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1話 アルビノの少女

 灰色の雲が霧深い首都を覆っていた。瓦斯ガス灯が照らす居酒屋タヴァーンには男たちが詰めかけていた。


 ボーラーハットの労働者、フロックコートの紳士、学生風の若者、赤服の兵士の姿もある。そんな中、その場に似つかわしくないピナフォア(エプロン)・ドレス姿の少女がいた。


 日を透かすような純白の髪に、血管が透ける白い肌、そしてアメジストのような澄んだ美しい紫眼のアルビノの少女。彼女はヴァイオリンケースをぎゅっと握っていた。


 「全員の顔を覚えたか、ヴァイオレット」


 葉巻を加えた軍外套の左目に眼帯をした男がブランデーを揺らしながら尋ねる。ヴァイオレットは目を瞑って答えた。


 「はい、ランドルフ様。四番テーブルの男、先程からタブロイド紙で巧妙に視線を隠しながら、周囲を確認しています。注文はソーセージのマスタード添えと黒ビールですが手をつける様子はありません」


 「その他は?」


 紫煙がゆらゆらと燻る。ヴァイオレットはランドルフの身に染みついたこの匂いが嫌いではなかった。


 「腕時計は高級なのに、靴はあまり手入れされてません。成金に見せたい中産階級かと思われます」


 ヴァイオレットが答えるとランドルフは「上出来だ」と返す。酒場の窓はすべて塞がれていて、部屋の中央には四角い競技場ピットが占める。


 ウエストコートに蝶ネクタイの男が客から金をもらっている。足元には口枷を嵌められた白い犬が血気盛んに体を捩り、前足で床を引っ掻いて唸っている。


 ブル・テリアだ。腰は細くピンと張った胸には肋骨が浮き出ていている。飢餓を感じさせる腰回りに対して、肩の肉は盛り上がり、血管の浮き出た太腿は馬のように太い。


 ここでは闘犬のギャンブルが密かに行われており、王立動物虐待防止協会の「動物に対する大口径銃の使用に関する規制法」により、隅に追いやられた。こうしてこそこそとやっているのだろう。


 「巣穴から追い出した狐を追うのは高貴ノーブルで、危険な闘犬は残酷クルーエルだとは。俺にはさっぱりわからんな」


 ランドルフは煙草を灰皿に押し付けながら、ブランデーを舐めるように飲み込む。


 「犬、かわいいじゃないですか」


 ヴァイオレットはブランデーの垂らされた紅茶のカップを持ち上げながら答える。ランドルフは「あの犬は大罪の暴食みたいなツラしているじゃないか」と呆れたように言った。


 「ランドルフ様、四番テーブルの男…」


「ああ。薬の売人だろうな。この闘犬のギャンブルという場所を借りて物の受け渡しの隠れ蓑にしたんだろう。だが、俺たちは麻薬取締官じゃない」


 ランドルフは「我が女王陛下は属国を阿片漬けにしたが、我が国の麻薬ビジネス対策にもう少し力を入れてくれたらな」とぼやきながらもどこか他人事でブランデーを楽しんでいた。


 「今日の訓練はこのくらいでいい。疲れただろう」


 ランドルフがヴァイオレットを見遣る。ヴァイオレットはランドルフの視線が注がれていることに胸が暖かくなったが、「まだ疲れてません」と照れ隠しで可愛げのない返事をしてしまった。


 「私の瞬間記憶に疲れはありません。私、まだまだできます」


 ヴァイオレットは食い下がろうとするが、ランドルフはひらひらと手を振って「今日は終わりだ」と会話を打ち切る。その時、隣のテーブルからこちらをちらちらと見ていた兵士と思われる青年が声をかけてきた。


 「サー、失礼ですが、もしかして『女王陛下ハー・マジェスティーズ狂犬マッドドッグ』と呼ばれたグレイ少佐でありますか? 私、あなたのファンで」


 青年の目には憧れと熱気そしてちょっとの狂信が見え隠れしていて、ヴァイオレットはヴァイオリンケースを撫でた。ヴァイオリンケースの中にはボルトアクションライフルが、ハンドバッグの中にはリボルバーが、ガーターベルトにはナイフが、ヘアピンは頸動脈をいつでも刺せるようにしてある。


 ランドルフはヴァイオレットに目配せをして、警戒しなくていいことを伝えた。ランドルフは竜騎兵連隊大隊長だった。


 「その二つ名はあまり吹聴しないでくれ」

 

 共和国との大規模戦争が「薄氷の条約」を結び停戦を迎えて三年が経つ。連合王国において、戦争の影響による社会混乱を収めるため組織された戦災復興部隊、陸軍情報部第二課にランドルフは転属していた。


 そしてヴァイオレットは情報部第二課に所属する諜報員として、今日は訓練をするために街に出ていた。


 前の所属での異名は彼にとって複雑なものがあるのだろう。


 「失礼いたしました、サー。ところでお連れのレディは…」


 青年がヴァイオレットを見て、息を呑んだ。頬はわずかに赤らんでいる。


 「君、あまりデートの邪魔をしないでくれ。それにレディをじろじろ見るものじゃない」


 青年はまたしても「失礼しました」と言い自分のテーブルに帰って行った。ランドルフはまた新しく煙草に金のライターで火を付ける。


 「ランドルフ様、これってデートなんですか?」


 ヴァイオレットは照れながら尋ねる。デートという響きが甘い匂いを発していた。


 「男女二人でいるからデートだろう」


 「でも実態は私の訓練じゃないですか」


 ヴァイオレットは複雑な気持ちになって頬を膨らませる。こんなアングラな酒場でデートとは無理があったんじゃないだろうか。デートっていうのはもっと甘酸っぱくてきらきらしたものかと思っていた。


 「あの男、俺のファンだっていうのは建前だ。本当はお前を口説きたかったんだよ」


 ランドルフは頼んだフィッシュアンドチップスを摘んだ。この人は経費で落ちるとわかると、好きなだけ料理を頼む。食べる時だけはランドルフは黒い革手袋を外していて、いつも禁欲的なランドルフの素肌が見えることにどきどきしてしまう。


 「私が、アルビノだからですか」


 ヴァイオレットは髪をくるくると指に巻きつけていじった。


 君臨すれども統治せず。代々女王を頂に置く、クィニアルタ連合王国。この国の女王の家系は神のご加護から女児しか生まれず、アルビノの家系であった。女王の位につけるのはアルビノだけで、純白の髪にロイヤルカラーの紫の瞳が王位継承の証だった。


 アルビノとはそれだけでこの国では、高貴な印象を与える。ヴァイオレットは良家の子女に見せるため、ランドルフからバラやスミレの香水をつけるように指定されていた。


 ランドルフ曰く、育ちが良さそうな女がにこにこ笑っていれば相手は警戒を解いて油断して、物事はうまく進むらしい。


 「だろうな。アルビノってだけで人々は勝手に女王にまつわる家系の高貴なお姫様だと誤解してくれる」


 ヴァイオレットが話す労働者階級の訛りをランドルフは上流階級の間延びした優雅な話し方に強制してくれた。少し前まで、ヴァイオレットは文字さえ読めなかった。


 「だが、顔が売れすぎるのも考えものだな。デートを邪魔される」


 ランドルフは古傷が痛むのか、革の眼帯の上から瞼を押さえた。この傷は先の大戦でイディア藩王国で負ったものだと聞かされている。彼は叙勲されるほど英雄だったのに、今は国の暗部にいる。


 「デート…」


 ヴァイオレットは舌の上でその甘美な響きを転がした。ランドルフがヴァイオレットを女性として見てないことくらいわかっている。それでも背伸びしたいし、彼と釣り合うようになりたいから、ヴァイオレットはナイフを仕込んだ厚底靴を履いている。


 「案外、あの人のナンパに応じた方が良かったかもしれないですね。だって私をレディ扱いしてくれるし…」


 ヴァイオレットは拗ねたように口を尖らせた。その時、ヴァイオレットはランドルフの瞳が急激に温度が下がっていくのを感じた。猛獣の前に放り出されたかのような怖さと寂しさ。ランドルフは気だるげに紫煙を吐き出すと、悠々と足を組み替えた。


 「俺とのデート中に他の男の話をするな」


 本当に嫉妬しているわけではないのだろう。揶揄っているのだろうか。しかし、それにしては声が低くて冷たい。ヴァイオレットはランドルフの子飼い部下であり、道具であり、弟子でもある。自分の価値を高く見積もったとしても、せいぜいランドルフはヴァイオレットを妹のようにしか見てないだろう。


 「デートだっていうなら、デートらしいことしてください」


 ヴァイオレットはまた可愛げのない返事をしてしまったと自覚しながらも、これがランドルフとのデートなのだと思えば何だが胸が高鳴った。他の男の話をするな、というのならきっとデート中はランドルフもヴァイオレット以外の女を見ないし話もしないだろう。


 この人を独占しているのだということに喜びを覚えていた。 


 「じゃあ、変装用のウィッグを新調して、化粧品でも買いに行くか。ファンデーションは暗い色を選べよ。お前の肌は白いから目立つ」


 ランドルフは残っていたブランデーを飲み干すと席を立つ。ヴァイオレットもしっかりヴァイオリンケースを持って立ち上がった。訓練が終わった後も、ランドルフが一緒にいてくれることがわかってヴァイオレットは幸せに包まれていた。

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