20.どちらが上手か リーリア
お互い、対峙したまま数分が過ぎた。
遠くから聞こえる雑踏がまるで異世界のものにも感じる。目の前の男を、自分のせいで怒らせてしまったことに、酷く混乱している。
クラレイが本気で怒ったところを見たことも、経験したことも無い。故に、恐ろしく感じる。
「あ、あの……」
返答はない。
こちらも次ぐ言葉を持ち合わせていなかったので、問いかけは宙に浮いた。
じりじりと、クラレイが距離を詰めてくるので、こちらも、後ろへと下がる。だが、後ろには壁があり、目の前にクラレイが迫る。逃げ場はない。
逃げたところで反射神経が良く、手足の長いこの男の前では太刀打ちなど出来ないが。
両手が伸ばされ、簡単に私を抱き上げた。為す術もなく、子供みたいに抱きかかえられる。
「君は、俺が、どうして断らなかったか、わかる?」
「わ、わからないわ。だって、そんな素振りなかったもの」
子供に問うようにゆっくりと、言葉を区切って問いかけるクラレイに、私はしどろもどろになりながらも答える。
クラレイは、仮面みたいな張り付いた笑みを浮かべる。本当に怖い。抱きかかえられているので逃げられない。
「君が、ディナルドのことが好きだったから」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。ついでに、顔も取り繕う事が出来なかった。
なにそれ。って言うか――いつから?
驚きすぎて、喉が引き攣って声が出ない。かと言って、咳払いしてまで聞く程ではない。
「あんな、表情でディナルドを見ていたんだ。俺が邪魔者だろうが」
いつもそう言うけれど、クラレイの言う表情が私にはわからない。
聞いても毎度はぐらかされる。でも、仕方がないじゃない。素敵な筋肉が、理想の筋肉が、身近にいて、私は運命の出会いを果たしてしまったのだから。
鍛えても、ひょろりと長身で細身の兄達は、がっしりとしない。もっとどっしりと構えた、例えば、走ってくる馬でも体当たりで止めれることの出来そうな、重心がしっかりとし、筋肉に包まれた貫録のある男性なんて、今まで近くにいなかったのだから。
クラレイは勘違いしているが、私はディナルドに懸想をしている訳ではない。
人間性は好きだし、体型も好き。筋肉は最高に好き。でも、憧れに似たものであり、恋愛感情は持ち合わせていない。
ディナルドの、筋肉が好きだと今までもずっと主張している。あぁ、でも、主語が抜けていたかも知れない。
そもそも、恥ずかしながら、初恋もまだである。恋愛感情とは、から始まる。
「別に、断ったって構わない。でも、俺は――」
「いいわよ、婚約の話来たら受けるわ」
綺麗な顔を苦しげに歪め、呪詛でも吐いているのかと思うくらいに地を這う声を出すクラレイを半ば無視し、私は答える。
次に混乱するのは、クラレイの番だった。
目を白黒させ、思考に耽り始めた男の顔をまじまじと観察する。
改めて、ムカつく程に顔が整っている。
型を取って石像を量産したらかなり稼げそうだ。
完璧に整えられた、それでいて数分後には忘れてしまう様な、非の打ちどころも特徴もない顔ではない。わずかな歪みはあるものの、歪みを含めて綺麗だと思わせる顔だ。
左右で目の開き方が少し違うだとか、口角の高さが左右で違うだとか、よく目を凝らしてみたらうっすらとそばかすがあるだとか。そんな僅かな歪みが彼をより魅力的に見せるのだろう。
クラレイと婚約自体は全く構わない。
私自身、婚約の話さえ出なかった残念令嬢なのだ。顔も体も、全てが幼いがゆえに、同年代の妻候補にも、年いった貴族の第二、第三夫人候補にも挙がらなかった。
あまりにも幼すぎて、食指が湧かないなど、こちらこそごめんだと言いたくなるような酷評を受けてきている。
なので、むしろクラレイという婚約者候補は願ってもない話だ。
別にクラレイが私に、性的興奮を覚えるとか聞いてもないし、いや、聞きたくはない。なんか生々しい。
問題があるとすれば、彼の婚約者の席を狙っていた令嬢達からの嫌がらせが今後、苛烈を極めないかと言うものだ。
それにしても、早く降ろしてくれないかしら。
未だ混乱の渦にのまれているクラレイを眺める事しか、今は出来ない。




