後日談 俺の初恋の女の子
「ねぇ、アダム。一口貰っていい?」
桃色の潤んだ唇が近づいてくる。アダムは自分が緊張していて顔が真っ赤になっていることが見なくてもわかった。
長いまつ毛、柔らかい唇、白い肌。すべて細かく覚えている。どうして彼女はキスしたのだろう。こんな美人な子が。
「う…うわぁ! 君、どうして裸なんだよ!?」
アダムは絡れる舌から掠れた声を出した。うまく声が出せない。ヴァイオレットは一糸纏わぬ姿でアダムの前に現れた。しかし、その肌はヴァイオレットの顔と比べるとそれほど白く無い。
ヴァイオレットの記憶と、最近見た女優のセクシーな写真の記憶が混ざり合っているようだった。これは夢だ、と気づいた時にアダムは飛び起きた。
二段ベッドの下に眠っていたアダムは頭を強く打ち付け、上段に眠っているルームメイトを起こしてしまった。
「アダム、まだ俺は眠いんだよ!」
上からルームメイトの声が降ってくる。しかし、そんな声はアダムには聞こえていなかった。自分の身に起きた、ある強烈な体の違和感に目が釘付けだった。
慌ててトイレに駆け込んで、ルームメイトに揶揄われる前に何とか違和感を処理した。
「最低だ。知り合いの女の子の裸の夢を見るなんて」
こんなこと、親にも友人にも相談できない。頭の中はヴァイオレットで占められていた。また会えないだろうか。出会った場所あたりをうろついていればまた会えるかもしれない。もしくは、彼女が通っている王立音楽学校の近くに行けば。
アダムはなぜヴァイオレットは俺にキスしたのだろうとずっと考えていた。女の子たちの間でキスは「ご機嫌よう」の挨拶くらい軽いものとして扱われていると聞いたことがある。しかし、それはあくまで女の子同士のキスの場合の話だ。
親から「おやすみなさい」のキスとも話が違う。ヴァイオレットは唇にキスをしたのだから。アダムはキスされた時、驚いて目を見開いたままだった。ヴァイオレットも何かを観察するように目を開いたままだった。
ヴァイオレットの神秘的な紫の瞳が頭から離れない。あの目で見つめられると、心臓がどくどくと高鳴り体がぞくぞくと震える。
「俺はどうしちゃったんだ…」
それからしばらくアダムは上の空で日々を過ごした。友人たちからも不思議がられたが、これが恋煩いであることを知られるのは恥ずかしかった。
恋煩いはあるセンセーショナルなニュースで予想もつかないほど深化することになる。女王に隠し子がいたことが新聞で大きく報じられた。その記事を見たとき、アダムは思わず息を呑んだ。
「ヴァイオレット…?」
新聞の一面に大きく載った写真には、女王の隣に軍服姿のヴァイオレットがいた。記事には女王陛下の隠された一人娘で、後継者に指名されたとある。アダムは目を擦って何度も記事が穴が開くほど見つめた。
写真を日に透かしてみたり角度を変えてみたりと色々試した。もしかしたら他人の空似かもしれないと思ったが、アルビノなんて容姿は珍しい。それに間違いなくこれはアダムにキスしたヴァイオレットと同一人物だと言う確信があった。
「俺は…王女殿下にキスされた…?」
信じられなかった。もしかしたら街をお忍びで観光していたのかもしれない。震える手で唇を覆った。王宮に行けばまたヴァイオレットに会えるかもしれないという期待が湧き上がっていた。
アダムの父親は庶民院の議員で、母親は常々昔は我が家は伯爵家でお城を三つも持っていたんだと話していた。名門の男子校に通わせてもらっていて、家は裕福な方だ。
父が功績を立てればまた爵位を授かることができると母は言っていた。つまり、王女の婚約者になれるかもしれない。ヴァイオレットがキスしてくれたのは、少なくともアダムに好意があったということだろう。
しばらくは浮かれていた。王女殿下に好かれているんだと自尊心は満たされている。いつか王女殿下が迎えに来て、「実は好きだった」と告白されて結婚するのかな…なんて女の子が白馬の王子様に迎えに来てもらうみたいな、女々しい妄想までしてしまった。
しかし、しばらく経った後に出たニュースでアダムの淡い恋心は打ち砕かれる。「ヴァイオレット王女殿下の婚約」が発表されたのだ。相手は年上の侯爵で、戦争英雄のランドルフ・グレイ。
きっとこれは政略結婚だ。彼女は望まない結婚を強いられたんだとアダムは自分の心を慰めた。初恋のレモンの爽やかなキスの味は、いつの間にか苦い味として思い出されるようになっていた。




