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蓮華 ― 鬼神の血を継ぐ戦士は護るために戦う ―  作者: 釜瑪秋摩
第一章 北から西へ

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第79話 不安と希望

 こつこつとノックが聞こえ、開いたドアから梁瀬(やなせ)が顔を出した。


「なんだ、梁瀬さんか。どうしたんだよ?」


「うん、今そこで、鴇汰(ときた)さんが来てるって聞いてね」


 中に入ってドアを閉めた梁瀬は、机の上に視線を落とした。広げられた地図を見て、すぐに状況を理解したようだ。


「地理情報、取りに来たんだ?」


「あぁ、もう時間もないし、俺、あの国のことはほとんど覚えちゃいねーから」


「そういえば僕もあの国を離れて長いから、覚えていないな……今はどうなっているんだろうねぇ」


 机のそばまでくると、地図をのぞき込みながらぽつりと呟く。地図を見つめる梁瀬の横顔を、鴇汰はちらりと見た。


「梁瀬さん、もう情報交換は済んだのかよ? 確かヘイトだろ? 修治(しゅうじ)のところに行ってきたのか?」


「そうそう、それなんだけど。今回、修治さんとトクさんは南で一緒だから、そっちで地理情報のやり取りするって言っていたんだけど、僕は麻乃(あさの)さんのところに、今夜にでも行ってみようと思ってね」


「今夜?」


「うん。一人からより、二人から聞いたほうが、より詳細が取れるでしょ? だからね」


「俺、ここで穂高に情報をもらったら、そのまま西区に行くけど、一緒に行く?」


 梁瀬は地図から目を外すと、鴇汰を見てくすりと笑った。


「ここへ来ているって聞いて、もしかしてそうじゃないかなって思って、顔を出したんだ。乗せていってよ」


「そんなら、準備だけ済ませといてくれよ。昼飯食ったら出かけるつもりだからさ」


「ありがとう。助かるよ」


 そう言って会議室を出ていった梁瀬の背中を見送ってから、改めて穂高(ほだか)に詳細を聞き、メモを取った。

 もう細かなことや場所は覚えていないけれど、城にほど近い街に住んでいた昔、まだ周辺は緑が多かった気がする。幼い頃の記憶は断片的で曖昧だが、確かにもっと豊かな土地だったはずだ。


 穂高の話を聞いていると、そのイメージからはずいぶんとかけ離れているようだ。

 尤も、泉翔に来てからもう十九年も経っている。

 そのあいだには様々なことがあっただろうし、土地がさらに枯れていったとしても、なんの不思議もない。


「まぁ、こんなところかな? 西詰所には今、岱胡(だいご)もいるんだろう? 岱胡からも話を聞いてみるといい」


「そうだな。ジャセンベルの情報を伝えたあとにでも、一緒に(さら)ってみるよ」


「あいつは視点が俺たちとはちょっと違って、なにか違う話も聞けるかもしれない。なにしろ川の水量に気づいて、飛び込もうって言い出したのも岱胡だしね」


 穂高は赤ペンに蓋をして鴇汰に差し出してくると、広げた地図を丁寧に丸めた。


「俺は岱胡と持ち回りで一緒になることが多いけど、あいつ、掴みどころのないヤツだよな」


「あまり表立って感情も出さないしね。でも援護をしてくれるときは凄く頼りになる」


「腕がいいからな」


 荷物をまとめると、半分を穂高に持ってもらい、車に積み込んだ。地図の束は思ったより重かった。


「そういやさ、ロマジェリカと庸儀(ようぎ)、ヘイトは同盟を結んだんだよな」


「あぁ、そうだね……」


「やっぱり様子が変わってんのかな。例えばそれぞれの軍が頻繁に行き来しているとか……」


 穂高は腕を組むと、車のボンネットに寄りかかり、空を仰いでいる。


「行ってみないとわからないことが多いよ、今は特に……ね」


「だよな……けど……」


 言い淀んだ言葉が喉の奥に詰まって、なかなか出てこようとしない。

 穂高がちらりと視線を向けてきて、ふっと息を吐いた。


「心配なんだろう? 麻乃のことがさ」


「それもあるけど……もしもまた、このあいだのようなことになったらと思うと、それが怖いんだよ」


 この国へ来てから叔父に料理を教わって、それがあんまり面白くて、料理人になりたいと思っていた。

 国を守ろうとする人々の思いは常に感じていたけれど、鴇汰の手がそれを担えるとは思えなかった。

 穂高をはじめ、東区の子どもたちがそれぞれに道場へ通うのを尻目に、叔父のレシピを自分のものにすることだけに勤しんでいた。


 それが穂高と親しくなって連れられていった地区別演習で、小さな体で、大きな大人を相手に刀を振るう麻乃の姿を見たとき、気持ちが突き動かされた。


(あんなふうになりたい。あの子は絶対に戦士になるんだろう。それならその隣に立ってみたい。同じ目線で同じ世界を見てみたい……)


 叔父が大陸に戻った八歳のとき、なにも言わずに密かに道場へ通い詰めた。稽古を重ねるうちに、この国を守りたいという思いも強まっていき、鴇汰自身の目指すものへと変わっていった。

 そして十六歳の成人の儀で、鴇汰は蓮華の印を受けた。


 以来、鴇汰はずっと麻乃を見てきた。


 苛立ちも喜びも、すべての感情を揺さぶってくるのは、いつでも麻乃だ。


 ここでは、ほかのみんながいる。

 けれど豊穣のあいだは、完全に二人きりだ。

 なにか些細なことで、麻乃に対して怒りを覚えるようなことになったら……そんなときに、万が一、敵兵と遭遇してしまったら……。


 冷静に対応もできず、連携も取れず、最悪の事態になってしまう可能性もあるだろう。


「俺自身、かっとして抑えられないときがあるのよ。向こうで何日も一緒にいて、また、麻乃を責めちまうようなことがあったら、俺たち、敵兵に……」


「鴇汰、滅多なことを口にするなよ」


 言葉をさえぎった穂高に肩をつかまれた。


「なにに気をつけなきゃいけないのか、自分でわかっているなら、防ぎようもあるだろう? 不安なことばかりを考えていると、どうしても気持ちがそっちに動いてしまう」


「修治のやつが……納得するだけの度量を持てって言っただろ?」


「あぁ、そんなことがあったね」


「でも俺、それがなんだかわからねーよ。麻乃が苛立っているときに甘やかすようなことをするのがそれか? 違うよな? けど、じゃあほかに、どうしたらいいんだよ。以前の俺ならできたことって、一体なんなんだ?」


 穂高は困ったような顔で、鴇汰から視線を外した。


「前は……今より冷静だったよ、頭の中で組み立てて行動していた。今の鴇汰は、まず行動ありきだ。それであとでひどく後悔する」


 ぐっと言葉に詰まる。確かに穂高の言う通りだ。


「心配なのもわかる。行き先があんな国だしね。でも今はなによりまず、豊穣(ほうじょう)の儀を済ませて一日でも早く無事に戻ってくること。それを優先したほうがいいんじゃないかな?」


「けど……」


「行く前から、起こるかどうかもわからないことを心配するより、せっかく仲直りできたんだろう? そこから築いていくものを大事にしたほうがいいよ」


 不安材料が多過ぎる気がして、嫌なことばかりが鴇汰の頭をよぎる。


(俺のせいで、また麻乃を迷わせるわけにはいかねーよな)


 麻乃と二人して不安な思いを抱えたまま大陸に渡るよりは、今日聞いたことをもとにできるだけ早く、無事に帰ってこられるような予定を組み立てたほうがいいだろう。


「叔父貴が今、ロマジェリカとジャセンベルの国境にいるんだよ。寄っていけって言われてるんだけどさ、やっぱやめたほうがいいよな」


「うーん……鴇汰の叔父さんは術に長けているから、なにかあったら力にはなってくれるだろうけど、国境沿いは小競り合いが続いてるだろうからね」


「だよな、絶対危ないよな。諜報の話じゃ、レイファーの野郎も国境辺りに出てるみたいだし」


「今はね。下手をすれば城付近より危険かもしれないよ」


 鴇汰は前髪を払って頭を掻いた。


「まったく、叔父貴のやつさ、いつも勝手なことばっか言うのよ。まぁ、昨日はその勝手のお陰で助けられた部分もあるけどさ」


「本当に自由な人だよね。昔から話も面白かったけど、行動も変わってたなぁ」


「大陸の珍しいお菓子だとか言って、変な草を食わされたことがあったよな」


 子どものころを思い出し、鴇汰が苦笑いでそう言うと、穂高も思い出したのか、思いきり笑い出した。


「あったあった! 変な虫を掴まされたりもしたね」


「いい大人がさ、なにやってたんだかな」


 車の前で笑いながら昔の話をしていると、地図と荷物を抱えた梁瀬が詰所から出てくるのが見えた。

 笑い過ぎて脇腹を押さえた穂高が、居場所を教えるように梁瀬に向かって手をあげた。


「二人ともどうしたの? やけに楽しそうだけど」


 車の後部座席を開けて荷物を積み込みながら、梁瀬が問いかけてきた。


「ちょっと昔のことを思い出してたんだよ」


「そうそう」


 ようやく笑いがおさまって、鴇汰は何度か深く呼吸をすると、腕時計に目をやった。いつの間にか十一時を回っている。

 朝食が遅かったせいもあって、腹は減っていない。


「梁瀬さん、あんた昼飯はどうする?」


「僕は朝がゆっくりだったから、まだおなかは空いてないんだよね」


「そんならもう出ちまって、中央でなにか食っていく?」


「うん、そうしようか。じゃあ、あさっての夜には戻るから。穂高さん、あとをよろしくね」


 そう答えた梁瀬を助手席に促して、穂高を振り返った。


「馬鹿笑いしたら気が楽になったよ。とりあえず前向きにことを進めてくる。なにかあったら連絡入れるから」


「あぁ。わかった。気をつけて」


 鴇汰は運転席に乗り込むと、穂高に軽く手を振って北詰所を出発した。

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