10. 東の砦
魔王バルドリッセ・ガルドルには、四人の幹部がいた。
それぞれが魔王から直接強化を受けており、通常の魔族とは一線を画す存在だ。最初にユウル達が交戦したザッハネル・ドルビトは、その四人の中の一人だった。ローナ救出時に討伐されており、残るは三人。
マルセルとローナが収集した情報によれば、三人の幹部はそれぞれ異なる地域の拠点を管理していた。
一人目、東の砦を拠点とする幹部のグルヴェダ・ガジエス。魔法特化型で強力な攻撃魔法と広域結界を使いこなし、戦場そのものを支配する戦い方をする。魔王から絶対防壁の強化を受けており、通常攻撃を完全に弾くとされる。
二人目、北の山岳地帯を支配する幹部のドルガ・ベルドス。近接戦闘特化型で山一つを揺るがす膂力を持ち、魔王から不壊の肉体を与えられている。どんな攻撃を受けても再生し続ける。消耗戦に持ち込む戦い方を得意としている。
三人目、西の湖畔の城を拠点とする幹部のジェネルネ・ファセス。唯一の女性幹部で精神干渉魔法の使い手。対象の感覚を歪め仲間を敵に見せ、現実と幻覚の区別をつけられなくさせる。魔王から無限幻惑の強化を受けており、その幻覚は遠く離れた場所からでも行えるという。
三人を先に倒さなければ、魔王は倒せない。
マルセルが地図を広げて言った。
「順番としては、東、北、西の順が効率的です。東を制圧すれば補給路が確保でき、北を崩せば魔王の防衛網に穴が開く。西は最後でも構わない。ただ、ジェネルネ・ファセスの精神干渉は厄介です。戦う前に対策を考えておく必要があります」
「精神干渉への対策は?」とローナが言った。
「通常は魔力で精神を守る結界を張るのですが、ジェネルネの幻惑はその結界を内側から崩すと予想されます。外からではなく対象者自身の記憶や感情を素材にして幻覚を作るため、抵抗が難しいです」
「……自分の記憶を素材にするということは」
「そうですね。恐れているもの、失いたくないもの、後悔していることを見せてくるといったところでしょうか。それが本物と区別がつかない精度らしいのです」
その説明を聞いた時、全員が黙った。それぞれが自分の中にある、それを思い浮かべたのだろう。
「幹部達は私の弱体化魔法で対処する」とローナは言った。「まず東から攻めよう」
夜明け前に、ユウルは起きていた。
野営地の天幕の外で草の上に片膝をついて地図を広げていた。魔法で作った小さな光が地図を照らしていて、その光の中でユウルは東の方角を見ていた。
東の砦。グルヴェダ・ガジエス。
残る魔王幹部三人の中で最初に倒すべき相手だ。マルセルとシリが収集した情報によれば、東の砦は三重の城壁に囲まれた要塞で、正面突破は自殺行為に近い。しかし側面の城壁には他より薄い部分があるという。
そして最大の問題は、グルヴェダ本人が持つ絶対防壁だ。そのグルヴェダに対してシリは弱体化魔法で対処すると言った。
ユウルは地図から目を上げた。シリが眠っている天幕に視線を向けた。少しの期間だが一緒に行動した。戦いの中で、その実力は本物だと分かった。しかし何者かは分からない。
なのに――。
「……」なぜか安心する。その存在が傍にあることが、どういうわけか久しぶりに感じる安定感をもたらしていた。ユウルは地図を丸めた。
立ち上がり東に顔を向けて「行くか」と小声で言った。
朝食を食べてから、作戦の最終確認をした。マルセルが地図を広げた。
「東の砦まで、街道を使えば三日です。しかしその街道は魔族の哨戒が多いようです。山越えの獣道を使えば一週間かかりますが、哨戒を避けられる可能性が高いです。どちらを選びますか」
「山越にしよう。砦に近づく前に消耗するのは避けたい」ユウルは言った。「消耗を最小限にして砦に挑む。出発は日が出てからにする」
全員が頷いた。
出発から日が経った頃、勇者一行は山道にいた。山道は細く、両脇に低木と背の高い草が茂っていた。
「魔物の気配があります」とマルセルが小声で言った。
「何体だ」ユウルは後方を振り向きマルセルを見た。
「……五体です。正面と右の茂みの中、それと背後にいます」
「前後から挟まれる形じゃないかよ……」とセクトが言った。
「正面と右を俺達で処理する。後方をシリとミゼに任せたい」とユウルが言った。
ローナとミゼは頷き「分かった」と答えた。
足音が聞こえた。正面の茂みが揺れ二体が姿を現した。岩肌に似た灰色の皮膚を持つトカゲ型だ。四本足で尻尾に棘がある。
「行くぞ!」ユウルが走り出した。
正面の一体に向かって、剣を抜きながら間合いを詰めた。トカゲ型が尻尾を振り、棘の尻尾が空気を切った音がした。ユウルはそれを前傾姿勢で躱して腹に剣を突き刺した。
同時にセクトが右の茂みに向かって踏み込んだ。茂みの中から飛び出してきた一体の頭部を大剣で切り落とした。
もう一体がセクトの背後から来た。
「セクトっ!後方にいるわ!」とカルナが叫んだ。
セクトが振り返りながら大剣を横に払った。棘の尻尾が大剣に切られ、よろめいたところをセクトが踏み込んで、もう一撃を入れた。
後方では、ローナとミゼが動いていた。
背後から来た二体は動きが速かった。俊敏な個体のようだ。一体がローナに向かって飛びかかった。ローナは躱し右に跳んだ。魔物の背後に回り込んで、弱体化の術式を右後方足の関節に差し込んだ。魔物の後方足が急に動かなくなった。バランスを崩した魔物が地面に転んだ。
「ミゼ!」
「うん!」
ミゼが風の精霊を呼んだ。局所的な突風が転んだ魔物を岩壁に叩きつけた。もう一体がミゼに向かった。ミゼは新たに雷の精霊を呼び出し、迫りくる魔物の前足に触れて精霊の電流を流した。魔物が痺れて止まった。ローナが追いつき、魔物に魔法で止めを刺した。
これで五体の魔物は全て処理した。
迂回路は、想定より険しかった。
山の中腹から外れて北側の斜面を登る必要があった。足元が岩と土で、雨上がりの後らしく至る所がぬかるんでいた。
セクトが先頭で足場を確認しながら登った。カルナが転びかけ、マルセルが咄嗟に手を掴んだ。
「ありがとうございます」
「気をつけてください。急斜面です」
「分かってるんですけど、足が……」
ローナは異空間で岩場の訓練を何度もやった。バランス感覚は、前より格段に上がっている。ぬかるみでも、足裏で地面の状態を感じながら調整できる。
ミゼは小動物のように軽やかに登った。精霊族は本来、自然の中での行動が得意らしく、険しい地形でも全く躊躇わなかった。
「ミゼ、速いな」とセクトが言った。
「なれてるから」
斜面を登りきると視界が開けた。目の前に広がる光景に全員が足を止めた。その方向には黒い要塞が見えた。
三重の城壁が山の麓に築かれていた。城壁の高さは、この距離からでも圧倒的に見えた。黒い石造りで、その上に無数の松明が並んでいる。
「あれが東の砦か」前に出ていたセクトは後ろを振り向いた。
マルセルが望遠魔法を使って、砦の細部を観察した。
「砦の中ですが、第一城壁と第二城壁の間に哨戒の魔族が定期的に動いています。第三城壁の内側には強い魔力反応が複数あり、守備の魔族が相当数います」
「内部への侵入経路は」ローナはマルセルに聞いた。
「北西側の第一城壁に他より薄い部分があります。情報通りですね。そこから侵入できれば、第二城壁との間の通路に出られます」
「哨戒の動きは分かるか」ユウルはマルセルに聞いた。
「……どうやら一定の法則にしたがって巡回しているようです。それと第一城壁の薄い部分に近づく前に複数の魔物の群れがいます。これを処理または回避しなければ、城壁まで近づけません」
ローナは考えた。「三つの集団を別々に処理するより、誘導して一か所に集めてから一度に処理した方が効率がいい。ミゼ、できるか?」
「どうやって誘導するの?」
「精霊で魔物が反応する類の匂いを作れないか?」
ミゼが考えた。「……やってみる。精霊に頼む」
「なら、それでいこう。休憩を取りながら作戦を立てる。日が沈んでから動こう」ユウルが言った。
日が落ちて空が暗くなり、星が出ていた。一行は斜面の陰に身を潜めながら、砦の方向を観察した。
「準備はいいか?」とユウルが言った。
「準備はできている」とローナが答えた。
皆も頷いた。
作戦は、ミゼが精霊魔法で誘導の匂いを三つの集団の魔物に向けて放つ。各魔物を砦の北側の岩場に誘導し、そこで一行が待ち受けて素早く処理する。
ローナはミゼに顔を向けた。「ミゼ、始めてくれ」
「うん」ミゼが精霊に命じた。
不可視の何かが夜の空気に溶けた。数分後、砦の周辺が騒がしくなった。翼型の魔物の群れが北の方角に飛び始めた。続いて、地を這う魔物が同じ方角に移動を始めた。人型に近い魔物の群れが遅れて同じ方向に動いた。
「上手くいきましたね」とマルセルが小声で言った。
魔物達が北の岩場に集結し始めた。
「行くぞ」ユウルは仲間達に合図をした。
それを機に全員が動いた。
ミゼが土の精霊を呼び、土壁で周りを覆った。岩場に魔物が集まったところに勇者一行が包囲した。左側にユウルとセクト。右側にマルセルとカルナ。正面にローナとミゼ。
「マルセル、広域魔法を頼む!」とユウルが言った。
「展開します」マルセルが両手に術式を展開した。上空から降り注ぐ電撃の広域魔法が岩場全体を包んだ。
魔物達が動きを止めた。その瞬間にユウルとセクトが左側から斬り込んだ。ユウルが先頭の翼型数体を素早く処理した。セクトが地を這う型の群れに向かって横薙ぎを放った。
ローナが正面の人型に近い魔物に向かった。五体が一斉に来た。ローナは走りながら、先頭の一体の足元に弱体化の術式を差し込んだ。足が止まった一体が後続の四体の進行を邪魔した。
その混乱の隙間に、ミゼの風精霊の突風が入った。五体が纏めて吹き飛ばされた。
「右側からも来ました!」とカルナが叫んだ。
一部の土壁が壊され、茂みから増援が来た。哨戒を外れていた個体が騒ぎを聞きつけたようだ。
「囲まれる前に前に出ろ!」とユウルが言った。ユウルが増援の群れの中に飛び込んだ。剣に魔力を乗せて連続で薙いだ。増援の先頭数体が倒れたが後続が来た。
セクトが横に並んだ。「俺が右を取る!」
「頼む!」
二人が並んで増援の群れを押し返した。
マルセルが後方から魔法を重ねた。
カルナが全員の状態を見ながら回復魔法を展開した。
ローナとミゼが前方の群れの処理を終えて、増援の後方に回り込んだ。後方から弱体化を数体に施した。動きが鈍くなった魔物に風精霊の突風が当たった。
「これで全部か」とユウルが確認した。
「はい、周囲の魔力反応が消えました」
「よし、急いで砦に向かう」
勇者一行は砦に向かって走った。草の茂みを通り抜け岩場を越え、砦の外壁に張り付いた。
「ここです。他より結界が薄くなっています」とマルセルが壁の一部を指した。
確かに表面は同じように黒い石でできているが、魔力の密度が他の部分より低かった。
「ここから僕とカルナさんで一時的ですが、全員に生命反応と魔力感知を抑える術式を二重に掛けます。これで砦の結界から弾かれることはないと思います」
マルセルとカルナは術式を展開した。
「ここは、どうやって越える?」とセクトが言った。
「鈎縄を使う」とユウルが言った。荷物から鉄の鈎縄を取り出し、城壁の上部を狙って放った。うまく引っかかり、引っ張ってみる。
「問題ない。このまま行く」ユウルが壁を登り始めた。鈎縄を使って素早く登り、城壁の上部に達すると上に魔族の姿がないことを確認して下に手を振った。
セクトが次に登った。カルナ、マルセル、ミゼと続いた。ローナが最後に登った。
城壁の上に全員が上がった時、足音が聞こえた。
「向こうへ飛び降りろ」とユウルが小声で言った。
全員が城壁の内側に飛び降りた。魔法で衝撃を吸収し着地した。第一城壁と第二城壁の間の通路に出た。魔族が二体、通路を歩いていた。全員が壁に張り付き、通り過ぎるのを待った。
「次の城壁まで走る。マルセル、方向を頼む」
「こちらです」とマルセルが指した。
その指した方向へ走った。
第二城壁は第一より高かった。また鈎縄を使い、全員が越えた。
第二と第三の間の通路は、第一と第二の間より広かった。ミゼが精霊で周囲の音を吸収し、足音が消えた。マルセルが進行方向を確認しながら先導し通路を歩いていく。
第三城壁の前に来た時、問題が起きた。扉があり、城壁の中に入る扉が閉まっていた。そして扉の前に見張りが四体いた。
「力技で行くか?」とセクトが小声で言った。
「いや、やめておこう。まだ騒ぎにしたくない」とユウルが言った。
「扉の左側通路の上を鈎縄で越えてみましょうか」マルセルは提案した。「ただ、問題は投げる音です。鈎縄が城壁に当たる音が見張りに聞こえる可能性があります」
ミゼが「私が精霊を使う」と言った。
ユウルがミゼの方に顔を向ける。
「精霊で音を包む。金属が当たる音の範囲を狭い範囲に閉じ込める。見張りのいる場所まで届かないようにできる、たぶん……」
「たぶん、というのが気になるんですけど……」セクトが不安そうに呟いた。
「……やってみないと分からない」
「……それでいい、やってくれ」とユウルが言った。
ミゼが精霊に命じた。見えない膜のようなものが城壁の近辺に展開した。
「投げるぞ」ユウルが鈎縄を投げた。城壁に当たった。四体の見張りは一体も気づかなかった。
「……成功」とミゼが安堵の声で言った。
「よくやった」とユウルが小声で言った。
全員が素早く城壁を登り、第三城壁の内側に全員が降りた。そこが、砦の最奥だった。
第三城壁の内側は、本格的な要塞の構造だった。
石造りの建物が複数並んでいて廊下で繋がっている。守備の魔族が複数の場所にいた。
「数はどれくらいだ?」とユウルがマルセルに言った。
「……少なくとも三十はいますね」
「最上部まではどう行く」
「中央の階段を使うのが最短ですが、見張りがいます。別の経路は……」マルセルが建物の構造を感知しながら言った。「西側の壁に沿って、外から登る経路があります。内部の見張りを全員避けて、外壁を直接登れば最上部に近い窓まで行けます。どうしますか?」
「中央の階段を守る見張りだけを処理して、一気に最上部へ向かう」
全員が頷いた。
建物の入り口は、幸い無人だった。内部に入った瞬間に空気が変わった。魔力の圧力が増した。
「右の廊下に三体います」とマルセルが言った。「中央の階段は左の廊下を抜けて、突き当たりです。そこに四体の見張りがいます」
「四体を処理して階段を確保する。右の廊下の三体は、音を聞きつけなければこちらに来ない。左から行く」
全員が左の廊下を進んだ。突き当たりに四体の見張りがいる。見張りは、こちらに気づいていなかった。廊下の角を曲がった瞬間にまだ背中を向けていた。
ユウルが手で合図し、全員が走った。四体が気づいて振り返った。しかし、叫ぶ前にユウルが先頭の一体の口を塞いで壁に押しつけ剣で突き刺した。セクトが二体目に大剣で切りかかった。ローナが三体目の首筋に弱体化の術式を差し込み魔法で倒した。マルセルが四体目を術式で縛りミゼが精霊で押しつぶした。
「上に行くぞ」ユウルは階段の前に立って言った。
階段を上り始めた瞬間に、上から声がした。
「誰だ!」見張りが二体いた。
ユウルが即座に走った。見張りの一体が叫んだ。
「侵入者だ!!」叫び声が辺りに響いた。
「急げ!」とユウルが叫んだ。
一体にユウルが剣を当て、セクトが叫んだ方の一体を処理した。下から足音が聞こえた。更に上からも足音が聞こえた。
「マルセルとカルナは後方を頼む!」とユウルが言った。
「はい!」
「俺とセクトは前を突破する。シリとミゼは援護を頼んだ!」
「分かった!」
下から三体が来た。マルセルが階段の下部に術式の網を展開した。魔力の網が床に広がって、足を絡め取った。三体がもつれて転んだ。カルナが後方の結界を維持した。
上から五体が来た。
ユウルが剣を構えながら走り、先頭の一体の胸を剣で切り裂いた。衝撃で飛ばされた一体が二体にぶつかった。セクトが続いて上り、連鎖で倒れかけている二体を纏めて大剣で突いた。
ユウルとセクトが最上部の一歩手前の踊り場を制圧した。残り二体が構えた。
ローナが踊り場に上がって、二体の足元に弱体化を差し込んだ。足が鈍くなった瞬間に、ユウルが一体、セクトが一体を処理した。
「全員、上に上がれ!」ユウルが叫んだ。
マルセルとカルナが踊り場まで上がり、ミゼが最後に上がった。
廊下を突き進み、ユウルが最上部への扉を開けた。




