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最終話 どっちでもいいよ

 金曜日の朝、凛が来なかった。


 隣の席が空いていた。


 朝のホームルームが始まっても来なくて、一時間目が終わっても来なくて、二時間目に入ったところで凛が教室に入ってきた。


 先生に遅刻の理由を告げて、席に着いた。


 私の方を向かなかった。


「凛」


 小声で呼んだ。


 凛が少し顔を向けた。


「おはよう」

「おはよう」


 判定。


 判定不能だった。


 でも、いつもと違う気がした。声が、少し低い。表情も、どこかぎこちない。


 何かあった。


 休み時間に話しかけようとしたら、凛がスマホを見ながら「ちょっとごめん」と席を立った。


 戻ってきたのは次の授業が始まる直前だった。


 昼休みになった。


 もえとなつが来たけど、凛が「今日は二人で食べていい?」と言ったらしく、二人は気を使って去っていった。


 四人で食べるときより静かだった。


 凛は弁当を開いたけど、あまり食べていなかった。


「食欲ない?」

「そんなことない」


 判定。


 嘘だった。


 久しぶりに凛の言葉で濁った反応が来た。


「嘘」

「え」

「食欲ないって嘘。スキルに引っかかった」


 凛が少し黙った。


「……バレた」

「何かあった?」

「別に」


 判定。


 嘘だった。


「また嘘」

「ひかりと話すの難しいね」

「嘘つかなければ難しくない」

「それはそうだけど」


 凛が弁当の蓋を閉めた。


「ひかり、今日放課後時間ある?」

「ある」

「川べり、また行ける?」

「行ける」

「じゃあそこで話す」


 判定。


 判定不能だった。


 話す、という言葉がわからなかった。でも、何か大事なことを言おうとしているのはわかった。


「わかった」


 午後の授業が終わるまで、凛はほとんど喋らなかった。


 私もあまり話しかけなかった。


 授業中、凛の横顔をたまに見た。窓の外を見ていたり、ノートを取っていたり。いつもより少し遠い感

じがした。


 何があったんだろう。


 放課後になった。


 二人で学校を出て、川べりに向かった。


 歩いている間、凛が喋らなかった。いつもなら何か話しかけてくるのに、今日は黙ったまま歩いた。


 川べりに着いた。


 いつものベンチに並んで座った。


 水の音がしていた。


 今日は夕方の光がなかった。曇っていて、空が白っぽかった。


 凛が川を見たまま言った。


「ひかり、昨日さ」

「うん」

「凛のことを少し信じてるって言ってくれたじゃん」

「言った」

「うれしかった。本当に」


 判定。


 本当だった。


 透明な反応だった。


「そっか」

「だから、ちゃんと話そうと思って」


 凛が少し息を吸った。


「今朝、中学のときの子から連絡が来た」

「気持ち悪いって言った子?」

「うん。謝りたいって」


 私は何も言わなかった。


「長い文章で、あのときはごめんって、自分も未熟だったって」

「それで、どうしたの」

「返事、できなかった。ずっとスマホ見てたんだけど、何を返せばいいかわからなくて」


 判定。


 本当だった。


「今も、わからない?」

「うん。許すとか許さないとかじゃなくて、なんか、いろいろ思い出してしまって」


 凛が少し膝の上で手を組んだ。


「ひかりに話そうと思ったのはね、今日ずっと考えてたんだけど、怖いのがまだあるなと思って」

「怖い」

「謝られて、それで終わりになったとして、また好きって言えるようになるかわからない。言ったとして、また同じことが起きないとも限らないし」

「うん」

「でも、言いたい人がいる」


 判定。


 判定不能だった。


 言いたい人がいる。


「それが、私?」


 凛が少し間を置いてから、こちらを向いた。


「うん」


 判定。


 判定不能だった。


「好き、ひかりのこと」

 判定。


 判定不能だった。


 また。


 何回聞いてもわからない。本当でも嘘でもない。怖さと気持ちが混ざっているから。


 私はしばらく凛の顔を見た。



 真剣な目だった。いつもの完璧な笑顔じゃなくて、少し不安そうな、素の顔だった。


 私は自分の中を確認した。


 凛のことが好きだ。


 はっきりわかっていた。判定不能だから興味を持った。わからないから知りたかった。知っていくうちに、もっとそばにいたくなった。それが何かは昨日の夜にちゃんとわかっていた。


 好きだ。そういう意味で。


「凛」

「なに」

「一個言っていい」

「どうぞ」

「凛の好きって、判定不能でしょ」

「うん、たぶん」

「嘘でも本当でもない状態。怖さと気持ちが混ざってるから」

「そうだと思う」


 私は少し息を吸った。


「じゃあ、どっちでもいいよ」


 凛が少し目を丸くした。


「どっちでもって」

「嘘でも本当でも、今の言葉が好きだから」


 凛が止まった。


 完全に止まった。


 私は続けた。


「凛が怖いのはわかる。私も怖い。人を信じるのが怖かったし、これがうまくいくかどうかもわからない。でも、判定不能でも、嘘じゃないのはわかってた。ずっとそうだった」

「ひかり」

「凛の言葉が判定不能なのは、怖さがあるからで、それは仕方ない。全部本音じゃなくてもいい。今の言葉が、凛が勇気を出して言ってくれた言葉だから、それだけで十分だよ」


 凛が何も言わなかった。


 少し下を向いた。


 しばらく水の音だけがした。


 凛の肩が少し揺れた。


「凛?」

「ごめん、ちょっと待って」


 声が、湿っていた。


「泣いてる?」

「泣いてない」


 判定。


 嘘だった。


「嘘」

「泣いてるけど、そこは言わないでよ」

「ごめん」


 凛が少し笑った。泣きながら笑った。


「ひかりって、そういうとこあるよね。優しいのか優しくないのか」

「優しいつもりだった」

「優しいよ。ちゃんと」


 判定。


 本当だった。


 凛が目元を拭いた。


 それからもう一度、こちらを向いた。


「ひかり」

「なに」

「私、ひかりのことが好き」


 判定。


 透明だった。


 初めてだった。


 好き、という言葉が、初めて透明な反応を示した。


 嘘じゃない。ちゃんと本当だ。判定不能じゃない。透明だ。


 私はしばらく何も言えなかった。


「ひかり?」

「……今、初めて透明だった」

「え」

「好きって言葉、今まで全部判定不能だったのに。今初めて、透明な反応が出た」


 凛が少し目を丸くした。


「本当に?」

「本当に」

「それって」

「本当だってこと」


 凛が少し俯いた。


 また目が潤んでいた。


「それ、本当だよ」


 小さな声で言った。


 判定。


 透明だった。


 またちゃんと本当だった。


 私は少し息を吐いた。


「知ってる」

「知ってるって」

「スキルが言ってる」


 凛がまた泣き笑いの顔をした。


「ずるいな、そのスキル」

「ずるくない。今まで困ってきたんだから」

「確かに」


 凛が少し笑ってから、真剣な顔になった。


「ひかりは、私のこと」

「好きだよ」


 判定は自分にはかからない。でも、嘘じゃなかった。


「判定不能だから興味を持ったのは本当。でもそれだけじゃなくなった。凛のそばにいると、スキルのことを忘れる。人の言葉を判定しなくていい、そういう感じがする。それが心地よかった」

「心地よかっただけ?」

「それだけじゃない。凛が笑うのを見たいと思ってる。素の顔の方が好きだと思ってる。怖いけど、隣にいたいと思ってる」


 凛が少し目を細めた。


「それ全部、好きってことじゃないの」

「そうなると思う」

「はっきり言って」

「……好きだよ」


 凛が少しだけ笑った。


 今日一番ちゃんとした笑顔だった。完璧な笑顔でも、泣き笑いでもない。ただ、うれしそうな笑顔だった。


「ひかり、一個だけ聞いていい」

「なに」

「付き合ってくれる?」


 判定。


 判定不能だった。


 また感情の言葉はわからない。


 でも今は、それでよかった。


「いいよ」


 凛が少し目を丸くした。


「即答だ」

「考えることないから」

「判定不能なのに?」

「判定不能でも、嘘じゃないのはわかるから」


 最初から、そうだった。


 嘘じゃないのはずっとわかっていた。本当かどうかが問題じゃなかった。凛の言葉に嘘がなかったから、ここまで来られた。


「ひかり」

「なに」

「私ね、また怖くなるときがあると思う」

「うん」

「そのときは、ごめん」

「謝らなくていい。また言ってくれればいい」

「それだけでいいの」

「それだけでいい。判定不能でも、聞こえたら受け取るから」


 凛が少し黙った。


 それから、ゆっくりと言った。


「ありがとう、ひかり」


 判定。


 透明だった。


 本当のありがとうだった。


「こちらこそ」

「何が」

「判定不能だったから、ここまで来られた。最初に好きって言ってくれたから、気になった」

「あれ、緊張したんだよ」

「そうなの?」

「めちゃくちゃ緊張した。何回も言おうとして、やめて、でも言った」


 判定。


 本当だった。


「緊張してたの、バレなかった」

「完璧に隠した」

「完璧に隠せたから判定不能だったのかも」

「そういうことか」


 凛がくすっと笑った。


 並んで川を見た。


 曇っていた空が少しだけ明るくなっていた。雲の切れ目から光が差して、水面に落ちていた。


「ひかり」

「なに」

「これから、判定不能じゃなくなるかな。私の言葉」

「どうだろう。怖さがなくなれば変わるかもしれない」

「怖さがなくなるといいな」

「焦らなくていいと思う」

「でも、ひかりにはちゃんと本当のことを伝えたい」

「今も伝わってるよ」

「判定不能でも?」

「判定不能でも。嘘じゃないのはわかるから」


 凛がまた笑った。


「さっきも言ってたね、それ」

「本当のことだから何回言ってもいい」

「ひかりって、繰り返すとこあるよね」

「大事なことだから」

「好き、そういうとこ」


 判定。


 判定不能だった。


 まだわからない。


 でも今は、それでよかった。全部わからなくていい。嘘じゃないとわかれば、それで十分だった。


 そのうち、怖さが減っていけば、また変わるかもしれない。


 変わるまで、隣にいればいい。


「凛」

「なに」

「帰ろうか」

「うん」


 立ち上がって、並んで歩き始めた。


 今日は距離が近かった。今までより、もう少しだけ近かった。


 駅に向かう途中、凛がふいに言った。


「ひかり、スキルって、消えたらいいなと思う?」


 少し考えた。


「昔は思ってた」

「今は?」

「今は、どっちでもいい」

「なんで」

「凛が判定不能だったから、ここにいるから」


 凛が少し笑った。


「じゃあスキルに感謝しないと」

「そうなるね」

「変な話だ」

「変だけど、本当のこと」


 判定は自分にはかからない。


 でも、嘘じゃなかった。


 スキルがあったから、凛を知りたいと思った。凛を知りたいと思ったから、ここにいる。


 判定不能の人と出会えたことが、たぶん、今まで一番よかったことだった。


「また明日ね」


 凛が改札の前で言った。


 判定。


 透明だった。


 また明日が、本当だった。


「うん、また明日」


 私も本当のことを言った。


 凛が改札に入った。


 少し歩いてから、振り返ってきた。


 手を振った。


 私も短く手を振った。


 それだけだったけど、それだけで、なんか胸のあたりがあたたかかった。


 スキルは今日も動いていた。


 でも今日は、それが邪魔じゃなかった。


 判定不能の人がいる。嘘じゃないとわかる人がいる。それだけで、十分だった。

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