5.ひょうたんから駒とか冗談じゃない
彼の名は、スタンフォード・モンスター……もちろん、本名などではない。スタンフォードというのもちゃんとした名前じゃない、彼が生まれた土地の名だ。本来継ぐべき名前があるのに、彼の母は教会に多額の献金をし、家から除名した上で、このふざけた名前を承認させた。
名前は、だから、自己紹介された時だって、呼びかけるときだって、一度たりとも呼ばなかった。
「私の騎士」と言えば大体通じたし、呼びかけるときだって「あなた」か「ねぇ」で事足りたから、忌諱すべき名前なんて絶対呼んでやらなかった。むしろ、彼をモンスターと呼ぶやつがいたら、睨みつけてやったぐらいだ。
彼の母は、今も教会の片隅で祈っているという……いったい何を祈っているのやら、理解したくもないのだけれど。元は貴族の令嬢であったという彼女は、魔物に魅了されて彼を生み落とした。生まれながらに人と異なるところがあり、日に日に異常さが際立つ彼を見て、彼女は狂っていったのだそうだ。たかだか半月で育児放棄し、教会に身を寄せ、俗世間からの接触を絶ったのだとか……そりゃ、私には子育ての苦労も何もわかりゃしないけれど、そんな母親の事情を教えられて、まず、私は、そいつをぶん殴ってやりたくってしょうがなかった。
モンスターだから、化け物だから、彼は教会に登録され、国に管理され、一切の自由も拒否権もなく、聖騎士という位に祀り上げられた。……化け物だからこそ、外を闊歩する化け物に対抗するために、洗脳まがいの教育がほどこされ、万が一のための枷が付けられ、魔物討伐の特別な騎士に設えられた。だから、異世界から現れた巫女である私の、一番側にいてくれた。
そんな事情も初っ端に教えられて……彼の外見があまりにも好みだったとか、その憂いを持った瞳にぞくぞくきたとか、そんなものは、本当はどうでもよかった。私が一番に欲したのは、「助けてくれとは言えない」擦れがちの声でぽそり呟いた言葉が、逆に「助けて」って縋っているようで……彼の安息、それこそが一番の切望したものだった。ただ、彼がゆっくり寝ていられるようあるのなら、巫女に祀りあげられようと、その力を便利使いされようとよかったんだ。
故郷に戻れなくったっていい、むしろ、彼の側にいたいから戻りたくない。どんな風に利用されてもいい、彼が幸せになれるのなら……いや、それは、欺瞞だ。私は、彼の側にいたくてしょうがない。私が王妃にでもなれば、彼の立場を変えさせ、彼の名前を変えさせ、いくらだって力をつかって変化をもたらすことが出来るのに……それはできない。彼の側で、ただ……触れる事すらできなくとも、時折浮かべる苦笑や、ため息交じりの微笑みでいいんだ……見ていたいんだ。
側にいたいんだ、守りたいんだ、その力もないくせに、その力を手にすることもできないくせに、ただただ、あがいているだけのくせに……愛したいんだ。
「う……あぁああああっああっ……ぐあぁああ」
その悲鳴は、彼がモンスターだからこそのものなのだろう。地面に蹲り、押さえつけていた兵士たちを振り払い、髪を肌を掻き毟り、何かに耐えんとしているよう。背中が不自然に膨れ上がり、額からは皮膚を突き破った角が現れ、そこかしこ覗く肌には刺青のような文様が浮かんでいた。
これは、なにも聖別の儀式で本性が現れたというわけではないのだろう。もしもそうならば、巫女として歌っていた時期、もう少し何か反応があっていいはずだ。でも、彼は、眉を顰めはするものの、一度だって席を外したり、苦しそうにして見せたことはなかった。そう、聖なるものへの耐性はある……子どものころから、それこそ拷問紛いになるほど、聖なるものへ触れさせられてきたのだから……苦しもうと嫌がろうと、常に聖なるものの隣に置かれてきたのだから。
ならば……化け物としての力が強くなったか……つまりは、魔王が現れたせい。
つい先ほどまで、既に現れたという魔王の影響はなかったが、そこで儀式が引き金になったという可能性はあるだろう。魔王が儀式に気がついて、さっきまでほっといたものを気にかけたか、それ以外の理由があるのか……いや、それも想像に過ぎず、本当のところはわからない。
だけど、今、彼が苦しい状況にある。それだけは理解できたのに、私には、彼を助けることもなだめることもできなかった。
火柱の如き、禍々しい黒き影が彼を覆う。背中からは飛膜を持った大きな翼が、天井や壁に阻まれながら、せまっくるしそうに広がっている。あふれていた血は、既に乾き跡形もない。その代わり、何の素材で作られているのかわからないが、黒く恐ろしい鎧が彼の身を包んでいた。
変化がひとしきり済んだところで痛みから脱したか、呆けたような表情で己の手を見つめる彼の表情は、ここ数日見慣れたもので……一瞬、あ、なんだ、姿かたちが変わったところで、彼はなんら変わらないんだ……なんて、のんきなことを考えてしまった。
「あ……はははっ……はっ……これは、まるっきりモンスターだ」
側にいる兵士たちが身じろぎもしないのは、彼の姿が恐ろしいからか、その恐ろしさとは真逆の彼らしい表情にほだされたか……。
「どうやら……魔王となられたは我が父らしい……生まれてこの方、ずっとほったらかしておきながら、都合よくこの身を必要とされたか……ははっ……今更、親子の縁でもって……こうして繋ぎ、己の眷属としようというのか……はっはははっ、ははははは……」
なんだか寂しげな、そしてうつろな笑いが響いたかと思うと、彼は、まるで地団太でもふむように床を踏み抜き、翼を羽ばたかせ窓ガラスを叩き散らした。
狭いとはいえぬ室内に、ひしめき合ってたというほどではないにしろ集まっていた者たち、王といえど神官長といえど同様に、必死に地べたに這い蹲る。
私も同様に、暴風に吹き飛ばされそうになった体が王により床へ押し付けられ、半ば抱きこまれるように倒されていた。荒れ狂った風は呼吸が苦しくなるほど、床に押し付けられた肩は痛み、つかまれた腕は握りつぶされてしまいそうにありながら……ああ、このオヤジにも、私を守ろうという気はあるのだなと、あまりにあさってなことを考えていた。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!」
おそらくはじめてだろう、怒りの発露。悲鳴じみたその言葉に顔を向けると、彼は駄々でもこねる様に、その異形な姿で暴れていた。どんなにないがしろにされようと、どんなに不当な扱いを受けようと、むしろ堪えて人を傷つけることを恐れていた彼。被害は甚大だというのに、その姿は、恐ろしさよりもむしろ哀れみを誘う。
私が強ければ、抱きしめてなだめることもできたのだろうか。私がすばやければ、せめてこの場から逃げ出すことくらいはできたのだろうか。私が賢ければ、こんな事態に陥る前に何か手を打てていたのだろうか。
でも、何もない私は、ただ、彼を見つめることしか出来ず、伸ばされた手に、王の手を振り払って縋りついた。
彼は、ガラスの割れた窓辺より、辛うじて残る華奢な窓枠を突き破り、私をつかんだままに飛翔した。彼の腕が、翼が私を守るけれど、飛び散る破片も吹きすさぶ風も、容易く私の肌を傷つけた。空中に逃れて後に彼が見たのは、血だらけになり息もたえだえとなった私だった。
ぎょっとした顔で私の体を両手で支え、おろおろと惑っている彼は、大事にしたかった折り紙を、うっかり握り締めてしまって泣きそうな子さながらで、大丈夫と示すためにその手をぽんぽんと叩いてやった。
「……あなたとっ……あなっあなた……と、片田舎で、のんびり暮らしたかった……」
ぽろとこぼれ出た言葉は、私の先の言葉を受けてのことか、平穏な毎日……彼との田舎暮らし。それがどんなものか、明確な計画も何もないくせ、のんびりとした生活を無責任に憧れた。実際にそうなったとて、彼におんぶに抱っこになるだろうことは明確なのに、そこに逃げ込んでしまいたかった。
聖騎士である彼も、元巫女であり聖女になることを切望された私も、そんなところでほっといてもらえる可能性なんてひとかけらもないのに……ただ、憧れた。
「……っうん」
一瞬、言葉がつまってしまったのは、呼吸がまだ整わないからでも、痛みが響いたからでもない……罪悪感からだろう。
わかっていて、そうできないと知っていて、それなのに口にするはバカなのだろう。還俗してすぐ、彼とコトをなしたとしても、おそらく私は城で飼い殺しにされ、監視下の中の平和を満喫するに終えていただろう。聖女になろうと決意して、万が一にも魔王すらなんとかできたとて、その後に片田舎で元魔物と元聖女がのんびり暮らせるわけがない。
それでも、ひたすらに夢見るは、彼との平和な生活。そんなものがありえないとわかっていても、夢見るぐらいいはいいじゃないか。
「ずっと、ずっとあなたの側にありたかった」
「うん」
「あなたに触れて、あなたを抱きしめ、あなたに口付けて……」
「うん、うんうん」
彼の言葉に一つ一つ頷くものの、まるで、それが、過去形のそれが、諦めを口にしているようで……心が、一言ごとに凍っていくよう。
確かにそこにあった想いが、うたかたのように胸に暖めていた夢が、全て過去として封じ込められてしまっていくようで、切なさがこみ上げてくるばかり。
待って、過去にしないでと言いたいのに、できずにただ、うんうんと頷く愚かしさ、もどかしさあれど、何と言っていいのかも分からず、ただ、涙して頷くばかり。
「あなたを、心のままに愛したかった」
だけど、最後に告げられた言葉に、私は思わず、彼の胸につかみかかった。
手をもたげるだけで、傷口からは新たな血が吹き出るし、彼の鎧のどこかに触れて、また新たな傷口ができたかもしれない。動かしたのは腕だけながら、そこだけでなくあちこちに激痛が響き渡るが、そんなことにかまっちゃいられない。
「いっ……や。ちょ、ちょっと……待ってよ。そこは、愛してるに、してよ」
思わず反論をぶつけた私に、彼の困ったような顔。平穏な生活も、共にあることも、とりあえず今はムリだとて、未来はまだわからないんだというのは、あまりにも楽観的な話だろうか。別れを告げようとばかりの彼に、私は引き止めるつもりもないながら、でも、だからこそ、心まで過去形にされるのは許せなかった。
「心からっ……愛してる、愛してるっ……で、いいで、しょうがぁ。ってか、私だって……愛してる、愛してる愛してる」
愛してるの大安売り、口を開くだけでもあちこち響くけれど、興奮気味に紡ぐ言葉を留めることもできず、まるっきり駄々をこねる子どもさながら、必死で愛を叫びまくった。
ふと、彼は、眉を下げたまま笑うように頬を緩めた。あぁそうかと、小さく呟く声は、いったい何に思いあたってのことなのか。
今更ながらに愛してるの言葉を理解したのか、口先のみで上手に愛することもできない、愚かな私の愛が、それでも本気なんだって気づいてくれたか……。
「嘘でもいい、愛してるって、言って……」
愛してる、思っても彼を守る事も慰めることもなだめることも、何もできやしない私が叫んだってしょうがない。それでも、真摯にその言葉を訴えた。
「愛していますよ」
絆されたか諦められたか、小さな吐息の後に告げられた愛の言葉はシンプルで、そして、力強くはっきりとしたものだった。
いいよもう、わかったよもう、こうなりゃ、聖女になってやる!
私をそっと地面に降ろし、飛び立った彼の姿を見送りながら、心の中で決意する。どうせ半分押し切られていたことで、今更私が決意したとて何が変わるわけではないが、聖女になる決心がついた。
もちろん、彼のため、私のため、結婚したいし発言権だって欲しい。打算もなにもひっくるめて、それが一番いい道だってわかっていてなお、ぐずる気持ちを振り捨てた。
恋した相手が魔物だった、しかも、よりにもよって魔王の息子だった。その行く先は魔王城か世界の果てか、わからないけど聖女になった私には、追う使命だってついてくる。彼に本気で関わるには、聖女になるしかないんだから。そして、彼を救うためには、本気で聖女になるしかないんだから。
こうなったら、本気で聖女になってやる。
そのかわり、最後は絶対ハッピーエンドをもぎ取ってやる。夢は田舎で自給自足、のんびり生活ゲットするため、今は泥をくらってでも……いつか、きっと、あなたと歩むため……。
これにて「こうなりゃ聖女になってやる」は完結です。
王様と神官長様は、短編として書こうとした時点では、2~3行の説明で済ませてしまうレベルの人だったというのに、気に入って膨らませすぎてしまいました。あと、10歳になる婚約者候補の王子様もかわいかろうし、前巫女様もおもしろい人物かもとは思うのですが、描き切れなくてちょっとだけ残念です。まぁ、また、機会があれば……というか、番外編で出したいですね。
とりあえず、これにて完結といたします☆
お付き合いいただき、本当にありがとうございました。おそらく主人公の未来には、これ以上の困難もあるのでしょうが「いいわよ、私が世界を救ってやるわよ!」と、やけっぱち根性で歯を食いしばりながら駆け出すのでしょう。




