プロローグ 「やっぱ指入れるのはないよなぁ」
「でてけぇ!!!!!!」
頑固堂駅前店。
ラーメンの元祖を謳う老舗ラーメン店である。
店主は気難しい性格で、気に入らない客がいると追い出されると噂の店だ。
昼どきの店内はサラリーマンや近所の学生、主婦らでなかなかの賑わいを見せている。
そんなラーメン店から、店主の怒号と共に追い出される男子学生の姿があった。
その学生の表情には、隠しきれない不満が見てとれる。
しかし、周囲からの視線を感じた途端、彼は我に返ったように表情を一変し、恥ずかしそうにその場をあとにした。
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「うおおおおおぉぉ!!!!」
駅前の頑固堂での騒動から数分後――――
少し離れた小さな公園で、男子学生はブランコに深く腰を落とし、顔を両手で覆い奇声を発していた。土曜日の昼どきの公園には、近所の子供や主婦がまばらにいる。その誰もが、男子学生から距離をとっていた。
彼の名は『志門 稲豊』。
小鳴学園に通う二年生で、十七歳。所属している部活は、料理研究会。黒髪短髪の中肉中背と、外見はどこにでもいる男子高校生にしか見えない。
早めの部活を終え、趣味の食べ歩きに勤しんでいたところ、彼の悪癖が顔を出してしまった。
「……営業妨害で訴えられたらどうしよう?」
小心者である彼が、他人に怒りを露わにすることはあまりない。
それだけ、あの店の料理が許せなかったのだ。
数年前、両親に連れられて食べた『頑固ラーメン』は、当時小学生だった彼に衝撃を与えた。それが今では見る影もない……という事実が、どうしても耐えられなかったのである。
「よう変質者」
いきなり声をかけられ、先ほどの事件が蘇る。
流れるような動きでドゲザフォームに移行しようとする稲豊の体。しかし完全に移行する前に、フォームチェンジは中断された。
その必要がないことに、途中で気がついたのだ。
「――――なんだ、光か」
声の主が悪友の大門 光であることを知り、稲豊は心の底から安堵する。
「本物の変質者みてぇな動きだな……。まぁ、んなことより『小学生』がこんな所で何してんだ?」
「誰が小学生だ! こんなデカイ小学生がいるか! いや日本のどっかにはいるけども!」
光が軽口を叩き、稲豊が声を大にして抗議する。
なんてことはない、ふたりのいつものやり取りだ。
小鳴学園生――略して『小学生』。
光は稲豊より背が高く、柔道部なだけあってガタイも良い。坊主頭も相まって、貫禄は大学生のソレである。
彼と比べて背の小さい稲豊を光がからかうのは、ふたりを昔から知る者にとっては、良く見る光景のひとつだった。
「さっきの騒ぎ、やっぱり稲豊か?」
「うっ……! 見てたのかお前」
やれやれと首を左右に振る光に、ばつの悪そうな顔を浮かべる稲豊。
彼が飲食店から追い出されるのは、今回が初めてでは無いことを友人の光は知っている。
「で? 今度は何したよ?」
「味が昔よりも落ちてたから指摘した。店主の目の前で、俺の手帳に書いてある店名に大きく☓を刻んでやった」
詳細を聞いた光は、その内容に呆れ顔で嘆息する。
稲豊はそれを見て、追い詰められた子供のように弁明を開始した。
「だ、だってさ? ネギの鮮度だって悪かったし、メンマだって業務用のやっすいのに変わってたんだぜ? コクも全然だし、極めつけはラーメンが出て来るときにオヤジの指が入ってた」
「不景気の影響なんじゃないか? おっさんの指は俺もごめんだけどよ」
「力を出し切って味が悪いのなら、俺だって文句は言わねぇよ。最善だと本人が思って作るなら何一つ問題ねぇ。でも出来るのにやらない“手抜き”は別だ。『面倒だ』や『より利益を』出すために、あの店はあきらかに手を抜いてた。こっちは四十分も並んだってのによ」
お世辞にも大きいとはいえない洋食屋に生を受けた稲豊は、物心付く前から懸命に料理を作る親の背中を見て育った。「自分もいつかはこの店を継ぐのだろう。そのときは素直に誠実に、真摯に料理を振る舞おう」と彼は心に決めている。
だからこそ、それを蔑ろにする他店――いや、料理が許せない。
稲豊は本来変化球を好む性格をしている。RPGでは職業は勇者ではなく盗賊。野球ゲームでは直球よりも変化球に重点を置く。
しかし他のことはともかく、料理の事だけはどうしても許すことが出来ない。
『神の舌』を持つ彼には、それを見抜く確かな能力があった。それゆえに、今回のような手抜き料理を口に入れた瞬間、頭が沸騰し、気が付けば両手で顔を覆い『後悔』の二文字に苛まれている。
それが自分本位であることを稲豊自身は理解していた。
だが、しかし、それでも、なんとしてもそれを押し付けたくなる。
少年は未熟だった。
「……それに、あの店は母さんが美味いって言ったんだ」
「ん? 今なんつった?」
稲豊の言葉は小さく、光の耳に届く前に風にかき消される。
首を傾ける友人の視線に気付いた稲豊は、「何でもない」と首を左右に振った。
「お前の言い分は良く分かったけどよ……。それで? こんな所で何してんの?」
「ほっといてくれ、俺はいま自分を戒めてんだ。こうして精神統一を繰り返すことにより、俺の本来の冷静さがここ一番に発揮されるはずであり、そうすることがこの街……ひいては人類の希望に繋がると信じて俺は――」
もう一度繰り返される質問に、稲豊は現実逃避で応じる。
しかし、次に光が発した一言は、妄想の世界に逃げ込んだ稲豊を現実に引き戻すのに十分な力を持っていた。
「そうじゃなくてよ、今日は交流会とかなんとかの日じゃねぇの? こんな所で油売っててもいい――」
「は? えっ? ………………うおおおおぉぉぉ!?」
光が全ての言葉を言い終わる前に、己の大失態に気付いた稲豊は絶叫する。
そう――――今日は稲豊の所属する『料理研究会』が他校との親睦を深める交流日、その当日である。
朝早くに学校へ行き、その軽い仕込みまで済ませていたというのに、少し時間があるからと趣味に走ったのは愚行そのもの。稲豊は携帯電話で現在の時刻を確認するが、同時に部員からの着信が三件はいっていた事実も判明する。
「まずったぁぁぁぁぁ……ァ……」
悪友にさよならの挨拶も告げず、脱兎の如く駆け出す稲豊。
光は声を置き去りにした稲豊を生暖かい目で見送り、遠い目でひとこと呟いた。
「ドップラー効果ってやつか」
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場面は変わり、ある簡素な住宅街の一角にぽつんと佇む、小さな洋食屋へと切り替わる。その店内では、ベーシックなコックコートを着た中年男がカウンター席で暇を持て余していた。
長く伸びた自慢の黒髪を後ろで一つに束ね、それを右手で弄りながら、左手では少年向け漫画雑誌のページを捲っている。店内を満たしている音楽は最近流行のポップだが、それを聴いてるのは彼以外にはいない。
本来なら雇っているウエイトレスを加えたふたりの店内だったが、今日は都合が悪いと前の日から聞いている。
すると突然、入り口の重厚な木製ドアが勢い良く開かれる。
そして少し遅れて、ドアと連動している鈴がカランカランと陽気な音を奏でた。
「ただいま!!!!」
慌ただしく店に入ってきた稲豊は、カウンター席にいる父親の返事も待たず、二階にある自室を目掛けて階段を駆け上る。その様子を見た父は、「おぅ」とその見えなくなる背中に声を送った。その表情には、若干の呆れが混じっている。
「調理かばん持った……あと……あと……」
元々の住居を改造したので、一階部分は洋食屋だが、二階部分は一般的な家と変わりはない。
私室に転がるように入った稲豊は、交流会に持参する物を指で差して確認する。
三種類の包丁、トング、菜箸、少量の塩と砂糖、オリーブオイルの入った三つの小瓶。その全てが、見た目は小さいアタッシュケースな黒の料理鞄に入っている。
あとはコックコートを着れば準備は完了だ。
「ええいめんどくさい!」
学園までは自転車で十分もかからない。
少しでも荷物を減らすために、稲豊は急いで服を着替える。コックコートに袖を通すときの、身が引き締まるような感覚が彼は好きだった。
部員の中でここまでしっかりした衣装を着るのは彼以外にはいないが、ネタや店の宣伝になるかもと割り切っている。上半身は純白のコックコート、下半身は黒の綿パン。ポケットには財布と携帯電話が入ったままになっている。
「――お!」
身が引き締まったことが功を奏したのか、稲豊の頭に天啓が降りてきた。
彼の所属する料理研究会は別名『マンガ飯研究部』ともいう。
というより、それがメインの部活動だった。
漫画やアニメに登場する料理を部員たちで現実に作り、感想を言い合うというものだ。最初の頃はラピ○タパンぐらいだった物が、今では少し凝った料理にも挑戦している。
昨晩、稲豊は好きな料理漫画に触発され、三品ほど簡単な料理を作った。
それをいま思い出したのだ。作り終えた段階で睡魔に襲われ、口へと運ぶことなく冷蔵庫に飲み込まれた料理は、今でも日の目を見るのを待っている。
もしかしたら、もう部員たちの料理が完成を迎えている可能性はある。
既に完成している料理を持って行くのは反則に近いが、本格的な格好をした男が何も料理を用意できていないという事実を考えると、遥かにマシなことだろう。全力で作ったうえ、うち二品は自信作。「誠実さは欠いていない」と自らに言い訳し、稲豊は一階の冷蔵庫を目指して、今度は階段を駆け下りた。
「おいおい、慌ただしいな。またやったのか?」
冷蔵庫から件の料理を持ち出したところで、稲豊は父親に呼び止められる。
また……というのは、以前にも稲豊が起こした他店での衝突のことだ。昔から父は妙な勘を働かせ、稲豊の行動を見透かすことが稀に良くある。
「ろくすっぽ料理も出来ねぇくせに、口ばっかり達者になりやがって。いつも口を酸っぱくして言ってるだろ? 『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』。謙虚さを無くした奴は、何と言うか……ダメだ! 慢心は料理人を腐らせる」
「わ、分かってるよ……反省してるって!」
説教を聞き流しながら、息子は眉を『へ』の字にした父の脇を通り抜ける。
「待て! お前は外界から置き去りにされた父を置いて行くのか! 薄情者!!」
只でさえ時間が無い稲豊に、面倒くさい父親が面倒くさく縋り付いてくる。
「退屈を変な言い回しすんな! は、離せ!」
「残念ながら『味覚』にパラメーターを全振りしているお前の力では、山の如く高い父はビクともせんのだよ!」
毎日フライパンを振っている父の力は凄まじく、稲豊は振り切るのを諦め、説得コマンドを選択せざるを得ない状況へと追い込まれる。
「本当に時間ないから! 説教なら後で聞くからさぁ!」
「よし約束!」
やっとの思いで引き剥がした父親を背に、入り口のドアノブに手を掛けた稲豊。
それと同時に、その背中に父の呼び止める声がぶつけられ、息子は眉を顰めながらも律儀に振り返った。
「コレを持ってけ、俺の最高傑作。その名も『最強味噌』だ!」
手の平サイズのプラスチック容器に入った味噌が、父から子へと投げ渡される。
稲豊父の、渾身の自家製味噌だ。
「うち洋食屋じゃなかったっけ?」
「どちらかと言うと俺ぁ、和食の方が好きだ!」
「いますぐ店の看板を降ろせこの野郎!!」
いい加減な父が親指をグッと立て、声高らかに宣言する。
それに対し、稲豊はメンチを切りながら父の胸ぐらを掴んでがなった。二人のスキンシップはいつも過激で評判だ。
「まあまあ、この味噌をつければコンクリートでも食える。万能味噌だ、持ってて損はないって!」
しつこく押し付けてくる味噌を、稲豊は料理鞄の中に無造作に放り込んだ。「交流会での出番は無いだろうけどな」そう毒吐きつつも、息子は父の料理の腕が確かなことも知っている。
「――そんじゃあ行って来い、頑張れ」
珍しく真面目な父に背中を押された稲豊は、握り込んだ右拳を突き出して元気いっぱいに答えた。
「ああ! 行って来る!!」
回れ右し、勢いをつけドアノブを回した稲豊。
扉の中に飛び込んだ少年を待っていたのは、彼の想像を絶する光景であった。
小説家になろうを見つけて、発作のように書いた人生初めての小説。
お暇なときにでも、目を通していただければ幸いでございます。
※料理をする描写もそれなりに出ますが、主人公も作者も料理に関しては素人同然です。乏しい知識は必ずお見苦しい部分が出て来るかとは思いますが、「馬鹿が何かやってるな?」ぐらいに軽く考えて頂ければ幸いです。あくまでメインテーマは『食糧改革』ですので、そこをご理解のうえで、お楽しみ頂ければ、もう感謝しかありません。