10話ー②
宴の次の日の午後。ネロが手紙を読んでいた頃、ノワールを含む遠征部隊の指揮官たちには臨時召集がかかっていた。
招集の要件は遠征に乱入してきた不審者たちについてだ。事前に諜報部が持っていた情報と照らし合わせると、主犯はヴェスタ公爵で間違いないらしい。収容した乱入者への聴取で、指示役として名の上がった人物は、ヴェスタ公爵の手先として諜報部内で目をつけられていた人物だったようだ。
公爵家側を張っていた諜報部と、実行部隊を捕らえた遠征部隊と、双方の功績がうまいこと噛み合った形となった。
気掛かりだったアンカーの情報の流失についても、内通者ではなく、公爵の放った小者が詠唱を盗み聞いたらしい。
北方のあの砦は王家の持ち物だが、平時の管理は、同じ北方に領地を持つヴェスタ公爵家に委託されている。遠征部隊が入る前に、小者が忍び込みやすいよう細工をしておくのは簡単だ。
「真っ先に疑われる人物が、本当に犯人だったということだ。…信を置くべき公爵殿に裏切られたことは王宮としても重く受け止めている。」
招集に応じた指揮官達の前に立ったライオネル殿下は険しい顔だった。
公爵家というのは、王家に近い血縁だ。
もっとも王家を敬い、共に国のために尽力すべき身内。とは言え、近い血縁だからこそ信用ならない時もある。
「通達は以上だ。内通者の存在については君たちも気を揉むところだっただろう。招集に応じてくれたことに感謝する。」
話は結ばれ、解散が告げられる。
集まっていた指揮官たちが、それぞれ低頭して退出していく。
それに倣おうとしたノワールは、あろうことかライオネル殿下その人に呼び止められた。
「やぁノワールくん。昨夜は大変だったね。」
「殿下。…早々の退出をお許しいただき、ありがとうございました。」
返事をしつつ、ノワールは正直相手に不信感を抱いた。
ノワール個人としても、エスターニュ侯爵家としても、ライオネル殿下と深い縁はない。
昨夜の宴といい、今といい、呼び止められる心当たりもない。
内通者が同じ砦に詰めた魔法士から出ていたのなら、責任を問われるのはノワールだったはずだが、その懸念はたった今否定されたばかりだ。
そんなノワールの表情を読んだのだろう。ライオネル殿下は不気味なほど完璧に微笑んだ。
「そう緊張することはない。ただの世間話だよ。婚約者殿の様子はどうだい?」
世間話をするような間柄でもないだろう。警戒しながら言葉を選ぶ。
「…遠征の疲れが出たのでしょう。私も詳しくはありませんので、これ以上は。」
「随分と。」
笑って細くなっていた殿下の目が開き、深緑の瞳がノワールを捕らえた。
「無茶をさせたようだね。」
「……」
予想外の話題に言葉に詰まる。
でも思い出した。遠征前、今のように指揮官だけが集められたミーティングの場で、この人はこうやってノワールを呼び止めた。
その時は、ネロとの婚約の手引きをしてもらったすぐ後だったから普通に礼を言ったが、殿下からは、ネロに天恵持ちとしての仕事は振るなとわざわざ釘を刺された。
「そ、れは」
「いやわかっているよ。あれは緊急事態だった。君は現場に居なくて、ネロくんが魔法を使ったのは本人の独断だ。」
ネロが天恵持ちとして、大規模な魔法を使ったのは乱入者のあった戦闘一度きりだ。
ライオネル殿下もノワールも、それは良くわかっている。
滔々と話していた殿下の表情から笑みが消える。
「だがそれが今のネロくんにとってどれくらいの負担だったか、君はちゃんと理解しているか?」
押し黙ったノワールをじっと見つめ、殿下はにっこりと笑う。それが張り付けただけのほほ笑みだと、ノワールにもよくわかった。
「あの子とは何かと縁があってね。成り行きとは言え婚約者になったのだから、君には気にかけておいて欲しかったんだが。」
「……ご忠言、痛み入ります。」
訳知り顔になんだか腹が立つ。何かと縁があって、とはなんだ。ネロのことをこの人が特別気にかけているらしいというのが妙に癪に障った。
だが、痛いところを突かれたとも思う。
昨日の、押し殺した泣き声と腫れた目元が脳裏を過った。
そんなノワールを前に、殿下は今度こそ剣呑な雰囲気を引っ込めて苦笑する。
本気で腹を立てているわけではないらしい。
「本当はネロくんと君と、2人揃っているところで直接聞こうと思ったんだけどね。ネロくんには後でお説教かな。」
確かにこんな内容なら、改まった席より逆にああいった無礼講の宴の席のほうが的確だったろうとノワールも思った。
「…ほどほどにしといてやってください。」
泣き顔を思い出してしまうと、この威圧感の“お説教”は酷な気がしてうっかりそう言えば、ライオネル殿下の目がキラリと光った。
「…へぇ?」
面白がられている。何かしら揶揄われる雰囲気を察知して、ノワールはしれっと背筋を伸ばした。
「いえ。私も気をつけます。それではこれで。」
「あぁ。引き留めて悪かったね。」
あっさり逃がしてくれた殿下の気が変わらないうちに、ノワールは一礼して踵を返した。
今日はこのまま帰宅するつもりだったが、気が変わった。やられっぱなしは性に合わない。
“それが今のネロくんにとってどれくらいの負担だったか、君はちゃんと理解しているか?”
それに、もちろん、と応えられるようにするためには、ネロにかけられた呪いと、ネロ自身が描いた呪い封じの魔法とをもう少し詳しく知る必要があった。
―*―*―*―*―*―*―
治癒術士団本部。もうすぐ終業か、という時間帯にウィーネは意外な人と出会した。
「え、ノワール?」
「ウィーネか。久しぶりだな。」
しかもその人ーノワールが居たのは患者用のいわゆる外来窓口だったので、ウィーネは心配になった。
「なにかあった?」
怪我か病気か。ノワールがここに居るなら何かあったのは家族だろうか?エスターニュ侯爵家に何かあったなんて話は聞いていないし、昨日会ったはずのカーニスは何も言っていなかったけれど…いや、そう言えばネロの様子がおかしかったって言っていたっけ。
ウィーネの心配をよそに、ノワールは微笑んで首を振った。
「いや、そうじゃない。心配してくれたことには礼を言う。」
ノワールの濃藍の目がすっと伏せられる。
「少し見たい資料があっただけだ。」
「資料?」
「ああ。ネロの…あいつが描いた方の魔導式の原本。」
「あー…それは。」
患者の個人情報になるので、閲覧制限がかかる。本人と治癒術士以外は無闇に見られないようになっているはずだ。
でもノワールはネロと婚約しているし、ネロの治療にも携わっているから…
「見せてくれるって?」
「待っていろと言われた。」
なるほど。審議中ということか。
ウィーネから目を逸らして彼がため息をつく。
なんだか元気がないように見えた。
「…なにか、あった?」
少し迷ってもう一度同じ問を繰り返す。
ノワールは瞬きをした。
「昨日のことをカーニスから聞いたか?」
「え?えーと…」
問い返されてウィーネは言葉に詰まった。カーニスが長い遠征から戻ったところだったので、ウィーネは是非にと請われてカーニスの家であるルビオン館で、宴から戻るカーニスを待っていた。婚約してもう長いので、それは別に珍しいことでもない。
カーニスは宴が終わった夜中に戻ってきたけれど、なんだかちょっと不機嫌な感じだった。ネロが人酔いしたとかで、ノワールがそれを送っていったことも、簡単に話してくれただけだ。
それで、全然、ウィーネを離してくれなくて…
「えっと、その、あんまり。」
結婚式まだなんだから、と必死で諫めたところまで思い出してしまって、頬が熱くなる。
ノワールはウィーネのそんな様子に不服そうに目を細めて、でもそれについては何も言わず、周囲に視線を滑らせる。
「ここじゃ聞かれるな。少し出ても?」
「あ、うん。」
もう終業間近だったので、ウィーネの今日の業務は終わっている。ノワールの方も閲覧の許可が下りるか下りないか、もう少し時間がかかるだろう。
ノワールは待合室へ足を向け、併設されたテラスへ出た。冬は寒いので、ここに人影はない。
「昨日、ネロどうかしたの?」
問いかけると、ノワールは頷いた。
「ああ。少し熱があった。」
「え、」
「いや、ただの風邪だろう。呪いを暴走させたわけじゃない。」
「…そういう割に、ノワールは元気がないね。」
浮かんだ疑問を率直に投げれば、ノワールはウィーネを一瞥して黙った。言葉を探すような数呼吸分の沈黙のあとで、ウィーネとは目を合わせないままぽつりと言う。
「泣くのを、初めて見た。」
予想外の一言に驚く。
なんて返そうか迷って、重たくなった空気を振り払おうとした。
「……なに?泣かせたの?ノワール。」
冗談のつもりで言ったのに。
ノワールは否定しようともせずに、遠くを見たまま薄く笑う。
「そうだな。…うん。泣かせた。」
今度こそ返す言葉を失って、ウィーネはただノワールを見つめる。
彼はどこかの遠くの空を見つめたまま、泣かせたと言ったのに酷く優しい顔をしていた。
遠く遠く、その目に何が映っているのかウィーネにはわからない。横顔を見つめても、その横顔から言葉がこぼれ落ちてくることはない。
ネロがノワールのことを好いているのも、それを決してノワールに伝えようとしないのも、ウィーネは知っている。今回の婚約で、ネロがノワールに気持ちを伝えたとは思えなかった。どうして言わないのか、ウィーネにはわからない。
泣いているネロの姿も、泣かせたノワールの姿も、そんなの全然、想像がつかなくて。
ノワールが大きく息を吐いた。
晴れた冬の空、研ぎ澄まされた冷たい空気の中に吐息が白く煙って昇っていく。
「ウィーネ。」
急に名前を呼ばれた。静かな声だった。
「…なぁに?」
「結婚、するんだってな。」
「…聞いたの。」
「ああ。」
まだ公言はしていないけれど、カーニスが伝えたのだろう。
「今、幸せか?」
こちらを振り返ってノワールが言った。
夜空のような濃藍の瞳は、なんだか切なげにウィーネを見ていた。
「…うん。」
頷く。この人が心から、ウィーネの幸せを願ってくれていることを、ウィーネは知っている。
「私、ちゃんと幸せだよ。」
濃藍の目を見返してはっきりとそう告げれば、相手の視線は再び遠い空に投げられた。
「そうか。」
ノワールが呟く。日の傾きかかった空を、冷たい風が抜けていく。
「…そうか。」
彼は何かを噛み締めるように、もう一度同じことを呟いた。
そうこうするうちに、ウィーネの終業の鐘が鳴って、ノワールにはネロの魔導式の閲覧許可が下りた。
後は片付けて帰るだけのウィーネは、成り行きで資料を受け取るノワールに同行した。
ノワールは貸し渡された資料を持って、待合室の机に陣取る。
ノワールが見ても問題ないところだけを抜き取ったのだろう。紙束は薄い。
はらりと紙を捲ったノワールの視線が、一瞬ウィーネに向けられる。
「見るか?」
「うん。」
ウィーネは治癒術士なので、閲覧制限はかからない。
机に広げられた紙束を見て、しかしウィーネは顔をしかめることになった。
「……。」
難しい。ものすごく複雑だ。
呪文は何重にも指示が重ねられ、戻って、繰り返し、再現され、別の指示へ接続され…。学校の最終試験なんかより何倍も難しい。
さっぱり中身がわからず凝視していると、目の前のノワールが小さく笑った。
「難しいか。」
「…全然わかんない。」
「あいつはこれが専門だからな。」
ノワールは真剣な顔で魔導式を見つめている。
「つまり消費は……そうなると安全流速は……いや、…速度に頼っているなら……」
ボソボソと呟く声が漏れてくる。ネロとノワールは部署が別々だと聞いているから、ノワールだって魔導式が専門というわけではないだろう。スラスラと読んでいる姿に、ウィーネは密かに感心した。
彼の表情は徐々に険しくなって、しまいには額に手を当てて大きく息をつく。
「あいつ…」
「どうしたの?」
「いや…。もっと早くこれを見ておくべきだった。…凄い魔力消費だ。」
「そんなに?」
「ああ。呪いが解けるまで、魔法を使うのを禁止にしたいくらいだな。」
吐き捨てるようにそう言って、ノワールは広げた紙束をまとめ始める。
だがしかし、ネロは魔法士として遠征に行ったはずだ。当然魔法は使っただろう。そういう許可も出ていたはず。
首を傾げるウィーネをちらりと見て、ノワールは目を伏せた。
「あの遠征で、かなり無理をさせたってことだ。帰ってから熱を出して倒れるくらいで済んで良かったな。」
ぎょっとしたウィーネをよそに、彼は立ち上がる。
「俺はこれで帰るよ。ウィーネも、もう終業だろう?」
「あ、うん。じゃあね、ノワール。」
「ああ。またな。」




