神乃乙矢(3)
「条件による」
「わかった。まずは条件を話してやる。条件は二つ。一つはこれをファリスに」
懐から取り出した布を差し出したが、シュナはそれを見つめただけだった。
「別に変なもんじゃない。ただのダイスだよ」
手のひらの上で布を開いてみせると、シュナが驚愕に目を見開く。
「馬鹿な。なぜ……お前っ」
「俺が造ったんだ。ちゃんと実が真ん中に入ってなくて悪いけど、ファリスのは俺に使っちまっただろ? たぶんちょっとでかいし、代わりにはならないだろうけど、ないよりはマシだと思うから」
俺の言葉にシュナは困惑を露わにしていたが、再び包んだダイスを差し出すと、震える手で受け取ってくれた。
「どういう、ことだ……。ダイスを造った、だと?」
「俺、セッダのことはよくわからなくて、言われるままに自分でもヴィナ・ユナだと思ってたんだけど……どうやらユナだったみたいなんだ」
「ユ、ナ……? ……まさか、そんな」
「俺もちょっと前に気がついてさ。あんたに教わった通りに言霊を唱えても平気だったよ。俺に力を与えてくれたのは、紫の瞳の美人だって言っただろ? あれ、たぶんナディアだったんだ」
「ナディア、さま……だと? そんな馬鹿な。それでは、俺は……俺達は――」
まるで言葉に打ちのめされるみたいに、シュナが一歩後退する。その顔は青を通り越して、蒼白だった。
「別にいいんだ。背約者のことを考えればあんたらの反応は仕方なかったというか、当然だったし、混乱していたとはいえ勢いでヴィナ・ユナであることを肯定した俺だって悪かったんだからな。あんたらを責めはしないよ」
「だが、それは我々が追いつめたからで」
「いいから。この件はお互い様ってことで終わりだ」
「しかし」
「本題はこの話じゃない。向こうだって、いつまでも静観してくれはしないぞ」
横目でジャダスの使者を見ると、シュナも今の状況を思い出したらしく、表情を引き締めた。
「――わかった。二つめは?」
「俺がユナだと、ファリスには言わないでくれ」
「何だって?」
「ゾラとディン、それとリドにも口止めを頼む」
「どういうことだ?」
「なんとなく、俺がユナだと知ったら、ファリスは苦しむと思うんだ。それは、俺の望むところじゃない。なら、ヴィナ・ユナだと思われたまま離れたい」
「まさか、お前がジャダスに行くつもりか!?」
「リドから、ジャダスはオアシスが欲しいんだと聞いた。俺の力がどこまで役に立つかはわからないが、奴らも既存のものを奪うよりは、新しく生み出せる力に興味を示す可能性は高い。それに向こうの指揮官はレキオラだ。あいつは個人的にも俺が欲しいみたいだし、交渉の余地はある」
「そんなことはさせられない! ユナはナディア様の使徒だ。それを、他国へ引き渡すなど!」
「お前にユナだと明かしたのは失敗だったか? アリヤを渡すか、戦うか、俺が行くか。どれが一番、被害が少ないかなんて、子どもでもわかる」
「しかし――ッ」
「大丈夫だ。ユナだと自覚してから、少しずつ内側にある力がなんなのかわかるようになってきたし。俺が向こうに行ったとしても、セッダを脅かす要素になったりはしない。俺が願うのは、いつだって――。まあなんだ、その、国は違っても、砂漠が豊かになることは良いことだろう?」
「無理だ。ユナを奪われて、セッダの民が黙っていられるわけが……」
「だから、あんたが黙るんだよ。それに、奪われるんじゃない。俺の意志で行くんだ」
低く、威圧するようにシュナの言葉を遮る。
「いいか、ファリスもレキオラが俺に興味を持っているところを見ているから大丈夫だと思うが、俺はお前達の窮地を逆手にとったってことにしろよ。アリヤの代わりにジャダスへ行くことで、ファリスの断罪から逃れる道を選んだって筋書きだ。お前はアリヤを護り、旅隊の被害を最小限にするために、仕方なく俺の条件を呑んだんだ」
「…………」
「いいな?」
「……俺は」
「あんたの仕事は、ファリスの総てを護ることだろう。その体も、心もだ」
はっとシュナが顔を上げる。俺と目が合うと、苦しげに顔を歪ませた。あからさまな葛藤に、俺は思わず笑ってしまった。ファリスや自国の為なら、もっと打算的になれる男だと思っていたのに。
「俺の願いも同じだ。俺はファリスの後悔にはなりたくない。役に立ちたい。……あいつを好きだと言った言葉に、嘘はない」
「おまえ……は、………卑怯だ」
「そうか?」
「俺は――俺は今ほど己の浅はかさと無力さを悔しく思ったことはないっ」
「そりゃいいね。あんたよりファリスの役に立てるってのは、良い気分だ」
「おまっ……」
シュナは俺を睨んだが、言葉の途中で唇を引き結んだ。微かな逡巡を経て、意を決したように再び口を開く。
「……は。お前の名は、なんという」
おやまあ。セッダで最初に俺の名前を尋ねてきたのがお前かよ。どうせ最初で最後なら、ファリスがよかった。
「――ようやく、俺の名前が気になったのか?」
「うるさい。さっさと名乗れ」
「乙矢。神乃乙矢だ」
「カミノオトヤ? 変わった響きだな」
「そりゃあね。なにせ彼の有名な魔女と同郷だからな」
「なに?」
呟きを聞きそびれたシュナが顔を顰めたが、俺は構わず言葉を続けた。
「ひとつ、面白いことを教えてやるよ。俺の名前な、神様の二本目の矢って意味なんだぜ。良い名前だろ?」
シュナの脇を通り過ぎながら、そう教えてやる。
二本目の神の矢。大地に根を下ろして泉を湧かせ、セッダを潤す大樹となった矢。
俺もそんなふうに、この砂漠を潤す何かになれればいい。
突然押し付けられた力と役割だったが、ファリスのためだと思えば、不思議なことに、苦痛よりも使命感が勝る。あいつに恋をしたのは、俺が俺の運命を生きるために、必要だったことなのかもしれない。
だから、やっぱり俺の運命の相手はファリスだったんだと思う。そうだ。ファリスはどうであれ、俺にとっては運命の恋だった。
そう考えるのも、悪くない。
「オトヤ!」
どうして今になって、みんな俺を名前で呼ぶんだろうか。
「なんだよ」
「ファリスに、なにか伝えることはあるか」
「…………んなもんねえよ」
「だが、何か」
「ああ、そうだ。《証》はゾラとディンを助けるのに使ったことにして、それは新たにナディアから授かったことにするといい。セッダの民を救うために使ったのなら、新しいダイスに紋章を刻むことに、誰も文句は言わないだろ?」
「そんなこと、わかっている。俺が言いたいのは、そういうことでは――」
「何もない。本当なんだ。言いたいことはもう言ったし、その答えも、もう貰ってるから」
「……オトヤ」
ファリスが好きで、好きで、好きで。
ファリスが欲しかった。最初からそれしかなかった。
だけど俺がそう言うことで、ファリスに苦痛を与えてしまうとわかってしまったから、たとえ本気に取られないとしても、最後だろうとも、もう口にはできない。
この想いは、残せない。
「何も、ないんだよ」
今ここで、本当は叫びたい。
俺の気持ちや俺の想いを――告げてもいい資格が欲しい。
好きだと言えば、喜んでもらえる相手になりたかった。
どうして、あんたの運命の相手が俺じゃないんだろう。一度くらい、名を呼んで欲しかった。
「あ、一つあった」
「なんだ」
「俺がいま身につけてるものってさ、あんたのことだからわかってると思うけど、全部アリヤのなんだ」
俺が言うまでそこに気が回っていなかったらしく、シュナはさっと俺を上から下まで見た。何か見覚えのあるものでもあったのか、ぐっと眉間に皺が寄る。
「なんでまた」
「いや、だって。演出も必要かなと思って。この世界で通用する絶世の美貌の持ち主だったなら、ボロ布一枚でもなんとかなるんだろうけど、俺はそうもいかないだろ?」
「この世界?」
おっと口が滑った。
「美的感覚って、地域によって違うから難しいよな。一応、この格好は大丈夫だってゾラとディンは言ってくれたが、同情入ってる気がして不安なんだよな……」
「おい――」
「ああ、話が逸れたな。つまり、足りない部分を補うために、拝借したって事だよ。俺が無理矢理持ってこさせから、リドは悪くないんだ。このことで騒ぎが起きても、リドを責めないでやってくれ」
「……お前、人のことばかりだな」
苦々しい口調で指摘され、思わず目を瞬かせた。
「言われてみれば、そうだな。まあ、俺の献身的な姿なんて、滅多に見られるものじゃないから、喜んでいいぞ。貴重な瞬間に立ち会えてよかったな」
ジャダスの連中がいる方へ歩き出すと、途中で俺よりも力強く規則正しい足音に追い越される。すれ違い様、吐き捨てるように一言だけ詰られて、思わず苦笑がもれた。
シュナはファリスの元へ、俺はレキオラの元へそれぞれ進む。
どうせ俺は、嘘つきだよ。




