9話ー③
会場へ向かったノワールの背中と座ったまま動かないネロとを交互に見て、カーニスはため息をついた。
どうにも見せつけられているような気になって仕方ない。
具合の悪そうなネロは心配だが、いくら非常事態でも、この対応はなんかちょっと、違うだろ。婚約とか全部形だけだとノワールは言ったが、単なる友人同士になんか見えやしない。
「フレア…。」
小さな声でネロに呼ばれて、カーニスは驚きつつそちらを見た。
「あー、その、大丈夫か?」
「ごめんね、迷惑、かけて。」
ネロはいつの間にか片膝を抱えて顔を伏せていた。細く震える声も、ぐったりとした様子も、おおよそいつものネロの姿からはかけ離れている。
「いや、気にしなくていいぞー。」
棒読みで返事をしつつ、カーニスは半眼になった。先ほどの頑なに人の手を拒んでいた時よりは、いくらか落ち着いたように見えるので、ノワールの対処はあながち間違いでもないのだろう。
実際、カーニスは追い払われて馬車を呼んだだけなので、大して何もしていない。
再び吐きそうになったため息を飲み込んで、こう入り込めない感じは久々だなと思った。
ノワールとネロは互いに何か了解しているらしいのに、カーニスにはさっぱり何もわからない独特の空気感。
いつもはそんなこと無いのに、突然そばに寄るなと言われる。そのくせ、彼ら同士は近くにいることが多い。
もっとも学生の頃は、近寄らない方がいいよ、とカーニスに言うのはもっぱらネロの方だったし、近くにいると言っても、こんなに極端な感じではなかったのだが。
今はノワールのところへ行かないほうが良いよ。
さらっと言われている時に、うっかり忘れてノワールの近くへ行くと、魔力に威圧されて身の竦む思いをするのだ。
カーニスにそのタイミングは全然わからない。明らかに怒っているような時は流石に察するけれど、彼らが近寄るなというタイミングは、全然怒っているようには見えない時もある。
今だってそうだ。具合が悪い時が全部ダメってことは無いみたいだし、ネロは別に不機嫌そうにも見えないし。
天恵持ちってこういうものかと思っていたけれど、今日の様子を見ていると、こいつら2人が特殊なのかもな、とも思う。
他人の来る気配は今のところない。
カーニスは馬車越しに、夜の街に目をやった。ウィーネはネロに会いたいと言っていたけれど、それはちょっと先延ばしになるかもしれないな、と思った。
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一方、会場へ戻ったノワールは、目当ての人に真っ直ぐ近づいて声をかけた。
「ライオネル殿下、お久しぶりで御座います。」
「ああ、ノワールくん。探したよ。」
「お呼び頂いたところ申し訳ありませんが、退出の許可をいただきたく。」
率直に告げたノワールに、殿下は瞬きをする。
「なにかあったのかい?」
「ネロが、…体調を崩しているようなので、送っていこうと思います。」
「ふむ。」
殿下は口元に手を当てた。細くなった目が探るようにノワールを見る。
「…君の口から話を聞こうかと思ったが、先に報告書を読むことにしよう。」
ライオネル殿下の言葉に、ノワールは眉を寄せた。この無礼講の宴の席でそんな真面目な話をするつもりだったのか?
不審に思うノワールをよそに、殿下は一転、朗らかに笑う。
「いいよ。退出を許そう。ネロくんにもお大事にって伝えておいてね。」
切り替えの早さといい妙に意味深だ。だが仄めかされた内容の推測は、今は棚上げしておく。
「ありがとうございます。承知しいたしました。」
礼をして会場を抜け出す。ライオネル殿下はこの宴の主催の王族のひとりだ。彼の許可があれば帰っても非礼にはあたらない。
今は狐王子などより、置いてきたネロのほうが気掛かりだった。
戻ってみると、ネロは長椅子の上で膝を抱えて丸くなっていた。
結界を解いてそばに寄り、声を掛ける。
「待たせたな。帰ろう。」
「ん…。」
伏せられていた顔が上げられる。頬が赤い。目元も潤んで見える。
手を貸して立たせてやると体が熱かった。さっきより熱が上がっている。
ネロを馬車に乗せて扉を閉め、車の反対側へ回りつつ、ノワールはカーニスを一瞥した。
「世話になったな。」
「おう。帰れ帰れ。」
呆れたような不貞腐れたような態度のカーニスに見送られて、ノワールは馬車に乗った。
馬車が走り出す。人が乗る車の部分は浮遊の魔法で浮いているから、揺れはほとんど無い。
隣に座ったネロの手は、相変わらず膝の上でローブをきつく握りしめていた。そっとその手に手を重ねて、固まった指を解いてやれば、ネロの体が遠慮がちにノワールの方へもたれてくる。それを、ノワールは軽く引き寄せた。
「寝ててもいいぞ。」
「うん…。」
そうは言ったものの、王宮からフリーセス館まで、それほど距離はない。
寝るほどの時間はないまま、馬車はフリーセス館に到着した。
「降りよう。」
ぼんやりしているネロに声を掛け、ノワールは先に馬車から降りて、ネロが降りるのに手を貸した。
フリーセス館の入り口には、すでに人の気配がある。館の前に止まった馬車を見て出てきたらしい。
馬車から降りたネロは、ぼんやりした目で自邸の明かりを眺めていた。
天恵持ち以外の人の気配ではあるけれど、怯える様子はない。自分の家で、安心できる場所だからだろうか。
「ノワール。」
彼女がノワールを振り返る。
馬車を降りるときに触れて、繋いだままだった手が離れていく。
「ありがと。」
指の細い手のひらが、ノワールに向けて小さく振られた。
「ばいばい。」
ひどく、幼い仕草だった。
ふらふらと歩き出したネロに、フリーセス館の家人たちが駆け寄ってくる。
ノワールは離された手を握った。
離したくなかった。離れていく温もりが惜しかった。
フリーセス館の使用人はノワールの側にもやって来て、ネロを送ってくれた礼を言い、休んで行かれてはどうですか、と尋ねたけれど、ノワールはこれを断った。
客人へのもてなしは大事な礼儀で、特にノワールはこの家より爵位が高いから尚更だろう。
でもネロがあの様子では、この家は今それどころでは無いはずだ。
馭者にエスターニュ館へ戻ることを伝えて、ノワールはひとり、馬車の中へ戻った。
錯乱したネロを落ち着かせるためと言いながら、あの温もりを腕の中に閉じ込めて、心配を紛らわしたかったのはノワールの方だ。
幼い仕草と別れの言葉を思い出しながら、最後まで繋いでいた手をもう一度握った。




