閑話①
カイが一番ひどいやらかしをした日の話
その日、俺たちは――平和だった。
いや、正確には「平和っぽかった」。
異端旅団が平和な時ってだいたい、「嵐の前の静けさ」か「嵐の途中の錯覚」の二択なんだけど、あの日は後者だった。
街は中規模。人も物もほどほどに流れていて、飯屋も多い。
つまり――カイの目が輝く環境だ。
「なあシオン、聞いて驚け」
カイが俺の肩を組んできた。肩を組む必要はない。
「何?」
「この街、祭りがある」
「へえ」
「そして祭りってのはだな」
カイがにやっとする。
「財布の紐が緩む」
「最悪の発想やめろ」
「誤解するなよ?」
カイは胸を張る。
「俺は盗むんじゃない。流れに乗るだけだ」
「その“流れ”って何?」
「客のテンションという名の洪水」
カイが真面目な顔で言った。
横でレナが無言でカイの後頭部を見つめている。
殺意ではない。多分。
たぶん、教育的指導の準備だ。
ユウは地図を眺めながらぽつりと言う。
「問題が起きる確率、上昇」
「問題って、俺?」
カイが即座に聞く。
「主語は省略した」
ユウが淡々と返す。
「ほぼ俺じゃねえか!」
リィナは串焼きを両手に持って、口いっぱいに頬張っていた。
王女だとかそういうの以前に、食いしん坊の顔だ。
「んふっ、んん……!」
口に物があるまま何か言おうとして、レナに無言で止められる。
「飲み込んでから喋りなさい」
「ん、んん……うん!」
フェリスは淡々と歩き、淡々と言った。
「必要な物を買う」
「余計なことはするな」
その言葉に、カイが満面の笑みを浮かべる。
「余計じゃないことはしていいってことだな!」
「違う」
レナが即答。
「違う」
ユウも即答。
「違う」
俺も即答。
フェリスは振り返らない。
それが一番怖い。
⸻
祭りの屋台通りは、人で溢れていた。
音。匂い。笑い声。
そして、カイのテンションが限界まで上がる。
「見ろよ! あのデカい鍋!」
「見ろよ! あの肉の塊!」
「見ろよ! あの“無料試食”の文字!」
最後が一番まずい。
「カイ、無料試食は一口だけだぞ」
俺が釘を刺すと、
「分かってる分かってる」
カイはにやにやしながら言った。
「一口だけだよ。十口くらい」
「増えてる増えてる」
レナが前に出て、冷たい声で言う。
「一口です」
「それ以上やったら、あなたの“口”を塞ぎます」
「物理的に!?」
ユウがぼそり。
「可能」
「可能じゃねえよ!」
リィナが楽しそうに笑う。
「カイ、がんばって!」
「応援すな!」
フェリスは屋台の列から離れて、必要物資の売り場へ向かっている。
薬草、乾燥肉、布、針、火打ち石。
……まともだ。
俺はまともな買い物に付いていこうとした。
でもカイが俺の袖を引いた。
「シオン、付き合え」
「何に」
「これだ」
カイが指差したのは、簡易ステージ。
看板にデカデカと書かれている。
『大食い競争! 優勝者に金貨五枚!』
俺は嫌な予感がした。
「やめとけ」
「なんで」
「お前、食うの遅いだろ」
「失礼だな」
カイは真顔で言った。
「俺は“味わう派”だ」
「大食いは味わう競技じゃない」
レナがすっと横に来て、カイの腕を掴む。
「行きません」
「行く」
カイが即答。
「行きません」
「行く」
押し問答が始まる。
リィナが間に入って、妙に真剣な顔で言った。
「ねえ、金貨五枚って強いよ?」
「やめろリィナ、煽るな」
俺が言うと、
「だって!」
リィナは言う。
「金貨五枚あったら、触媒が三つ買えるよ!」
「買うな!」
ユウがさらっと言った。
「参加すれば、問題が起きる」
「参加しなければ、問題は起きない」
「正論すぎる」
俺が呻くと、
「なら参加しない」
フェリスが淡々と言って戻ってきた。
よし、これで――と思った瞬間。
カイが笑った。
「参加しないのは俺じゃない」
「参加するのは――シオンだ」
「は?」
俺は理解できなかった。
理解できないうちに、カイがステージの受付に走り、紙を一枚ひらひらさせて戻ってきた。
「登録した!」
「誰を!?」
「シオン」
「勝手に!?」
「大丈夫!」
カイが親指を立てる。
「お前は戦闘の天才だろ?」
「食い方も洗練されてるに決まってる」
「論理が飛躍しすぎだろ!!」
レナがため息をついた。
「……あなた、今日一番の罪は何だと思う?」
「え、俺?」
「当然」
「いやでも!」
カイは必死に言う。
「金貨五枚だぞ!?」
「これ勝ったら、今夜の飯が豪華になる!」
「レナの料理以外が食える!」
その瞬間、空気が凍った。
「……え?」
カイがゆっくり振り返る。
レナが笑っていない笑みを浮かべた。
「あなた」
「今、何と言いました?」
「いや、違う」
カイが汗をかく。
「“以外”ってのは、つまり“追加”って意味で――」
「言い訳が下手」
ユウが即評。
「止め刺すな!」
フェリスが短く言った。
「参加するなら勝て」
「負けるなら降りろ」
俺は頭を抱えた。
(何で俺が大食い大会で戦う羽目に……)
だが、ここで降りると屋台通りの視線が痛い。
妙に煽られている。
人は群れると無責任になる。
カイが俺の背中を叩く。
「頼む!」
「この街で“金の匂い”を嗅いだのは久しぶりなんだ!」
「金の匂いって何だよ」
俺が言うと、
「自由の匂い」
カイが真顔。
……たまに、いいこと言うのが腹立つ。
「分かった」
俺はため息をついた。
「でも負けたらお前のせいな」
「勝ったら俺のおかげな!」
「都合良すぎだろ!」
⸻
ステージの上。
俺の前に並ぶのは――山盛りの肉丼。
司会が叫ぶ。
「さあさあ! 大食いの猛者ども! 腹は減ってるか!?」
「優勝者には金貨五枚! そして名誉! そして――胃もたれ!」
最後いらない。
隣の参加者がガタイのいい男で、拳を鳴らしている。
さらに隣は細身の女で、目がギラギラだ。
(やばい、ガチ勢だ)
下でカイが手を振る。
「いけー! シオーン!」
「お前ならいけるー!」
「急に応援団になるな!」
レナは腕を組んでいる。
目が冷たい。
多分カイへの。
リィナは楽しそうに跳ねている。
「がんばれー!」
「勝ったら触媒買っていい?」
「ダメ!」
ユウはぼそり。
「胃袋の線を越えるな」
「線の使い方おかしいだろ」
開始の合図。
俺は、食う。
食うしかない。
でも――戦闘の時みたいに“洗練”は出ない。
ただ噛む。飲み込む。噛む。飲み込む。
横のガチ勢が速い。
すごい。怖い。
(これ、無理だな……)
と思った瞬間、下からカイの声が飛んできた。
「シオン!」
「“剣を振るう時”みたいにいけ!」
「食事に剣の理論持ち込むな!」
だが、なぜかその言葉で頭が切り替わった。
(……動作を無駄なく)
箸の運び。
口に入れる角度。
噛む回数。
飲み込みのタイミング。
――洗練。
俺は自分でも分かるくらい、食い方が変わった。
速くなったというより、“詰まらない”ようになった。
「おおおおお! この参加者、急に動きが美しい!」
司会が叫ぶ。
「それ褒めてるのか!?」
だが、追い上げる。
周囲の観客が沸く。
「いけるぞ!」
「なんだあの食べ方!」
「無駄がない!」
俺は笑えなかった。
必死だ。
そして――
「終了!」
司会の合図で、俺は箸を止めた。
胃が重い。
視界が揺れる。
結果発表。
俺は――
「第二位!」
「くっそおおおおおお!!」
カイが下で叫んだ。
「お前が悔しがるな!」
俺が叫び返す。
優勝者はガチ勢の男。
当然だ。あいつは人間じゃない。胃袋が別生物だ。
俺はステージを降りる。
そこで終われば良かった。
……終われば。
⸻
問題はここから起きた。
カイが、司会に詰め寄ったのだ。
「なあ、第二位にも何かあるだろ!?」
「参加賞とか!」
「努力賞とか!」
司会が苦笑して言う。
「参加賞は……こちらの“記念木彫り人形”です!」
「木彫り!?」
カイが叫ぶ。
「金じゃねえのかよ!」
「金貨五枚は優勝者だけでーす!」
カイが俺を見た。
「シオン、木彫りでいいのか?」
「いいわけないだろ」
俺は真顔で言った。
「だろ?」
カイが頷く。
「じゃあ取るしかない」
「何を!?」
カイが優勝者の肩を叩いた。
「なあ兄ちゃん」
「金貨五枚、半分くれ」
「は?」
優勝者が顔を歪める。
「だってシオン、第二位でめっちゃ頑張ったし」
「知らんがな!!」
優勝者が怒鳴る。
観客がざわつく。
俺は頭を抱えた。
(こいつ、何やってんだ……!)
レナが無言で前に出る。
フェリスも一歩動く。
ユウの目が細くなる。
これはまずい。
そして最悪のタイミングで、警備の男たちが寄ってきた。
「おい、揉め事か?」
「違う違う!」
カイが笑顔で手を振る。
「交渉してるだけだ!」
「交渉内容が強盗に近い」
ユウが淡々と言う。
「近くねえよ! 心の共有だよ!」
「意味が分からない」
レナがカイの襟首を掴んだ。
「撤退します」
「待て待て待て!」
カイが必死に抵抗する。
「ここで撤退したら俺のプライドが!」
「プライド捨てろ」
「捨てたくない!」
フェリスが短く言った。
「捨てろ」
その一言に、カイが急に大人しくなる。
「……はい」
なのに――
カイは大人しくなっただけで、諦めていなかった。
撤退しながら、どこかの屋台の箱をひょいっと持ち上げた。
中身はパン。
大量のパン。
「何してんの!?」
俺が言うと、
「フードロス対策」
カイが真顔で言った。
「言い訳が雑すぎる!!」
「いやほら!」
カイが必死に続ける。
「このパン、余ってた!」
「俺が持ってくと、みんな幸せ!」
「店の人は幸せじゃない!」
案の定、店主が怒鳴った。
「泥棒!!」
警備が動く。
「捕まえろ!」
「やばい!」
カイが叫ぶ。
「逃げるぞ!」
「お前が原因だ!!」
俺たちは走った。
……ここまでが、カイの“最悪のやらかし”の前半である。
⸻
逃げ込んだ路地裏。
カイはパンの箱を抱えたまま息を切らしている。
「なあ、これさ」
カイが言う。
「俺、悪くないよな?」
「悪い」
レナが即答。
「悪い」
ユウも即答。
「悪い」
俺も即答。
フェリスは一言。
「愚か」
「満場一致で刺すな!」
リィナが箱を覗き込む。
「わあ……パンいっぱい」
「食うな」
レナが言う。
「ええ……」
カイが箱を抱えて、急に真剣な顔になった。
「でもさ」
「俺、思ったんだよ」
「何を」
フェリスが問う。
「このパン」
カイが言った。
「孤児院に持ってけばよくない?」
「……は?」
俺が言う。
カイは妙にまっすぐだった。
「路地入る時に見たんだよ」
「子どもがさ、屋台の匂い嗅いで、腹鳴らしてた」
「祭りの日ってさ」
「金ないやつ、余計に苦しいんだよ」
その言葉に、誰もすぐ返せなかった。
レナが小さく息を吐く。
「……盗んだものを善意で正当化しないで」
「正当化じゃない」
カイは言う。
「“補正”だ」
「補正で済む問題じゃない」
ユウが淡々と結論を出す。
「返すべき」
「そして、必要なら買うべき」
「金ない」
カイが即答。
「……ある」
俺が言った。
「え?」
カイが俺を見る。
俺は、さっきの参加賞の木彫り人形を見せた。
「これ、売れば少しになる」
「……たぶん」
「木彫りが!?」
カイが叫ぶ。
「価値はあるかもしれないだろ!」
フェリスが言った。
「解決策」
「店に謝罪し、弁償し、孤児院には“買ったパン”を届ける」
「完璧」
ユウが頷く。
「地獄」
カイが呻く。
「謝るの苦手」
「今やれ」
レナが冷たく言う。
「うう……」
そうして俺たちは、パン屋台に戻った。
警備の視線が刺さる。
店主の怒りが刺さる。
カイのプライドが死にかける。
「……すみませんでした」
カイが頭を下げた。
「俺が悪かった」
店主が睨む。
「当たり前だ!」
「弁償します」
俺が言った。
「これで足りるか分からないけど……」
木彫り人形を差し出すと、店主は一瞬、表情が揺れた。
「……それ、祭りの記念品だろ」
「悪くない彫りだ」
買い取ってくれた。
金貨にはならないが、銀貨数枚。
それでパンを買う。
カイはまだ頭を下げている。
「……孤児院に持ってきたい」
カイが言った。
「買ったやつで」
店主はしばらく黙ってから、ため息をついた。
「……余りもある」
「持ってけ」
「え?」
カイが顔を上げる。
「祭りの終わりに捨てるくらいなら」
「腹減ってるやつにやる」
「ただし二度と盗むな」
「はい!」
カイが勢いよく頷く。
レナが小さく言った。
「……良かったね」
「レナ、今ちょっと優しい」
カイが嬉しそうに言うと、
「勘違いしないで」
レナが即戻る。
ユウがぼそり。
「結果として、救われた」
「原因は最悪」
「原因の話やめて!」
⸻
孤児院は、街の端にあった。
大きくない建物。
子どもたちが門の近くで遊んでいる。
祭りの音は遠い。匂いも薄い。
俺たちがパンの袋を抱えて現れると、子どもたちの目が一斉に輝いた。
「パン!」
「うそ、パン!?」
「おじちゃんたち、くれるの!?」
「おじちゃん言うな!」
カイが反射で叫び、
すぐに咳払いして言い直す。
「……兄ちゃん、だ」
「どっちでもいい!」
子どもが笑う。
リィナがパンを配り始める。
手際が良い。
配りながら、子どもたちの頭を撫でている。
レナは壁際で見守っていた。
表情は変わらない。
でも、目が少し柔らかい。
ユウは周囲を確認して、逃げ道や危険を計算している。
フェリスは院長らしき女性と短く会話して、必要があれば支援に繋げるための情報を得ている。
カイは――子どもに囲まれていた。
「ねえねえ、パンもっとちょうだい!」
「待て待て、順番!」
カイが焦る。
「一気に食うな! 喉詰まる!」
子どもが笑う。
「おじちゃん優しい!」
「だからおじちゃんじゃない!」
俺はその光景を見て、やっと思った。
(こいつ……ほんとに、ただの悪党じゃない)
悪党なら、ここまで面倒を背負わない。
面倒を背負うから、面倒なんだ。
配り終えた後、院長が頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……祭りの日は、余計に子どもたちがつらくて」
カイが、少しだけ気まずそうに笑った。
「いや、その……」
「俺がやらかした結果なんで」
院長が首を傾げる。
「やらかした?」
「……聞かないでください」
カイが真顔で言った。
院長は笑った。
「分かりました」
「でも、結果が優しさなら、子どもたちは助かります」
その言葉に、カイが少しだけ黙って、頭を掻いた。
「……次は、最初からちゃんとやる」
「それは無理」
レナが即答。
「ひどい!」
フェリスが言った。
「無理でも、やれ」
「はい……」
ユウがぽつり。
「次は最初から謝ればいい」
「それだ!」
カイが指を立てる。
「謝るのが先!」
「学んだのそこ?」
俺が笑う。
リィナが俺に近づいてきて、小声で言った。
「ねえ、カイって」
「バカだけど、いい人だね」
「バカが先に来るんだな」
俺が言うと、
「先に来るよ」
リィナが真顔。
カイが遠くから叫ぶ。
「おい! 二人で俺の悪口言うな!」
「悪口じゃない」
俺が言う。
「褒めてる」
リィナも言う。
「褒めてるならもっと分かりやすく褒めろ!」
俺たちは笑った。
祭りの喧騒は遠い。
でもここには、別の温度がある。
帰り道、カイがぽつりと言った。
「……なあ」
「俺、今日さ」
「最悪だった?」
「最悪」
レナが即答。
「最悪」
ユウも即答。
「最悪」
俺も即答。
フェリスは短く。
「愚か」
「四方八方から刺すな!」
でもカイは、笑った。
「……でもさ」
「子どもたち、笑ってた」
その一言で、俺たちは少し黙った。
カイのやらかしは最悪だった。
でも、最後に残ったものは――悪くなかった。
異端旅団は、今日も平和じゃない。
けど、平和じゃないなりに、誰かを笑わせる。
そういう集団だ。




