12話ー④
そんなことがあって、ネロのお作法の復習が幕を明けた。
「立ち居振る舞いはともかく、ワルツのステップはすっかり忘れておられますね?」
「…うん。全然覚えてない。」
フリーセス館の本館。貴族の館としては、控えめな広さの大広間。着慣れないスカートに、履き慣れないハイヒール。
ネロの前に立つ年配の女性は、この度ネロのマナー講師を請け負ってくれた方で、フリーセス伯爵家の遠縁だ。
「まずそのお靴に慣れてください。そうすれば所作の大半は問題ないでしょう。」
「はい…。」
大半は。あくまで大半は、である。カテーシーを代表とする、いわゆる女性特有の所作はかなりぎこちないという自覚がネロにはあった。
座る時に両足を綺麗に揃えるとか、階段の上り下りでスカートを上手にさばくとか。やっていないから出来ないものと、女性らしく見えないようにわざと崩してしまっているものがある。歩くだけであっても、歩幅を大きく取れば颯爽と凛々しく見えるものだが、スカートで同じ歩き方をすると粗野に見えてしまう。
気恥ずかしいだのと言っている暇はない。やることは山積みだ。
「ダンスのレッスンは、お相手が必要ですが…」
マナー講師の婦人が言う。
「…怪我はさせないと思うよ。魔力の気配を感じたらすぐに離れてくれれば、万が一もないはずだ。」
天恵持ちはマナーや慣例として、人と触れ合うことは極力避ける。触れただけで相手を傷つける力があるからだが、それは出来る、というだけであって魔力の制御がしっかりしていれば、そんな事故は起こらない。
とはいえ、ダンスレッスンのお相手の選定は難しい問題ではあった。ネロは人との触れ合いそのものに慣れていないし、お相手が天恵持ちに気後れしてしまえば、練習どころではなくなってしまうかもしれない。
婦人に人選を任せてしまうのは荷が重いだろうけれど、かといって誰を指名したものか。
思案していると入り口の方から声がした。
「僕がやろうか?」
「!…ジーヴル兄上。」
銀色の癖のある髪、眠たげな瞳はラファルと同じアイスブルー。やってきたのは次兄のジーヴルだった。
「珍しいですね。」
ネロは瞬きをする。
この兄は魔法具の研究に没頭しているばかりで、基本的に別館の自室から出てこない。
「珍しいことしてるのはネリィだ。」
言い返されて、確かに、とネロは自分の装いを見直した。
ハイヒールにデイドレス。それだけで十分珍しい。
「探してるんでしょ?」
ジーヴルが言った。端的に要点だけ言葉にするのは、この兄の独特な話し方だ。
「?なにを?」
「ダンスの練習の相手。」
「あぁ…うん。」
「僕もそんなに上手くはないけど。」
ジーヴルはスタスタとネロの元へ近づいてきて、ひょいとネロの手を取った。
「ネリィに触れる。」
「…それは、そうだけど。でもいいの?兄上、研究時間減りますよ。」
「いいよ。久しぶりにお前と遊ぶ。」
話し方は平坦なままだが、ジーヴルは得意げに笑う。
幼少期、まだ天恵持ちとしての魔力が覚醒していなかった頃の名残で、兄2人は今でも平気でネロに触る。手を引かれるし、肩を叩かれるし、頭も撫でられる。
そのせいで兄たちにはネロがうっかり負わせた傷が幾つもある。傷痕が残ったものもあって心苦しいのだけれど、彼らはその傷を記念品のように話すのだ。
「兄上に頼むより良いだろう。」
ジーヴルの言う兄上はつまりラファルのことである。
「ラファル兄上を呼んだら義姉上が怒るかな。」
「怒りはしないだろうけど、喜ばないんじゃない?」
何せネロは実の妹なので。でもまぁ、妻もいい人もいないジーヴルはダンスの練習相手には適任だ。
魔法具の研究ばかりでジーヴルにいい人がいないのはそれはそれで問題なのだけれど、それはそれ、これはこれ。
ふと、ジーヴルの視線がネロの左手の腕輪に止まった。そういえば、これも魔法具である。しかも複雑な術式の。ジーヴルの興味を引くには十分な代物だ。
「…見ます?」
聞いてみると、しかし意外にも彼は首を振った。
「んー。いいよ。中身は知ってるし。」
「え?」
「僕、それ作るのに一枚噛んでるから。」
「そうなんだ!?」
「あいつ、結局ネリィになにも言ってないんだね。」
「あいつって?」
「ノワール魔法士。」
「…この腕輪の代金を受け取ってくれないのは知ってるけど。」
この兄とノワールとの間に面識があるとは露ほども思っていなかった。婚約の話もあったのだから、家族とノワールとの間で話し合いがあったはずなのは確かだけれど、ネロ自身は寝込んでいたのであまり実感もない。人嫌いのジーヴルではなく、長兄で決定権もあるラファルが対応したと思い込んでいた。
でも仮にも妹の治療用の魔法具に、この兄が無関心で居られたはずもなかった。
「お見舞いの品に対価は払わないでしょ。」
「お見舞い…」
その発想はなかった。というかそれで片付けるには値段が高すぎるので思いもしなかった。
「あとは本人に聞きなよ。お金は要らないって言うと思うけど。」
「…うん。」
淡々と話すジーヴルの声に含みはない。単純に説明が面倒なのだろう。
やっぱり、お金は要らないのか。それこそイブニングドレスなんて比じゃないくらいすごい値段だと思うのだけれど。
「その、お相手がお決まりなら練習を始めましょうか?」
控えめに、しかしどこが呆れた風情で夫人に言われて、ネロとジーヴルははぁいと頷いたのだった。
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さて、それから1週間後。大昔に習ったマナーをネロが段々思い出して来た頃の、いつも通りの帰り際のカフェテリア。
「…頼みたいことがある。」
そう言ったノワールは大層不満そうな顔つきで、ネロを困惑させた。
「…いいけど、どうしたの?」
頼み事は、全然、全く構わないけれど、その不機嫌な顔のほうがよっぽど気にかかる。
「戴冠式のダンスの練習を、当日の相手とやったほうが手っ取り早いと言われた。」
「…あー、なるほど?」
ネロと同じように、ノワールもダンスの練習をしているらしい。考えてみれば当然だ。天恵持ちは他人に触れないのがマナーだから、ノワールだってダンスなんかほとんどしたことが無いはずだった。確かに、夜会で踊ってるところなんか見たことがない。
練習の手伝いが必要ってことは、上達具合が芳しくないだろうことも察しはついた。
「別にいいけど…ボクはろくに踊れないよ?」
「そうだとは思ったが、だったら尚のこと是非、と。」
そつなく踊れるお手本が求められているわけでは無いらしい。確かに、一緒に踊るネロの方が下手だとノワールに恥をかかせる可能性もあるから、エスターニュ侯爵家としてはネロも合わせて指導しておきたいのかもしれない。
でもちょっと意外だ。
ノワールは運動が苦手では全くないし、大概ののことは器用にこなすのに。
…いや、苦手なことも色々あったっけ。
対人関係とか、特に。このしかめっ面だ。苦戦してるのはまず間違いない。
「ボクも練習になるから付き合うよ。エスターニュ館へいけば良いんだろう?」
苦笑して請け負ったネロに、ノワールは憮然としたまま頷いた。
「ああ。…日程は、また決めておく。」
「分かった。」
戴冠式まで長いなぁ…
もうちょっと引き伸ばします。
色々迷って書いたり消したりしてしまって遅々として進まねぇ。
誤字脱字チェックはまた……また……。




