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9話ー凱旋

砦の後片付けに1日を費やした後、遠征部隊は王都へ凱旋した。

魔法士は転移魔法、騎士隊は騎馬での帰還である。


晴れた冬空のもと、久々に戻った王都の上空を騎馬の隊列が飛んでいる。しなやかな馬の脚につけられた綺羅びやかな魔法具は、空を駆けるための仕掛けだ。


一足先に転移魔法で魔法士団本部へ戻ったネロは、自邸へ帰る道すがら、その勇壮な光景を眺めていた。


遠征中は天候が最悪だったので、始終転移魔法に頼っていたが、あの騎馬は騎士隊の本来の移動手段だ。華やかで見応えがあるので、貴族の屋敷の女性たちや高級店の売り子たちが、王城の近くのテラスや道端で空を見上げている。

帰り道だけわざわざあれを持ち出したのは、人々に“凱旋”をイメージ付けるためのパフォーマンスの意味が結構大きい。


今夜は宴だ。

王宮の広間を貸し切った、凱旋の宴。


遠征部隊は一度帰宅し、身なりを整えて王宮に再集合することになっていた。


自宅である王都フリーセス館の門を潜れば、使用人たちが揃ってネロを出迎えてくれた。


「ただいま。」


「おかえりなさいませ、ネロ様。」


「よくぞご無事で。」


長い遠征だったので、嬉しそうに出迎えてくれる姿が心に染みる。


使用人たちの奥には、ドレス姿の綺麗な女性とほんの小さな幼子まで、ネロを出迎えに出て来てくれていた。


「おかえりなさい、ネロさん。」


ネロの姿を見て安堵の笑みを浮かべているこの女性はネロの兄の奥方だ。


「ただいま戻りました、義姉上。貴女にまで迎えていただけるなんて。」


義姉のドレスを掴んだ子供がネロに小さく手を振った。それにネロも手を振り返す。小さな甥っ子は嬉しそうに、にこっと笑った。


「当たり前ですよ。無事で何よりです。…うちの人たちは仕事で居ないの。あなたの戻りを待っていたのだけどね。」


「兄上たちは忙しいですからね。」


「また出かけるの?」


「はい。宴なので帰りは遅くなりますが、別館へ直接戻るつもりですから、お気遣いなく。」


「わかったわ。」


身支度があるのでこの場は簡単な挨拶だけにして、ネロは中庭を抜け、隣の建物へ向かった。


フリーセス館は母屋の別館の2つの建物がある。母屋には次期伯爵である長兄一家が暮らし、次兄とネロは別館で寝起きしている。玄関はもちろん母屋だが、母屋を通らず別館へ直接出入りする事もできる造りだ。


久しぶりに馴染んだ家へ戻ってきた。使用人たちが風呂の用意をしてくれている間、リビングでひとりになったネロは目元を擦って深々と息を吐く。


体が重い。左腕の痺れが取れないし、妙な寒さも無くならない。ちょっと無茶をしたとはいえ、もう3日も経つのにな、とため息は重なった。確かに使い減らした魔力が戻りきらないうちに戦闘があったり、強化魔法を使う余力が無くて、底冷えする寒さが身に沁みたりもしたけれど。

遠征先よりずっと温かいはずの王都へ戻っているのに寒気が引かないということは、もう体力が落ちて呪いの影響が大きくなっているのは明らかだ。

平気だと言って遠征に同行した手前、この惨状はちょっと格好悪い。


まぁでも、なんとか帰ってこれた。今夜の宴さえ終われば、5日間休暇だ。

あとちょっとだけ頑張って、ゆっくり眠ろう。







と、自邸で思ったことを。

凱旋の宴が始まってたった30分しか経たないうちに、ネロは心底後悔していた。


頭が痛い。

帰りたい。

あとちょっと、が全然頑張れる気がしない。


壇上に上がった王太子殿下から労いのお言葉をいただいて、乾杯したばかりである。

主催の王族の方々が宴の場にいらっしゃるうちは、帰るのも失礼になる。それは互いに分かっているので、早めに退出して場を明け渡してくださるのが慣例だが、それでもここから1時間くらいは帰れない。


遠征が上手くいったお祝いなので、高貴な方々もいらっしゃるがあまり堅苦しい雰囲気ではない。酒も配られて無礼講だ。


こんな時くらい、と勧めてくる手をなんとか断って水だけ貰い、ネロは壁際で大人しくしていた。酒にも食事にも手を付けないのは異様かもしれないが、どうしようもない。もうすでに頭痛がするのに酒なんか入れたくないし、食欲も無いし。


会場に煌々と灯された明かりが眩しい。

人の話し声が頭に響いて目が回りそうだ。

遠征で世話になった仲間たちに、お疲れ様の一言くらい言いに行きたいけれど、その気力もない。


誰かの目に止まって話しかけられるより先に、バルコニーにでも出てしまおうかと思案する。

宴の時のバルコニーや庭は、私的な話をする定番の場所だ。

今日も、もちろん出れるようになっている。始まったばかりの今出ていくのは、マナーが良いとはいえないけど、無難に雑談をこなす余裕はない。


盛り上がる人々をぼうっと見つめていたその時、


ネロの目の前で、『かんぱーい!』と掲げられたワインの瓶が、持っていた人の手から勢い余ってすっぽ抜けた。


瓶が飛んでいく先には誰かの後頭部。


「っ!」


咄嗟に瓶に手を伸ばす。

瓶はやけにゆっくりに見えて、でも痺れた左手で上手く掴めなくて、ネロの手に当たったワインの瓶は、そのまま床に転がった。


「やべっ!」


「え、なに」


振り向いた瓶の持ち主の慌てた声。

絨毯の上に落ちた瓶から、ワインが溢れて広がっていく。


「悪い、助かった!ありがとな。」


その一言が自分に言われたものだと気づいて、ネロはハッとする。


「あ、あぁ。無事で良かった…」


危うく後頭部を殴られるところだった人が、床に落ちたワインの瓶をびっくりした顔で見ている。


「お前気をつけろよー」


「はしゃぎ過ぎだぞ。」


「あーもったいねぇ。」


人の話し声が痛む頭にがんがん響いてくる。


ぞくっと、寒気がした。


それでやっと、ネロは自分が強化魔法を使っていることに気がついた。


瓶がゆっくりに見えたのは魔法を使ったせいだ。

寒気が酷いのは、魔力が足りないから。

体力の落ちた体が、大した量ではないはずの強化魔法の消費に耐えられていないから。


あれ?でも。


頭が痛い。


いつの間に魔法を使ったんだっけ。


上手く、考えられない。

痛い。寒い。


強化魔法って、どうやって解くんだっけ。

魔法って、どうやって使っていたんだっけ。


人々の目が溢れたワインに向いているうちに、ネロは会場から逃げ出した。


ふらつきながら庭園へ降りる。


魔法は、魔力は、どうやって制御してる?

全然、感覚がわからない。

ボクは今、魔力をどうやって使ってる?

抑制は?ちゃんと出来てる?


庭園のガゼボの側、目が回って膝をつく。

寒い。魔力が身体から抜けていく。


強化魔法を解かないと…


焦れば焦るほど、頭の中は真っ白になった。

ガゼボの柱に背中を預けて、震える体を抱きしめるようにうずくまる。


寒い。


誰かの足音がした。

驚いて顔を上げる。

目が回った。


逃げ出したい。離れなければ。

ここでもし魔力の抑制が完全に外れれば、相手が怪我をする。


「誰?来ないで。」


離れて。どこかへ行って。

目眩で立ち上がれないまま声を出すと、相手がため息をついた。


「こんなとこで何してるんだ。」


「ノワー…ル?」


「他の誰に見える。」


目が回ってるし、暗いし、見えるも何も無い。

相手がノワールだと分かって、逃げる理由は無くなった。情けないところを見られたくなくて、出任せで嘘を吐く。


「…なんでもないよ。すぐに戻るから、放っといて。」


「…そうか。」


呆れられた?嫌われた?

働かない頭では、声の温度も良くわからない。

ひゅっと、呼吸が乱れる。


でも彼はどこかへ行く気配もなく、ガゼボの柱を挟んで、背中合わせにネロの側に居座った。


「何、してるの。」


「別に、なんでもいいだろ。」


くらくらする。苦しい。

ああ、もうだめだ。


「ねぇ、…ここにいるなら、おねがい、しても、いい?」


声が震えた。誤魔化すのもなにも、限界だった。


「ネロ?」


焦ったように名前を呼ばれる。


「結界、魔力、通さない、やつ…を…」


魔力の制御がネロの意識を離れる。

抑制の外れた力が渦を巻いて、ノワールが慌てて結界を張ったのがわかった。


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