神乃乙矢(4)
静観していたジャダスの使者の前で、足を止める。
まるでおとぎ話の王子様そのものの微笑を浮かべて、レキオラが佇んでいた。
俺を見つめる瞳に絡みつくような熱はあっても、昨夜のような盲目的な雰囲気は微塵もない。腐っても一軍を率いる指揮官ということなんだろう。
視線を逸らすついでに横目でセッダ側を見ると、気難しい顔をしたファリスと、呆然と俺を見ているゾラとディンが見えた。察しのいい奴らだから、シュナがファリスに説明したであろう内容で、状況を把握したんだろう。
どこか責めるような視線を向けられている気がして、少し罪悪感を抱かされる。
それを振り払うように、俺はレキオラに向き直った。
「待たせて悪かったな。交渉の答えを持ってきた」
俺がそう告げると、軽装だが騎士のような格好をした男と共に、レキオラが俺の前に歩み出てきた。
「私はジャダスの第十五王子、レキオラ・F・ジャダス。此度の遠征軍の指揮官として、先の宣告の答えを受け取りに来た」
セッダの兵服を着ていた姿を思い出せないほど、今の凝った衣装は似合っていて、それなりの気品と気迫を感じた。
レキオラの容姿は線の細い秀麗さが際立っているが、ひ弱さや脆さは微塵も感じない。ファリスとはまたタイプの違う風格を持っていて、どちらかというと、レキオラの方が俺が王族や皇族に抱いていたイメージに近い。優位に立つものの態度ではあるが、そこに相手を見下す要素は含まれておらず、己の地位に奢りや過信はなさそうだった。
頭のいい男なのだろう。俺を見る目が冷えていたならば、昨日とは別人なんじゃないかと疑ったかもしれない。
「また会えて嬉しいよ。まさか君から来てくれるとはね」
微笑を崩さないまま、何かを確かめるように俺のつま先から頭まで視線を滑らせる。思わず距離を置こうとしたタイミングで手を取られて、体がびくついてしまった。
笑みを深められて、唇を噛み締める。呑まれたら負けだ。
「それにしても、素敵な格好だね。だが君の美貌が大衆の目に晒されていると思うと嫉妬で気が狂いそうだ。そういう格好は、私の前だけにしておくれ」
気障ったらしく告げながら、恭しく俺の指先にくちづける。間を置かず、唇とは違う感触が人差し指に触れた。
「っつ、離せ!!」
こいつ、指先舐めやがった!
驚いて振り払うと、レキオラは名残惜しそうに俺の手に触れていた指先を見下ろした。上体を屈めたまま、その視線を再び俺に向けてくる。
「アリヤ姫が砂漠の百合なら、君は薔薇だな。美しき白薔薇よ、君の美貌に魅入られた哀れな男に、どうか名前を教えておくれ」
態度が理性的になっただけで、変態は変態だな。
「……オトヤ。神乃乙矢。それから俺は男だ。美しいとか、薔薇とか言うな。気色悪い」
名乗るまでうっとおしい視線で見つめ続けてきそうだったので、早口で告げる。すると、レキオラの傍にいた騎士が俄に殺気立った。
それを仕草で宥めて、レキオラが姿勢を正す。
「……オトヤ。変わった響きだ。その肌といい、見慣れぬ美貌といい、やはりセッダの人間ではないらしいね」
さっきまでの気障でふざけた言動が嘘のように、その声に威圧感が戻る。場の空気が、一気に緊迫した。
「さて、オトヤ。この場にアリヤ姫でなく、君が来たことには、何か意味があるのかな?」
「当然だ。じゃなきゃ来るわけねえだろ」
「内容は?」
「俺がジャダスに行ってやるから、ザンナ砂漠とアリヤは諦めろ」
俺の言葉にレキオラは一瞬きょとんとしてから、口元に手をあてて、笑いを押し殺すような仕草をした。
「確かに君は、私が愛するユナだが、それだけで陛下が満足してくださるかと問われれば、否と答えるしかなくてね。今回はそれなりに手間も費用もかかっているんだ。君の色香に惑わされてあげたいのは山々だが、君とアリヤ皇女では、ジャダスに与える有益さでの価値が違いすぎる」
やはり、ただの馬鹿王子じゃないらしい。俺は舌打ちしたい気持ちを、舌を噛んで堪えた。
「そんなこともわからないほど、俺が馬鹿に見えるか?」
ナディアが人に授けた力は微々たるものだと、リドは言っていた。確かに、俺の中に今ある力はその通りだと思う。それを感じているから、レキオラもそう言っているんだろう。だが、自分がユナだと自覚してから、その内側にある魔力を意識すると、その流れの先で誰かと繋がっているような感覚がある。そしてその感覚は、リドに祝福を与えたとき、より顕著になった。自分に流れ込んでくる魔力から、その先にいる存在を、より強く感じられた。
だからこそ、俺は確信している。
ナディアと俺は、間違いなく魔力を通して繋がっている。
つまるところ、ナディアの魔力は俺の魔力だ。
もちろん、どこまで自由に使えるかわからないが、今はとにかく、アリヤより有益だと思わせられればそれでいい。
「馬鹿には見えないね。君に秘密の価値があると言うなら、私に教えておくれ」
「俺は普通のユナじゃない」
「どう普通じゃないのか、説明が欲しいかな」
「俺自身、まだ総てを把握してはいないから上手い説明はできないんだ。だけど、確定要素として、ナディアの魔力が含まれた水から、魔力結晶を生成する能力がある」
レキオラではなく、となりの騎士の眉がピクリと動いた。
セッダでさえ希少なのだから、他国ともなればもっと希少価値があるだろうと睨んだのは、正解だったらしい。
「証拠は?」
「残念ながら手持ちがなくてね。ここから軍を撤退させて、一緒にジャダスに帰ったら見せてやるよ」
「証拠もないのに、君の話を信じろと?」
「俺が嘘をついてるかついてないか、愛してるなら見抜けるんじゃないか?」
挑発するように言ってやったが、レキオラのポーカーフェイスは崩れなかった。
「愛故に見抜けない、ということもあるかな。それに私は、君がとても嘘が上手いことを知っている」
嘘が上手い、ね。まったく、この世界に来てからというもの、俺は本当に嘘だらけだ。元々得意なつもりだったが、ここにきたことでかなりレベルアップした気がする。
「……あんたは何か勘違いしてるよな。この交渉、あんたの方が有利だと本気で思ってるのか?」
「どういう意味かな」
「条件を呑んで、俺を連れ帰るしかないと言ってんだよ。さもなくば、他国から奪わなきゃならないほど貴重な自国のオアシスが、一つ一つ涸れていくのを見ることになる」
「……選択の余地はない、と?」
「信じる信じないは自由だけど、俺には水の流れを変えるくらいの力はある。ナディアは元々水精霊だしな」
レキオラの瞳に、初めて剣呑な色が宿った。瞳の芯が凍っているような、冷えた眼差しが俺を射抜く。
「それが真実なら、君は逆に他から水を引いてくることもできるということになる。恐ろしく魅惑的な話だね」
「どうする? 条件を呑むなら、砂漠を潤すことに関しては全面的に協力してやる。それが俺の本来の役割だしな」
「ひとつ、聞いてもいいかな?」
「……なんだ」
「君の話を信じるならば、君は女神に近い力を持っているということになる。なのになぜ、己にとって自由を奪われる選択肢の交渉をする? 私と一緒に来ることは、君の本意ではないだろう?」
「…………」
「自分を犠牲にしてまでセッダを、それもごく一部の者達を救おうとしているのはなぜなのかな」
「俺がナディアの使徒だからだ。ナディアの愛する地を護ること。それ以外の理由はない」
「やはりファリスか?」
急に名前を出されて、思いがけず動揺した俺の瞳の揺らぎを、レキオラは見逃さなかった。唇が酷薄な笑みを描く。
「ファリス・ゼナウシス。つくづく憎らしくも愚かな男だ。君の言葉が総て事実なら、君に愛されるということが、この砂漠の覇権を握るということなのに」
すっ、と顎のラインを辿った指先を、叩き落とす。
「やめろっ」
睨み付けても、レキオラは薄い笑みを浮かべたまま、小さく溜息をついただけだった。わざとらしい態度が様になるだけに、めちゃくちゃむかつく。
「お前がファリスより劣る理由は、そういう陳腐な考えしか思いつかないところだな。鷹揚に振る舞っていても、ふとしたところで欲と矮小さが滲み出る。たとえ一緒にジャダスに行ったとしても、俺がお前を愛することはないということを忘れるな」
「……やれやれ、困ったお姫様だ。だがその強気な態度も、本当は健気なところも、とても可愛い。素敵だ」
「気色悪いこと言うんじゃねえよ!」
「口汚いところは、躾をし直さないといけないね。美しい君の唇に、罵詈雑言は似合わない」
「てめえっ」
「いいだろう。不本意だが、君があの男を想う気持ちを信じよう。陛下も結果さえ出れば、わかってくださる」
決断するなり、レキオラは俺の腰に腕を回した。密着するようにぐっと抱き寄せられ、驚きに身じろぐ。
「なにすんだっ」
「私の元に来るのだから、君は私の物だろう?」
「なっ、お前さっきの俺の言葉聞いてたか!? ッツ!」
腰布の隙間に手を突っ込まれ、腿を撫で上げられる。嫌悪に身震いしながら、内側に滑り込もうとした手を掴んだ。
「爽やかな顔して気色悪い触り方すんな! さっさと撤退命令とかだせよ!」
「それもそうだね。では、目障りな皇子を始末してから撤退しようか」
必要以上に顔を近づけて、悪戯を企む子どものように、レキオラが囁く。
「は!? おまっ、何言って」
「今後のセッダ攻略を考えると、彼は何かと邪魔になるだろうからね。陛下は彼の死もお望みだ」
「約束がっ」
「約束はセナルからの撤退と、アリヤ姫を見逃すことだ。皇子のことや今後について、君は何も言っていない」
「て、めぇっ」
振り上げた拳をあっさりと手のひらで受け止めて、レキオラはぞっとするような笑顔で俺を見下ろした。
「いいね。君の怒りに燃える瞳は、何よりも美しいよ」
声音に滲む異様な雰囲気に、言葉がでなかった。昨夜に感じた恐怖が甦り、俺の背筋を突き抜ける。
レキオラには、残酷な無邪気さだけでなく、欲望がどろりと詰まった何かを抱えているような気持ち悪さがあった。違和感と言ってもいいかもしれない。本能的に怯えつつも、耳を掠めた低い呟きに戦慄が走る。
「風牙」
「ファリス、逃げろ!」
叫んだ俺の声を掻き消すように、レキオラの指先から放たれた何かが、凄まじい速さで砂を抉る。それは砂漠に鋭い爪痕を刻みながら、ファリス達がいる場所を切り裂いた。
派手な砂煙があがり、人影が一つ吹き飛ぶ。
「ディン!」
ゾラの声が、巻き上がった砂の向こうで響いた。
次の瞬間、砂煙の中からシュナが現れる。レキオラの隣で控えていた騎士が、応戦するべく前に走り出た。
信じられない速さで間合いが詰まり、互いの鋼が衝突の衝撃に震える。それに気を取られているうちにレキオラが短い言霊を唱え、思いがけないほど近くでそれが炸裂した。
「っ!」
余波が砂と共に体を襲い、目も開けられずに顔を伏せる。
何かが派手に倒れる音が擦過音に混じって聞こえ、甲高い嘶きが鼓膜を貫いた。
思わず顔を向けると、白いモニモラが横倒しになって藻掻いていた。その少し手前にファリスが着地し、こちらに向かって駆けてくる。
「風刃」
レキオラが再び魔法を放つが、ファリスはそれを手にした剣で切り捨てた。
「これはこれは」
右の口端を引き上げて皮肉げな笑みを作ると、レキオラは半歩下がり、俺を横に突き飛ばした。
「ッ!」
砂に突っ伏した視界の隅で、青白い火花が散る。
レキオラはファリスの横薙ぎの一閃を見えない壁で弾き、その隙に腰に佩いていたレイピアを抜剣した。上段から振り下ろされたファリスからの一撃を、華麗に受け流す。
互いの剣が触れ合うたびに、青白い閃光が散った。




