閑話③
ユウが一度だけ本気でキレた日
ユウは、基本的に怒らない。
正確に言うと、怒っているかどうかが分からない。
声は一定。表情も一定。
語尾もほぼ変わらない。
だからこそ、ノイズの中では
「一番冷静」
「一番信用できる」
「一番キレたら怖い」
という評価が、満場一致で固まっている。
――そして、その“万が一”が起きたのが、この日の話だ。
⸻
その街は、小さかった。
交易路の途中にある、立ち寄り用の街。
宿は一つ、酒場が二つ、武器屋は一軒だけ。
人も少ない。
つまり、目立つことをすると一瞬で噂になる街だ。
「今日は静かだな」
カイが言う。
「静かすぎる」
俺が返す。
「平和ってことだろ?」
カイが笑う。
ユウが、ぽつり。
「違う」
「え?」
カイが振り返る。
「静かすぎる」
ユウは繰り返す。
「情報がない」
「情報屋がいないって意味?」
俺が聞く。
「違う」
「“愚痴”がない」
その瞬間、全員が理解した。
酒場に入っても、誰も騒がない。
喧嘩もない。
自慢話もない。
目が合うと、逸らされる。
(……ああ、これ)
レナが小さく息を吐く。
「支配されてる街」
「だな」
カイが珍しく真面目な声で言う。
フェリスは短く結論を出した。
「深入りするな」
「補給だけして出る」
それが正解だった。
本来なら。
⸻
問題は、子どもだった。
武器屋の裏。
ユウが物資の確認をしている間、俺とカイは外で待っていた。
そこで、見た。
少年が、殴られていた。
相手は、大人三人。
理由は、すぐ分かった。
「てめえ、またパン盗んだな?」
「ち、違う……!」
「嘘つけ」
「ここにあるだろ」
落ちているパン。
硬い、保存食。
少年は、痩せていた。
殴られても、声を出さない。
出せない。
カイが一歩前に出た。
「おい」
「それ、やりすぎだろ」
大人が振り返る。
「あ?」
「なんだお前ら」
カイは笑顔を作る。
「いやー、ちょっとさ」
「話、聞こうぜ」
「関係ねえだろ」
「よそ者は黙ってろ」
その時。
ユウが、静かに歩み出た。
「……放せ」
声は低くも高くもない。
ただ、温度がなかった。
「なんだてめえ」
「仲間か?」
「違う」
ユウは首を振る。
「状況の確認」
「確認だぁ?」
男が笑う。
「盗みは罪だろ」
「盗み」
ユウは淡々と言う。
「それは事実」
「だろ?」
「なら――」
「だが」
ユウは続けた。
「殴る権利は、ない」
一瞬、空気が止まる。
男の一人が、少年を突き飛ばした。
「生意気言うな!」
その瞬間だった。
⸻
ユウが、動いた。
速さじゃない。
派手さもない。
ただ、男の腕を掴み、関節を“正しい方向と逆”に折った。
音がした。
鈍い音。
嫌な音。
「ぎゃあああ!!」
叫び声が路地に響く。
残りの二人が、一瞬遅れて構える。
「な、何しやが――」
ユウは、彼らを見る。
初めてだった。
俺が見た中で、
ユウの目に“明確な感情”が宿ったのは。
それは怒りでも殺意でもない。
断罪だ。
「次」
ユウは言った。
「触れたら、同じ」
二人は、逃げた。
少年は、地面に座り込んで震えている。
カイが慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
少年は、こくこくと頷くだけ。
ユウは、少年の前にしゃがんだ。
「……盗んだのは、事実か」
少年は、しばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……腹が、減って」
ユウは、少し考えてから言った。
「理由は理解した」
「だが、正解ではない」
少年の肩が、びくっと揺れる。
「……だが」
ユウは続けた。
「殴られる理由には、ならない」
それだけ言って、立ち上がる。
レナが、ユウを見る。
「……今の、やりすぎ?」
ユウは首を振る。
「最小限」
「嘘つけ」
カイが言う。
「腕、完全に壊れてたぞ」
「再起不能ではない」
ユウは淡々。
「医者に行けば治る」
「基準がおかしい!」
フェリスが、静かに言った。
「……理由を聞いていい?」
ユウは少しだけ間を置いた。
「過去」
短く言う。
それ以上は語らない。
⸻
その夜。
宿の一室で、カイが俺に囁いた。
「なあ」
「ユウ、あんな顔するんだな」
「ああ」
俺も頷く。
「初めて見た」
「正直」
カイは言う。
「ちょっと怖かった」
「同意」
俺が言うと、
「同意」
レナも言った。
フェリスが、最後に言う。
「……だが、間違ってはいない」
その言葉に、誰も反論しなかった。
ユウは、キレた。
一度だけ。
静かに。
そして、正確に。
だからこそ、
ノイズは今日も、彼を信じている。




