家の庭に喧騒が舞い降りる。
辟易としながら向かったネロの視界には、昨日とほぼ同じ光景が広がっていた。
「よ! また俺だ!」
「…………見れば分かる」
涎に塗れた稲豊と、それに付き従うマリーとタルタル。
そしてどういう訳か、そんな涎まみれの少年に懐くカール。
「あ~今日も塗れてやったぜ~。カールも一緒にのんびりするか?」
「ネロやったっけ? ハニー拭きたいから濡れタオル持ってきてくれへん? あと喉が渇いたから飲みもんもよろしく!」
「菓子とかもあればよろしくー」
彼等はそんな勝手な事を言いながら、さも当然のように屋敷に上がり込んでいく。こめかみに青筋を浮かび上がらせるネロだが、手を出すのは主の命に背くことと同義。青年は頬を引き攣らせながら、「畏まりました」と小さく呟いた。
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更に翌日。
またまたその翌日――と、稲豊達は宣言した通りに屋敷にやって来ては、好き放題過ごした上でミアキスを説得し帰っていく。日増しに酷くなっていくその態度に、ネロもまた加速度的にストレスを貯める一方だった。
そして稲豊が双子の王女の家に通い出して一週間が経過した昼下がり。
いつものように彼が外行き用の服に着替え、玄関で靴を履いていた時。稲豊は自身の背後に立つ気配に気が付き、振り返りつつ声を掛けた。
「どうしたナナ? 今日は格好良い顔をしてるな」
稲豊の背後には、どこか覚悟を決めた顔をする少女メイドの姿。
彼女は強い瞳を浮かべながら、震えつつもハッキリとした声で、
「ナナも行きます!!」
と少年の背中にきっぱりと告げた。
その言葉を出すのには相当な葛藤があったのだろう。少女の額には、薄っすらと玉のような汗が滲み出ていた。
「イナホ様だけに辛い思いをさせるのは……もう耐えられません! お願いします。ナナも連れて行って下さい!!」
ナナが言った通り、この作戦は稲豊にとっても苦しいものに違いなかった。
一層住民街に赴く度に貴族達からは侮蔑の視線を投げられ、ミアキスのやっていた力仕事をアドバーンとこなしながらも、休憩時間は訪問に全て割き、そして毎度ミアキスには避けられ続けている。クリステラが“根比べ”と称したのも、あながち間違いではなかったのだ。
「そうか。ありがとな? じゃあ一緒に嫌がらせに行こうか?」
「はい! って、目的は説得じゃないんですか!?」
「ん? ああそうか、そうだな。“ナナは”それで良い。ミアキスさんの情に出来るだけ訴えるんだ!!」
「分かりました!!」
新たに頼もしい仲間を加えた稲豊は、二人きりの車内ではなくなったことに不満を漏らすマリーと、マイペースなタルタルと共に、双子の王女の屋敷を目指す。
そしてこの訪問が、皆を巻き込む“あの勝負”を引き起こす事になろうとは――――
この時の稲豊には知る由もなかった。




