観測
1.四日
砂浜に降りると靴底から感じる熱で、日中は残暑がきつかったと知る。
久しぶりに海に来た。残暑にうんざりしていた気持ちも、夕日に染まる海辺と、引いては寄せる心地いい音に和んでいく。
もう少しで日が沈み、波すら見えなくなる時間になる。晴れた空には、待望の星空が広がりはじめる。天体写真には絶好のスポットだ。
「おいおい、蒼、見てみろよ、あっちから雲がきてる、しかも黒いぞ」
「雨雲か?」
機材を置く場所を探していた目で俊矢の視線を追うと、死角となっていた方角に夜空を呑み込むような曇がせまっていた。こんなに近づくまで気付かなかったなんて、迂闊すぎだ。さきほどまではただ暑かったのに、頬にゆるく風を感じる。
「なんか風吹いてきてるけど、まさか降らないよな?」
不安そうな声にリュックから携帯を取り出して、雨レーダーを慌てて確認する。
真っ赤な雨のマークがせまってきていた。前髪が風に流れていく。
自然ともれた声に俊矢が携帯を覗き込んだ。見た瞬間に頭をかかえた。
「嘘だろ、晴れ予報だろ、今日っ」
迷ってる暇はなかった。撮影スポットを探すために、早足で砂浜をだいぶ歩いた。砂浜から道路に出られる階段は遠い。
「まずいな」
俊矢のつぶやきに、すぐさま荷物を抱えた。
「急ぐぞ」
僕らは日のぬくもりある砂を蹴って走りだした。走りづらいうえに自分のカバンと、背中のリュックが重く、走るはずみでずしりと肩にくる。学校から持ってきたリュックには、東幸高校天文部と縫い取りがある。
風が髪をなぶるように吹き乱れ、耳元で風が鳴りはじめた。さらに波音とは違う水音が近づいてきていた。
コンクリートの道路にたどり着いたときには、すさまじい風になっていた。すぐ横に俊矢が並ぶと、大粒の雨が腕にあたった。たちまちコンクリートが雨粒型に濡れ、すぐに水であふれた。
「バス停、こっちだよな?」
電灯で照らされた道路が雨で埋め尽くされていく。
俊矢の言葉に答える代わりに、指をさして駆けだした。一歩遅れて俊矢もついてくる。すでに土砂降りだ。
すぐにバス停に駆け込んだ。
木製で箱型のバス停には、窓が一つだけあり海が見えるようになっている。その窓が閉まっていて助かった。おかげで多少の雨風はしのげる。
地の底を這うような音の雷鳴の後に、あたり一帯が光で照らされるほどの稲妻が走った。
バス停の椅子にリュックと鞄を下ろし、ようやく座った。制服の裾から水がしたたる。
「えらい目に合ったな、こんな降らなくてもなぁ」
リュックの中のカメラが濡れていないか確認する。天文写真を撮りに来て雨に降られるのも珍しい。
「とりあえずカメラは大丈夫、と思う。そっちは?」
「パソコンケースがはじいてるから、濡れてないよ」
雨音が、ドドドドと轟音とどろかせ、バス停をはじく雨音が周囲を取り囲む。
「え?」
「こっちは大丈夫!」
近くにいるのに大声を出さないと聞こえない。
台風でもないのに恐ろしい雨だ。
「文化祭まで時間がないのに、どうすっかな」
海での撮影は俊矢の提案だった。天の星と海の写真はうつくしく、天文部の展示でメインをかざるはずだった。
「別の場所で撮るしかないよ、ここは遠すぎだ」
僕は止まない雨を見上げるしかできなかった。
「どこで撮る? もうみんないい場所は撮っちゃったかなぁ」
思案する俊矢に、最後の手段を口にした。
「裏山かな、近いし、穴場だと思うけど」
いつの間にか雨が小降りになってきた。止むときはあっという間だ。空には雲が流れているのが街灯の明かりで見て取れた。
「あそこの山は確かにいいかもな。街灯も遠いし。じゃあ、オリオン座を撮るか、展示しても分かりやすいしね。夜中だけど」
「うん、そうしよう。場所は早く探したほうがいいな、塾とかあるだろ、明日でどうだ?」
高校二年生はそう暇ではない。
「明日の放課後だな、よし決まり。もう雨は上がったな」
空は雲が覆い隠していて、星空など見えない。
「帰るか」
二人して息をつくとバス停から出た。このバス停は、運行が少なくて使えないのだ。歩き出してすぐに、何かが落ちる音がして、立ち止まる。
「なんか落とした?」
暗い道路を探すと、ビニールに入った機械のようなものが足元に落ちていた。
「なにこれ?」
「蒼が落としたんじゃないの?」
よく見えないが、機械と付箋と、大きく東幸高校のラベルシールが貼ってある。ということは、僕のリュックから落ちたのかもしれない。閉まっているけれど。
「落としてない気がするけど、なら降ってきたとしか言えないし、とりあえず持って行くよ」
「さすがに女子からのプレゼントってわけでもないだろうしな、お前がいくらモテるにしても」
「違うだろ。にしても、彼女のいるお前に言われたくないな」
ビニールごとリュックに詰めんで、さっさと歩き出す。靴の中が水だらけだ。歩くたびに水音がする気がする。
「でもさ、お前の好きな優奈ちゃんは、藤沢が好きなのか? 最近、一緒にいるけど。よく分かんないよな」
藤沢湊はメガネをした男子で、僕もよく知らない。幼馴染の高槻優奈と同じクラブで、最近はよく一緒にいるようだ。
「今は別クラだし、昔は家が近所なだけでさ、優奈も仲良くしてくれてたんだろうし」
暗くてよかった、と僕はひそかに思った。いくら親友の俊矢にだって、こんなしょぼくれた顔は見せたくない。
海沿いの道から公道に出ると、車が行きかう道に出た。
来た道を戻り駅まで行くバス停に着くと、ほどなくバスが来て乗り込んだ。ここから駅まで行って、電車に乗るのだ。
中学まで優奈は、僕のことを「蒼ちゃん」と呼んでいた。だけれど、高校に入ったとたんに「崎坂くん」になってしまった。僕は昔と変わらず優奈と呼んでいるのに。
入った部活も違うし、家が近所と言っても帰宅する時間が違えば会う機会も減る。そう、少しずつ離れている。
帰りの電車でふいに俊矢がさっきの会話を蒸し返した。
「おかしいな、本当に藤沢がいいのかな」
藤沢はあまり目立たない男子生徒だ。優奈と同じミステリ同好会に所属していて、推理小説などに詳しいらしい。たまに優奈と帰り道が一緒になると、話題になるくらいだった。
「今日はね、新しいなぞ本に挑戦したんだけど、難しくてお手上げだったの。けど、あとから来た湊くんが、みんなが解けなかった問題をすぐに解いちゃったんだ。すごくてね、湊くんは天才なんじゃないかって」
そう言えば、あいつのことは、下の名前で呼んでいたな……。
一気に気持ちが塞いでくる。つまりそういうことだ。
つづく




