第23話 最後の時間
その夜、麻乃は西区の繁華街でもある柳堀へ出かけた。
家事に関わることが苦手な麻乃にとって、自宅からもほど近く、多くの食堂なども軒を連ねている柳堀は、生活には欠かせない場所だ。生まれたときからずっと暮らしてきた西区の繁華街だけに、知人や顔見知りも多く、両親の友人もいて今でも麻乃に良くしてくれる。
いくつか好みの店もあり、その中の一軒で一人のんびり夕食を食べていると、入り口からにぎやかな声が聞こえてきた。
「なんだ。ここにいたんですか。探しちゃいましたよ」
どかどかと足音が近づいてきて、顔をあげると隊員たちが目の前に立っていた。
どきりとした。見慣れた顔ぶれ……のはずなのに、どこか違和感がある。なぜか、それを言葉にできずに、とりあえず自然な笑顔を浮かべた。
それぞれが口々に腹が減ったの疲れたのと言いながら近くに席を取ると、向かい側に腰をおろした一人が、麻乃の手もとを見て言った。
「うまそうなもん、食ってますね」
「あ……あぁ、うん。うまいよ、これ。なに? あんたたちもこれから夕飯?」
全員が一斉に返事をする。
その屈託のない明るい返事がなぜだかおかしくて、つい顔がほころんでしまう。違和感は一瞬で消え、いつもの温かな気持ちが胸に広がった。
「なんでも好きなものを頼みなよ。今夜はおごるよ。あ、ついでに酒もね。せっかくだし、みんなで一緒に飲もうよ」
麻乃の言葉に隊員たちはわあっと声を上げ、口々に注文を始めた。
食事をし、アルコールも入って気分もほどよくなったころ、誰かがぽつりと言った。
「俺、戦士になってから最初のうちは、緊張で飯も喉を通らなかったんだよな」
「そうそう、俺もそうだった」
一人が言うと、次々とうなずいている。
「あるとき、言われたんですよね。飯くらいちゃんと食べておかなきゃ、体力がもたなくてろくな戦いができないぞ、って」
「だから俺、掻き込むようにして無理やり食ってたんですよ」
「麻乃隊長は、いっつも飯をうまそうに食っててさ、それがすげぇ不思議だったよな」
飲み食いをしながらにぎやかな笑い声をあげる隊員たちを、麻乃は黙って見つめていた。不思議なくらい、温かな気持ちになる。
「それで俺、思いきって聞いたんですよね。なんでそんなにうまそうに飯を食えるんですか? って。そしたら……」
『だって、あたしらが命をかけて守ってる国の人たちの手で、丹精を込めて育てられた素材で作られているんだよ。この国に生きている、植物や動物の命をいただいてるんだ。まずいわけがないよ。それに、そうやって作られたものであたしらは生きていて、さらに戦うための力にもなっている。守ってると思っているものに、本当は守られているんだよ。凄いことだと思わない?』
「そう言われて、目からウロコでしたよ。そんなふうに考えたことなんてありませんでした」
「そう思うと、それからはなにを食ってもうまく感じるようになって、三食ちゃんと食べられるようになったんですよね」
「そんなこと、言ったっけ? もう覚えていないよ」
隊員たちは、懐かしそうに目を細めている。
そのころの記憶が麻乃の頭の奥をかすめたけれど、気恥ずかしくて思い出せないふりをした。でも本当は、はっきりと覚えている。
あのころ、麻乃なりに必死に考えて出した答えだった。戦いの意味を見つけようとして、食事という日常の中にも、その答えを見出そうとしていたのだ。今思い返すと、青臭い理屈かもしれないけれど、それでも彼らの力になれたのなら、それで良いのだと思う。
古い思い出話をとりとめもなく続け、しばらくたったころ、急に全員が立ちあがった。
「本当は今日、太刀合わせをお願いしにこようかどうしようか、みんなで迷ったんですよ」
「でも、こっちにして正解だったよな」
「いろいろと思い出して楽しかったし、飯も酒もうまかったしな」
そう言って帰り支度をはじめている。
「なんだ、みんなもう帰るの? じゃあ、あたしも……」
麻乃も立ち上がろうとすると、隊員の一人がその肩をとどめるように押さえてきた。
「まぁまぁ……俺たちは先に行きますけど、麻乃隊長はあとからゆっくり来てください」
「あぁ……そう? じゃあ飲んでるんだから、気をつけて帰るんだよ」
「たくさん飲み食いしましたけど、あとで怒らないでくださいね」
一人がそう言うと、ほかの隊員たちはどっと笑い、小坂たちにもよろしく言っておいてくださいね、と、入ってきたときのようににぎやかに出ていった。
それを見送ってから椅子の背にもたれると、ふーっと息をはいた。
頭がずしりと重い。
(ちょっと飲みすぎたかな? いや……そんなに飲んでないよなぁ……)
そう思った途端、急速に眠気が襲ってきた。
だというのに、なぜかとても満たされた気持ちだった。久しぶりに、隊員たちとゆっくり話すことができた。戦いのことではなく、日常のこと、思い出のこと。こういう時間こそが、本当に大切なのかもしれない。
まぶたが重くなりながら、麻乃は小さく微笑んだ。明日からまた、厳しい現実が待っているだろう。でも今夜は、この温かな余韻に浸っていよう。そう思いながら、意識が静かに遠のいていった。
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昼前に母親の房枝に弁当を持たされて、修治は車で麻乃の家に向かった。
修治が家の前に着くと、ドアをたたきながら大声で面倒臭そうに麻乃を呼んでいる男の子の姿が目に入った。
「なんだ。道場の坊主じゃないか。どうしたんだ?」
声をかけると、坊主と言われたことにムッとしたのか、ふてくされた顔で振り向いた。
「香川洸です。塚本先生に、今朝、藤川さんが姿を見せないから、今日からの予定を聞いてくるように、と言われました。でもなんかいないみたいで。鍵もかかっているし」
「いない? そんなはずはないんだけどな……すまないが、塚本先生には、明日は中央で合同葬儀があるから、今日からあさってまで中央に戻ってると伝えてくれ。帰り次第、麻乃に顔を出させます、ってな」
「わかりました」
(なんであんたがあの人の予定を決めてるんだよ)
洸の表情がそう言っているようにみえて帰っていく後ろ姿を見送りながら思わず苦笑した。
(なるほど、鴇汰のやつに似ているとはよく言ったものだ)
太刀筋や雰囲気だけじゃなく、きっと性格も似ているんだろう。あのタイプは嫌いじゃないが、どうも修治とは反りが合わない。上着のポケットから鍵を一つにまとめたチェーンを取ると、麻乃の家の合い鍵を出してドアを開けた。
その途端、中からひどくアルコールの臭いがして顔をしかめた。部屋を見回すと、寝室に入ろうとした寸前のところで力尽きて眠っている麻乃の姿がある。
洸のいる前でドアを開けなくて良かったと、しみじみと思う。部屋の中も戻ってから日も浅いのにもう乱雑だ。
(指導する側の威厳もなにもあったもんじゃないな)
近寄って軽く麻乃の頬をたたいた。
「おい、いつまで寝ているんだ。もう昼になるぞ。そろそろ出かけないと着くのが遅くなるだろうが」
麻乃はもそもそと動いて体を起こした。
「頭が痛い……気持ち悪い……」
そう呟いて、また横になろうとしている麻乃の腕を引っ張り、どうにか椅子に腰かけさせると、台所で水をくんで手渡した。
部屋のこもった空気を入れ替えようと、窓を開け放つ。
「おまえ、どれだけ飲んだんだ?」
「ん……ゆうべ柳堀で隊員たちと行き会って……一緒に飲み食いしたけど、あたし、そんなに飲んじゃいないよ」
麻乃はボサボサに乱れた髪をかきあげると、グラスに口をつけた。
「隊員たちって、おまえのところは誰かこっちに来ているのか?」
修治はたまった食器類を洗いながら麻乃の言葉に疑問を感じ、手を止めて振り返った。
麻乃の手からグラスが落ち、まだ中に残っていた水が弾けた。
「馬鹿、なにをやってるんだ」
こぼれた水を拭こうとした手を麻乃がつかみ、なにかを思い出した表情で修治を見上げた。
「違う……あれは、あいつらだ。昨日は不自然だと思いもしなかったけど、うちの部隊のやつらは今、何人か西医療所にいる以外は中央にいるんだった。人数だって、十人どころじゃなかった……来たんだよ、あいつらが」
麻乃の顔が青ざめていく。きっと修治が感じたのと同じ思いを抱いているんだろう。あの温かな時間が、一気に薄ら寒いものに変わった感覚を。
彼らの顔を見たときに、どうして気づかなかったのだろう。心のどこかでは違和感を感じていたのに、あまりにも現実的だったから、それを無視してしまった。
「そうか……おまえのところはそう来たか。俺のほうは太刀合わせに来たぞ」
「太刀合わせにしようか迷って、こっちに来ました、って言ってた」
「おまえの隊員たちらしいじゃないか。なるほどな、それでそのありさまか。おまえ、当てられたな?」
麻乃は両手で顔を覆ってため息をついた。
今朝、目が覚めたときの修治と同じ反応だ。現実の隊員たちだったら、どんなに良かっただろう。でも、それは叶わぬ願いだ。
修治も同じだけれど、麻乃は特にいろいろと思うところがあるのだろう。
「そうかな? ちょっと長めの時間、いたからかな」
麻乃は言葉を濁したが、その表情には寂しさが浮かんでいる。
「まぁ、あの人数だ。仕方ないだろうよ。俺だって気づいたら、あちこち打ち傷があったからな」
ひどい頭痛と眠気で起きているのが辛いと麻乃は言う。
それでも出かけなければならないので、無理やり立ち上がらせると、シャワーを浴びて、急いで身支度をするように言い含めた。
ノロノロと麻乃が支度を始めたあいだに、部屋の中を片づけて待つことにした。




