10話ー休暇
※誤字脱字訂正しました
「ネロ様。起きていらっしゃいますか?ネロ様?」
ドアを叩く音、それから自分を呼ぶ声。
それらに覚醒を促されて、ネロは重い瞼を上げた。
酷かった頭痛は治まっていたけれど、体は熱くて、怠くて、汗もかいている。喉もカラカラに渇いていて、夜の間に上がった熱がまだ少し残っていそうだった。
「お…きた。おはよう…。」
ガサガサの声で返事をすると、ドアを叩く音が止んだ。
「おはようございます。入ってもよろしいですか?」
問いかける声は古参の侍女のものだ。ネロは自分の魔力の抑制が外れていないことを確認した。制御の感覚も特におかしいところはない。ドアの向こうにいるだろう侍女のことを思い浮かべても、恐怖心が湧いてくることもなかった。
うん。大丈夫。
「い…いよ。入って。」
「失礼します。」
ドアが開く。寝ぼけた頭が徐々に昨夜のことを思い出し始めた。そうだ。送ってもらって家へ戻って、頭痛薬だけもらって部屋に籠もったのだった。魔力の制御の感覚がおかしくなっていたから、他人の気配が怖くてたまらなくて、一人になれるこの場所で、人払いをして閉じこもった。
この部屋はネロの私室で、天恵持ちの魔力を部屋の外へ出さないような、特殊な作りになっている。魔力遮断の結界が常に行使されているのと同じ状態だ。
ネロがそうやって制御を崩して閉じこもるのは初めてではないから、使用人たちはちゃんとネロをひとりにしてくれたけれど、具合が悪いのは明らかだったし、さぞかし心配させただろう。
侍女はネロのいるベッドへ近づき、その額に手を当てた。
「お熱がありますね。お水、飲んでください。」
「…うん。」
侍女は名をエイシアという。ネロが子供の頃、子守として構ってもらっていて、学園に入学するにあたって領地を出た時も付いてきてくれた。母というか姉というか、そういうのに近い存在だ。
身を起こすのを手伝ってもらって、水の入ったグラスを渡される。
何もかも投げ出して着替えもそこそこに寝てしまったので、部屋の中はかなり荒れていた。脱いだまま投げ出した昨日のローブや、頭痛薬の入っていた器を、エイシアがテキパキと片付けていく。
「治癒術士様を呼びますからね。」
「…ただの風邪だよ、たぶん。」
「それでもです。」
貰った水を飲み終わり、グラスをサイドテーブルへ置いて、ネロはヘッドボードへ寄りかかった。
天恵持ちであるネロの診察は、治癒術士団の団員に頼むしか無い。個人で治療をしている治癒術士、いわゆる医者では手に負えないのだ。
たかが風邪で大げさなと思うけれど、心配をかけた自覚があるので強くは言えない。
「食欲はありますか?」
「あんまり…」
「汗、かいていらっしゃるから着替えましょうね。」
「…うん。」
熱のせいかぼうっとしつつ、促されるままに着替える。タオルで汗を拭かれて、新しい寝間着に着替えると、少し気分が良くなった。
「治癒術士様に連絡してきます。食べやすいものも持ってきますから、食欲がなくても少し食べてくださいね。」
エイシアがそう言い残して部屋を出ていく。
布団に潜って戻ってくるのを待っていると、着替えて眠気の飛んだ頭が昨日のことを思い返してしまって、ネロは顔を覆った。
体調が良くなかったとはいえ、ノワールに甘え倒してしまった。
思い出せば出すだけ恥ずかしい。
いっそ忘れてしまいたいくらいだ。
頬に血が上る。
耳まで赤くなっているかも。
熱で誤魔化されていると良いけど。
甘え倒した自分も自分だが、ノワールも良く面倒がって放り出さなかったものだ。
というか。
甘やかされた。
あれは。多分。意図的に。
触れた体の温度も匂いも、背中に回った腕の感触も、全然忘れられるようなものじゃない。
泣いたら嫌いになる?なんて、馬鹿なことを聞いて。でも、ずっと言いたかった。ただの友達でも同僚でもなくなった、急に婚約者にされた面倒な女でも、ボクのことを嫌いにならないでって。
『なるか。ばか。』
笑みを含んだ優しい声が耳の奥によみがえる。
だから、そうやって、否定してもらえて本当に嬉しかった。ノワールの体温がすぐそばにあって、彼の結界で守ってもらって、ほんの小さなの女の子に戻ってしまったみたいに、甘やかされて、泣いて。
安心して委ねた。ノワールがいるから、なんか全部、大丈夫だと思った。
穴があったら入りたい。
でも恥ずかしいのと同じくらい幸せで浮かれてる。
「どうしよ…」
呟いた独り言は、やっぱり言葉に反して嬉しそうにネロの耳に届いた。
―*―*―*―*―*―*―
数時間後にやって来た治癒術士の診断は、やはりただの風邪だった。
遠征も長引きましたから、お疲れだったのでしょう、と。
まぁ、思った通りだ。
治癒術士が帰ってから、ネロの手元には手紙が2通届いた。
一通はウィーネからだ。
友人同士の簡単な時候の挨拶の後に、文面が続いている。
ーー怪我はどう?治ったとは聞いているけれど、呪いのこともあるし無理はしないで。
久しぶりにゆっくりネロに会いたいな。
夜会じゃあんまり話もできないし。良かったらお休みを教えてください。ゆっくりお茶でもしようね。ーー
お互い働いているし、ゆっくりお喋りをする時間もなかなか無かったな、と苦笑する。
会って話すのはもちろん大賛成だけれど、これは体調が戻ってからのほうが良いだろう。流石に明日1日くらいは大人しく寝ていたほうが良さそうだ。
休みの数を数えながら、返事を書くためにネロは筆を取った。
ーー手紙をありがとう。フレアからも心配してくれていると聞きました。今日から5日は休みだから、最後の2日のどちらかで会えると嬉しい。返信を待っています。ーー
さて。
届いたもう一通に手を伸ばす。送り主は聞いていたけれど、封蝋に描かれた宝石を掴んだ烏の意匠に、改めて心臓が跳ねた。
これはエスターニュの紋章。この手紙の送り主はノワールだ。
手に取った手紙を、開けもせずにしばらく眺めた。昨日の今日で、しかも手紙なんて貰うのは初めてだ。
丁寧に封を開けて便箋を広げれば、見覚えのあるノワールの字が並んでいた。
ーー体調はどうだ?かなり具合が悪そうだったから心配している。見舞いに行きたいから、良い日を教えてくれ。ーー
内容を読んで、ネロはうろうろと視線を彷徨わせて赤くなった。
心配、してくれてるんだ。
いや、あんなふうに送ってもらったし、当然かも。
見舞い?会うの?ノワールに?
どんな顔して会えばいいの。
何度も中身を読み返す。
胸がドキドキして、ふわふわしてる。
だって腕輪のこともあるから、顔を合わせないように逃げてるわけにもいかないし。
手紙を大事にサイドテーブルに置いて、ベッドの上で膝を抱えた。
会いたい。
どんな顔して会ったらいいのか、何を話せば良いのか、全然わからないけど。
ノワールのそばにいたい。
見舞いなんて、いつでもいいよ。
寝込んでるところを見られる恥ずかしさより、会いたい気持ちはずっと大きかった。
ーー家まで送ってくれてありがとう。迷惑をかけてごめん。ただの風邪だから、心配しないで。ボクは家で大人しくしてるだけだから、明日でも明後日でも、好きな時に寄ってくれていいよ。ーー




