転生はけっこうです
三十四歳の誕生日は、通販サイトのクーポンメールで始まった。
「佐伯様、お誕生日おめでとうございます。今なら全品五パーセントオフ」
五パーセントかよ、と佐伯は思った。それ以外に、通知は一件もなかった。
去年までは、祖父が朝いちばんに電話をくれた。その前の年は、恋人が小さなケーキを買ってきた。今年はクーポンだけ。まあ、そういう年もある。
市役所の市民課の窓口は、朝から混んでいた。
「だから、なんで身分証がいるんだって聞いてんだよ」
カウンターの向こうで、作業着姿の老人が申請書を叩いた。四十分前から同じことを言っている。
「申し訳ありません。こちらの書類は、ご本人の確認のために――」
「俺が本人だって言ってんだろうが。見りゃわかるだろ」
「ですので、免許証か保険証を――」
「家に置いてきたよ。お前ら税金で食ってるくせに、融通ってもんがきかねえのか」
その税金、俺も払ってますけど。
佐伯は笑顔を崩さずに、心の中でだけ言い返した。
「もういい。お前じゃ話にならん。上の人呼べ」
奥の席から、木村が立ち上がった。先月から、木村は主任だ。
「どうされましたー?」
木村は老人の話を三分ほどうなずきながら聞き、佐伯がさっきから説明していたこととまったく同じことを言った。
「ーーなるほどねえ。まあ、そういう決まりならしょうがねえな」
老人はあっさり引き下がった。帰り際、木村に「兄ちゃんは話がわかるな」と言い残して。
佐伯には、一度も目を合わせなかった。
「佐伯さん、ドンマイっす」
木村は悪気のない顔で肩を叩いて、席に戻っていった。
いや、俺、同じこと言ってたよな。
佐伯は申請書の束を揃えながら、深く息を吐いた。窓口の番号札は、まだ二十人分残っていた。
帰りの電車で、いつものようにSNSを眺めた。指が、見覚えのある顔で止まった。
「ご報告です。このたび婚約しました」
半年前に「一緒にいても、この先が想像できない」と言った人が、知らない男の隣で笑っていた。
想像できてるじゃん、と佐伯は思った。よかったですね。心の中でだけ拍手をして、画面を伏せた。
なんなんだ、今日は。誕生日だぞ。
せめて甘いものくらい食べたい。駅前のコンビニで、シュークリームを一つ買った。ケーキを一人で買う勇気はなかった。レジ袋は断った。三円がもったいなかった。
店を出て、スマホをポケットにしまおうとしたとき、手が滑った。
シュークリームは歩道に落ちて、きれいに潰れた。
「……ついてねえな」
ため息まじりに、小さくこぼした。通りすがりの高校生が、ちらりとこちらを見て通り過ぎていった。
佐伯は潰れたシュークリームを拾い上げて、ゴミ箱に捨てた。
今年はずっとこんな調子だ。どこかでまとめて、いいことが一個くらいあってもいいはずだ。宝くじでも買ってみるか。いや、どうせ当たらない。
ぶつぶつ言いながら交差点に出た。信号は青だった。
横断歩道の真ん中あたりで、右側から強い光が差した。クラクションが鳴った。
信号無視のトラックだった。
避けようとした。足は確かに動いた。でも、間に合わなかった。
――嘘だろ。誕生日だぞ。
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目を開けると、真っ白な部屋にいた。
床も壁も天井も、境目がわからないほど白い。体のどこも痛くなかった。
「佐伯透さんですね」
振り向くと、やけに顔のいい女が、ファイルを抱えて立っていた。
「……ここ、どこですか」
「生と死の境目にある、受付のようなところです。私は女神のルミエラと申します」
「生と死の……」
佐伯は自分の手を見た。傷ひとつなかった。
「……トラック」
「はい。午後七時四十二分、交差点でトラックにはねられました。今、あなたの体は救急車で運ばれている最中です」
「俺、死んだんですか」
「いえ、まだです。ですが、ここに来られる方は皆さん、生きるか死ぬかの瀬戸際にいらっしゃいます」
女神はファイルを開いた。
「そういう方に、私たちは特別な選択肢をご案内しています。異世界転生です。記憶を持ったまま、別の世界で新しい人生を始めていただけます。言葉も文化も違いますが、こちらから能力をお付けしますので、生活には困りません」
「……そういうの、本当にあるんですね」
「ございます。近年はご希望の方も増えておりまして」
「断ったら、どうなるんですか」
「元の体にお戻りいただきます。ただ……」
女神はファイルに目を落とした。
「右脚と右手首、肋骨を三本骨折。肺にも少し傷がついています。入院は数か月、リハビリも必要になります。正直に申し上げて、楽ではありません」
佐伯は黙った。女神は少し声をやわらげた。
「あなたの人生、拝見しました。家族で唯一中の良かった祖父を亡くし、恋人に去られ、昇進では後輩に抜かれ、窓口ではお客さんに怒鳴られ、誕生日には誰からも連絡がなく、シュークリームを落とす。おつらかったですね」
「……シュークリームまで見てたんですか」
「ですから、ぜひこちらを」
女神はにこやかにパンフレットを差し出した。
「人生の初心者の方でも安心の『再出発応援パック』です! 鑑定、無限収納、全属性魔法つきで、今度こそ幸せに――」
「けっこうです、帰らせてください」
女神が言い終わるより先に、佐伯の口が動いていた。




