第10話「夜食の孤独」
深夜にコンビニで弁当を買う人には、二種類いる。
一人で食べる人と、誰かと食べる人。
その違いは、買い方で分かる。
午前1時半。中年の男性が入ってきた。
スーツ、疲れた顔、よれたネクタイ。
彼は、弁当コーナーをゆっくり見ている。
唐揚げ弁当を手に取る。
戻す。
ハンバーグ弁当を手に取る。
また戻す。
幕の内弁当を手に取る。
それも戻す。
五分が経過した。
結局、男は一番安いおにぎり二個とカップ味噌汁を持ってきた。
「320円です」
男は、ちょうど320円を出した。
「ありがとうございます。温めますか?」
「お願いします」
おにぎりを温めながら、僕は男を観察した。
彼は、イートインコーナーに座り、スマホを見ている。
でも、画面は暗い。見ているふりをしているだけだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
男は、おにぎりを受け取り、また席に戻った。
そして、食べ始めた。
一人で。
ゆっくりと。
まるで、時間を潰すように。
僕は、レジに戻った。
三十分後。
男は、まだ座っている。
おにぎりは、とっくに食べ終わっている。
ただ、カップ味噌汁を持ったまま、窓の外を見ている。
午前2時半。
男は、ようやく立ち上がった。
ゴミを片付けて、店を出て行った。
「ありがとうございました」
僕は、男が座っていた席を見た。
テーブルに、何か置いてある。
近づくと、それは付箋だった。
小さな文字で、こう書かれていた。
『家に帰りたくない』
翌日の深夜1時。
また、同じ男が来た。
同じように、弁当コーナーを見ている。
でも、今日はすぐに決めた。
おにぎり二個と、カップ味噌汁。
昨日と同じ。
「320円です」
男は、またちょうど320円を出した。
そして、同じ席に座った。
僕は、思い切って声をかけた。
「あの……」
男が顔を上げた。
「昨日、付箋が残ってたんですけど」
男の顔が、少し強ばった。
「ああ……すみません」
「いえ」僕は言った。「捨てましたけど」
「ありがとう」
男は、また窓の外を見た。
僕は、席に近づいた。
「何かあったんですか?」
男は、少し考えて、話し始めた。
「妻が、いないんです」
「……」
「離婚したわけじゃない。単身赴任で、地方にいる」
「そうですか」
「子供もいない。だから、家に帰っても誰もいない」
男は、おにぎりを一つ取った。
「最初は平気だった。でも、三ヶ月経って……慣れない」
「寂しいんですね」
「寂しい、というか」男は言葉を探した。「誰もいない家で、一人で飯を食う意味が分からなくなった」
「意味?」
「だって、誰も見てない。誰も『おかえり』って言わない。誰も『美味しい?』って聞いてこない」
男は、おにぎりの包装を破いた。
「だから、ここに来るんです。せめて、店員さんがいるから」
僕は、何も言えなかった。
「変ですよね」男は笑った。「でも、誰かがいる場所で食べると、少しマシなんです」
男は、おにぎりを食べ始めた。
僕は、レジに戻った。
でも、時々、男の方を見た。
彼は、ゆっくりと食べている。
噛むたびに、何かを考えているような顔。
三十分後。
男は、立ち上がった。
でも、出る前に僕のところに来た。
「あの、聞いてくれて、ありがとう」
「いえ……」
「また、来てもいいですか?」
「もちろんです」
男は、少し笑った。
「じゃあ、また」
扉が閉まる。
僕は、男が座っていた席を見た。
今日は、何も残っていない。
それから一週間。
男は、毎日来た。
いつも同じ時間、同じ商品、同じ席。
そして、いつも三十分かけて食べる。
僕は、時々話しかけた。
「今日は、どうでしたか?」
「まあまあです。仕事、忙しくて」
「そうですか」
「でも、ここに来ると落ち着く」
男は、いつも少し笑った。
そして、八日目の夜。
男が来た。
でも、今日は違った。
弁当コーナーで、唐揚げ弁当を二つ取った。
「あれ、今日は……」
「ああ」男は嬉しそうに言った。「妻が帰ってくるんです。今夜」
「それは!」
「だから、二人分」男は弁当を持ち上げた。「久しぶりに、家で一緒に食べます」
「良かったですね」
「はい」男は笑った。「本当に」
会計を済ませ、男は出て行こうとして、振り返った。
「一週間、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
「おかげで、乗り切れました」
男は、弁当を二つ抱えて、店を出た。
僕は、窓から見送った。
男の背中が、いつもより軽く見えた。
深夜3時。
僕は、イートインコーナーを掃除した。
男が座っていた席。
もう、誰も座っていない。
でも、確かに。
ここには、誰かの孤独があった。
そして、それを少しだけ、和らげることができた。
コンビニは、ただの店じゃない。
誰かの、帰りたくない夜の避難所だ。
僕は、窓の外を見た。
どこかで、男が妻と一緒に、唐揚げ弁当を食べているだろうか。
「美味しい?」って、聞かれているだろうか。
きっと、そうだ。
そして、彼はもう、ここには来ない。
それでいい。
僕の仕事は、彼らが帰る場所を見つけるまでの、繋ぎ目だ。
それで、十分だ。




