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「テュラニス」のオフィスビルは、ニューアレイの中心部に聳え立つ「S・C・O(社会統制機構)」の本部と競い合うように道を挟んだ真向かいに建てられている。
機能的にデザインされた無機質な外観は、人々の目を惹き、その威圧的な重圧感に頭を垂れる者も多い。
ビルの屋上に配された空中庭園はすべて最新式のOSで管理され、開閉式の円形硝子に覆われた天上や、天候や室温で庭園の常緑樹までを自動で管理するシステムだ。
ユエ・イェンリーはこの場所が好きだった。
人工的に作られたとはいえ、硝子の天上から差し込む光の筋が、生きていく寄る辺のような気がしてならない。手にした温かな光に、まだ許される…と、思いたかったのだ。
「フランシス…俺はリュウを捨てきれずにいるよ。…おまえは俺を嗤うだろう。蔑むだろう…すまない。もう少しだけ…待ってくれ。必ずリュウを…おまえに返すから…」
ユエ・イェンリーは手の平の僅かなともしびを、そっと胸に抱いた。
アルバート・ルードは酷く不機嫌だった。
それでなくてもリュウが戻ってからは、穏やかな心持ちになったことなど一度もないと言うのに。
それを知っての上で、ユエ・イェンリーはアルバートにリュウのチューター(家庭教師)を命じのだ。無駄だと知りつつアルバートは必死で拒絶するも、一笑されただけで辞令書とコンドミニアムのキーカードを渡された。
「週に二、三度でいい。時間を決めて、部屋へ通ってくれ。一応基礎は学ばせているが、あの男は王になる気はないらしいし、俺相手では学習する気にもならないと言う。君は研究部門では特待生だし、内部の事情も良く把握している。適任だろう。指導方法は任せる」
「僕にリュウ・エリアードの指導だなんて。皮肉ですか?」
「君の怨恨を知らぬ者はいない」
「だったら…」
「フランシス・ユージィンはリュウになみなみならぬ執着があった。…おまえは何故フランシスがあれを愛したのか、知りたくはないのか?」
「それは…」
「リュウに聞けばいい。長年くすぶり続けた疑問に答えを出すのも悪くない話だろう」
「僕は…彼を殺すかもしれません。それでもいいと?」
「おまえはフランシスが信じていた数少ない男だ。…おまえの審判に任せるよ」
「…」
「任せる」…と、言うユエ・イェンリーの本心はどこにある?
アルバートはリュウへの未練など微塵も見せないユエ・イェンリーの表情に何が隠されているのか理解できなかった。
いくつもの選択の中でどれを選ぶべきなのか…今すぐにでもリュウを殺したいと願うアルバートでさえ、それを選ぶことを迷うのだ。
アルバートがリュウ・エリアードを一端の実業家として指導するように勤め始めて10日ほど経つ。
リュウはアルバートの想像と反して、頭脳明晰だった。
社会情勢などはアルバートよりも遥かに理解しており、この管理体制がそう長く続くはずもなく、また民衆の暴発するエネルギーを抑える手立ては無いと、綿密な情報と状況を見据えて結論を出した。
ティラニスが生き残る為に必要なのは、民衆の求めるイデオロギーをよりわかりやすく説明し、開かれた政治体制を作ること。観念的な自由を彼らに与え、餓えない程度に満たすことが重要。それを管理するのがS・C・Oかティラニスかは、民衆が選ぶ話だと言う。
アルバートとても考えない理論ではなかったが…民衆に権利を渡すことを、権威者は好まない。
「好き嫌いの問題じゃない。やるかやらないかだろう。俺はこの四年間、外で生きて民衆の生活がどんなものなのか見てきたつもりだ。生きている人間に必要なのは、権力じゃなく、明日の飯だ。飯を与えてくれる方に寄り添うのは当たり前だ。何を誰を味方につけるべきか…頭の良いおまえ等で考えろ」
「…」
「なんだ?その気持ち悪いものでも見るような顔は。抱き人形の俺が、セックス以外のことを喋るのが、そんなに気色悪いのか?」
「…い、いや…確かに君は、先王の養子だし、ユエ・イェンリーの後継者だからそれぐらいは当然だろうが…正直驚いたよ」
「昔は、セックスしながらでもあいつは俺に帝王学とやらを教え込んだからな。覚えなきゃ痛い目に合わせられるから、子供だった俺は必死に宿題をやるのさ」
「それで、本気でユエ・イェンリーの後を継ぐ気なのか?」
「いや…俺がユエの後継者になることは、ユエ自身の首を絞めることになるだろう」
「…」
(そこまで知っているのか…)
アルバートはリュウの推測に驚いた。
確かに表面には先王の養子であり、リョウ・アヤセの遺児であるリュウが、ユエの後を継ぐのは一見理想的に思われる。
ユエが王の座に就く際、彼に異を唱えるものが水面下で広がっていたのも事実だ。
それはどこの馬の骨かも知らぬ孤児であり、先王の男娼であった男が、上に立つことを不快に思う先王の直属の部下達だった。
彼等は血脈を重んじる人格であり、「ティラニス」の繁栄を導いた「リョウ・アヤセ」の崇拝者でもあった。その第一人者がジャック・エリアードだった。
ジャックにとって、「リョウ・アヤセ」は神のごとく信仰するに値する少年であった。
そのリョウの実の息子であるリュウをジャックは寵愛し、自分の後継者にと望んでいた。
ジャックが死に、その直後にリュウが「ティラニス」を出奔したのは、ユエ・イェンリーが自身の恋人であったフランシス・ユージィンと企んだ所業だと、多くの者が噂し、信じていた。
リュウ・エリアードのシンパサイザーが台頭することは、ユエ・イェンリーにとって脅威となる。
アルバートは物憂げに椅子にもたれるリュウの姿に囚われた。
これだけ雄弁に語っていながら、リュウの身体からは妖艶さが漂い、その色香に惑わされぬように、必死に勤めなければならないのだ。
この男が四年間、どこでどのような生活をしていたのかは知る由もないが、さぞやユエ・イェンリーは口惜しかろうと、哀れな感情が去来した。
「リュウ…聞きたいことがある。フランシス・ユージィンのことだ。僕は彼の舎弟であり、愛人だったんだ」
「ユエに聞いた。フランシスの口からおまえの名前を聞いたことが無かったから、俺は…知らなかったんだ」
「フランが君と出会った頃は、僕はテュラニスの研究機関に居た。だから君には会っていない。…フランとは、ずっと離れ離れだったんだ。最後に会ったのは、フランが死んだ時だった…」
「俺を、憎んでいるのだろう…フランシス・ユージィンを死に追いやった俺を。だが真実を知ったら、おまえは後悔する」
「そうかも知れない…」
リュウの言葉は虚ろ気に彷徨うものでもなく、からかうような虚偽の妄想でもなかった。だからこそ、リュウの話す内容が恐ろしくも、決してこの気を逃すべきでないと、アルバートに決意させていた。
「それでも知りたい…あの頃の僕にとってフランシスはすべてだった。彼に拾われ、僕を本物の弟のように慈しみ可愛がって…愛してくれたんだ」
「俺は真実しか話さない」
「すべて話してくれ」
「…フランシス・ユージィンは俺を愛していると何度も繰り返した。勝手にここから俺を連れ出して、あの穏やかな顔で俺を滅茶苦茶に強姦し、一方的な愛情で縛りつけ…誰にも触れさせないと、俺を監禁し続けたんだ」
「…嘘だ」
「…本当だ…」
フランシス・ユージィンのことを思い出すのは、リュウにとって苦痛でしかなかった。
彼と出会った時、リュウは15歳だった。
神経衰弱で拒食症になり、また毎晩のように続く男相手のセックスで不感症になりかかっていた。
リュウを誰に売るのかは、王の命で決まる。
リュウを貰い受けたとは言え、ユエ・イェンリーにリュウの相手を決める権限はなかった。
客の相手をし終え、死んだようにベッドに沈むリュウを連れ帰り、身体を洗い寝かしつけるのもユエの仕事だった。だがユエ自身さえ、そのような仕事は当たり前に経験してきたことだった。さしてリュウへの哀れを感じることもなく、懐かないペットを調教しているのだと思っていた。
だが、ユエが思うよりも、リュウは忍耐強くなかった。
リュウにはセックスを楽しむ余裕が無かったのだ。
リュウの精神が壊れ始めた時、ユエはジャックに頼み、リュウに生きる糧を与えることを提案した。
ジャックはそれを許し、ユエはフランシス・ユージィンにリュウを指導するように頼んだ。
フランシス・ユージィンは一流の狙撃手であり、ティラニスの殺し屋だった。その上、ユエとフランシスは孤児だった頃から親密な関係にあり、揺るがぬ愛情と信頼に満ちた恋人同士だった。
フランシスはユエの指導力を疑っていなかったし、ユエがティラニスを導く権力者になるのなら、自分がユエの背後は守りぬく役目だと、決めていた。
だから、ユエ・イェンリーが王の養子であるリュウ・エリアードを与えられたと知ると、嫉妬よりもユエの将来の明るい道筋に喜んだ。
そのユエ・イェンリーがリュウを自分の元へ連れて来た時、フランシス・ユージィンは妙な胸のざわめきを感じていた。
精神が病み、弱り果てたリュウは、敏感で扱いにくい子供だった。
信頼に値する奴など誰もいないと心を閉ざし、泣く事も耐えていた。
フランシスは自分が危険な人物ではないと教え込むのに数ヶ月をも要した。
リュウの精神的な病が急激に良好に向かいだしたのは、誰の力でもなかった。
人を殺す為に在る銃がリュウを正気に戻していった。
リュウにとって銃を扱うことは、子供がプラモデルに夢中になる事と同じで、分解し、仕組みを知り尽くして、また組み立てる事を一日中繰り返した。
どの銃がどれだけの殺傷力を持っているのか、どう扱えば効果的に狙えるのか、銃に関しての知識と技術のすべてをフランシスから学んだ。
一年も経たずに、リュウ・エリアードはただの男娼ではなく、狙撃手として、テュラニスに必要な兵器に成長していったのだ。
リュウもまた男娼として生きるより、殺し屋として生きる方が楽だった。
いたぶられた身体と精神は、銃を撃つことで解放された。的がモノであろうと人であろうと、リュウにはシューティングゲームぐらいにしか思えなかったのだ。
人の命の重さなど、それまでリュウに教える者はいなかったし、自分の手が血に染まっていることすらリュウにはわからなかった。




