第四話
よろしくお願い致します。
「貴様は馬鹿か!」
怒鳴り声が響き渡る地下通路。
辺りは薄暗く、今にも消えてしまいそうな蛍光灯が間隔をあけて天井に設置されています。
そこに少女が二人いました。
背中にまで到達する長い茶髪を後ろで結い、迷いのない真っすぐな紅い瞳は前を睨んでいます。
黒いビジネススーツ姿で腰には二本の刀が差してあり、内ポケットには二挺の拳銃。
名前はヘレナ。
彼女の後ろを黙々と歩く倭人の少女。
倭人特有の黒い髪と幼い顔立ちは洋国で目立ちます。
瞳はヘレナ同様紅く、茶色のコートに黒のズボン姿で首には冬でもないのに真っ赤なマフラーを巻いていました。
腰に白銀の刀を差しています。
無表情を何を考えているのかわかりません。名前はセツナ。
「何故逃げた?」
後ろを振り返らずヘレナはセツナに対して問います。
「それは私の仕事ではないから」
淡々と感情も無く答えました。
そして、
「殺さなかったな?」
今度はセツナがヘレナに訊ねます。
「フン」
それ以上の会話はありません。
直線が続く地下通路を抜け、地上に行ける階段までに辿り着きました。
「教会の中心部にカナンはいるはずだが、もしかすると一般人もいるかもしれん、武装信者も巡回している可能性が高い。気をつけろ」
一段一段慎重に上っていくヘレナ。
地上に頭部を出し両手に拳銃を持ちます。
そして、拳銃を胸の前で突きだし自身の体を地上に露出させました。
天井のステンドグラスに描かれた微笑む聖女とその周りを囲む天使の絵。
太陽の光がそこから差し込みます。
光は聖堂の真ん中、縦二列に並んでいる長椅子の間を照らしていました。
静かな時間がこの場所だけで流れています。
「武装信者どころか一般人もいない」
後ろを振り返ると三メートルはあるであろう教本を手に佇む聖母像が建っていました。
「この地下は非常用の脱出通路か、民衆より大事な神官共を逃がす為に造られたという事、だろうな」
聖母像の前に置かれた教壇、その下には先程二人が出てきた地下通路の階段。
「誰かいる」
教壇から赤い絨毯が敷かれた真ん中を速足で進むセツナ。
右側四番目の長椅子と五番目の間で止まりました。
その間に入ると下に手を伸ばします。
胸の前で腕を組みながらヘレナはセツナの行動を眺めていました。
「猫」
にゃーん。
セツナの両手に抱き上げられた灰色の猫。
愛らしい眠たそうな目があちこちを見渡しては舌を出して口を舐めています。
「ひっ!」
突然ヘレナが顔を青ざめて組んでいた腕を緩めてしまいます。
「と、カナン」
猫を下ろすと今度は空よりも蒼く澄んだ瞳をもつ少女の両脇を掴んで抱き上げます。
純白のワンピース姿のカナンは今の状況をよくわかりません。
「き、きき貴様! 猫を離すな、早くここから追い出せ!!」
カナンも大事ですがヘレナはとにかく地下に隠れてしまいました。
セツナは鞘で追い払い、驚いた猫はすぐにその場から逃げました。
「追い出したか?」
恐る恐る顔を出しヘレナは何も無いのを確認した後、すぐに二人の元へと向かいます。
「カナン、ここの信者は?」
「皆外に出ちゃった。だからさっきの猫と遊んでたの」
「あんなのと遊ぶな近寄るな」
ヘレナは不機嫌な気分でカナンの手をつなぎます。
その後ろを黙ってついて行くセツナ。
そして、聖堂の正式な出入り口には黒いローブで全身を覆う人物。
「大切な聖女様を誘拐するとは、まさに外道。さすがは穢れを知る者、クローンよ」
低音で響く声。
「あ、おじさん」
「おじさん?」
三人は振り返ります。
誘拐されたことすら理解していないカナンはその人物を見ては笑顔になりました。
その人物は二メートルはあるだろう身長と黒いローブの上からでも分かるほどに筋肉質の体格。
右手には分厚い本。首には十字架のアクセサリーを巻いています。
不適な笑みを浮かべていますがフードを被っている為ハッキリとは見えません。
「この街に住み着く鼠共を駆除するのに手間が省ける。神は喜んでおられる」
「黙れ、何が神だ! 貴様らがやっている事は私達と何も変わらない犯罪だろ!!」
ヘレナは灰色の刃と漆黒の刃を抜き取ると切っ先を向けて怒りを露にします。
「フハハハ、我々は殺しなどやっていない。しているとするならば街のゴミ掃除だ」
「貴様ァ……」
柄を握る手に自然と力が入るヘレナ。
「我が名はドイゾナー。我は神の代弁者なり、錬金術の継承者なり」
教本を開け、ドイゾナーと名乗った男は何かを呟きました。
セツナは眉をしかめて、ドイゾナーを睨みます。
「カナンを連れて逃げろ、セツナ!」
すぐに理解できたヘレナは前へと足を踏み出し人間では追いつけない速さで動きました。
ドイゾナーの足元付近で止め、二本の刃を交差するように斬りつけます。
ですが、肉を斬ったかのような感覚は掴めずヘレナは唖然。
口元の笑みを絶やさないドイゾナーは、
「我を殺す事は不可能だ」
霧のように消えたと思えば低音の声はヘレナの背後から。
振り返った途端ヘレナは自身の視界が一瞬暗転し、刀が手から離れていくのを確認します。
右肩に電撃が走る痛みを感じたヘレナ。
両膝の力が抜け床に座り込んでしまいます。
「カナン」
セツナはカナンの両目を手で塞ぎながら耳元で言いました。
「教壇の下に通路がある、そこから走って逃げろ」
「う、うん」
カナンはよくわからず視界を隠されたまま地下通路におろされてしまいます。
走っていくカナンを見送った後、セツナは白銀の刃を抜き取ると地上へと戻って行きました。
聖堂の真ん中で右肩を押さえながら苦悶の表情を浮かべるヘレナ。
「くっ、錬金術は千年前に滅んだはずだ。なのに、何故貴様は使える?」
「我は錬金術の継承者、神に選ばれし者である我にできぬ事など無いぞヘレナ、お前が自ら飼い主を殺したことも知っている!」
両手の甲から出てきたのは鋭いナイフ。
ドイゾナーの足元に浮かび上がる真っ白に光る円には、不可解な文字と数式が書かれています。
「ふざけるな! 私は飼われていない!!」
瞳孔を収縮させ、獣の眼光でドイゾナーに斬りつけようとしたヘレナですが、その手は止まりました。
「効かない?」
ヘレナの視界は変わりません。物体の動きをスローモーションのように映せるはずが、何も変わりません。
不気味な笑み。ドイゾナーは再び呟きます。
「我は錬金術の継承者なり」
真っ白に光っている円が二重になり、ドイゾナーは手の甲に装備されたナイフを垂直に飛ばしました。
近距離から飛ばされたナイフを避ける事は出来ず、ヘレナの右腰に突き刺さります。
刺さったナイフは電撃のようなものを体中に流しヘレナを麻痺させました。
「まだ完治もしていない体で挑むその姿勢は素晴らしい。だが、所詮無駄な悪足掻き」
「はぁはぁ」
右肩と右腰から止まらぬ血が。
覚瞳と呼ばれる能力も尽き、元の瞳に戻ってしまったヘレナはドイゾナーの後ろにふと視線が動きます。
二メートルもある身長より高くに、白銀の刃。
「セツナ?」
ヘレナは体をよろけながらも立ち上がらせます。
「しぶとい……しかし美しい。まるで我が妻の」
そこでドイゾナーは喋るのを止めました。
強制的に止められたのです。
胴体が切断され離れていく身体。その間から見えたのは無表情のまま刃を振り下ろしたセツナ。
「セツナ、気を付けろ! 後ろだ!!」
またもドイゾナーの体は霧のように消え、セツナの背後にまわっていました。
同じようにナイフが飛んできます。
振り返ったセツナは右手に掴んでいた鞘でナイフを弾き返しました。
「見覚えのある顔だ。殺人鬼のようなその眼は我を愚弄しているのか」
「誰が殺人鬼だ。私はただの一般市民にすぎない」
戯言、そう笑ってドイゾナーは二人から少し離れます。
不可解な術式が書かれた円に囲まれるドイゾナー。
「錬金術の前ではゴミがどれほど無力かわからないようだな」
真っ白に光っていた円が突然黒くなってしまいました。
「我は錬金術の継承者なり、神の代弁者なり、神の命により忌まわしき者を……滅さん」
最後の言葉と同時に地面が揺れ始めます。
「くっ、傷が……」
震動の衝撃でヘレナの傷口が痛み、慌てて長椅子の間に入ると前列の長椅子を壁にしてもたれました。
「人間とは違う体なのに、情けない」
ヘレナは苦しい表情のまま俯いてしまいます。
その間、セツナは揺れが続いても微動もせずに立ち尽くします。
「何をするつもりだ?」
「すぐにわかる。さぁ貫け!」
突如地面から槍のような鋭い岩が飛び出してきました。
セツナは自慢の反射神経で胸元まで来た鋭い岩を回避しますが、次々に鋭い岩は襲いかかってきます。
背後から、壁から、地面から、何度も何度も。
そろそろ疲れ果ててきたセツナは回避するのも弾くのも遅くなってきました。
「いつまで続く? 無知なまま死ぬのもまた楽だろう」
「黙れ」
「哀れだなぁお前の先祖はそんなものでは無かったが……終わりだ」
セツナの左手が精一杯の力で掴む白銀の刃。
前の壁から飛び出てきた鋭い岩を粉砕させます。
刀が手から離れて行きます。
すぐに手を伸ばしますが、
「しまった……」
セツナは力が抜けたように呟きます。
地面から飛び出てきた鋭い岩にセツナは気付いていました。
気付いていたはずが、反応できません。
肉が裂けるような生々しい音。
セツナの顔面、服に飛び散る液体と鉄分の臭い。
「え?」
「さっさと、片付けんか……くっこの馬鹿者」
口から嫌でも出てくる血と味わいたくない鉄分。
腹部から漏れ出す多量の血とその腹部に突き刺さった鋭い岩。
受け止めたのはヘレナだったのです。
苦痛で歪める表情のヘレナ。
セツナは自分の顔に飛び散った血液をゆっくり手で拭います。
拭った手は血まみれで、思わずセツナは震わしました。
心臓が高鳴る感覚がセツナを襲います。
瞳孔が自然と収縮していき、両手を握りしめたセツナ。
ドイゾナーを視線に映すと獣のような眼光に変わりました。
殺してしまう、違う、殺すんじゃない。
脳内で誰かが話しかけてきます。
優しく囁いてくる女性の声。
『行動不能にするの。あなたにはそれができる』
聖母のように慈悲深く、暖かい声。
セツナは黙って刀を拾います。
「なんだ、この殺意は」
ドイゾナーは思わず後ろに下がってしまいます。
セツナの視界は夕陽のように鮮やかで時々黒い斑点模様が映し出されます。
一歩、足を踏み出したセツナ。
「まだやるのか? ならば今度こそ仕留めてやろう……ぬぅ!?」
ドイゾナーは周りを囲んでいた円が突然消えた事に驚き、地面へ視線を映した瞬間。
その視界に映ったのは白銀の刃でした。
切っ先はドイゾナーの喉を捉え、いつの間にやら掻っ切っていました。
辺り一面に初めてドイゾナーの体内から漏れた血が飛び散ったのです。
野太く呻くドイゾナー。
喉を両手で押さえていますが、しばらくしてドイゾナーは背中から地面に倒れました。
フードが取れ、短い銀髪と白目を剥いた顔は鬼のような形相です。
右目には縦に入った傷がありました。
「覚瞳が使えたのか……」
ヘレナは残りの力を振り絞り、鋭い岩から体を引き抜きます。
少々の呻き声を発してセツナの所へフラフラになりながらも歩きました。
「ヘレナ!」
聖堂の入り口から聞こえた男の声。
刈り上げた茶髪に顎に少し生えている髭。黒いスーツ姿。
「ガイ……どうした?」
「どうしたもこうも傷だらけじゃないか、すぐに病院へ行こう!」
ガイと呼ばれた男はヘレナを慎重に担ぎます。
「待て、セツナが」
「あいつは無傷だ、ほっとけ。カナンが心配している」
ガイに運ばれ振り返る事もできないままヘレナはその場から去って行きました。




