第16話
ふつうの朝と、正しい足音
朝の港は、塩とパンの匂いがした。
リュミエラの朝は忙しい。
船が入る。荷が下ろされる。笑い声が飛ぶ。喧嘩も起きる。
でも、誰もそれを“異常”扱いしない。
ただの生活として流れている。
「……なんか、腹減る街だな」
カイが伸びをした。
「港町はだいたいそう」
レナが言いながら露店の串焼きを覗く。
「あと、朝から人が強い」
実際、強い。
ドワーフが値切り合いをしている横で、三つ目の商人が堂々とぼったくり、獣人の子どもが笑いながら走り回り、巨人が小屋の屋根を直している。
視界が忙しくて、笑うしかない。
「俺たちが普通に見えるの、変な感じですね」
俺が言うと、
「ここでは、お前の方が“普通寄り”だ」
ユウが淡々と返した。
「それ、褒めてます?」
「評価だ」
フェリスは俺たちの少し前を歩き、道の端の掲示板を確認していた。
仕事を探しているわけじゃない。
街の空気を見ている。
「隊長」
レナが小走りで戻ってくる。
「これ見て」
彼女が指差したのは、掲示板の隅に貼られた小さな紙だった。
迷子探し
港の倉庫街
特徴:三つ目、耳が長い、よく転ぶ
俺は思わず笑った。
「特徴、雑すぎません?」
「本人が書いたんじゃない?」
カイが言う。
レナがにやりとした。
「手伝う?」
「本編に関係ないやつだよ?」
「関係ないのがいい」
フェリスが少し考え、短く言った。
「三十分だけ」
「この街の“普通”を見ておけ」
許可が出た。
⸻
迷子は、倉庫街の端で見つかった。
三つ目の小さな子――いや、見た目は子どもだが年齢は分からない。
港の柱にしがみつき、荷車を避けるたびに「うわっ」と声を出している。
「いた」
レナが手を振る。
迷子は、三つの目をぱちぱちさせた。
「……知らない人」
「でも、怖くない」
その言い方に、俺は妙に胸が温かくなった。
王都じゃ絶対に出ない言葉だ。
「おう、帰るか」
カイがしゃがみ込む。
「帰り道、わかんない」
「じゃあ、わかる人のとこ行く」
迷子はカイの手を取ろうとして、一瞬ためらい、結局掴んだ。
「……おじさん?」
「お兄さんな」
「おじさん」
「こいつ……!」
レナが笑い、ユウが小さく肩をすくめる。
フェリスは微妙に視線を逸らした。笑いそうになったのだと思う。
その時だった。
港の奥から、音がした。
規則的な足音。
硬い金属の擦れる音。
人の流れが、潮が引くみたいに避けていく気配。
迷子がぴたりと止まる。
「……やだ」
「来る」
声が小さく震えている。
フェリスの目が、細くなった。
「……帝国だ」
俺は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
港の喧騒の中に、
**場違いな“正しさ”**が混ざる。
⸻
現れたのは、十数名。
全員、人間。
鎧は統一。
動きも統一。
旗は小さく、でもはっきりと帝国の紋章を示している。
人間だけの列は、混成の港に、まるで異物みたいに刺さった。
指揮官らしき男が前に出る。
視線は真っ直ぐで、周囲の住民を“見ていない”。
そして、俺たちを見た。
いや――俺たちというより、俺を見た。
「……対象を確認」
男が部下に告げる。
「所属不明の五名」
「武装あり」
言葉の選び方が、王国と似ている。
でも温度が違う。
王国は測る。
帝国は、決めに来る。
フェリスが一歩前に出る。
「用件は」
指揮官は礼もなく答えた。
「貴様らの身柄を確保する」
「抵抗は許可されない」
周囲がざわつく。
港町の人々は距離を取るが、逃げない。
見守っている。
この街の住民は、誰かが理不尽に連れていかれるのを、ただ見捨てる文化じゃない。
だから、空気が張りつめる。
カイが笑った。
「確保って、俺たち何かしたっけ?」
「戦争を終わらせた」
指揮官が即答する。
「帝国の戦況を歪めた」
俺の背中が、ぞくりとした。
フェリスが冷たく言う。
「証拠は」
「必要ない」
指揮官は淡々と返す。
「帝国がそう定義する」
――来た。
定義。
言葉で人を殺せる国の言葉だ。
レナが迷子を庇うように後ろへ下がらせる。
「この子、関係ない」
「下がって」
迷子は泣きそうな顔で、俺の袖を掴んだ。
「……連れていかないで」
「いやだ」
俺は、剣の柄に手を置いた。
刃は静かだ。
でも、空気が尖っていくのが分かる。
フェリスが言った。
「拒否する」
「私たちはどこの軍にも属していない」
指揮官は眉一つ動かさない。
「属していないなら尚更だ」
「秩序の外側は、帝国に不要」
その言葉が、港の空気を凍らせた。
巨人が一歩前に出ようとするのを、獣人の老人が止める。
住民たちは怒っている。でも、武装した帝国兵に突っ込めるほど無謀でもない。
だから――
俺たちが動くしかない。
フェリスの声が低くなる。
「無力化」
「殺すな」
「了解」
ユウが即答する。
「うわ、最悪の相手だな」
カイが笑う。
「殺すな縛り、好きだぜ」
「好きじゃないでしょ」
レナが呆れる。
俺は、迷子の手をそっと外す。
「ここにいて」
「動かないで」
「……うん」
そして、一歩だけ前に出る。
フェリスの視線が来る。
止めろ、という意味じゃない。
――位置を守れ、という意味だ。
俺は“止める位置”に立つ。
⸻
最初に動いたのは帝国だった。
号令は短い。
「確保」
兵が三方向から迫る。
動きが揃っている。訓練された捕獲隊。
カイが前に出て、踏み込む。
斬らない。
殴る。
肩で押す。
足を払う。
勢いだけで来た兵が二人、地面に転がる。
「……!」
帝国兵の目が揺れる。
「殺さない……?」
ユウが側面から入る。
剣は抜かない。
肘を入れ、関節を極め、動きだけを奪う。
「うわ、容赦ない」
レナがぼやく。
「容赦している」
ユウが淡々と言う。
「生きている」
レナは魔術を張る。
光と音を歪ませ、隊列を崩す。
混乱を作らない。
分断だけ作る。
「隊長、やりやすいよ」
「ならいい」
フェリスは全体を見て、最短で指示を飛ばす。
「右、二人残ってる」
「カイ、押せ」
「ユウ、止めろ」
俺は――動かない。
いや、動けない。
帝国指揮官が、俺だけを見ている。
視線の圧が、違う。
「貴様だ」
指揮官が言った。
「戦略兵器を崩したのは」
俺は眉をひそめる。
「……知らないです」
「俺、そんな自覚ない」
本音だった。
だが指揮官は笑わない。
「自覚がなくても、結果は同じだ」
「帝国は結果を回収する」
剣を抜く音。
指揮官が、俺に向けて剣を構える。
その動きが、妙に“正しい”。
正しい剣。
正しい姿勢。
正しい殺意。
俺は一歩、半歩、体をずらす。
斬らない。
斬らせない。
最初の一撃を、剣の腹で受け流す。
次の突きを、角度だけで外す。
足を滑らせ、間合いを崩す。
指揮官の眉が僅かに動いた。
「……避けるだけか」
「殺さないって決めたので」
俺は言う。
「それに、ここで殺したら」
「あなたの“正しさ”が完成する」
言ってから、自分でも驚いた。
こんな言い方、どこで覚えたんだろう。
指揮官の顔が冷える。
「正しさは完成している」
「帝国がそう定義する」
また定義。
俺は剣を握り直す。
刃が静かなままなのが、逆にありがたい。
次の一撃。
俺は踏み込む。
刃は当てない。
当てるのは、柄だ。
指揮官の手首を軽く叩き、剣を落とさせる。
その瞬間、俺は剣先を地面に突き立てた。
――壁。
「動くな」
俺は低く言った。
指揮官が初めて、表情を動かす。
驚きでも怒りでもない。
理解できない、という顔だ。
「……なぜ殺さない」
「なぜ、勝てるのに終わらせない」
俺は息を吐いた。
「勝ったら、続くからです」
「終わらせたいんです」
その言葉が自分の口から出たことが、少し怖かった。
背後で、カイが笑う。
「うちの規格外、いいこと言うな」
「言うな!」
レナが即座に突っ込む。
フェリスの声が鋭く飛ぶ。
「撤退を選べ」
「ここは混成国家の領内だ」
「帝国が踏み込めば、外交問題になる」
指揮官は、周囲を見る。
倒れている兵。
動けない兵。
しかし死んでいない。
そして、港の住民たちの視線。
敵意ではなく、拒絶。
帝国にとって一番嫌いな種類の視線。
指揮官は剣を拾い、ゆっくり後退した。
「……覚えておけ」
「帝国は定義を曲げない」
フェリスが答える。
「曲がらないなら、折れるだけだ」
短い沈黙のあと、捕獲部隊は撤退した。
整列したまま、港の喧騒を割るように去っていく。
正しい足音が、遠ざかる。
⸻
しばらくして、港の空気が戻った。
迷子が俺の袖を掴む。
「……行った?」
「行ったよ」
「……よかった」
小さく笑う。
獣人の老人が近づいてきて、フェリスに言った。
「面倒を呼び込んだな」
「だが、礼は言う」
「礼はいらない」
フェリスはいつもの声で答える。
「通り道だっただけだ」
老人は笑った。
「英雄みたいなことを言うな」
「この国は、それを嫌いじゃない」
俺は、胸の奥がひやりとした。
英雄。
その言葉が、もう鎖みたいに感じる。
レナが俺の肩を叩く。
「大丈夫?」
「……大丈夫です」
「でも」
「でも?」
「ここ、居心地いいからこそ」
「壊されたくないなって」
カイが大げさに頷く。
「分かる」
「だから、また面倒になる」
「なら、どうする」
ユウが言う。
フェリスが結論を出す。
「情報を集める」
「帝国がどこまで踏み込んでくるか」
「そして――」
フェリスは俺を見た。
「シオン」
「今の動き、覚えておけ」
「はい」
「次は、今日みたいに“終わる”とは限らない」
剣を布で拭く。
刃は静かだ。
でも、俺の中で何かが確かに動いていた。
正しい足音が、世界を壊しに来るなら。
俺は、
“止める暴力”を選ぶしかない。
そういう戦争に、
入ってしまったのだと。




