444
『誘拐事件』
小学校の授業が終わった帰り道。
雨降りの天気。傘をさした児童がそれぞれの方向へ足を向け、家へ向かって行く。
足取り重くその道を歩く、一応未利と名前のついた七歳の少女は考え事をしていた。
自分が消えていくような間隔がする。
自分は一体誰なんだろう。
方城、織香……?
ううん、違う。
けれど時々分からなくなりそうだった。
誰もが生まれてすぐ与えられる、親からの名前はなくて、安心していられる居場所から追い出されて、要らない存在のままで生きてきた。
少し前は、新しい親ができて姉が出来て家族がいた。
これが自分だと言える名前だってあった。
けれど、また分からなくなった。
姉が死んで両親がおかしくなった。
得た物が零れ落ちて、必要とされたはずの人間は再び要らない人間へと戻ってしまった。
自分は、自分ではない誰かの代わりとして生きている。
こんな人生に意味があるのだろうか。
そんな少女が生きている事に意味があるのだろうか。
雨の日の通学路。
ただでさえ人通りの少ないところで、さらに人のあまり通らない道にさしかかる。
ふと騒ぎに気が付いた。
目の前で一人の女の人に、子供が攫われそうになっていたのだ。
女の人は泣き叫ぶ少女を捕まえて、どこかに連れて行こうとしている。
今まで考えていた事も忘れて自分はそれを止めようとした。
結果として、その抵抗は意味を成したのだが、けれどそれは事態を解決には導かず、新たな問題を一つ発生させるだけとなってしまった。
連れ去られようとした少女の代わりに捕まってしまっただけ。
けれど、そんな姿を見つけたのは、自らの両親だった。
雨の日の傘を学校に届けに来る途中だったようで、傘が地面に転がり落ちている。
ぬけている。今日ちゃんと持っていったのに。
彼女は、私の……私につけられた私のものでない名前を呼んで娘を返してくれと言う。
けれど、誘拐犯は答えない。
「私の子供、私の娘、娘、娘。あなた! あなた! いないわ、あの子が! ……ああ、ああああああ」
まともな人間のようではないようだった。
そのうちに、両親と誘拐犯はもみ合いになった。体勢をくずした犯人から解放された私を取り返そうと、両親は手を伸ばすが、それは犯人も同じだった。
「ああ、ああああああ返してっ、返してっ! 私達からとらないで、……子供を返して、お願いよ、お願い……。どうして、私達がなにをしたっていうの。返して返して返して返して……」
「貴方の子供じゃありません、私の、私達の子供です。やめて!」
二人共泣いていた。
二人共傷ついていた、ぽっかりと開いた心を埋めるための偽物を手にするだけに。
そして、その後の顛末は悲劇としか言いようがないだろう。
両親は誘拐犯の持っていた凶器で怪我をして、誘拐犯はかけつけた警察の手によって死亡した。
ただ一つ。
命の火が途切れる瞬間に誰かの名前を呼んで、その誰かの幻を見て、その光景にある誰かの無事に安堵したらしい誘拐犯の女性の表情が忘れられない。
その瞳が、凄く優しそうにこちらを見ていた事が。