第二話
よろしくお願い致します。
レンガで造られた街での事です。時計の短い針は既に頂上を過ぎて一時間が経っていました。
唯一コンクリートで造られた五階のビルが建っています。
一般市民では届かない高級なテーブル、イス、ベッドやタンスが設置された部屋で少女が住んでいました。
長い茶髪を腰まで伸ばした少女は黒いビジネススーツを着ています。
紅玉の瞳は力強く真っ直ぐでした。
少女はその瞳を壁に貼り付けられた正方形の鏡で確認します。
手には蒼いカラーコンタクトレンズ。
少女の脳裏に同じ紅玉の瞳をした人物が浮かびます。
少女は目を細め、眉間にシワを寄せました。
しばらくしてドアが開かれます。
廊下には少女を待っていた部下二人。どちらも黒いビジネススーツを着ていました。
「行くぞ」
長い茶髪を後ろで結い、蒼い瞳で視界に映る全てを睨む少女。
腰には二本の刀を差しています。
少女の名前はヘレナ。
彼女には人間離れした能力があります。
だからこそ誰も逆らう者はいません。
「ボスを殺したのは私だ。文句がある奴は出てこい」
数時間前に部下達の前で放った言葉。
ヘレナの目に迷いはありませんでした。
そんな彼女はビルの三階にある大きな広間にいます。
細長いテーブルで大きな四角を作り、皆で囲みました。
「ヘレナ、お前は休んでないとダメだろ。今はその傷を治すのが先決だ」
心配そうな表情でヘレナの所へやってきたのは、茶髪を刈り上げた男。
彼もまた黒いビジネススーツ姿です。
「私は貴様らより体は丈夫にできている。平気だ」
彼の名前はガイ。三十代くらいでしょうか、髭も少し生えています。
「ヘレナ……」
通り過ぎて行ったヘレナにガイは不安を隠せません。
「あのー」
「なんだ?」
次にヘレナの前にやってきたのは同じく黒いビジネススーツを着た男。
「次のボスは誰が?」
「もう決まっている。それはこの会議が終わり次第発表する」
ヘレナは指定されたイスへと座りました。
彼女の前には中年の者から年老いた者までが座っています。
「自分達のボスを殺すとは、何事かね?」
顎に生えた胸元まで届く真っ白な髭。
その髭を片手で大切そうに撫でる老人は渇いた声でヘレナに質問します。
「主、その話はまた別でする今はこれからの方針についての会議だ」
「ほっほ、それはすまなかったな」
それ以上の会話は無く、黙々と続けられる会議だけが進んで行きました。
そして、最後に質問は無いかという問いに誰も答えず会議は終わろうとしています。
ヘレナは誰よりも先に立ちあがり、
「キングの新しいボスを紹介したい」
この発言に周りが騒がしくなります。
「ガイ」
「えっ?」
ガイは目を丸くさせます。
ガイの方へ視線が集まりました。
「お、俺?」
「これからはキングをどうするかは貴様が好きに決めろ、ボス」
ヘレナはガイの肩を手で軽く叩くと広間から出て行きました。
他の者も同様広間から退場します。
「どうなってんだ……」
ガイは顎に手を当てると少々困惑気味で立ち尽くします。
そんな風に困っている様子を思い浮かべているヘレナ。
自室にはヘレナ以外に一人の老人。
口元から笑みを零すヘレナの表情に老人は、
「何が面白いんじゃ?」
「ガイの困った顔を思い出しただけだ」
「ほぉー」
「な、なんだ、私が笑うのは変か?」
ヘレナは眉間にシワを寄せ主と呼ばれる老人を睨みました。
「ふむ……」
主は数秒程黙り込みます。
「似合わないのぉ」
感想を聞いた途端ヘレナの表情は曇ります。
ある意味口元は笑っていました。
「今日はカナンと散歩にいくのかね?」
主は話を変えます。
「たまには外の空気を触れないとカナンも退屈だろうからな」
「優しいのぉ、いいお母さんじゃな」
ヘレナは頬を赤らめていました。
「ほおっほっほほ。しかし、その傷はしっかり休めておかんといくらお前さんでも危ないぞ?」
主は杖を突いてヘレナの部屋から去っていきます。
「まったく、そんな事はわかっている」
太陽が街の空に現れてから人々は不安を胸に外を歩き始めました。
ヘレナはビルの出入り口前で誰かを待っているようでした。
「ヘレナー」
高く透き通った幼い声。
純白のワンピースを着た小さな少女はヘレナの手を取り名前を呼びます。
「今日は街の外に出るぞ、カナン」
「うん!」
街の外は草原だけが無限に広がっているようでした。
風も暖かく、散歩にはちょうどいい気温です。
人影もありません。
「普通は外の方が物騒なはずだが、ここは逆だな」
「そうなのー?」
「そうだ」
カナンは草原を走り回ります。
蒼い瞳は空に負けないくらい輝いています。
雪のように白い肌は太陽に照らされても動じないでしょう。
その姿は何も知らないようでもあります。
カナンが草原の上に寝転びました。
雲の間に見える空を眺めるカナンですが、突然暗い影が彼女を覆います。
「?」
寝転んだまま首を上に動かすと紅玉の瞳がカナンの蒼い瞳を見下ろしていました。
冬でもないのに赤いマフラーを巻いています。
茶色のコートと黒いズボン姿で倭人特有の黒髪と幼い顔立ち。
「セツナ!?」
ヘレナは驚いた様子で叫びます。
セツナと呼ばれた少女は少し間を空けて、
「母だったのか?」
訊ねました。
ヘレナは顔を真っ赤にさせます。
「んなわけないだろう!!」
「お姉ちゃんだれ?」
「セツナ」
カナンは上半身を起こし口を開けたままセツナを眺めています。
「なぁに?」
「アホの子か」
「貴様!」
ヘレナはセツナの襟首を掴んで振り回します。
揺らされながらもセツナは無表情を崩しません。
「洋国にいてカナンを知らないのか? 貴様は」
「知らん」
そんな二人の様子を不思議そうに見つめるカナンと再び目が合うセツナ。
「カナンは聖母カノンの娘、つまり次期聖母となる純真な心をもった聖女様だ」
セツナの耳元でヘレナは小さく、荒く呟きました。
「簡単にいうとアホなのか」
「貴様ぁ!!」
しばらく二人はそんな事を続けていました。
カナンはその二人を後にして体を全て地面に密着させます。
「聖母の話を聞いた事ないのか?」
「無い」
ヘレナは呆れて言葉が出てきません。
「カナン、戻るぞ。貴様も来い」
「嫌だ」
「来い! 昨夜の事もある。大事な話もある」
セツナの襟首を右手で掴みながら、左手でカナンの手を握ります。
そのままヘレナがいたビルへと帰って行きました。
街に入ると人々は立ち止まり、皆同じように一礼をしたのです。
「聖女様!」
「聖女様に会えるなんて、ああ! なんという日でしょうか」
その姿にセツナは眉をひそめました。
「これが聖女様という存在。この街だけでなく洋国の人々はカナンに期待している」
特に感想を漏らさず、黙り続けるセツナ。
「セツナ、人々は象徴があるだけでも安心するものだ。貴様の国に象徴というのは無いのか?」
セツナは首を傾げて、
「国?」
と逆に疑問を浮かべました。
「倭国に決まっているだろう」
「倭国、なんだそれ」
その反応にヘレナは唖然とします。
三人はキングのアジトであるビルへと入って行きました。
「ヘレナ、休んでいろって言っただろ!」
早朝にキングのボスとなったガイが先ほど帰って来たヘレナに対して怒りを露わにします。
ガイの怒鳴り声に動じないヘレナは睨みました。
「カナンの前で大声を出すなんて、ボスとして相応しくないな」
突然の大声に驚いたカナンはヘレナの後ろへと隠れてしまいました。
「あ、それはすまない。それと、そこの倭人は誰だ?」
ガイは一呼吸して、次にセツナへと視線を変えます。
「昨夜に話した通り、特殊クローンだ」
その言葉を聞いた瞬間、ガイの顔は険しくなりました。
まるで敵意を抱いているかのように。
「カナンを部屋まで送ってほしい、私はセツナと大事な話があるから地下の部屋を借りるぞ」
「ああ」
ヘレナから離れ、ガイの手を掴むカナン。
すれ違ったと同時に、セツナとガイは一秒間だけ睨み合います。
たった一秒間だけでしたがそれだけでセツナは何かを感じ取ったのでしょうか、眉をしかめました。
地下へと続く階段を下りる途中で、
「なんだあいつは?」
セツナは問いかけます。
「ここの三代目ボスだ。どうやら貴様の事を嫌っているらしいな」
ヘレナは少々の笑みを含めて答えました。
地下は薄暗く、対面するかのように鉄のドアが道を挟んで向かい合っていました。
右側一番手前のドアをヘレナは開けます。
「ここに入れ」
室内は木製のテーブルとイスが真ん中に設置されています。
天井にある蛍光灯の明かりは今にも消えてしまいそうです。
「昨夜、先代のボスが貴様の家に来たのは覚えているか?」
「覚えている」
「先代のボスが失礼なことをした。そして私も、申し訳ない」
謝罪を終えヘレナがイスに座ると、セツナも座りました。
二人は対面した状態です。
「あの男を、殺したのはお前か?」
セツナの問いにヘレナは黙って頷きました。
「殺すというのが、人のする事なのか?」
激怒するわけもなく無表情のまま問い続けるセツナ。
その様子を落ち着いた、悲しげな瞳で見つめるヘレナ。
「私は、人じゃない……」
ヘレナは自身の蒼い瞳に手を伸ばしました。
その瞳から取れたのは蒼いカラーコンタクトレンズ。
さっきまで蒼かった瞳は赤ワインのような色に変わっていました。
「人の形をした……化け物だ」
「化け物?」
セツナは眉をしかめます。
「本当に何も知らないんだな、貴様」
「知らん」
ヘレナは目を細めると、
「最近この街にアドヴァンスという宗教集団がやってきた」
話題を変えます。
「アドヴァンス?」
「人間の命は平等であり、尊重すべきもの……というのがその宗教の言葉だ。貧しい人間に救いの手を差し伸べ、普通なら高額の医療代も全てタダにしている」
「それに何か問題でもあるのか?」
ヘレナは頷きました。
「組織にとっては大問題だ。この街の病院は全て我々キングが仕切っている、それを無料にされては我々の資金が減ってしまう」
セツナは眉をしかめて冷たい視線をヘレナに送ります。
そんな反応を見せたセツナにため息を吐きそうになりますが、ヘレナはそれを堪えます。
「それだけではない、アドヴァンスはクローンを差別している」
「クローン?」
ヘレナは立ち上がったと思えばセツナの顎をいきなり掌で掴み、
「私や貴様のような存在を消しまわっている。奴らはクローンを迫害する運動もしているということだ」
どこまでも真っ直ぐな瞳がセツナを睨んでいました。
「だからどうした」
「貴様……」
予想していた通りの返事ですが、ヘレナは苦い表情。
セツナは掴まれている顎から掌を無理やり離すと、鋭い冷めた眼孔で睨みかえします。
イスから体を離すと、ヘレナに背を向けます。
「そうやって分別しているのは人にとって当たり前の事だ。ゴミは分けれないくせに、人種となるとすぐに区別できる。今さら差別など言葉はいらないだろう。私は誰も殺したくない、血も見たくない。そんな事は勝手にやればいい」
セツナは鉄製のドアを開け、ヘレナの前から完全に姿を消しました。
重々しく閉じられ、ヘレナは一人頭を抱えています。
「クローンを生みだした人間にとって私も貴様も他の奴らも化け物でしかない。誰かを殺さずに生きていけるわけがないだろう」
ヘレナは目を閉じ、自身の右肩と左腰に手を当て、とても苦痛な表情を浮かべていました。




