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『階段上の悪意』
誘拐事件が起きた数日。
それは犯人とのもみ合いで軽い怪我を負った母親と共に、病院に来ていた時だった。
医者の人の言葉を聞くのが嫌だったので、ついてきたというのに意味もなく離れた場所に移動していた。
あたしは、未利とも織香とも呼ばれる人間は、物思いに沈みながら院内を歩いてく。
上へ上へ向って行って、数日前に起きた出来事の事を考えこんでいた時。
うつむいたまま、階段を上っていたので目の前に誰かが立った事に気が付かなかった。
「……え?」
どうして予想できただろう。その次に起きる出来事を。
結論としては、衝撃がして、誰かに突き飛ばされて体が浮いていた。
一瞬の間の後に待っているのは落下だ。
「……っっ!」
声にならない悲鳴を上げながら階段を転げ落ちる。
一番下まで落下していったがすぐには動けない。
体中が痛かった。
結構な音がしたと思うのに人は来ない。
「……」
苦痛に表情を歪め乍ら、階段状を見やるとそこに数人の老人たちが立っていた。
老人と言っても、か弱い印象はまるで受けない。
むしろ底知れない感じを、気味の悪い印象を受ける。
彼等は、階段を降りて来て、こちらの襟首を掴んだ。
そして引きずる様にこちらを連れて、今しがた転げ落ちた階段を上って意気、上へと運んで行こうとする。
訂正だ。
気味が悪いなんて生易しいものじゃない。
現れたのは不気味で得体の知れない者達だった。
「……っ、ぁ……」
抵抗しようとするが、体は動かない。
痛みで、まともに行動できなかった。
老人達から声がかけられる。
「逃げ出した日鳥風夏はどこだ」
そんな人、知らない。
「お前を誘拐しようとした犯人はどこに行ったと聞いたのだ。知らないはずはないだろう。娘なのだから」
「……っ?」
今、なんて言ったのか。
言ってる事の意味が分からない。
その人なら死んだ。
目の前で。
でも、あの女の人が……?
娘ってどういう事?
「教えれば父親に会わせてやる」
「!」
この人たちは自分の本当の両親を知っている?
引きずられたこちらは再び階段の上にいる。
「言わないのなら……」
「!」
突き放された。
衝撃。
「ぁぐっ」
再び上から突き落とされたのだ。
それからは、その繰り返しだった。
彼等は彼等の望む答えを言うまで、その行動を繰り返すつもりの様だった。
そんな事をされても、何が望む答えなのか分からない。
彼らが何を目的としているのか、どういう連中なのかなんてもっとだ。
何度も何度も、何度も。突き落とされる。
階段上からの悪意は尽きる事を知らないようだった。
まともな人間じゃない、とそう思う。
「言え、教えろ。なぜ何も言わない」
「……」
分からない事だらけだった。
どうして両親の事を知っているのか、どうして両親を探しているのかとか……。
けれど、分からない中でも分かる事はある。
それは、この人たちにその情報を教えてはいけないと言う事。
誰が危険になるとか、何か大変な事が起きるとかそう言う事じゃない。
もう、あの人は安らかに眠るべきだと、そう思ったからだ。
もし、思った通りの人なら、こんな結末は悲しすぎる。
自分が何かを言ったせいで、これ以上あの人の事を彼らに汚される事になるのは、たまらなく嫌だった。
「何でって、そんな事も分かんない? ……それは、あたしが……あなた達の事が大嫌い……だから、だよ」
衝撃。
「っ……ぅ……!」
体中が痛いどころじゃない。
どこもかしもも苦痛があり過ぎて、逆にその痛みの感覚が特別な物だとは感じなくなっている。
「おやおや、駄目じゃないか。そんなやり方可哀想だろう」
「……さ、りゅ……ぅ……?」
彼らの好意を止めたのは少年の声。
現れたのは、孤児として同じ場所で育ったことのある子供だった。
砂粒は再び突き落とそうとする所だった彼等の腕を下げさせた。
そして、
「そうやって放り投げる様に落としちゃ駄目だよ、ちゃんと顔を下を向けて落とさないと。じゃないと恐怖をあまり感じてくれないだろう?」
こちらの襟首を掴んで、再び階段下へと放り投げたのだった。
「っぁ……! ……っっ!」
「この子は、普通のやり方じゃ死なないんだから、壊すなら体じゃなくて心の方を考えなくちゃいけないよ」
足音が近づいてきた。
降りてきた。
顔を覗き込まれる。
「日鳥風夏と会ったんだってね? 良かったじゃないか、本当の両親に出会えて。何かもう狂っちゃって、普通の人間じゃなくなっちゃったみたいだけどさ。向こうは君の事をずっと気にかけてたんだね」
「……ぅぅ、ぁぁぁぁっ」
跳ねる様に相手の喉元に食らいつこうとした。だが、それは避けられて叶わない。
「哀れだな。実の娘を探して結局は、まともな時間を触れ合う事も出来ずに死んでしまうなんて。何て滑稽なんだろう、ああ可哀想に」
言わないで。語らないで、傷付けないで。
あなたの言葉で語られると、存在が汚れていく気がする。
嫌い。大っ嫌い。
「ねぇ、教えてよ。彼女は最後どうなったの? 死んだらしいよね、どうやって? 君が殺したの? それとも偽物の両親が? 自滅? もしそうだとしたなら、そうだな……話してくれれば僕が、君の耳元で大嫌いな彼らの事を嗤って騙ってあげるからさ」
全部、あなた達がやったんだ。
あたしの、あたし達の日常を壊したんだ。
その張本人が目の前にいる。
なのに、自分は何もできない。
無力だ。
くやしくてたまらない。
引きずられる。階段の上へと運ばれる。
そしてまた、落とされるのだ。
痛い。きっと。すごく痛い。
今までだってそうだったから。
それでも喋ったししない。
誰にもあの人の最後を汚させはしない。
傷つけさせやしない。
だけど……。
「……す……て」
「ん?」
けれど……。
「た……て。み……ぁ、ぃ……」
たすけて。
そう思って、ここにはいない知らないはずの誰かの名前を呼んでいた。
その名前さえ呼べば、もう大丈夫だと、もう安心できると、そう思ったからだ。
「あっそう」
宙を舞う。
そして、落下。
でも、でも知ってる。そう、知ってる。なぜか分からないけど、知ってしまっているのだ。
その人はここにはこない。
存在しない人だから。
どんなに辛くても、大変でも、悲しくても、来てくれる事など、絶対にありえない事なのだから。
ここは可能性皆無の、ゼロの世界だから。
信じてた、信頼してた。いつだって助けてくれた。でも……。
もう二度と、その人はこの世界で助けてくれないと言う事が分かってしまった。思い出してしまった。
落ちる。
床が……近づいてきていた。
「織香、織香!」
心配される声で目覚めた。
両親に覗き込まれている。診察が終わって娘の姿が見つからないから探していたのだろう。
周囲を見回す。どうやら病院の廊下で倒れていたみたいだ。
起き上がるが、体が痛い。
あたしは、……アタシはどうしてこんな所で倒れていたんだろう。
何かがあったような気がするのに、思い出せない。
「織香!」
ただ……。
「触んないで」
振れる手を払って思う。
「おり、か……?」
アタシはこの人達が嫌いなのだと、そう思った。
心の奥深くで眠ってしまった彼女の代わりに生まれた、アタシの役目は、彼等を嫌う事なのだと、そう……思ったから。




