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異端(仮)  作者: vastum
分岐編
58/110

閑話③

ユウが一度だけ本気でキレた日


 ユウは、基本的に怒らない。


 正確に言うと、怒っているかどうかが分からない。

 声は一定。表情も一定。

 語尾もほぼ変わらない。


 だからこそ、ノイズの中では

「一番冷静」

「一番信用できる」

「一番キレたら怖い」

という評価が、満場一致で固まっている。


 ――そして、その“万が一”が起きたのが、この日の話だ。



 その街は、小さかった。


 交易路の途中にある、立ち寄り用の街。

 宿は一つ、酒場が二つ、武器屋は一軒だけ。

 人も少ない。


 つまり、目立つことをすると一瞬で噂になる街だ。


「今日は静かだな」

 カイが言う。


「静かすぎる」

 俺が返す。


「平和ってことだろ?」

 カイが笑う。


 ユウが、ぽつり。


「違う」


「え?」

 カイが振り返る。


「静かすぎる」

 ユウは繰り返す。

「情報がない」


「情報屋がいないって意味?」

 俺が聞く。


「違う」

「“愚痴”がない」


 その瞬間、全員が理解した。


 酒場に入っても、誰も騒がない。

 喧嘩もない。

 自慢話もない。


 目が合うと、逸らされる。


(……ああ、これ)


 レナが小さく息を吐く。


「支配されてる街」


「だな」

 カイが珍しく真面目な声で言う。


 フェリスは短く結論を出した。


「深入りするな」

「補給だけして出る」


 それが正解だった。

 本来なら。



 問題は、子どもだった。


 武器屋の裏。

 ユウが物資の確認をしている間、俺とカイは外で待っていた。


 そこで、見た。


 少年が、殴られていた。


 相手は、大人三人。

 理由は、すぐ分かった。


「てめえ、またパン盗んだな?」


「ち、違う……!」


「嘘つけ」

「ここにあるだろ」


 落ちているパン。

 硬い、保存食。


 少年は、痩せていた。

 殴られても、声を出さない。

 出せない。


 カイが一歩前に出た。


「おい」

「それ、やりすぎだろ」


 大人が振り返る。


「あ?」

「なんだお前ら」


 カイは笑顔を作る。


「いやー、ちょっとさ」

「話、聞こうぜ」


「関係ねえだろ」

「よそ者は黙ってろ」


 その時。


 ユウが、静かに歩み出た。


「……放せ」


 声は低くも高くもない。

 ただ、温度がなかった。


「なんだてめえ」

「仲間か?」


「違う」

 ユウは首を振る。

「状況の確認」


「確認だぁ?」

 男が笑う。

「盗みは罪だろ」


「盗み」

 ユウは淡々と言う。

「それは事実」


「だろ?」

「なら――」


「だが」

 ユウは続けた。

「殴る権利は、ない」


 一瞬、空気が止まる。


 男の一人が、少年を突き飛ばした。


「生意気言うな!」


 その瞬間だった。



 ユウが、動いた。


 速さじゃない。

 派手さもない。


 ただ、男の腕を掴み、関節を“正しい方向と逆”に折った。


 音がした。


 鈍い音。

 嫌な音。


「ぎゃあああ!!」


 叫び声が路地に響く。


 残りの二人が、一瞬遅れて構える。


「な、何しやが――」


 ユウは、彼らを見る。


 初めてだった。


 俺が見た中で、

 ユウの目に“明確な感情”が宿ったのは。


 それは怒りでも殺意でもない。


 断罪だ。


「次」

 ユウは言った。

「触れたら、同じ」


 二人は、逃げた。


 少年は、地面に座り込んで震えている。


 カイが慌てて駆け寄る。


「おい、大丈夫か?」


 少年は、こくこくと頷くだけ。


 ユウは、少年の前にしゃがんだ。


「……盗んだのは、事実か」


 少年は、しばらく黙ってから、小さく頷いた。


「……腹が、減って」


 ユウは、少し考えてから言った。


「理由は理解した」

「だが、正解ではない」


 少年の肩が、びくっと揺れる。


「……だが」


 ユウは続けた。


「殴られる理由には、ならない」


 それだけ言って、立ち上がる。


 レナが、ユウを見る。


「……今の、やりすぎ?」


 ユウは首を振る。


「最小限」


「嘘つけ」

 カイが言う。

「腕、完全に壊れてたぞ」


「再起不能ではない」

 ユウは淡々。

「医者に行けば治る」


「基準がおかしい!」


 フェリスが、静かに言った。


「……理由を聞いていい?」


 ユウは少しだけ間を置いた。


「過去」

 短く言う。


 それ以上は語らない。



 その夜。


 宿の一室で、カイが俺に囁いた。


「なあ」

「ユウ、あんな顔するんだな」


「ああ」

 俺も頷く。

「初めて見た」


「正直」

 カイは言う。

「ちょっと怖かった」


「同意」

 俺が言うと、


「同意」

 レナも言った。


 フェリスが、最後に言う。


「……だが、間違ってはいない」


 その言葉に、誰も反論しなかった。


 ユウは、キレた。


 一度だけ。

 静かに。

 そして、正確に。


 だからこそ、

 ノイズは今日も、彼を信じている。


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