第1話「百円玉の重さ」
深夜2時のコンビニは、世界で一番正直な場所だと思う。
誰も見栄を張らない。スーツの男はカップ麺を、ジャージの女子高生はエナジードリンクを、老人は温かいおでんを買っていく。人生の真実が、レジを通過する。
僕は大学生のバイト店員で、名札には「田中」とある。本名だ。この街外れのファミリーマート「環七中野店」で、週4回の深夜シフトに入っている。
「すみません」
声がして、顔を上げると、中年の男性が立っていた。グレーのスーツ、よれたネクタイ。疲れ切った目。
「百円玉、ありますか」
「両替ですか? すみません、お買い物していただかないと……」
「いえ、買います」
男はレジ前のガムを一つ取った。百二十円。千円札を差し出す。
お釣りを渡そうとすると、男は百円玉だけを受け取り、残りは受け取らなかった。
「十円玉と一円玉はいりません」
「え、でも……」
「百円玉だけでいいんです」
男は百円玉を手のひらに乗せ、じっと見つめた。まるで重さを確かめるように。
「……軽いな」
「え?」
「百円玉って、昔はもっと重かった気がするんですよ」
男は顔を上げた。初めて、僕の目を見た。
「十年前、娘が生まれた時、百円玉を貯金箱に入れたんです。毎日一枚。娘のために。十年間で三十六万五千円になるはずでした」
僕は黙って聞いた。
「でも今日、貯金箱を開けたら、中身が空っぽだったんです」
「盗まれた、とか……?」
「いいえ。確かに百円玉は入っていました。ただ、重さがなかった。持ち上げても、何も感じない。まるで、最初から存在しなかったみたいに」
男は百円玉を、レジカウンターに置いた。
「試しに、今もらったこれも測ってみたんです。でも、やっぱり軽い」
コロン、と百円玉が転がる。
「おかしいですよね。百円は百円のはずなのに。十年分の百円と、今日の百円が、同じ重さのはずないのに」
男は笑った。自嘲的な、乾いた笑いだった。
「娘はもう、僕になつきません。妻は、僕の顔を見ません。十年間、毎日百円玉を入れ続けていたのに、何も残らなかった」
「あの……」
「すみません、変なこと言って」
男はガムをポケットに入れ、店を出ていった。
百円玉が、レジカウンターに残されている。
僕はそれを持ち上げた。四・八グラム。百円玉の正確な重さだ。
でも、確かに。
この百円玉は、何も語らない。
深夜3時。コンビニの蛍光灯が、相変わらず冷たく世界を照らしている。僕はその百円玉を、レジの中に入れた。他の百円玉と、見分けがつかないように。
翌日、その百円玉が誰かの手に渡る。
そして、また誰かの十年を測る。
もしかしたら、今度はもっと重くなるかもしれない。
もしかしたら、もっと軽くなるかもしれない。
僕は知らない。
ただ、深夜のコンビニは、そういう百円玉で溢れている。




