5
叶が帰国したのは十日後だった。予想以上に早い帰りに喜ぶと同時に驚きを隠せない。
「叶、よく戻ってくれた」
出発前より随分顔色が良い。それ以上に、一層美味そうな匂いになった。これは不味い。
「約束しましたから、ね」
叶はふわりと笑んだ。
「叶、あんた本当にいいの? 元の世界にも戻れたのに」
「エドワード様はとても良くしてくれたもの。恩を返すまでは帰れないわ」
「そもそもの原因が彼でも?」
ノゾミという娘が叶に言う。
「そういう望だって元凶のメディシナさんと一緒に居るんじゃないの?」
「私は、元凶が私なの」
二人の会話の意図は読めない。しかし、叶が私の傍を離れないで居てくれるということに少し安堵した。
「クレッシェンテは楽しめたか」
「はい、珍しいものばかりで。病院で頂いたご飯もとっても美味しかったです」
叶が笑う。それは、この国での食事は酷いものだったと言っている様なものではないか。
「ミナ、人の子の食事についての研究は出来たか?」
「はい、レシピと食材を手にしました」
まだハウルの怪しげな装束を身に纏っているミナが答える。表情は読めないが、声はどこか楽しそうに感じられた。
「擬似太陽を設置する部屋は用意してあるのか?」
「どのくらいの広さが必要か聞いていないが好きな部屋を使え」
あの商人の男はどうやら無事に品を手にしたらしい。口先だけでないことは理解できた。しかし、やはり叶には近づけたくないものだ。
「叶、久々に庭園で散歩でもしないか。お前の話を聞きたい」
「はい」
嬉しそうに笑むのだな。叶の笑みを再び見られることに安堵し、喜びを隠せない。
「あらら……エディったらいい男じゃない。笑うととってもハンサムねー。普段辛気臭い顔してるくせに」
ノゾミが笑う。エディとはまさか私のことだろうか。
「ちょっと、望……そんなこと言ったら失礼だよ」
「いいじゃない。あんたも呼べば? いつまでもエドワード様だなんて他人行儀じゃない。エディの方が可愛いし」
なんと無礼な娘だろう。
「……エド」
「え?」
二人が驚いたように私を見る。
「私の愛称はエドだ。エディじゃない」
特に拘りは無いが、そんなに様々な呼ばれ方をしては対応しきれない。
「エド?」
叶が小さく口にする。愛らしいな。
呼び名に拘りは無いが、叶の愛らしい声でそう呼ばれるのは悪くない気がする。
「なんだ」
「やっぱりエド様、でしょうか?」
「お前は私の后だ。エドで構わぬ」
特に拘りは無いと思っていたが、少し頑固だろうか。しかし、これも悪くない。こんなにも些細なことを気に留めて口にしたのは初めてかもしれない。
「エド、ねぇ。ちょっと硬いんじゃない?」
「お前に許可した覚えは無い」
どうもこのノゾミという娘は苦手だ。喰わずに殺してしまいたい気もするが、そんなことをすれば叶が二度と口を利いてくれないどころか私に刃を向けるかもしれない。
「お前を生かしているのは叶の為だということを忘れるな」
「だから、殺せないんでしょ? エド」
ニヤリと笑うその姿が憎らしい。
「何故このような無礼な娘に私の叶は懐いているのだ」
「叶の一族は狩人だからね。うちの一族怨み買いやすいから叶に助けてもらったのよ」
今、なんと?
叶が狩人? 信じられない。
「なにを……」
「叶は一族でも優秀な狩人で、どんな奴も大抵一撃で倒しちゃうけど、自分に自信が無いのが玉に瑕でね。助けてもらったときに色々助言したらすっかり懐いちゃって……まるで私が教祖みたいじゃない」
普段の叶からは全く想像できぬな。
「ウィル、今の言葉は……」
「本当だ。帰りに船に乗り込んできた魚人を一撃で仕留めた。それは容赦なかったぞ」
ウィリアムは溜息を吐く。
「叶……」
何か言って欲しい。
「……あれは……正当防衛です。寝ているときにいきなり人の寝台に入ってくるなんてそれは……怖いじゃないですか」
怖がり故に強いのだとノゾミは言う。怖がりだから用心深く常に一撃で仕留めると。
「船ではメディシナが護身のためにって枕元に短剣を用意してくれたのよ。で、私たちの寝室に入ってきた変な奴を、私が一人、叶が四人倒したの。といっても、私はすっごく苦しめただけで仕留めれなかったけど」
人の子の娘は案外逞しいのだな。それにしても、魚人族とは言え躊躇わずに殺すものだろうか。
「だから刃物は嫌いって言ってるのに」
「ごめんごめん。次からは塩か何かにしてもらうって。でも、あんたはまだ一撃で仕留めてやるから優しいよ。メディシナなんて、医学の知識を悪用してじわじわ痛めつけていくのが好きだからさ、強盗とか入ったときが悲惨なんだって」
「随分慣れているのだな」
「まぁ、長いからね」
ノゾミが笑う。
「短剣が仕えるのなら杭は必要ないかも知れぬな」
「え?」
「叶の護身のために用意したのだが短剣の方が慣れているなら短剣を用意しよう」
この国に叶の味方など殆ど居ないのだ。自分で身を護れるならば、それに越したことは無い。
「エドは相変わらず過保護だな。はっきり言う。花嫁はミナと並ぶほどには強い」
「それは凄いな」
予想以上だ。
「ノゾミは、それなりに戦えるのか?」
「まぁ、メディシナに色々教えてもらった程度にはね。叶の足元にも及ばないけど」
人の子の娘が特別逞しいわけではないようだ。
「それにしても、叶のこの細い身体のどこに魚人を殺せる程の力があるのだろうな」
「相手を怖いと思えば、容赦なく叩きのめすのが人の子です」
「悔やむことは無い。お前は、自分を護るためにしたことだ」
たとえ、殺しの能力に長けていようと、叶は私とは違う。
確信も無く、疑わしいという理由だけで家臣を殺したりはしないだろう。
もし、叶が国王になれば、きっと素晴らしい王になる。その様なことはありえないだろうが、強く好奇心のある王は素晴らしいと思う。ハウルの王のように。
「擬似タイヨウの設置にはそれほど時間が掛からぬと言っていたが、ノゾミ、お前はいつまで滞在するのだ」
「メディシナの商談が終わるまで、かな。付き添いだから」
ノゾミは退屈そうに答える。
「もし、興味があるのであれば、図書室がある。文字が理解できなくとも、絵を楽しむことの出来るものもある。ミナに案内させよう」
「あらー? エドったらどうしたの、急に。あたしにまで優しくなっちゃって」
ノゾミはからかうように言う。
「地下牢に入りたいのであればいつでも案内するが」
「ヤダヤダ、冗談だって。でも、私は本より衣装のほうが興味あるんだけど、王妃様の衣裳部屋とか無いの?」
「ふむ、母の衣裳部屋ならあるが、叶のものは、まだ無いな。部屋に置ける程度の着替えしかないものでな。今度仕立て屋を呼ぼう。叶のための、そうだな。絽の部屋着や絹の夜会着、毛皮の上着なども用意させよう。靴は何が良いだろうか。金だろうが玉だろうが望むものを用意しよう」
「……綿とか麻でお願いします。絹なんて……絶対嫌」
何故だろう。喜ばせたいと思ったのに、叶は全力で拒否をする。
「絹ってだって……蚕さんの繭を……」
「服飾専攻はこれだから嫌いなのよ。その着物、私に頂戴。私のほうが着こなせるから」
自意識過剰な娘だな。だが、これだから叶と付き合えるのだろう。
「まだ用意できていないといったはずだ。仕立て屋なら紹介するが、格がある。庶民が手に出来るものとそうでないものくらいは自覚して欲しい」
叶は私の后だからこそ最上級のものを手に出来る。
「エドワードって叶以外ほんっとに眼中に無いのね」
「メディシナさんで我慢しなって。あの人望のこと大好きでしょう? お金持ちだし、優しいし、カッコいいし。ダサいけど」
「そう、ダサいの。それが無理」
若い娘の会話とはいつも男の批評なのだろうか。
「花嫁、エドワードの前で他の男を褒めるな。妬くぞ?」
ウィリアムがからかう。滅多に笑わないくせに、いい笑顔だ。
「ウィリアムさんは本当にエドワード様のことは何でも知っているんですね」
「付き合いが長いからな。ほら、庭園に行くのだろう? そっちの娘は俺が預かる。ゆっくり旅の話でもしてくるといい」
珍しい。ウィリアムがこんな気の使い方をするとは。
「悪いな」
「いや。可愛い花嫁は俺も嬉しい」
「叶は私の后だ」
「ああ。そして俺に怯えない」
「……まさか、変身したのか?」
「クラーケンが出た。仕方が無いだろう」
理由になるものか。何を考えているのだ。
「花嫁は俺に怯えなかった。これはとても意味があることだ」
「びっくりしたけど……近くで見ると結構可愛かったので」
「か、可愛い? ウィリアムが?」
「おっきなわんちゃんでしたね」
ああ、犬と認識されたのか。
「犬ではなく狼だが」
「親戚みたいなものでしょう?」
「まぁ、間違っては居ない」
狼族がなぜそうなったかはわからないが、犬や狼と親戚であるという考え方は種族上は間違っていない筈だ。
「エドワードも嫌われる前に本性見せとけ」
「お前とは話が違う。人の子は我々の姿に怯える。ジョナサンを見て悲鳴を上げただろう。叶は」
人の子は蝙蝠が嫌いだと聞く。不気味で不吉な生き物だと。
「まぁ、大きさ的にも問題はあるが、エドワードだと先に知っていれば問題なかろう」
「叶にあの姿を見せるくらいなら自害する」
私とて、あまり気に入ってはいない。なんというか、決して美しくは無い。城より大きな城主など聞いたこともない。私は一族から見ても異常だ。
「エドワードは生まれつき魔力が異常に膨大でな。それが外観にも現れる」
ウィリアムは勝手に話し始める。
「よせ」
「先に教えておいたほうが覚悟が出来るだろう。万が一の時。仮の姿だろうと、銀の髪になるのは高い魔力の証だ」
うんざりだ。
「ウィリアム、それ以上言えば、噛む」
「待て、あれは本気で痛いから止めろ」
「なら、それ以上余計なことを言うな。私は、この魔力もあまり好きではない」
万が一の時に国を護れる力はあるが、それも嬉しくはない。
「エドワード様はご自分が嫌いなのですか?」
叶の言葉に少し苛立った。
「エド、だ」
なぜこんなことを口にしたのか自分でも理解できない。叶が驚いたように私を見る。
「ごめんなさい。エド」
何故だろう、叶が嬉しそうに見える。
「行くぞ」
「はい」
極力ゆっくり歩くように心がけ、庭園に向う。後ろに叶の足音が響く。たったそれだけなのに、とても満たされた気分だ。
預言が本当に意味があるものなのかわからない。だが、意味などなくてもいいと思うようになった。
ただ、叶が現れたことが奇跡で。
叶こそが運命なのではないかと思う。
「叶」
「は、はい」
「私が怖いか?」
こう、訊ねたのは何度だろう。
「いいえ。エドワード様がお優しい方だということはウィリアムさんからもミナからもたくさん聞きました。私も、彼らと同じように思います」
「そうか」
あれらがそんなことを。
なんというか、くすぐったい。そんな感覚があった。