“あたし”の今世
決行の日は来た。
今日は療養に来ている別荘に、婚約者のリーゼロッテが来る日だ。
夜になって部屋に訪れたリーゼロッテは、窓を開けて風に煽られ、窓の外に落ちてしまう。
そして、侵入していた人物に偶然助けられ、リーゼロッテはそこから派閥戦争へ巻き込まれていく。
その侵入者とはクラウス・エルトル。
つまり『双頭世界の竜槍者』の第一話が、今まさに始まろうとしているのよ!
ここの運命をねじ曲げてしまえば、婚約者をかけた対決は起こらないし、そこから起こる負け戦にも繋がらないはず。
それとあと一つ。
あたしには狙っているものがある。
絶対に逃さないんだから。
そうこうしているうちに、リーゼロッテが部屋にやってきた。
イスに座って黙ったままのあたしに堪えかねて、リーゼロッテが窓の方に行く。
「少し空気を入れ換えますね」
リーゼロッテが窓の鍵に手をかけた。
ここよ!
あたしは素早く立ち上がると、窓に向かって走った。
リーゼロッテの後ろに立ち、リーゼロッテを囲むようにして窓に手を突いた。
「え?」
リーゼロッテが困惑した顔でふり返る。
「もらったあああ!」
「……え?」
あたしの叫びに眉を寄せて怪訝な顔をしたリーゼロッテを、肩を掴んで窓からどかし、あたしは勢いよく窓を開けた。
すると、ちょうどよく強風が吹き、あたしの身体が前に押し出される。
「ジークベルト様!」
リーゼロッテの悲鳴が聞こえる。
ごめんなさいね、リーゼロッテ。
あたしの身体が窓から投げ出され、宙に浮く。
あたしは背中を下に向け、落ちて行く中、目を閉じた。
恋は。
いつでも。
サバイバルなのよ!
あたしに地面へ衝突した衝撃は来なかった。
代わりに、何かにぶつかった軽い衝撃と、固くてしっかりした暖かいものに、キュッと包まれているのが分かった。
あたしはゆっくりと目を開く。
まず目に入ったのは、澄んだブルー。
青色の瞳だった。
そして、筋の通った鼻と薄めの唇。
短く切られた青色の髪。
無駄のない鍛えられた筋肉。
あたしが青色の瞳を見つめると、その瞳が戸惑いがちに揺れた。
「だ、大丈夫か?」
ずっと聞きたかった低い声が、あたしの耳をくすぐる。
あたしはその声をもっと聞きたくて、さらに青色の瞳を見つめた。
「え、えっと……」
青色の瞳が右へ左へと大きく動く。
あたしはその瞳を追いかける。
そこへ、新たな男の声が割って入った。
「おい! 何しているんだ! ……本当に何をしているんだ?」
もう!
無粋なやつね!
「そ、それが……」
見つめていた顔が、新たな男に応対するために、上を向いてしまった。
ああん。
もっと見つめ合っていたかったのに。
「侵入がバレた。急いで逃げるぞ」
前世で『双頭世界の竜槍者』を読んで、ずっと大好きだったエルトル様が、男に腕を引っ張られる。
ここは出会いだけでいい。
出会いだけでいいのだけど……。
目の前に餌を出されているこんな状態で、我慢出来るわけないわ!
あたしはエルトル様に抱きついた。
服越しでもしっかり鍛えられているのが分かる身体つきだった。
まさぐる手が心地良い。
「今は捕まるわけにいかないんだ!」
男がそう怒鳴り、あたしの腕の中からするりとエルトル様がいなくなってしまった。
エルトル様は男に引きずられるように引っ張られ、夜の闇の中に消えていった。
あたしは一人その場に残される。
「ふふふ。まあ、いいわ」
これでエルトル様はリーゼロッテと出会うことなく、あたしがリーゼロッテを賭けてエルトル様と戦うこともなくなる。
戦争になっても因縁の対決フラグは立たず、あたしがエルトル様に殺されることもなくなるはず。
そして、一番重要なエルトル様との恋愛フラグも手に入れた。
これがあたしの一番の狙いだった。
死亡フラグより大事だったと言ってしまってもいい。
前世では『双頭世界の竜槍者』を本が擦りきれるまで読んだ。
それぐらいエルトル様が大好きだった。
そのエルトル様が、あたしの前に現れた。
このチャンスを掴まずして、なにを掴むというのか。
あたしはエルトル様と恋に落ちる。
絶対に落ちる。
これから現れる全ての恋愛フラグを手中にするわ。
あたしはあたしの性別が男だからって諦めない。
前世もそうだったのだから。
オカマの底意地を見せてやるわ!
正ヒロインへの成り上がりの始まりよ!
あたしは夜の闇へ消えていったエルトル様の姿を思いながら、握りこぶしを作ってそう決心した。
end