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薄明光線  作者: 田中利明
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9.現代5章

小さな光が尾を引いて宍道湖から打ちあがった。つかの間の静寂の後、複数の爆発音と共に夜空に多くの大輪の花が咲いた。

様々な形状、色取りの花火は、宍道湖の湖面にも映し出され、湖全体が、眩いばかりの光で覆われた。

宍道湖に浮かぶ仕掛け船からは、休む間もなく、次々に花火が打ち上げられ、夜空一面に花畑の情景を描いた。

長年待ち望んだその景色を、彩音は、言葉を忘れて見入っていた。簪は、胸に抱くように両手で包まれている。


「一昨日、蔵の中でこの簪を見つけたんです。その日に、おばぁちゃんから、おりんさんの話も聞きました。」

彩音は、しばらく花火に目を奪われていたが、やがて話し出した。

「おばぁちゃんも、お義母さんから聞いたって言ってました。

きっとずっと、何代にも渡って母から子に語りついできたのかなって思いました。

ご先祖様と神様の恋のお話。すごく素敵なお話。」

彩音の手元の簪には、花火の景色が映り込んでいる。

雪の結晶のような模様に、淡く反射した花火の色が合わさり、幻想的な色彩となっている。

「だから、この簪も、もしかしたら、おりんさんの物かもしれないって思ったら嬉しくて。大事に使おうって思いました。

そして、今日、不思議な体験をしたんです。

突然、江戸時代の景色が目の前に広がって、その世界に、私一人だけが放り込まれました。

すごく怖かったけど、同時に懐かしいって気持ちで心がいっぱいになったんです。」

彩音は、視線を忠治に向けると、僅かに力を込めて言葉を続けた。

「そんな世界で、一人のお侍さんに会いました。その人は、忠治さんと同じ顔をしてました。

そしておりんさんが恋をした神様の名前は、風見忠治。」

忠治は、小さくため息をついて彩音を見返した。

「参った。お察しの通りだよ。」

彩音が抱いている簪を見つめた。

「その簪だけど、間違いなくりんの物だ。俺が作ったんだからね。見間違えるわけがない。」


「りんに別れを告げた時、俺は、自分に残った力の全てをその簪に移したんだ。少しでも、りんを守る力になればと思ってね。」

「おりんさんには、不思議な力があったって聞きました。病気や怪我を治したり、失くし物を見つけたり。」

忠治は、小さく頷いた。

「きっと簪の力に気づいて、上手に使いこなしてくれたんだね。」

少し寂しそうな笑顔を見せる。

「150年以上も眠って、俺は最近、やっと目を覚ましたんだ。その後は、躍起になってりんを探した。

もう居るはずがないって、分かっていたのにね。

一つ、気がかりだったのが、りんが約束を守ってくれたのかって事だった。

約束したんだよ、俺との思い出に縛られずに、誰かとまた恋をして子を作り、幸せになってくれってね。」

忠治は、少し息をついた。

「だから、りんの子孫を探そうと思った。りんが約束を守ってくれたのかは分からない。りんの子孫が今も居るのかも分からない。

けれど、できるならばもう一度人の姿で生まれて、りんの血をひく人と話しをしてみたいと思った。

大勢の中から、りんの子孫を探し出すなんて、どだい無理な望みだと思っていたけど、今日、それが叶った。」

彩音は、手の中の簪をしばらく見つめていたが、はっと気づいて忠治を見た。

「忠治さんが簪に残した力で、簪に思いを記録したり、再生するといった事はできますか?」

忠治はしばらく考えていたが、頷いて答えた。

「使い方次第だけど、きっとできると思うよ。」

やっぱりと、彩音は呟いた。

「今日、私に起きた事、私は白昼夢だと思っていたんです。でも、違った。私は知らずに簪の力を使っていたんです。

この簪には、おりんさんの想いが記録されている。私は、簪の力で、簪に込められたおりんさんの思い出を見ていたんです。」

彩音は忠治に簪を差し出す。

「一緒に、簪に触ってください。おりんさんからのメッセージを見つけました。」

忠治は、彩音の手から覗いている簪の頭を、そっと自分の両手で包んだ。

りんの画像が、彩音の手を伝わって流れてくる。


「忠治様。」

忠治が知っている姿より、少しだけ成長したりんが見える。彼女は簪に話しかけているようだ。

「忠治様、あれから、3年が経ちました。

りんは、明日、好きな人のところにお嫁に行きます。お約束を守るのに、ちょっと時間がかかりましたね。

やっと、忠治様の簪にも、お話が出来るようになったんです。

実は、あの嵐で・・・、私達は、忠治様だけでなく、両親も失いました。

父と母は、寺町の手前で、倒壊した家屋に巻き込まれたのです。

私と亀七は、どうしたらいいのか分からなくて、毎日泣いてばかりでした。私は、何度、忠治様のお名前を呼んだか・・・。

でも、そんな私と亀七を、近くの乾物屋さんが引き取って下さいました。

私達が子供の頃から、優しくしてくれた人なんです。

まるで、本当の子供みたいに、私達を育ててくれました。」

りんが、小さく笑顔を見せてくれる。


「りんの旦那様になる人は、りんと亀七を引き取ってくれた、この家の息子さんです。

すごく優しい人、だから安心して下さいね。それから・・・」

りんの目から、涙が溢れてくる。

「りんは、今でも、忠治様の事を想っています。

でも、この想いは、りんの心の中に大事にしまって、前に進む事にしました。

これからは、家族の事を想って、幸せな家庭を作っていこうって思ってます。

この気持ちの整理がつくのに、すごく時間がかかっちゃった。」

涙がりんの頬を伝う。

「きっと幸せになります。だから、安心してくださいね。

そして、いつの日か、忠治様がお目覚めになった時。忠治様も、また誰かと幸せな時を過ごされるといいなと思っています。」


「りん。」忠治は天を仰いだ。両目からは涙が零れている。

「ご両親を亡くしていたなんて、知らなかった。きっと、途方も無い寂しさだっただろう。そんな時に、側に居てあげられなかった。」

彩音は簪を忠治に差し出した。

「これ、忠治さんが持っていた方がいいですよね。お返しします。」

忠治は、ゆっくりと首を振った。

「いや、その簪は、りんが君達に残した物だ。君達に使ってもらうのが、りんも喜ぶだろう。

それに、俺も、りんの子孫が今でも持っていてくれるなら、嬉しい。」

忠治は、彩音の両手を握り締めると続けた。

「こんな日が来るなんて思ってなかった。君に会えて良かった。ありがとう。」

すると、二人の背後から声がかかった。

「ああ~っ!!」

見ると、美緒が2人を指差して立っている。

「彩音ぇ、お前、姿が見えないから心配して来て見れば、こんな所で男と逢っていたのかよ。」

美緒は、忠治の涙に濡れた目に気づいた。

「あれっ、彩音、お前。振っちゃったのか。」

忠治は、慌てて彩音の手を離した。彩音も慌てて両手を振った。

「美緒さん、違うんです。下駄です。下駄の鼻緒が取れて、忠治さんに助けてもらってたんです。」

しかし美緒は、彩音の言葉を聞いていないようだ。彩音にかまわず、スマートフォンで電話を掛けている。

「あっ、菜々美ぃ。彩音発見。でも、駄目だ。修羅場だわ。」

「美緒さんっ!!」


翌日、彩音と忠治は本家の近くの林の中に居た。

彩音の右手には、簪が握られている。

「俺の力は、ミクロなレベルで物を動かす能力なんだ。」

忠治は説明を続ける。

「昔は、漠然と使っていた力なんだけど、今はちゃんと説明ができる。

人として教育を受けて、目から鱗が落ちたようだった。人間の力はすごいね。」

例えばと、忠治は続ける。

「昨夜、ペットボトルの水を、彩音さんの傷口に掛けたよね。あの時、水が傷口で泡だっていただろう?」

彩音は思い出しながら、こくこくと頷く。

「俺は、水から、過酸化水素水を作っていたんだ。」

「ん?」彩音は、首を傾げる。

「水の化学式はH2Oだね。その原子を一旦ばらして、H2O2を作ったんだよ。

水素分子 H2+が余るんだけど、水素は空気より軽いから、ペットボトルの口から出て行った。

ペットボトルにはH2O2と電子2個、2e-が残る。」

彩音は、昨夜感じた水の感覚を思い出した。学校の保健室に常備されていた、オキシドールと同じ感覚であった。

オキシドールは、過酸化水素水を3パーセント程度に希釈(きしゃく)した消毒液だ。

彩音がその事を伝えると、忠治は嬉しそうに何度も頷いた。

「あの~。」彩音は手を挙げる。

「はい。彩音さん。」

「その、水を一旦ばらすとか、H2O2を作ったっていうのは、どうやったんですか?」

忠治は少し困った表情を浮かべると応えた。

「普通だと、電気分解だったり、酸化剤を使った酸化還元反応を起こさなければいけないね。でも、そこは神の力。」

「え~っ。」

「納得できないかも知れないけど、しょうがない。そういう能力なんだもの。例えば、これ。」

忠治は、手に収まるくらいの金属の円柱を出した。

「ただの鉄製の円柱だよ。昨夜の内に作った。」

忠治は、円柱に意識を集中させる。細かく振動したかと思うと、白い光が円柱から伸びた。

「わ~、伸びた。」

「原子よりもっと小さい、原子核のレベルで分解してみた。電子を分離して、陽子と中性子だけの陽イオンを作ったんだ。

分離した電子は一旦外に飛び出して、また円柱に戻るようにした。

電子が戻った所の原子は、一時、電子の数が多くなって陰イオンとなるんだけど、増えた分の電子は、

電子のない陽イオンに移動されるから、最終的には元に戻る。

つまり、鉄をプラズマ化させて、電子をぐるぐる回しているイメージだね。」

彩音は唖然として見ている。

「要するに、電気の流れだよ。はい。まずはこれを出来るようになってもらうよ。」

「えっ?」

「イメージをするんだ。原子の中の電子や陽子、中性子。イメージができたら電子だけを動かしてみる。」

忠治は、彩音に鉄の円柱を渡した。

彩音は、しばらく困った表情を浮かべていたが、やがて意を決したように目を瞑ってイメージを作り始めた。


1時間後、彩音の持つ円柱から1cm程の光が出るようになった。忠治は、それを見届けると言った。

「はい。それじゃ、一旦休憩にしようね。」

「ふぅ~っ。」

彩音は深く息を吐き出した。忠治は笑いながら、手荷物から出したペットボトルのお茶を彩音に渡す。

「あっ、ありがとうございます。」

彩音は、さっそくキャップを開けると、喉の渇きを潤した。

普通のリュックから取り出したはずなのに、お茶はよく冷えていた。これも神の力かしらと思う。

「少し、前進したね。でも、りんの記憶に取り込まれないようにするには、簪の制御をもっと練習しないとね。」

昨夜、彩音は忠治に、簪に込められたりんの記憶を無意識に読み取ってしまった事を話した。

彩音はそれを、白昼夢のように感じたのだ。

忠治は、簪の力が制御できていない状態は、彩音にとって危険だと思った。

そしてしばらく考えた後に、簪を制御するための訓練を提案した。彩音にとって、それは嬉しい申し出であった。

「聞いてもいいですか?」

「何?」

「なんで、今回も、風見忠治って名前にしたんですか?

私みたいに、おりんさんの話を知っている人がいたら、もしかすると、忠治さんが神様だって気づいてしまうかもしれないでしょう?」

う~ん、と忠治は少し考えると話し出した。

「人として生まれるならば、同じ名前にしようと思っていたんだ。

りんとの思い出がある名前だしね。それに、りんの子孫にだったら、俺の正体がばれてもいいかなって思っていたんだよ。

昨夜は、内緒にしてもらったけどね。」

昨夜の事を思い出したのか、忠治は少し苦笑いを浮かべた。


昨夜は、忠治も彩音と一緒に、菜々美達に合流する事になった。

美緒への説明は一苦労ではあったが、実際に下駄の鼻緒が外れていたので、最後には信じてくれたようだ。

ただ、忠治の正体は伏せておいた。

彩音が忠治を皆に紹介した時、菜々美と美緒は、忠治の名前が、りんの話に出てくる神と同じだと気づいたようだった。

しかし、偶然の同姓同名なのだという雰囲気を醸し出すと、何も聞いてはこなかった。

忠治が、島根大学の3年だと言うと、美緒の目が光った。

「という事は、成人はしているのね?」

「はい。21になります。」

「そうか、私と同い年か。あんたとは一度じっくり話をしたいと思っていたのよ。今度、酒持って遊びに来なさい。」

「そりゃいいな。俺、悠人っていうんだ。年齢は忠治君と美緒の一つ上になるんだけど、仲良くしようや。」

美緒と悠人に肩を組まれて、忠治は目を白黒させていた。


少し気の毒に思いながらも、美緒に詰め寄られて狼狽する忠治の姿を思い出して、彩音は吹き出した。

「ごめんなさい。神様でも困ったりするんだなって思ったら、可笑しくて。」

忠治も、笑いながら頭を掻いた。

「なんというか、とてもフレンドリーで、素敵なご親戚だね。あまりにも直ぐに親密に接してくれるから、最初は驚いたけど、楽しかったよ。」

「忠治さんは、ご両親は居るのですか?」

「もちろんいるよ。人として生活を送りたかったから、戸籍もちゃんとある。

でも実は、今回の俺の両親は人じゃない。俺に仕えてくれている物がいてね。彼らに両親の役目を頼んだんだ。」

今回の、という前置きが気になった。りんと過ごした時は、違ったのだろうか。

だが、りんとの事を興味本位で聞くのは、彼らの思い出に軽々に踏み込むようで憚られた。

「忠治さんに仕えている物って、神社の狛犬のような存在ですか?」

「そうそう。俺、一応、神だからね。」


昼頃になると、彩音はだいぶ簪の制御を覚えていた。鉄の円柱からは、忠治と同じくらいの光が出ている。

「かなり、制御ができるようになったね。今のは、かなりの電流が作られていたよ。」

忠治は満足げに頷いた。

「この力には、制限がある。対象が、有機物や無機物の違いだったり、気体や個体、液体といった状態の違いでも制限に違いが出てくる。

でも、今日はこれくらいにしようか。力の制限については少しずつ説明するよ。とりあえず、明日も、引き続き制御の練習だね。」

「はい。ありがとうございました。」

「今日は、水郷祭の2日目だね。今日も行くのかい?」

「はい。美緒さんと、石見神楽を見るんです。その後で、花火も。もし良かったら、忠治さんもご一緒しませんか?」

「ありがとう。この後、午後から少し店に出るのだけれど、花火が始まる夕方には、宍道湖に行くようにするよ。」


本家に戻ると、菜々美と美緒が居間で何かを話し合っていた。2人とも真剣な眼差しをしている。剣呑な雰囲気を感じたが、

彩音に気づくと途端に笑顔になった。

「あっ、彩音。戻ったね。」

「彩音ちゃん、お帰り。」

「ただいま。何かありましたか?2人とも、怖い顔してましたよ?」

「あっ、何でもないの。それより、今日は昨日より早く出るわよ。お昼は、宍道湖の近くのお店でいいよね?」

「さて、そろそろ着替えようぜ。」

そそくさと居間を出る2人を見て、訝しく思い首を傾げた。

「彩音、急げ。今日は、私達だけで浴衣の着付けをするんだから、時間かかるぞ。」

美緒に急かされて、彩音も居間を後にするのだった。

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