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神乃乙矢(5)

「随分と面白い剣をお持ちじゃないか、ファリス・ゼナウシス。それが噂のギナカエラかなっ」



 ギンッと音を立てて刃が噛み合い、互いに跳び退る。



 僅かに開いた間合いを保ちながら、レキオラがレイピアを握り直した。途端、ヴンと羽音のような振動が鼓膜を揺らし、レイピアの刀身が闇色に染まっていく。



「太陽神とは斯くも偉大なり、とでも言おうか。血の縁によってでしか扱えぬ者の一振りでさえ、第七の精霊王(ダナティエナ)の闇を宿した我が剣が刃こぼれするほどの威力がある」



「貴重そうな魔剣だ。折られたくないなら引け」



「まったく。さっさと君を片付けて、私は本国に帰るつもりだったのに……。まさかギナカエラまで持ち出してくるとは。さすがに予定外だよ」



「無駄口を。交渉の場でいきなり攻撃を仕掛けてくるとは、ジャダスも堕ちるところまで堕ちたようだな」



「心外だな。交渉が終わったから、必要な行動に出たまでだよ」



 レキオラの言葉に、ファリスの瞳が俺を掠めた。



「決裂した、ということか?」



「いいや。私は彼を自国に迎え入れることを条件に、セナルからの撤退とアリヤ皇女の安全を約束した。君の首は、陛下への手土産にしようと思ってね」



「ふざけたことを」



「本当に馬鹿馬鹿しいことだよ。太陽神の力を宿したギナカエラ相手では、私の魔法は不利だ。このまま撤退したい気分だが、私の愛しい人はつれなくてね。君が生きていると、いつまでも私を見てくれそうにないんだ」



「何の話だ」



「貴様は邪魔だということだよ!」



「ッツ!」



 強めた語尾に反応するように、砂が巻き上がる。ファリスは視界を奪われながらも、レキオラから繰り出された一撃をかろうじて弾き上げた。だが、そのことで無防備になった腹部に、レイピアの切っ先が突き出される。



 ファリスは身を捻るようにして躱したが、刃は微かに脇腹を掠め、皮膚を裂いた。細い糸のように、血が舞い散る。



「くっ」



 ファリスが微かによろめくと、レキオラの唇が笑みを刻む。言霊が物理的な力となり、指先から放たれた。



風槍(ウィラ)!」



「ファリス!」



 ファリスの前に飛び出した俺を見て、レキオラが瞠目する。



 僅かな沈黙を経て、右肩の皮膚が肉を巻き込んで冗談みたいに裂け弾けた。噴き上がる血とともに、脳天を突き抜けるような激痛があらゆる感覚を塗り潰す。



 悲鳴すら、まともにあげられなかった。痛みで意識が飛びそうなのに、痛みに現実に引き戻される。



「ぐッ……ぁくっ! ぅうッ」



「貴様、なぜ――っ!」



 驚きと戸惑いを含んだファリスの声が、ぶつかり合う金属音で掻き消される。



「妬けるね。君が憎らしいよ、ファリス・ゼナウシス!」



「わけのわからないことを!」



「本気で言っているのかい?」



 砂を咬む足音と幾度かの斬撃音の後で、一際甲高い音が空間に木霊する。なんとか目を開けると、腕を押さえたレキオラと、その側に落ちたレイピアが目に入った。



 俺の視界を遮るように影が差し、目の前に膝がつかれる。



「ファリ、ス……」



「何を……何を考えてるんだ貴様はっ!」



「何か考え、て、たら、あんなに速、く、動けねえ、よ」



 非現実的な激痛の恐怖に顔が歪むが、それでも笑ってやるとファリスの眉間に皺が寄った。もう近くでは見られないと思っていたから、顰めっ面でも嬉しい。



 ファリスの指先が俺の頬に触れて、唇が何かを言おうと開かれた瞬間、火花が目を焼いた。気がつくと、俺の体を足許で挟む形で二人の刃がせめぎ合っていた。



 レキオラの腕に血の跡はあったが、傷は見あたらない。



「魔導師ってのは、本当に厄介だなっ」



「黙れ。私のユナに二度と触れるな!」



 鈍く呻るような音をたてて、互いの剣が弾かれる。



 再び構え直す動作に僅かなズレが見えて、俺は息を飲んだ。魔法を使って体勢を立て直したレキオラに、ファリスが遅れたのだ。



「やめっ……ぐっ!」



 起きあがろうとして、その動きに連動するように血が零れる。鎖骨が別種の痛みを新たに訴えてきて、俺は俺の体を支えきれず、再び砂に沈んだ。それでも、砕く勢いで奥歯を噛み締めて、ファリスを見上げる。



 甘い構えの剣を容易く弾いて、レキオラの切っ先がファリスの首めがけて突き出された。



「ファリス!」



 ファリスが上体を反らして稼いだ僅かな時間と隙間に、新たな刃が割り込んだ。鋭い一閃が、レキオラの剣を下から掬い上げるように弾く。



「なにっ!?」



「シュナ! すまない」



 ファリスの台詞にシュナは不敵な笑みを見せ、切り返した刃をかろうじて受け止めたレキオラを後退させた。



「くっ――。馬鹿な、イルは!?」



 驚愕に目を見開いたレキオラを、シュナが鼻で嗤った。



「あんなお飾り騎士と、俺を一緒にされちゃ困るな!」



「ッ!」



 崩れたバランスを立て直す暇を与えない速さで、シュナが斬撃を次々と繰り出す。少しずつレキオラを押しやっていくが、レキオラの剣に一撃を加えるごとにシュナの刃が欠けていっていた。



 それでも怯まないシュナの気迫に目を奪われていたら、傷口に激痛が奔る。赤く明滅する視界で、ファリスが何かをやっていた。何かというか、俺が被っていたヴェールで肩を思いきり縛ってる。



「痛えっ……ばっか、うっ……いッ」



「我が儘を言うな。失血死したいのか!」



 あまりの痛みに悪態をつくと、怒鳴り返される。押し黙らされた沈黙を、高低入り交じった鈍い音が裂いた。



「くっ!」



 シュナの新月刀の刀身が、根本から粉々に砕けて砂に落ちる。踏み込んできたレキオラの一閃を、短剣でかろうじて防いだ。



 一撃を受け止めただけで砕けてしまう短剣が五本落ちたタイミングで、ファリスが入れ替わる。



 ファリスとシュナの剣技が凄いことは、素人目にもわかるほどだった。二人の息の合った斬撃をレキオラが防げているのは、剣で追いつかない部分を魔法で上手く補っているからだ。だがそれにも限界があるのか、何度か切り結んだ後、ファリスの踏み込みを利用して、レキオラは大きく後ろに飛んだ。



 間合いを詰めるタイミングを計るように対峙しながら、一瞬だけ、レキオラが射抜くような視線で俺を捕らえる。



 嫌な、予感がした。



 レキオラのところへ行かないと、拙いことになる。



 急いで立ち上がろうとしたが、シュナが俺の前に立ちはだかった。俺に、背を向けて。



「シュナ……?」



 驚きに俺が上げた声は酷く掠れて、自分でもよく聞き取れなかった。



「どういうつもりかな。彼は私の物だよ」



「堂々と攻撃を仕掛けておいて、世迷い事を言うな!」



「約束に皇子の命の保証は含まれていなかった」



「屁理屈を!」



 吐き捨てるように叫んだシュナの台詞を、レキオラは鼻で嗤って受け流し、ファリスと再び対峙した。



「君の騎士が勝手な行動をとっているように見えるが、君の意見はどっちなのかな?」



 シュナとレキオラ、それに俺の視線を受けながら、ファリスは随分と長く沈黙していた。



 沈黙に耐えかねて、手が思わず熱い砂を掴む。



「……俺の護衛騎士は優秀でね。俺の為になることしかしない。つまりは、そういうことだ」



 ファリスの言葉を受けて、レキオラの瞳が冷えた。ゆっくりと、優雅とも言える仕草で左手が掲げられる。



「交渉は決裂した。各部隊、作戦通り目標を殲滅しろ」



 抑揚のない酷薄な言葉が、誰に告げられるでもなくレキオラの口から零れた。僅かな間を経て、遠くで鋭く甲高い音が響きわたり、状況の変容を知らせてくる。



 さっきのレキオラの言葉は、言霊だったのだ。近くで待機している彼の軍勢に届く、力有る言葉。



「どういうことだレキオラ! 約束が違うッ」



「ふふ、意外と鈍いところも可愛らしい。今さっき、そこの男が女々しくも君を渡さないと宣言したんだよ。だから私は、力尽くで君を奪わなければならなくなった。今暫く、待っていておくれ」



 レキオラは名残惜しそうに俺を見つめてから、右手を大きく振るった。巻き起こった風に砂が舞い上がり、姿がかき消える。



「待て! レキオ……ぐッ!」



 勢いで立ち上がろうとしたが、肩に走った痛みで体勢が崩れる。砂に倒れ込む寸前で、いつのまにか近くまで来ていたファリスに支えられた。 



「無理に動くな」



「何考えてんだよファリス! 無駄な犠牲を増やす気か!? シュナ、撤回させろ! なんのために俺が……ッ」



 縋るようにシュナを見たが、首を左右に振られる。



「無理だ、オトヤ。お前が託した真実は、俺が隠すには重すぎる」



「腰抜け野郎っ!」



「すまない」



 罵りに対して目も逸らさないシュナに、余計に腹が立った。肩の痛みを無視して掴みかかろうとして、未だに腰を支えていたファリスに押さえ込まれる。



「離せ、ファリス!」



「やめろ、失血する! シュナ、いったい何がどうなってるんだ」



「それは」



 黙れと叫ぼうとしたところで、モニモラの足音が近づいてきた。ゾラが手綱を引いており、背には意識がないらしいディンが俯せで乗せられていた。



「ファリス様、シュナ隊長! 急いで本隊までお戻り下さい。すぐにここまで来ますよ!」



 ゾラの言葉に、視線を巡らせる。さほど遠くない場所から、濛々と砂煙が上がっているのが見えた。砂塵の合間に、モニモラや見慣れぬ生物に騎乗した兵士の集団がチラチラと視認できる。



「ちくしょう、ほんとに四方囲まれてんじゃねーか!」



「おい、乗れ」



「煩い! 俺に指図すんな!」



 抱きかかえられそうになって、思いきりファリスの胸を突き飛ばす。途端に目から火花が散るような激痛に襲われて、本気で一瞬意識が飛んだ。



 結局、またファリスに支えられる。



「ぐっ、う……くそ、何でこんな……どうすんだよっ」



 体を支えられたまま、罵る言葉だけが一丁前にでてくる。それがまた悔しくて、俺は唇を噛んだ。腰に回された腕から、ファリスの困惑が滲む。



「落ちつけ、オトヤ」



「…………っ!」



 まるで呼び慣れたものみたいに、名前を呼ばれる。悔しかった。悔しくて悔しくて、涙が出た。溢れた雫が、砂漠にあっと言う間に吸い込まれていく。



「あんたなんか、大嫌いだ」



 嗚咽が混じって声が震えた。



 俺の扱いに全員が困って、戸惑っているのがわかる。そんな余裕なんかないのに、俺が落ち着くのを息を飲んで待っている。――イライラする。馬鹿ばっかりだ。



 嗚咽が収まるのを待ってから、ファリスに凭れていた上体を真っ直ぐに伸ばし、自分の足でしっかりと立つ。



「ほとぼりが冷めたら、逃げるつもりだった。その手段もちゃんとあった。なのにシュナも! ファリスも! せっかく俺が助けてやろうとしたのに、邪魔しやがって!」



「オトヤ様?」



 ゾラが思わずといった体で、問いかけてくる。俺はそれを無視して、ファリスを睨んだ。



「離れてやろうと思ったのに」



 それが、償いにもなるとも、思ったから。



「もう、遅いからな。死ぬまであんたに付きまとってやる。後悔はあの世でしろ」



 自分でも鬼気迫る言い方だと思ったが、そう言わずにはいられなかった。



 思いきり息を吸い込んで、体の内側に感じる流れを掬い上げるイメージを描く。力有る言葉を紡がなければならない。でなければ、届かない。集中しやすいように目の前に手を差し出し、その指先を見つめた。



「瞬きの白 輝く紅 煌めきの黒」



 言葉を紡ぐごとに、指先に光が集まる。



「駆け抜ける碧 静寂の蒼」



 光は渦を巻いて指先からこぼれ落ち、独特の法則で地面に円形の陣を描き始めた。



 それが出来上がるにつれて、心が高揚してくる。内側から力が湧き上がり、自分が少し発光しているのがわかった。陣が完成し、より強い輝きを放つのを確認してから、流れに導かれるままに、力有る言葉を紡ぐ。



「我が名は神乃乙矢。新たなる始まりを司りし光と大地の女神、ナディアの使徒にして力を代行する者。次元を越え、夢幻の霧を操る者よ。永遠の正義を貫く真実の騎士よ。我は今、希う。かつて交わせし契約の縁をここに!」



 響き渡った声に応えるように、召喚陣が発光し、大地が鳴動する。体の内側をも揺さぶる振動によろめくと、ファリスが支えてくれた。



 三度目の揺れと共に、陣の中心から光の柱が立ち、一人の美しくも凛々しい女が現れる。女は俺を見ると不敵に微笑み、わざとらしいほど慇懃な仕草で(こうべ)を垂れた。



「麗しき我が主。ご命令を」



 その声が、笑いに震えている。小っ恥ずかしい言霊を教えられた時点でなんとなく察してはいたが、言霊召喚されることを完全に楽しんでいるようだった。



 間近に迫っている地響きに緊張していた体から、力が抜ける。せっかくだから、悪のりしてやることにした。迫るジャダスの軍勢に、視線を向ける。



「片付けろ」



 俺が傲慢に言い放つと、春日の瞳に鋭い光が宿った。



 手をゆっくりと差し出したかと思うと、無駄のない動作で反転し、ジャダス軍へ向き直る。



「っ!」



 一瞬だった。春日から膨大な量の魔力が放出され、凝縮される。気配だけで気圧されるほどの、凄まじい力だった。



「薙ぎ払え!」



 硬質な性質を持った声を凛と反響させながら、春日は右手を左から右へ振り抜いた。



 一拍遅れて、その手がなぞった延長上に爆風が巻き起こる。ジャダスの兵士たちが千々に吹き飛ばされていく姿を、俺達は茫然と見つめることしかできなかった。



 左から右へ、円を描くように噴き上がった砂の壁がセナルを囲むのに、ものの数秒もかからなかった。



 始まりと終わりがぶつかった瞬間、巨大な何かが少し浮いた位置を高速でもう一周回る。舞い上がっていた砂が、風圧で外側にあっという間に蹴散らされていた。



 巨大な影の正体は、漆黒の鱗をもつ飛龍だった。



 春日が龍姫と呼ばれる理由は、文字通り龍を従えているからだったのだ。



 春日は召喚魔を徹底して演じたかったらしく、ジャダスの軍勢を文字通り薙ぎ払った後は、役目を終えた者として、優雅な一礼だけを残して消えた。



 少し話をしたかったが、窮地が去った安堵からか、傷の痛みがじわじわと意識を食い破り始めていた。



 大怪我などしたことなかった俺は、慣れぬ痛みに殆ど自力で立てなくなってしまう。血だらけの姿を見下ろしてしまったショックも結構大きい。



 ファリスに寄りかからないようにしようと思っても、膝が震えて、踏ん張るのがやっとだった。



「一体何がどうなってるんだ。さっきのは――」



 背後から、ファリスが問い質してくる。



 痛みから意識を引き剥がすのにちょうどいいと、俺は答えてやろうと思ったのに、ファリスを見上げたら、ふうっと意識が上に抜けていってしまった。







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