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 後ろ手に縛られたフランシス・ユージィンが連れられた時、ユエ・イェンリーは自分の不甲斐なさと虚しさに押しつぶされそうになった。


 ひと月前、ジャック・エリアードが殺され、その養子であるリュウ・エリアードと組織の一員であるフランシス・ユージィンの姿が消えたとの連絡を受けた。

 ユエ・イェンリーは西方の僻地から三日かけて本部に戻り、その詳細を聞いた。

 そして一ヵ月後、突然フランシスはティラニス本部へ姿を見せ、王を暗殺し、リュウを連れて逃げ、邪魔になったから殺して捨てた、と、自白した。

 ユエにはフランシスが真実を話しているとは到底思えなかった。 

 すべてにおいてあまりに動機が矛盾だらけだ。

「本当の事を言ってくれ、フランシス。そうでなければ…俺はおまえを処罰しなければならない。俺にそんなことをさせたいのか?おまえは…俺の背中を守ると誓わなかったか?何故、嘘をつく」

「…」

「…リュウなのか?リュウを守る為におまえは…」

「ユエ…初めから僕にはリュウを守る資格などなかったんだよ。あの子を守りたかったのは本当だ。だが、僕はね…あの子の信頼を裏切ってしまったんだ。リュウを凌辱し、嫌と言うほどあの身体を貪り続けた。リュウは僕には心を開いてくれなかったよ。僕は君にはなれなかったんだ…」

「だから、リュウの罪をすべて負うと言うのか。おまえは…それでいいのか?何も得ることもなく…死んでいくことになっても」

「僕は心からリュウを救いたいと願ったよ。だけど…僕は…君からリュウを奪いたかった。君の心を支配するあの子を僕のものにしたかっただけなのかもしれない」

「…フラン」

「まだ僕を愛してくれるのなら、ユエ・イェンリー。君の手で僕を殺してくれ。そして君を裏切った僕を…許してくれ」


 引き金を引き、その銃弾がフランシスの眉間を貫いた時、ユエは我が身のやりきれなさに狂った方がマシだと思った。

 得がたい恋人だった。

 この世界で自分より信じることができる稀有な存在だったのだ。なぜユエ自身の手で殺さなければならない。

(すべてはリュウの所為だ…)

 そう思うことでユエはかろうじて正気を保っていられたのかもしれない。

 そして、罪人は今、ユエの腕の中にある。

 ユエがその気になれば、細首を縛り上げ、その命を奪うなど他愛もないことだ。

(いや簡単には死なせはすまい。ジャック・エリアードを殺した罪、フランシスを苦しませた罪、そしてフランシスを殺させた罪…あの身体と心に苦痛だけを与えたい。狂うことも許しはしない。…俺だけを求め、俺だけのものに…)


「う…苦…しい…」

 縛り上げた力が強かったのか、リュウは小さく叫んで意識を失った。

 呼吸が止まっている。ユエは手にした組紐を弛め、リュウの口を塞ぎ、息を吹き込んだ。

 何度か繰り返した後、リュウは息を吹き返し、苦しそうに咳き込んだ。

「…貴様には俺を殺す勇気もないのか?ユエ・イェンリー」

 罵る言葉さえ甘美な肴になる。より一層ユエの心に暗い火を付ける。

「簡単に楽にさせたくないだけだよ、リュウ。俺はまだ、おまえの身体を貪りつくしてはいないからな」

「…哀れだな…俺も同じことを思っていたよ。まだおまえを味わいたいと…」

 窓の向こう、半月の影が、リュウの顔を白く染める。

 青みを帯びた濡れたふたつの宝石がユエ・イェンリーを彷徨わせる。

 ふたりきりで永遠の官能を味わいたいとさえ…


 「君はリュウを愛しているんだよ、ユエ…誰よりもね」

 フランシスの言葉が蘇る。何度否定しようと消え去ってはくれないのだ。


 丹念に残酷さを増して、死の縁へ追い詰める儀式。 

 月に光る髪を振り乱し、身体をくねらせ、ユエの名前を狂おしげに呼ぶ。 

 どれだけ繰り返しても飽きはしない。

 どんなに痛みつけてもしがみつくリュウの指の強さを、ユエは未練だと決めつけている。その力が緩んだ時、ユエはこの生贄を捧げなければならない…

 誰に?フランシスにか?ジャックにか?それとも…

「リュウ、苦しいかい?…おまえの苦しみは俺の喜びになる。俺を飽きさせるな」

 応えるように歪んだ顔のままリュウは、身体を捩らせた。残虐な悦楽を得るために…


 死んだように横たえる身体をいとおしむように撫で、抱き寄せた。

 意識を取り戻したリュウは、ゆっくりとユエの顔を見上げた。

 濡れた黒曜石がリュウを嘲笑っている。

「…おまえは父親に良く似ているよ、リュウ。血の繋がった息子なのだから当前だろうが…」

「ユエは養父と同じことしか言えなくなったのか?あの男は俺を抱くたびにリョウ・アヤセとそっくりだとのたまい俺を身代わりにした。枕元にそいつの写真を置いてな。そうしないとイケないんだと。笑えるだろう…ああ、おまえも俺がティラニスに来る前はリョウの代わりにお勤めしていたんだっけな。顔が似てなくても、髪が黒けりゃいいのかよ。案外あの親父もぞんざいなものだ」

「口を慎めよ、リュウ」

 リュウの悪口雑言をユエはまたもや首にかけた紐を絞めることで閉じらせた。

「人の想いとは時間など関係なく続くものだ。ジャック・エリアードのリョウ・アヤセへの情愛は本物だった。おまえにそれを笑う資格などない」

「…俺を玩具にして…弄ぶ資格は…あるのか」

「リョウ・アヤセの息子として生まれてしまった運命(定め)だ…」

「そう…そうなのか。フフ…俺は自分を哀れむことも許されないのか…。父も母も知らないと言うのに…」


 リュウ・エリアードの父、リョウ・アヤセは異母妹のキラ・アヤセと禁断の関係を持ち、キラはリュウを身ごもった。その事実すら知らずに、リョウ・アヤセは18歳を迎える日に突然この世から姿を消したのだ。

 そのリョウ・アヤセをユエが初めて見たのは、ユエが「ティラニス」に来たばかりの頃だった。

 孤児だったユエとフランシスはジャックに拾われ、「ティラニス」の施設に引き取られた。ユエもフランシスも9歳になっていた。

 都市の有力者を集めての寄付金パーティの際、孤児たちは同情集めにホストをして借り出される。その時、ユエはリョウ・アヤセを見た。

 最初で最後の出会いだった。

 リョウ・アヤセは幼い頃から神童と噂され、経済学と政治論に関して、的確な知識と予想を遥かに超えた展開の弁論を述べる12歳の子供に立ち打ち出来る大人はいなかった。

 リョウはまださほど突出した存在ではなかったシンジケート「ティラニス」のジャック・エリアードと手を組み、瞬く間に「ティラニス」を巨大企業にのし上げたのだ。

 リョウ・アヤセは当代の「伝説の英雄」だった。

 その伝説を幼いユエも聞き及んでおり、その覇者の姿をひと目見たいと心待ちにしていた。


「君が新しい子だね」

「え?」

 カクテルグラスを載せた盆を零すまいと必死で持っていたユエ・イェンリーの目の前に声をかける少年がいた。

 無邪気にニコリと笑う整った美貌にユエは呆気にとられていた。

「あの、カクテルをどうぞ…」

「ありがと」

 少年は面白そうにユエを眺め、両手に持つ盆を取り上げ、傍らのテーブルへ置いた。

「あ…あのあなたはもしかして…リョウ・アヤセ?」

「そうだよ」

 ユエは驚いた。

 17歳になるリョウ・アヤセは思ったよりもずっと若く見えたし(ユエには14,5歳にしか見えなかった)それでいて威圧感も幼稚さも無い。開放的で聡明なその眼差しに瞬時に惹きつけられた。

「ちょっと来てごらん」

 そう言ってユエの手を掴み、大勢の客の間をすり抜けて行く。

 振り返り微笑する容貌に見惚れた。

 動くたびに揺れる光沢のある黒髪。見つめる紫水晶アメジストの輝き、精神の美しさが全身に立ち込めていた。

 リョウはユエを建物の屋上へ連れて行った。

「ねえ、ユエ・イェンリー。君はこのティラニスで何をしたい?」

「え?」

 ユエは自分の名前を知っていることを不思議に思ったが、そのことについて聞く意味などないのだと悟った。この少年がリョウ・アヤセならば、この世で知らぬ事は無いのだろうと…

「僕…まだここに来たばかりで…何も考えていません」

「そうなんだ…ここはあまり居心地の良いところではないかもしれないけれど…君ならやれるかもしれないね」

「え?なにを?」

「世の中を還ること」

「還る?」

「…ほら、見える?あの小高い森林」

 リョウが指差したのは北西に見える緑色をした小さな山だった」

「あの中心にね小さな湖があるんだよ。その湖に…君の宝物がある」

「…」

「ふふ…今はわからなくていいんだ。忘れてしまっていいんだよ、ユエ・イェンリー…。僕の事も、ね…」


 (忘れていた?

 湖のある森?…

 リョウ・アヤセは俺になにを言いたかったのだ…)


「どうした?ユエ」

「…」

 (そっくりだ…)

 今、ユエを見つめているのはリョウ・アヤセなのか?リュウ・エリアードなのか?

「おまえは何者なんだ?リュウ…」

「…おまえの……だよ」

 月光に消えてしまいそうに白く浮かぶ姿で、リュウは薄く笑った。

 

「楽になりたいのか?」

「おまえが楽になるのなら構わないさ…ああ、そうだな…殺す前にせめておまえの思い出ぐらい聞かせろよ。父親だけじゃなくさ。俺と会った時どうだった?可愛いと思ったか?」

「…そうだな。おまえはあの汚い砂漠の下町の市で俺の財布をすろうとしたな」

「即座に腕をねじ上げられた。それで俺はヤバイと思って走って逃げた」

「逃げ足だけは速かった」

「…すぐに捕まったけどな」

 クスクスと楽しげにリュウは笑った。まだこんな表情があったのだと、ユエはリュウに見惚れた。

 あれがリュウの本来の姿なのだろう。それを奪ったのはユエなのだ。


「…憎んでくれていい。俺がおまえをこんな風にしてしまった…運命なんかじゃないさ。俺がおまえを…壊してしまったのだから…」

 リュウへの懺悔と痛烈な痛みがユエの胸を埋め尽くした。罪悪感ですら、ユエには恍惚なる甘美な痛みに変わる。

 リュウへの想いとは常に痛みを伴い、自分を追い詰めることだと知ってしまったのだ。

 リュウはユエの手を取り自分の胸に置いた。

「傷つき壊れた俺をおまえは求めていた。ならば、俺に存在する意味はあるのだろう。違うか?」

「おまえを壊し続け、そして愛おしく思うのは俺の罪だ。この罪を裁くにはどうすればいい?」

「…殺すしかなかろう?おまえにとって俺は、希望のないパンドラの箱。壊して、そして捨てるしかない」

「それが望みなのか?」

「おまえの望みなんだよ、ユエ・イェンリー…さあ、やれ。終わりではない、始まりだと思え」

「…」

「だが、せめておまえの手で、俺の息の根を止めろ。そうしなければ、恨んで化けてでてやる」

「…それはまた一興…」

 今がその時なのだと、ユエもリュウも悟っていた。

 まるで胸に秘めた愛を告白するように、ふたりはお互いの胸へ手の平を当てた。



挿絵(By みてみん)


 そしてユエ・イェンリーはリュウ・エリアードの心臓が止まるまで、その細首を己の両手で絞め続けた。

 リュウは苦しい顔など見せず、微かに笑い続けた。

 死ぬ間際、言葉にならない声でリュウは「愛している」と、口唇を動かした。

 その口唇にユエ・イェンリーは深い口づけをした。

 

 暁闇が部屋のベッドを照らす頃、リュウ・エリアードは息を絶えたのだった。



 ユエ・イェンリーは幹部を集め、前王ジャック・エリアードを殺害した罪により、リュウ・エリアードを処刑したと報告した。 

 リュウ・エリアードを王に持ち上げようと企てた派閥は求心力を失うことになるだろう。

 ユエ・イェンリーの足固めはすべて終わった。


 翌日、ユエ・イェンリーはひとりで車を走らせた。傍らに冷たくなったリュウを抱いたユエは、北西の森林に向かった。

 霧深い森の中を歩いていくと小さな湖が現れた。 

 その岸に一隻の古いボートがあった。 

 リュウをボートに乗せ、ユエ・イェンリーは湖へ漕ぎ出した。

 不思議なことに死骸となったリュウの身体は氷のように冷たかったが、硬直も死斑も見られなかった。

 生きた者の様に白い肌は輝き、薄く開きかけた赤い口唇は呼吸をしているようだった。

 湖の中心までボートを進めたユエは、裸のリュウの肢体をそっと水面へ浮かばせた。

「リュウ、おまえが眠る場所だ。リョウ・アヤセはここで宝物を見つけると言ったが…それは、おまえのことなんだろうな…なあ、リュウ、そうは思わないか?」

 リュウの身体が静かな波紋と共にゆっくりと澄んだ湖の中へ沈んでいく。

 

 

「なあ、あんた何者?俺こうみえてもスリには自信があったんだぜ」

「スリなんか下らんさ。もっと、いい事を教えてやるよ。一緒においで」

「…面白いのなら行ってもいいけどさあ。おまえ、名前は?」

「ユエ・イェンリー」

「そうか。俺は…リュウだよ」

 (眩しすぎたリュウの笑顔を、俺は独り占めにしたかった。誰にも触れさせず、俺だけのものに…それができないのなら壊してしまうしかなかったんだ…リュウ)


「あ、いしている…愛している。リュウ…」

 水面にユエの涙が落ちていく。

 その深い水の中で、リュウは瞼を開け、ユエを見て笑う。

 (やっと白状したな、ユエ・イェンリー…知ってたさ。初めから…俺もそうだったもの)

 

 湖の底は薄暗く、辺りの海草がリュウの肢体を見え隠れさせた。

 仰向けになったリュウの身体はそのまま動かず、髪は水の流れのままにたゆたい、その紫水晶の瞳がじっと水面を見上げていた。

 陽が落ち、辺りは黄昏れ、リュウの姿が暗闇へ消えるまでユエは湖の中を覗き続けた。


 

 五年後、「ティラニス」はS・C・Oの管理から離脱することを宣言し、独自の政治形態を持つ「ティラニス合衆国」を創る。

 ユエ・イェンリーは初代大統領に任命され、各州の治安維持と行政を整えるべき立法国家として身命を賭し、一生涯を国政に奉仕する為だけに生きた。

 



 時折、ユエ・イェンリーはあの湖へ行く。

 湖底にある唯一の宝物を確かめるために。

 届きそうなほど近いそれは、決して手に取ることはできない。

 ユエだけが見ることができる姿。

 ユエだけを見つめる魔の瞳。

 

 リュウ・エリアードはユエ・イェンリーの望む者になったのだ。



    終


挿絵(By みてみん)



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