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13話ーダンスレッスン

ダンスレッスンの当日、ネロは買ったばかりのデイドレスをまとい、ハイヒールを履いて馬車に乗った。エスターニュ館はそれほど遠くはないので、いつもは歩いていく距離なのだが、普段ローブしか着ないネロが急にこんな格好で出歩いたら、近隣の皆様に格好の噂のネタを提供してしまう。


「お似合いですね、ネロ様。」


馬車の対面に座ったフィリアが言った。

今日は長丁場になりそうなので、フィリアもエスターニュ館へ同行する。運動して乱れたら、髪や衣服を直すタイミングがあるかもしれないからだ。


ドレス姿が気に入ったらしく、彼女はいつになく上機嫌だった。相変わらず表情は乏しいが。


「…まぁ、皆頑張ってくれたからね。」


自邸の侍女たちの奮闘を思い出してそう返す。

声音は精彩を欠いた。心ここにあらずというやつだ。


ただ練習に行くだけなのに、今までに参加したどんな夜会に行く時よりも緊張している。だって、女の子の格好でノワールに会うのは初めてだ。


落ち着かずにソワソワするうちに、短い移動はあっという間に終わって、エスターニュ館へ着いてしまった。


エントランスに馬車が止まって、従僕が扉を開けてくれる。

馬車を降りると、エスターニュ館の使用人たちの視線を感じた。単純に約束通りやって来た客人を出迎えてくれているだけなのだが、こんな格好で人前に出るのが久しぶりすぎて体が固まってしまう。険しくなる表情を意図して直して、バレないように深呼吸した。

今更緊張していても仕方ない。似合わなかろうがぎこちなかろうが、これで慣れるしかないのである。下手に縮こまるよりは堂々としていたほうがそれっぽく見えるだろうし。


エスターニュ館は、さすが侯爵家の館だけあって豪華で広い。案内されるまま歩く屋敷の中は建物の造りも意匠も丁寧で美しい。調度品はちょっと武骨で機能性重視だが、この館の主がノワールであることを考えると、彼らしいといえる。


今までにほんの数回お邪魔した時は、応接室しか用事がなかったが、今日は自邸のものより二回りは大きいホールへ通された。


ノワールはそこにいた。

連れてこられたネロの姿を見て、明らかに驚いて黙るものだから、ネロも苦々しい表情になった。


「…珍しいのも似合ってないのも認めるけど、その反応は失礼じゃないか?」


いつも通りに苦言を呈してからハッとする。

いけない。この館の主人相手に挨拶もないままぞんざいな口をきいてしまった。ノワールは多分気にしないだろうけど、使用人の皆からすれば気分が悪いだろう。主人が蔑ろにされてるように見えるのだから。


「…失礼しました。本日はお招きいただきありがとうございます。」


この格好で胸に手を当てて膝を折るわけにはいかないので、スカートの裾を摘む。ネロの挨拶の後もたっぷり一呼吸分沈黙して、ノワールはやっと口を開いた。


「いや、その。」


「…なに。」


すっかり機嫌を損ねたネロの声音が低くなる。


「そうしてると、まるで男みたいには見えないんだな。」


そりゃそうだ。

着ているものもデイドレスだし、ネロはそもそも女の子なのだし。

言葉の内容を咀嚼して、ネロは軽く息を吐いた。

女の子に見えているのなら、まぁいいか。

らしくないと笑われているわけでもない。


「…まぁ、そうだろうね。ダンスの練習をするのにローブでは来ないよ。」


「……そうだな。」


肩を竦めたネロにそう返してから、ノワールはややぎこちない仕草でホールの奥を指した。


「では、その。始めるか。」


「うん。」


ホールにはダンスの講師とオルガンと、その弾き手まで揃っていた。カウントだけでなく、曲までちゃんと入るらしい。


それから片眼鏡の男性が1人と、恰幅の良い女性が1人、ホールの隅に控えている。片眼鏡の男性は見たことのある顔だった。以前来たときに取り次ぎをしてくれたりした侍従だ。もう一人も見るからに侍女なので、ダンスレッスンの手伝いが目的ではないだろう。多分見物人だ。

ノワールが何も言わないあたり、信を置いている使用人なのだろう。


フィリアもどうやら彼らの近くへ案内されたようだ。彼女がこの館でする仕事も無いので、一緒に見物するのだろう。


「まずは拍子を取りますから、ステップの確認を致しましょう。」


ダンス講師の先生の指示でホールドを組む。体と体が近づいて、ノワールの腕がネロの背中へ回った。兄弟相手では気にしなかった距離の近さがかなり気恥ずかしい。


ノワールの肩越しに見える先生の真剣な眼差しに、ネロは気を引き締めた。照れている場合では無かった。というか、真剣な目が結構怖くてそれどころではない。


「では参ります。1、2、3、……」


カウントに合わせて覚えた通りに足を動かす。

一緒に踊るノワールの体裁きは、歩幅が少し大きめで整然とした印象を受けた。揺らぎや遊びといった部分は少ない、真面目な彼らしい正確さだ。それに合わせて動くのはそれほど難しくなかった。ダンスではないけれど、魔術演習から魔物討伐の仕事まで、息を合わせた経験は多いのだ。


特に何か言われることのないまま一巡踊り終えると、先生が2人に合図をした。


「よろしいですわ。お止めになって。」


足を止めて手を離す。周りに目をやれば、見物の使用人たちはなんだか驚いた風情だった。


「…悪くは、ありませんわね。意外ですけれど。」


驚いているのは先生も同じらしい。

ネロは瞬きをした。

なにを驚く思うことがあるのだろう?

この練習を打診された時も思ったが、ネロはノワールが殊更ダンスに手こずるとは思っていないのだ。このくらいは出来るだろうと思っていた。予想通りだ。


もしかして、ネロの方がもっと下手だと思われていたのだろうか。それならちょっと心外だ。

踊る機会はなかったけれど、ネロだってそこまで壊滅的に出来ないわけではない。


困惑するネロの前で、先生がやけにいい笑顔でにっこり笑った。


「では、細かいところを。」


もう一回ホールドを組まされて、姿勢を直される。それから足の運びの拙いところを指摘されてやり直し。


先生は厳しかった。

出来るようになるまで反復練習。1つクリアすると新たな指摘事項が加わってくる。


幾度か踊らされた後、先生は不意にノワールに声をかけた。


「ノワール様。」


「なんだ。」


「大事なことをお忘れです。」


「?」


「ダンスは親交を深めるもの。互いの息を合わせるものです。ただ女性を引っ張って動かそうとするものではありません。ネロ様もです。ただ動きが合っているように見えればいいというものではありません。本当に上手なワルツは、とてもロマンティックに見えるものですよ。」


こちらにも火の粉が飛んできて、ネロは小さくうめいた。


「う…はい。」


言い方は悪いが、雑に動きだけ合わせている自覚がある。ノワールの体の使い方は理路整然としていて読みやすいので、合わせるだけなら難しくないが、それは仕事で詠唱のタイミングを合わせるのと同じ要領だ。無味乾燥、ロマンティックとは遠い。


「…なるほど。」


呟いたノワールがじっとネロを見た。


「さぁ、もう一度。」


先生が言う。


もう一度踊り始めて、ネロはすぐに今までとの違いに気がついた。


引っ張られない。動きが違う。ノワールの方がネロの動きを気にしている。

見られている。気遣われている。

それを察して、ネロが連想したのは魔力補充の時にノワールの魔力に包まれるあの一瞬だった。大切に扱われて、うっかり緊張がほどけてしまうあの感覚を思い出す。


なんだか急に恥ずかしくなった。身体が強張って動きがぎこちなくなる。その戸惑いは触れ合っているノワールにあっという間に気付かれて、耳の直ぐ側でノワールが息だけで笑った。


「ちょっと!」


「あははっ」


ステップを続けられずに手を離す。


「ノワール!」


避難を込めて呼んでも、彼は笑うばかりだ。


「わざとやってるだろ!」


すっかり頬を赤くしたネロが勢いに任せてそう言うと、ノワールは楽しそうにネロを見た。


「すぐわかるんだな、お前。」


「わっ……」


わかるってなんだ。気づくに決まってる。

こちらに気持ちが向けられて、優しくリードされて、明らかに、甘やかそうとしている。

そんなのときめいてしまうからすぐにわかる。


「だって、そういうことだろう?」


開き直った様子でノワールが言った。


「なにが!」


「俺が、お前を、エスコートして踊るっていうのは、こういうことなんだろう?」


「………ぅ…」


ネロは呻くことしかできずに、赤くなった顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。

そうか、これが、恋人扱いされるってことか。甘えるのが許されていて、だからドキドキするのは当然なのだ。


「まぁ慣れろ。」


ノワールの手がクシャッとネロの頭を撫でた。


簡単に言ってくれる。

顔を隠すのを止めて、彼を見上げて軽く睨んだ。それすら小さく笑われて、つい、と手が差し伸べられる。素直に手を借りて立ち上がると、こほん、と咳払いが聞こえた。


「お二方、わたくしはダンスを止めていいとはひと言も申しておりませんよ。」


先生が険しい顔でこちらを見ている。

ノワールとネロは顔を見合わせて苦笑した。



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