10話ー④
ネロの休暇の最終日。フリーセス館にはウィーネがやって来た。応接間を綺麗にして、イチゴのタルトとチョコチップのスコーンを並べて紅茶を淹れて、お茶会である。
華やかなテーブルの上と裏腹に、ウィーネの口から真っ先に飛び出したのは小言だった。
「ネロ、また具合悪くしたって聞いたよ。無理しないでって言ったのに。」
ウィーネのその手紙をネロが受け取ったのはつい最近なので、無理しないでと言われる前に無茶をやったというのが正解なのだが、火に油を注ぐようなまねは止めておいて、ネロは苦笑した。
「今回はちょっと反省した。次は気をつけるよ。」
「ちょっとじゃなくて、ちゃんと反省して。」
ムッと眉をつり上げた表情も、愛らしい顔立ちのウィーネがやると可愛いばかりである。
ひとしきり怒ってみせてから、彼女はふっと表情を緩めた。
「おかえりなさい、ネロ。」
「うん。ただいま。」
「寒くて大変だったみたいね。」
遠征中のあれこれについては、カーニスから聞いているのだろう。
「ああ、雪がね。あれだけ降るのは珍しいみたいだ。」
遠征部隊は帰還したが、北部に暮らす人々はまだ難儀しているらしい。
「聞きたいこともたくさんあるんだけど、あのね。」
「どうした?」
ウィーネの頬がほんのり上気する。
「私たちね、結婚することになったの。」
恥じらいの滲む報告に、ネロは破顔した。
「ついに?」
「…うん。」
「そうか。おめでとう、ウィンディ。」
「うん…うん。ありがと。もうすぐ公表するんだけど、親しい人には自分で言いたくて。」
「先に教えてもらえて光栄だな。式はいつ?」
「5月の初めくらい。」
「ウィンディもついに、ルビオン侯爵家のお嫁さんだね。」
学生時代からの付き合いなので、こうなるとなんだか感慨深い。彼女がカーニスと恋人同士になってからいままでを思うと、ようやっとこの日が来たとも思うけれど、その早い遅いはネロがどうこう言うことではないだろう。
「うん。…ねぇ。」
「なに?」
ウィーネの青い目がじっとネロを見た。
「ネロはどうするの?」
「何が?」
「結婚、するの?ノワールと。」
真っすぐな視線に気圧されるように、ネロは言葉に詰まった。
ほんの数日までなら、しないよと即答していた。でもそれが声にならない。
だってこれは、呪いの治療のための、形だけの婚約のはずで…
「…大丈夫?」
黙り込んだネロに、ウィーネが心配そうな顔をする。
「ああいや、…結婚はしないつもり、だったんだけど…」
ネロはひとつため息をついて苦く笑った。
「わからなくなっちゃったな。」
「何かあったの?」
「多分、ノワールに気づかれた。ボクがその…ノワールのこと、好きだってこと。」
ウィーネの目が丸くなる。
「えっ!」
恋バナ好きの女の子の瞳が、俄然キラキラと輝き出した。
「なんで!なにがあったの!」
凄い勢いである。ネロは完全に圧されて目を泳がせた。
「えーっと、それは…」
宴の夜から今までの話を端から端まで語って聞かせろというのは、あまりにも恥ずかしいので勘弁してもらいたい。
「凱旋の時の宴で、送ってもらった時に、ちょっと、うっかり。」
「言ったの?」
「まぁ、そんなとこ…」
言った、というか、態度に出てしまった、というか。
「えー、ついに、そっかぁ。…で、ノワールはなんて?」
どんどん聞いてくるウィーネの期待に満ちた眼差しを受けきれずに俯く。
「よく、わかんない。楽しそう、だったけど。」
もう一度顔を合わせた時に、誤魔化しようもなく赤くなってしまって、それで笑っていたから、ああバレた、と思った。
その時のノワールは、それはもう、見たことがないほど面白そうに笑っていた。
ダメ押しみたいに触れられて、逃げるなよと言われて。
「面白がられて、揶揄われてるだけ、かもな。」
自分で口にしておいて、ネロはちょっと凹んだ。
もしそうだったら、本当に立ち直れないかもしれない。
でも逃げるなって釘を差されてしまっているから、ただの友達に戻してもらえる気もしない。
この先どうするつもりなのかなんて、ネロが聞きたいくらいだ。
「ノワールに限ってそんなこと無いんじゃない?」
ウィーネが首をひねる。
確かに、人の恋心を意味もなくからかうような人じゃないけれど。でも、ノワールはネロに対しては結構扱いが雑だ。確信は持てない。
「相手が君なら、絶対しないだろうけどね。」
ノワールがウィーネに向ける優しい顔を思い出して苦笑すると、ウィーネは顔をしかめた。
「もう。今はネロの話でしょ。……あ。」
「?なに?」
「そういえば、ノワールに会ったの。治癒術士団で、ネロの描いた魔導式を見に来たって。」
「ああ。」
そういえば、ノワールもそんなことを言っていた。なぜ今になってそんなことを確認したのか、ネロにはよく分からなかったけれど。
「そこでネロの話を……」
言いかけたウィーネが急に口篭って目をそらす。どうにも、ネロには言っちゃいけないんだった、と言いだしそうな様子だった。
苦笑する。
「やっぱり面白がってた?それとも、ボクの悪口でも聞かされたのかな?」
尋ねると、ウィーネは慌てた様子で首を振った。
「ううん。そうじゃなくて。ええと…真剣な感じだった。」
「?」
あくまでも話の内容は言いたくないようだが、悪口でも揶揄でもないなら、ウィーネが言いづらそうにする理由は余計わからない。
「からかってるなんて、そんなことないと思うよ。」
やけに真面目な顔でウィーネは言う。
慰めてくれているのだろうか?
なぜこんなにも真剣に念を押してくるのだろう?
「う、うん。」
とりあえず勢いに負けて頷いたネロに、ウィーネはにっこり笑った。
「また何かあったら聞かせてね。」
「…言えることがあれば。」
恥ずかしいのではあまり気乗りはしないが。実は今日もこの後魔力補充のために会う約束があったりするのだけれど、ちょっとその話を出す勇気は出なかった。
それにしても、こんな自分のらしくない話を、あたかも素敵なことのように聞いてくれるウィーネのことを、ネロは凄いと思う。
天恵持ちだとか、女の子らしくないとか、そんなのは些細なことで、まるで普通の女の子同士のする恋愛話みたいだ。
「そう言えば、戴冠式のドレスを決めたの。」
「へぇ。フレアと?」
「うん。…ネロはまた、魔法士の格好?」
「うん。ボクらはそれが普通だから。それで?」
「3月はまだ肌寒いだろうって言ったんだけど、可愛いのがね…」
そうやって話はドレスや今日の茶菓子に流れて、お茶会は楽しく続いたのだった。
―*―*―*―*―*―*―
夕方。ウィーネとのお茶会を片付けた応接間で、ネロはノワールを迎えた。
「こっちから行ったのに。」
「大した距離はない。」
恐縮するネロに、ノワールはそっけなく言う。
確かに互いの家はどちらも王宮の近辺だけれども。
身分的にはネロのほうが低いし、用事があるのもネロの方だ。現に負傷後に自宅療養していた時は、最初の1回以外、体力回復も兼ねてネロがエスターニュ館に通った。
「ほら、手を出せ。」
手が差し出される。ネロは応じて、腕輪のついた左腕をノワールに預けた。
魔力が注ぎ足されて、腕輪に触れていた手が移動し、ネロの手を握る。
触れている手を握り返してしまおうかな、といたずら心で思った。魔法や呪いの様子を見ようとしているノワールは気が散るかもしれないけれど。手の感触を嬉しいと思っているのが伝わってしまったとして、ノワールはからかいこそしても、嫌がることは無いみたいだから。
ノワールの魔力が指先からネロの体を伝ってくる。意識しないように、考えないようにしているけれど、正直どうもこれは慣れない。
内側を覗かれる感覚。
心の中を見られるわけじゃないけど、近いものがある。
魔力を使って相手の状態を把握するのは、よく使う手法で難しいものではないけれど、天恵持ちにとっては珍しい感覚だ。それをするにもされるにも、普通の人が相手では怪我をさせてしまうので。
魔力が伝ってくる感覚自体は、慣れないだけで嫌なものじゃない。
ノワールとネロとでは扱う魔法の属性が対極なので、正面からぶつければ打ち消し合うはずだが、そういった不快さは全然なくて、ただノワールの気配みたいなものをごく近くに感じるだけだ。
魔力遮断の結界で助けてもらった時のような、安心する感覚のほうがむしろ近くて、心地よいと思う分だけ落ち着かない。
ノワールが手を離す。
「封じ、戻ったな。」
それはつまり、風邪が治って目減りしていた魔力がもとに戻ったということだ。
「流石にね。よく休んだし。」
休暇のほとんどを寝込んで過ごしてしまったのが少々もったいないが。
ふと、ネロはノワールに尋ねたいことがあったのを思い出した。
「そういえば、治癒術士団でウィンディに会ったんだって?」
「…ああ、魔導式見に行った時にな。ウィーネから聞いたのか?」
「うん。ついさっき来ていたんだ。」
その時のことを思い出したのか、ノワールが小さく笑う。
「魔導式を見て、顔をしかめていたぞ。」
「なんで?」
「難しいとさ。」
「ああ。」
それはそうだろう。呪いが奪おうとしている魔力を使ってその呪いを封じようとしているので、かなりトリッキーな魔法になっている。
「…それだけ?」
ウィーネが言い淀んだ理由が分かればと思ったのだが。
「なんだ。別に変わった話はしてないぞ。」
「…そっか。」
「なんだよ。」
「いや、なんでもない。」
納得してない素振りで息をつき、ノワールは立ち上がる。ともかく、用事は終わりだ。
帰ろうとする彼に続く形で、ネロも席を立った。ここはフリーセスの屋敷なので、案内する形でネロがノワールを先導する。
道中、ノワールは庭のほうを気にする素振りを見せた。
「?庭がどうかした?」
「いや…」
ネロが足を止めると、ノワールも一緒に立ち止まった。視線を辿って、彼が見ているものを把握する。
「ああ、別館?」
「こっちとは雰囲気が違ったな。」
「こっちの本館は、義姉上が調度品を揃えているからね。」
「向こうは?」
「ボクと下の兄上の趣味。」
もっとも、一緒に住んでいる年の近い方の兄は、魔法具にしか興味のない生粋の研究者肌なので、ほとんどネロの趣味である。
「…そうか。」
なにやら納得した様子のノワールが再び歩き出す。
「ここの奥方は向こうには入らないのか?」
尋ねられて、ネロは頷いた。
「うん。」
基本、家の中は女主人が監督するものだ。別の建物とは言え、立ち入らないというのは珍しいかもしれない。
「あっちはボクの部屋があるから。」
ネロの部屋はつまり、天恵持ちの私室だ。
それこそ夜会の時のように制御が効かなくなったりすることが無いではないし、私室は当然そういう時にも使う。
端的に告げたネロに、ノワールは頷いた。彼も同じ境遇だ。絶妙な隔離環境に心当たりはあるだろう。
「そのほうが気楽だな。」
「そうだね。」
実際別館には立ち入りに制限をかけている。
入れる使用人も限定しているし、中でもネロの私室周りはさらに厳しい。私室の中まで入っていいのは、侍女2人だけだ。
ノワールの家にも、きっとそういう部屋があるだろうな、などと考えるうちに、二人は玄関に着いた。
外へ出れば冷たい風が吹いていた。
ノワールと一緒に来た従僕が、主の様子を伺って控えの間からやってくる。
「じゃあまた、仕事場で。」
声をかけたネロに、ノワールが頷く。
「ああ。またな。」
仄かに緩んだ目元にうっかり目を奪われた隙に、彼は従僕を伴ってネロに背を向けていた。
1月終わりの寒空の元、確かに肌寒くはあるけれど、すっかり調子の戻った体は、もう凍えるような寒さは感じなくなっていた。




