3
人の子の娘が死んでいたと言う話は国中で広まっている。それだけではない。私の花嫁が人の子であることを快く思わない連中も多い。
魚人族が城内に侵入したという話を聞いたときには驚いた。
「鮫の魚人が、王妃の部屋に侵入しようとした。どうやら、王妃に自分の子を産ませるつもりだったらしい」
ウィリアムが淡々とそう話すのが気に入らない。いや、彼のこの話し方はいつものことだ。ただ、私が苛立っているのだと言うことは理解している。
「ジョナサンが発見しなければ危なかったかもしれん。鮫の魚人は人の子に卵を宿させ繁殖する」
「ああ。だが、何故叶を」
「この国の唯一の人の子だ。贄の印の無い唯一の」
頭が痛い。叶の敵は城の外にも居る。そのことをすっかりと忘れていた。
ただ、あれを愛おしいと思う。けれども、その気持ちだけでは守れない。
「その魚人はどうした」
「地下に。そう長くは陸で生きられまい」
「お前が居て心強いな。ウィル」
満月に叶に近づきさえしなければ。
「お前が望むように処理する」
「殺せ。私の叶に手を出そうなどと考える愚か者は一匹残さずだ」
「承知した」
ウィリアムは返事と共に部屋を出る。
気に入らない。魚人などは海の底で大人しく我らに怯えていればいいのだ。それが陸に上がるなどと図々しい。
「私の叶に近づくなど論外だ」
叶は無事だろうか。決してジョナサンを疑っているわけではない。あれは仕事に関しては非常に有能だ。
しかし、なぜあれが叶の部屋に近づく侵入者に気付いたかも気になる。やはり叶の様子を見に行くべきか。
この妙な苛立ちを抑えるにはかなりの忍耐力が必要なようだ。
叶の部屋に入れば少しばかり怯えた様子でこちらを見ている。
「どうか、しましたか」
「いや、お前が気にすることではない」
また、言い方がきつかっただろうか。私は、どうも……。今は仕方が無い。苛立っている。
叶はただ、ぼんやりとこちらを見る。あかあかと蝋燭の炎が眩しい。
「エドワード様」
「なんだ」
また、きつかった。叶が一瞬怯む。けれども、以前に比べれば随分と私になれてくれたようだ。
「ジョナサンという人に会いました」
「ほぅ、あれにか。あれはふざけて見えるがなかなか優秀な男だ。どこで会ったのだ」
「この部屋で。ミナと仲が良さそうで」
既に知っていることだったが、知らぬふりをした方が都合がいい。しかし、愛おしい叶の口からあの男のながこぼれるのを聞くのはあまりいい気分ではない。
「ジョナサンがか。どうやら私はあれの評価を間違えたらしい」
おそらくはこれは嫉妬とか言う醜いもののうちの一つなのだろう。私がこのようなものを持っていたということに驚くが、それ以上に苛立ちのほうが大きい。
「ミナは少し怒っていましたけど、あれはどうしてですか?」
「……ジョナサンは私にとっては信用に値するが、それがお前にとっても同じとは限らないと言うことだ」
魚人の件もあるのだ。危険は極力排除せねばな。
「それは」
「我々は人の子とは違う。中には私の妻が人の子であることを快く思わないものも居る。だが、これだけは覚えていてほしい。叶、私にはお前が必要だ」
叶の手を取る。柔らかく、燃え上がるように熱い。叶の中に脈打つ熱が私に命を与える。
「我々にとって我が一族の予言は絶対だ。それは母も祖父も同じだった。私とて同じであろう。それに、人の子であるお前を私が選んだことにも意味があるのだと思う。お前は、確かにあの場に現れたのだから」
叶を抱き寄せ、それからゆっくりと瞳を覗き込んだ。
叶の喉がとくりと鳴る。首筋に浮かぶ脈が私を誘う。
「本来、我々と人の子は敵対する。いや、人の子は我々を怖れ、我々は、人の子を支配する。支配していた、だろうか。今は我々が人の子に警戒しなくてはいけなくなってしまった」
人の子は餌だ。しかし、叶は違う。
「敵対、ですか」
叶は理解できないと言うように、私を見た。
「我々も生きるために必要なのだ」
喰わねば死ぬ。しかし、それは叶でなくてもいい。
「よくわかりません。でも、なんだか恐怖映画に出てくる吸血鬼みたいなことを言うんですね」
「恐怖映画とはどのようなものかは知らぬが……そうか、人の子は我々をそう呼ぶのか」
興味深い。やはり、人の子と触れ合うということは我々が生き延びる為に必要なことだ。
「え?」
「我々は人の子とは違う。そのことだけは覚えておいてほしい」
そっと叶の髪を撫でる。
壊してしまわないだろうか。人の子とは脆い。
「エドワード様?」
「……お前はまた、眠るのだろうか」
人の子は短い命を眠りに費やしてしまうのではないだろうか。
「そうですね。ここに来てから眠る時間が増えました。時間の感覚がなくなってしまって、眠る時間が増えたんだと思います」
「そうだな。この国には人の子の国のようなヒルは無い。タイヨウと言うものが無い。隣国のクレッシェンテなどはタイヨウが二つあるらしいが、どういうわけかこの国はタイヨウに見捨てられてしまったらしい」
別にタイヨウなどというものは我々には必要ない。
叶を抱き寄せる。今すぐにこの喉に牙を突き立てられればどんなに楽に鳴るだろうか。しかし、これは私の后なのだ。我が愛おしい花嫁を殺すなどと出来るはずがないろう。
「眠るなら、私もそうしよう」
「お仕事は終わったのですか」
「今の私にお前と過ごす時間よりも優先させる仕事は無い。お前が私の傍に居る。その事実に意味があるのだ」
そのまま叶を寝台に押し倒す。
「私には、そしてこの国にはお前が必要だ。人の子のお前がこの国に居ることで我々と人の子の争いを和らげることができるかもしれない」
「はい」
微かに震える叶が愛おしい。もっと触れたい。いっそ喰ってしまいたい。
ずっとこの腕に閉じ込めてしまおう。誰にも見せず、誰にも触らせない。私だけの、花嫁。
叶を見れば、目を閉じて丸くなっている。
ああ、また眠るのだろうか。しかし、先日とは鼓動が違うようだ。
「叶?」
声を掛けるが返事は無い。
どうやら人の子の眠りの鼓動は一定ではないようだ。
どれほどの時間叶が丸まっていたか正確には把握できない。しかし、叶に触れられる貴重な時間を壊したミナに少しばかり怒りを覚えた。
「本日の晩餐は叶様のご要望どおりだとよろしいのですが……こちらは森羅の人の子の食べ物です」
ミナが食卓に皿を並べる。それは私の想像したものとは違い、葱と小麦粉を焼いたものだった。
「こちらがハウルの人の子の食べ物です」
次に並べられたのは想像通りの小麦粉を薄く伸ばし焼いたものだった。
「どちらがパンに近いものでしょうか?」
ミナは不安そうに叶を見た。
「どちらかというと、こっち、かな。これはお好み焼きに近いけど、パジョンは好物です」
叶は最初に出された葱臭い物に手を伸ばした。私も口に含むが、臭い。思わず吐き出した。
「私はこれは好まぬ」
叶はパジョンと呼んだが、人の子はこんなにも臭いものを好むのか。
「でしたらエドワード様は召し上がらなくて結構です。こちらは叶様のために用意させていただいているのですから」
ミナは不機嫌に言う。ミナのこういう、私の身分を気にも留めないところは非常に重宝している。まぁ、ごく稀に殺してやろうかと思うこともあるのだが。
「私は人の子に興味がある。何を食し、何を考えているのか。人の子を滅ぼすためにも人の子を知らねばならぬのであろう」
次の皿に乗ったハウルの薄いものに手を伸ばす。
「……人の子はこのような食感を楽しむのだろうか」
なんとも言えない食感だが、言葉にするとすれば、ふやふや、いや、むやむや、だろうか。まぁ、人の子はもう少し的確な表現を選ぶのだろうが。
「エドワード様は、普段はどのようなものを食べているのですか?」
またこの質問か。
「お前は知らなくてもいい。私は人の子とは違うのだ」
知られたくない。そう思ったせいだろう。いつもよりきつく言ってしまった。そのせいで叶は怯えた様子を見せ、謝罪の言葉を口にする。
「怯えるな。お前に危害は加えん。誰にもお前に手出しはさせぬ」
怯えさせたいわけではない。扱いがわからぬ。大切にしたいと思っている。だが、私と叶の間には深い溝のようなものがあるのだろう。そうでなければ強大な壁だろうか。とにかく、距離が遠いと感じる。
怯えさせたくないというのに、叶は常に私に怯えた様子を見せる。もともと臆病な性格なのかもしれない。しかし、ミナには懐いているようにも見える。こう思うとますますミナが憎く思えるな。
「この後は、お前は眠るのだろうか」
怒りを静めるためにも、溝を埋めるためにも、会話を続けたかった。
「え?」
驚いたように目を見開く姿は、我々を初めて見る餌のようでもある。
ただ、何でも構わないからお前と会話を続けたいだけだと言えば、お前はどんな反応をするだろうか。
「いや、まだ眠らないのであれば、庭園を散歩などしないかと……」
人の子の扱いも、女の扱いもわからぬ。だが、信頼が必要だと言うことは理解している。
「お仕事は、大丈夫なんですか?」
「ああ、お前と過ごしたくて全て片付けてある」
愛おしい。身体の底から感じる。
私を恐れるはずなのに、我々の心配をするこの娘が愛おしい。
この胸に、熱などあるはずが無いのに、微かに微熱が宿るような、そんな錯覚を得る。
「今はまだ、月明かりがある。お前も花を楽しめるだろう」
「はい」
人の子も、この国の薔薇を美しいと感じるのだろうか。もし、そうであるのなら、全ての薔薇をこの娘に捧げてもよいと思う。そんな馬鹿らしい考えが浮かぶほど、私の思考は正常ではないようだ。
この国は永遠に夜が続くが月明かりは優しい。
人の子には薄暗くて色は判別できないのだろう。ミナが持たせたランタンを大切そうに抱える叶が愛おしい。
「すごい、青い薔薇まで……」
ようやく、叶の怯えた顔以外の表情を見られた。
「珍しいか」
「はい、はじめて見ました」
叶は私を見上げる。今日は怯えさせてばかりだったが、とても楽しそうに見える。
そっと薔薇に手を伸ばす。香りを楽しむのも悪くない。
「この薔薇はここでしか育たない。我が一族にだけ許された、特別なものだ」
そう言いながら、一輪の薔薇を手折る。
「これの花言葉を知っているか」
やはり、この場所は好ましい。考えなくとも言葉が自然と飛び出すのだ。
叶は暫く考える様子を見せ、それから言葉を発する。
「確か……不可能だったと。私の居た世界では、自然界ではありえない色だからって」
「そうか。だが、この国では違う」
棘を確認しながら答える。人の子の考えは中々興味深い。
「花言葉は契約。この薔薇を身につけることが出来るものは、王族と、王族に信頼されたものだけだ。つまり王のみがこの花を与えることが出来る」
叶の頭に触れた。そして、髪に花を挿す。
「やはり、青の方が似合うな」
髪は黒なのだ。黒を合わせるよりずっといい。
「え?」
叶は驚いたように目を見開く。
「婚姻の儀の際は伝統的に黒い花だが、あの時、青のほうが似合うと思った」
髪を触撫で、頬に触れる。
壊してしまわないだろうか。人の子は、どれ程脆いのだろうか。少なくとも我々よりはずっと脆いことだけは知っている。
「私がこの花を与えたのはお前で四人目になる。四という数字は、この国ではとても重要な意味を持つ。元素の数だ」
名残惜しいが、壊したくない。叶から手を離す。
「初めはウィリアム。今の騎士団長だ。彼は、私の幼馴染で、最も信頼している。お前も何かあったら頼るといい。私のように物言いはきついかもしれないが、あれはなかなか情け深い。情に流されやすい」
こんなことを話すのは初めてだ。しかし、この場所が、私に彼女に全てを打ち明けろとでも言っている様で、勝手に言葉が溢れ出す。
「次に花を与えたのは、ミナとジョナサンだ。あの二人も、とても信頼できる。この国で、私が心から信頼しているのはこの三人だけだ」
きっと私の深層心理は叶に私を知ってほしいのだろう。情けない。
「え? アンは? 貴方の乳母だって」
叶は驚いた様子を見せる。そうだ。私はお前にあれを信頼できるものだと紹介した。だが、実際はどうだろう。あれは人の子を嫌っている。
「よく知っている。アンのことはよく知っている。だからこそ、近頃は……いや、止そう。お前に話すべきことではないな」
全てを話すわけにはいかない。私は、叶に嫌われたくはないのだ。ごまかすように薔薇に視線を戻す。
「ここは先祖代々受け継がれている地だ。我らが、そう、この地を手にしてからずっとこの庭園はある。薔薇ばかりだが、ここは私と庭師しか足を踏み入れない。だから、居心地がいい」
深紅の薔薇に手を伸ばしかけ、途中で青い薔薇に移した。やはり、叶には青が似合おうと思う。それに、紅ではありきたりだ。叶は特別でなければならない。
「お前の部屋は赤ばかりだ。別の色を置いたほうが良かろう」
そう言いながら、何本も薔薇を摘む。
「そ、そんなに摘んだら薔薇が可愛そうですよ」
一瞬、叶の言葉が理解できなかった。
「私の后のためになるのだ。花にとっても名誉であろう」
「折角綺麗に咲いてるのに……」
人の子とは面白いことを考えるのだな。
「お前が言うのならば、もう、摘まない。薔薇を見たくなったらいつでもここに来るといい。ミナも入れても構わん。だが、他の者は入れるな。ここは私の、貴重な休息の場だ」
声を持たない花にまで、人格を感じるとは。面白い。
「だったら、私も来ないほうがいいのではないですか」
私の言い方はきつかったのだろうか。叶はまた、少し怯えを含んだ瞳で私を見る。
「いや、ここで偶然お前に会うというのも悪くないと思う。いや、そんなことが起こるのを期待しているのかもしれない。私は少しでも永くお前と過ごしたい」
真っ直ぐと叶を見た。
「人の子の寿命は短い。しかし、私は、お前の寿命が尽きるまで、お前に私の傍に居て欲しいと思っている」
私の言葉は叶を傷つけている。これ以上言葉を紡がない方がいい。だが、これは伝えなければいけない。
人の子の、短い命の炎を、私の為に捧げて欲しいと。
「……エドワード様……お気持ちは大変嬉しいのですが……私は……」
帰りたい。
その言葉が紡がれることは無かったが、心の底ではそう思っているに違いない。
「祖国が恋しいのはわかる。しかし……私にはお前が必要だ」
こんな人の子の娘に、執着し縋るなんてどうかしている。アンは間違いなくそう言うだろう。しかし、私は既に、この国よりも……。
「こんなことを言っても信じぬだろうが……愛している」
抱き寄せれば、そのまますっぽりと腕に治まる。
「お前を放したくない」
永遠に、この闇に閉じ込めたい。
「エドワード様……」
もう、叶の顔色を伺うようなそんな余裕は無い。
「何も言うな。ただ、居て欲しい……」
ただ、傍に置きたい。喰いたい。食欲と独占欲が共存する。
いつから私はこんなにも執着するようになったのだろう。あるはずも無い鼓動がうるさい。あるはずも無い熱で、胸が焦がされる。
「すまない。驚かせてしまったな」
我に返り、叶を解放する。
「い、いえ……」
「怯えないで欲しい。お前に怯えられると、どうしたらよいのかわからなくなる」
「す、すみません」
どうして私はこうも叶を怯えさせてしまうのだろう。
「え、エドワード様はとてもお優しい人だとおもう、んですけど……まだ、なんだか慣れなくて……」
叶には気を使わせてばかりだな。しかし、この娘の気遣いが嬉しいのも事実で、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からない。
「ありがとう」
叶の頭を撫でた。ふわりと柔らかい髪からは薔薇の香が。香油だろうか。
「気を使わせてしまったな」
「い、いえっ……」
触れれば温かく柔らかい。小さくて弱い人の子。その唇が紡ぐ全ての言葉が愛おしいとさえ感じる程に私は叶に惹かれている。
ただ、私は人の子ではないのだ。これから先もきっと傷つけ怯えさせてしまう。それにたくさん嘘も吐く。脆くて弱い人の子である叶を隔離して、逃げ場を塞ぐ。
「望以外の人とこんなに話したの、初めてなんです」
叶の声で現実に引き戻された。
「……その、望、とは何者だ?」
前にもその名を聞いたことがある。叶がよく、口にする名だ。
「私の救世主です」
「ほぅ」
救世主というのは確か、人の子の宗教で心の支えになる者の事を指すことばだったはずだ。
「大学に入って、一人でどうしていいかわからなくなってた私に声を掛けてくれて……困ったときはいっつも助けてくれて……家も、隣で……あ、家って言っても一 軒家じゃなくて、大学の近くのワンルームのアパートなんですけど、ご飯とかも誘ってくれて、だんだん望が私の家に泊まるのが当たり前になって……でも、望 は急にいなくなっちゃって、私、一人で……部屋でショールを編んでいたら、なぜかここに居たんです」
言っていることの半分も理解できぬが、不安で混乱していることだけは理解できた。私がここまで叶を追い詰めてしまったのだろうか。
「叶、すまない……」
きつく抱きしめる。
人の子は、不安を感じたときにこのようにされると安心すると聞く。それが、本当ならばよいのだが、逆に叶を怯えさせてしまうかもしれない。せめて、少しでもこの不安を取り除くことが出来ればよいのだが、きっとそれをするためには、叶を手放さなければいけないのだろう。
「私が……お前を求めたのがいけなかっただろうか」
「そんなこと……私に訊かないでください」
酷いことを言ってしまった。こんな質問はずるかった。
謝らなくては。
そう思うのに、ぼろぼろと流れる涙に言葉が出ない。
「エドワード様のことは……好き、です。でも……望に会いたい……」
また望。そいつを消してしまえば、叶は私だけを見てくれるようになるだろうか。
いや、嫌われてしまうな。
「叶……それは……いや、お前が望むなら、私は出来る限りそれに沿うようにしよう」
だが、お前の一番望むことは私には出来ないだろう。
「そろそろ冷える。戻るぞ。人の子は寒さにも弱いのであろう?」
「……はい」
人の子は、と、口にするたびに、距離を感じる。
人の子は。私は人の子ではない。
種族の壁は大きい。叶は暗闇では何も見ることが出来ない。我々の足音を感じ取ることさえ出来ない。
つまり、叶はいつでも我々の餌になりうる可能性がある弱く脆い生き物なのだ。きっと花嫁でなければただの餌として終わったであろう娘。しかし。
「叶」
「は、はい」
怯えたように返事をするこの娘は、私が待ち望んだ花嫁なのだ。
「私は、お前を愛している。これだけはわかって欲しい」
もし、叶が花嫁でなければ、きっと躊躇いもせずに餌にしていただろう。
「エドワード様……」
「愛おしいのだ。ただ、それだけは偽りない私の心だ」
戸惑う叶はやはり同じように距離を感じているのだろう。
この距離は埋まらない。
その人の子と、我が一族の間にある深い溝。目に見えないそれが距離を広げる。
もし、他の娘が選ばれていたら、私はどうしていたのだろう。
「私は」
「言わないでくれ。その、お前の言葉を聞いたら、きっと私は立ち直れない」
考えることを止めよう。もう既に私はこんなにも叶に依存しているのだ。
「でも」
「言わないで欲しい」
叶が何を言おうとしたのかは分からないが、聞くのが怖かった。怖いなどと感じたのは随分と久方ぶりだ。
後ろを必死について歩く姿も愛らしい。しかし、歩幅の差がまた溝に思える。
「叶、私は……その……速かっただろうか。ミナはいつもついて来るから気にならなかったが……そうだな。一般的に女性のほうが歩幅が狭いのだったな」
叶に手を出す。
「え?」
見開かれた瞳に吸い込まれそうだ。
「はぐれたら、戻らなくなりそうだ」
叶はこの場所に現れたのだ。ここから消えてしまうかもしれない。
「まぁ、迷子にはなりますけど」
叶は困ったように笑った。
「はぐれるな」
宙で迷子になっていた手を掴んだ瞬間、叶がぐらりと揺らいだ。
「叶?」
そしてそのままふらりと倒れる。慌てて抱きとめたが、気を失っているようだった。
「叶は?」
叶を寝台に寝かせ、すぐにミナに診せる。
「いえ、あの……非常に申し上げにくいのですが……まったくもってわかりません。人の子の専門家に診せた方がよろしいかと」
「専門家とやらをつれて来い」
叶に何かあってからでは遅いのだ。
「平気です。ちょっとくらくらするだけで……」
叶は申し訳なさそうにそう言う。気を使っている場合では無かろうに。
「顔色が悪い」
起き上がろうとする叶を寝ていろと寝台に戻す。
「エドワード、クレッシェンテの商人が来ているがどうする」
扉越しにウィリアムの声。
「後にしろ。叶が心配だ」
商人など下等なものに会う暇などない。
「あれは人の子だ。それに、医者を兼任しているらしい」
「……そうか。では、会ってみよう。叶に会わせるかはそれから決める」
あの男はどうも好かん。しかし、叶の為ならば、多少の苦痛も耐えよう。
「ああ」
ウィリアムの返事を確認し、叶の頭を撫でる。
「叶、休んでいろ。私は少し出る」
「あ、はい……」
仄かに赤く染まる頬がなんとも愛おしい。
「ミナ、叶の傍を離れるな」
「かしこまりました」
ミナの返事を確認し、すぐに部屋を出る。
あの悪趣味な商人の顔を見なくてはならないと考えるとうんざりする。それに人の子の奴は、叶が抱えていたものよりさらに大きなランタンを持ってやって来る。あれは眩し過ぎる。我々の眼にはあまりよくないものだ。
男を待たせた部屋に入るとぎこちない礼をされる。
「下らん挨拶は省け」
「は、はぁ」
「お前は人の子の病を診れるか」
「まぁ、そっちが専門ですので」
どうも胡散臭い男だ。何より身に着けているものがうっとおしい。金の首飾り、金に赤の玉の指輪。それに金の腕飾りときた。おまけに服まで赤だ。この男は人の子の中でも厭らしい商人という生き物で、出来れば叶には見せたくない生物だ。なにせ金と赤以外は髪の黒と肌の褐色くらいしか彩が無い。面白みがない。
何故叶と同じ種族なのにここまでおぞましく見えるのだろう。
「あまり私の后には見せたくない容姿だが……仕方あるまい。叶を治せ。すぐにだ」
「ちょっと待ってくれよ。症状も診てない状況で治せるわけ無いだろ」
こっちが本性か。きっと卑しい生まれなのだろう。
「お前のような醜い生物を私の后に見せたくは無いのだが……来い」
仕方が無い。この醜い人の子のおぞましい商人だが、人の子の専門家らしい。
「人の子は脆い。我々よりもずっと命が短い」
「そりゃあ、まぁ……翼手族は特殊だからな」
男は言葉を選んだ結果失敗したらしい。
「私に言わせれば、人の子の方が特殊で奇妙だ」
「だが、あんたの嫁さんだって人間だろ」
ああ、これだからこういう輩は好きになれん。叶のなんて謙虚で愛らしいことだろう。
「我々も、人間だ」
人の子は我らを誤解している。これがいけない。
「俺等にとっちゃあんたら翼手族も小人族も魚人族も巨人族もみんな纏めて怪物だ」
男は少しばかり声を荒らげた。
「それは差別だ」
「あんたらも、俺等を【人の子】って呼ぶだろう」
「ああ、種族の名を知らぬから勝手に名づけた」
誰が名づけたかは知らぬが、この無力で儚い種族を人の子と呼ぶ。
「我らは、お前たちの捕食者であるということを忘れるな」
男を一度睨んでおく。大抵の者は私のひと睨みでさらに無力になる。この眼に耐えられるのは変身後のウィリアムくらいのものだろう。
やはり男も例外ではなくふらりと身体が傾く。
「何をしている。速くしろ。我が后の危機だ」
叶には何があってもこの国に留まってもらわねばならん。
人の子と、我らの共存の為にも。




