6話ー②_夢の終わり
「いや、本当に。大した怪我でなくて何よりだ。」
ガタイの良い騎士が目の前でそう言って磊落に笑う。ネロは先日の討伐で一緒になった騎士と挨拶をしていた。
「ありがとうございます。しかし魔法士でもなければ呪いは即死ですから、くれぐれもご注意ください。」
「わかっているわ。手傷を一つも負うなというのは無論難しい注文だが、我々騎士隊を舐めるなよ?」
「これは失礼。頼もしく思っていますよ。」
「おう。前は任せておけ。」
「ご活躍を期待しております。」
「互いにな。」
なんてことはないご機嫌伺いだ。満足げに頷いて騎士が去っていく。
彼は伯爵家の大尉だ。負傷して動揺していたとは言え、うっかり魔力の抑制を外したのに、こうして普通に声をかけてもらえるのは正直ありがたかった。
そうこうするうちに、良く見知った相手が近づいてくる。
「よう、ネロ。久しぶりだな。」
「フレアか。久しぶり。ウィンディもこの間以来だね。」
連れ立ってきたのはカーニスとウィーネだ。
緩くカールするミルキーブルーの髪を結い上げた美しいお嬢さんと、活発なイケメンの組み合わせ。カーニスは毛先に行くにつれ赤毛に変わる、不思議な金髪だ。
赤系統で意匠を揃えた、華やかな装いが、2人ともよく似合っている。
「うん。傷は大丈夫?」
ウィーネが首を傾げた。
「魔導式でなんとかしたから、もう平気。」
「それならいいんだけど…すごく、心配した。私じゃまだ何もできなくて。」
「十分だよ。」
心配してくれる友人がいる。それだけで得難いことだ。
「今回、よろしくな。」
カーニスに言われて、ネロは瞬きをした。
「ああ、フレアは討伐参加者か。…まさかウィンディは違うよね?」
今回の行軍は厳しいものになる想定だ。体力のある若い男が優先して選出されたと聞いている。
「うん。私はお留守番。今日はカーニスのパートナーとして来たの。」
「そうか。それなら安心だ。」
ワイバーンを全て倒すまで、中止の許されない行軍に、華奢なウィーネを連れて行くことにならなくて良かった。
頷いたネロに、ウィーネが頬を膨らませる。
「ちょっとネロ!私だって強いんだからね?」
「知ってるよ。」
「カーニスも心配してそんなことばかり言うんだから…」
どうやら耳にタコが出来た話を繰り返してしまったらしい。
まあまあ、と宥めると、カーニスが言った。
「お、そうだ。お前ら結婚するってマジ?」
「あ、おめでとうって言おうと思ってたんだ。」
目を輝かせる2人にネロは苦笑する。
「魔導式のことで協力してもらうから、そんな話になってるだけだよ。」
「え、じゃあ形だけなのか?」
カーニスが目を丸くしてあけすけなことを言う。はいそうですと言うのは体裁が悪すぎるので、ネロはイタズラっぽく笑って誤魔化した。
「さぁ?どうたろう?」
「煙に巻く気だな?ネロ?」
「巻かれときなよ。」
婚約というのは結婚が前提だ。
ネロもノワールも年齢が年齢だから、避けられない話だけれど、そこまでの覚悟があるかと問われると痛い。
「ネロは、それでいいの?」
先ほどと打って変わって、ウィーネの声が固い。含まれた問いかけを察するには十分すぎるほど。
“片思いの相手と形だけの婚約で、辛くはないの?”
「いいんだよ。話は済んでるから。」
答えはYesだ。好きな人にとって現状これが最善であるから、それが良い。ネロが迷うことはない。
「いやぁでも、お前らがそういう…意外っつーか、なんつーか。」
カーニスが腑に落ちない顔で首をひねる。
「柄でもないとはボクも思うよ。」
関係も見た目も、今更恋人同士になんか見えないだろう。
ふと、視界の端にどこぞの令嬢とノワールが話しているのが見えた。
おや珍しい。
「だよなぁ。ノワールはともかく、お前と結婚って響きがどうも…なぁ?」
「カーニス!失礼だよ。」
「いやいいよ。わかるから。」
カーニスとウィーネには、ノワールの姿は見えていないだろう。令嬢がが足早に去っていく。
逃げ出した?ここ最近珍しい。逃げるくらいならわざわざ近寄らなければいいのに。
「わかる、じゃないでしょ、ネロ。…今日だってドレスじゃないし。」
「そうだな?お前ら2人とも仕事着じゃん。」
そうかと思えば、何やら雰囲気の悪い集団がノワールに近づいていく。
「ボクもノワールも討伐の参加者だもの。ローブのが相応しいだろ。」
「いや、でも…なぁ?ウィーネ。」
困惑顔のカーニスが自らの婚約者を顧みたところで、周囲が騒ついた。騒めきの原因はノワールの周辺だ。
「なんだ?」
カーニスとウィーネが辺りを見渡す。
「あれは…ヴェスタ公爵か…。」
「…威圧してる。」
魔力の片鱗がここまで届いてきている。
胸の前で手を組んで、一歩後退ったウィーネの肩をカーニスが抱いた。
「大丈夫か?」
「うん。…こんなところであんな振る舞いをするなんて…」
ネロは相対した公爵とノワールの様子を探った。話の内容は聞き取れないが、ノワールが気分を害されているらしいことは表情でわかる。そもそも魔力の威圧むき出しで近寄られて気分のいいはずもない。
「行ったほうがいいかな?」
震える声でウィーネが言った。
遠目にはわからないが、ヴェスタ公爵の狙いはノワールを怒らせて魔力の抑制を外すことかもしれない。
そうなる前に仲裁に入ることは出来る、でも。
「いや、大丈夫だろう。」
そう言ってネロは首を振った。
「そうか?」
カーニスが眉をしかめる。
「ノワール、案外上手くやるよ。」
学生の頃ならまだしも、次期侯爵として、自分の評価を落とすようなことはしないだろう。
それに、今は立場が立場だ。下手にネロが近づけば話が拗れる可能性もある。
「あぁ…確かにな。」
ネロの言葉に真っ先に頷いたのはカーニスだった。ウィーネが伺うようにカーニスを見上げる。
「ノワールがちゃんとすげーのは、俺も知ってるからさ。」
「…そっか。」
聴衆の視線を集めながら、ヴェスタ公爵がノワールから離れていく。公爵から距離を取ろうとする者は見受けられるが、逆にノワールからあからさまに離れようとする人影はない。上手くやり過ごしたようだ。
「よかった…。」
ウィーネが呟く。
「何事もなかったみたいだし、ちょっと行って話してくれば?」
ネロの提案に、カーニスはえー!?と嫌そうな顔をした。
「あんな不機嫌なとこに行くのかよ!?」
「気心の知れた顔を見れば、いい気晴らしになるだろ?」
「お前が行けよ!」
「ボクがそばになんて行ったら今度は注目の的だ。火に油注いでどうするの。」
手を広げて笑って見せれば、カーニスが心底嫌そうにため息をつく。
「いや、でも…何話してたかは気になるか。」
カーニスの生家のルビオン侯爵家は親王家派。ヴェスタ公爵家とは言わば政敵だ。
カーニスの橙の目が一瞬鋭い光を宿してノワールを見る。
「ウィーネ、いいか?」
問いかける婚約者に数度瞬きをしてから、ウィーネは微笑んで頷いた。
「うん。ノワールのところには行くつもりだったし。」
「じゃあな、ネロ。」
カーニスが軽く手を挙げる。
「うん。現場ではよろしく、フレア。」
「おう。」
ネロは腕を組んで去っていく2人を見送った。
なんていうか、幸せそうな後ろ姿だった。
2人に声をかけられたノワールが、少し驚いて、それから小さく笑う。
それが、なんだか急に寂しくなった。
学生の頃だったら、ノワールとヴェスタ公爵とのやり取りに、ネロは割って入っていただろう。ノワールが簡単に魔力の抑制を外さなくなったように、その仲裁がお節介だと気づけるだけ、ネロも大人になって、だから。
学生だったあの頃が、急に遠く遠く、手の届かないところへ離れていく気がした。
ネロもノワールも魔力の制御が下手くそで、失敗しても傷つないものがお互いしか無かったあの頃。
ネロとノワールだけが、他のみんなと一緒に授業を受けられなかったあの頃。
ノワールと、ふたりぼっちだった、あの頃。
今は違う。
こうして離れてるネロのところに、抑制を失敗したノワールの魔力が流れてくることはもう無い。
お互い魔力の扱いは上手くなった。徒に人を傷つけることは無くなった。
魔法士団の魔法正として、エスターニュ侯爵家の次代として、ノワールの居場所はちゃんとある。
ノワールの世界は広くなって、ネロはもう居なくたっていい。
わかっていた。
わかっていて、見ない振りをしていた。
だってネロにとっては今もノワールが一番だから。“ずっと目で追ってしまう人”なんて、ノワールの他に誰もいないから。
いつまでも、特別な友達でいられるような気がしていた。
でも、夢の終わりだ。
幸せな夢の、これは終わり。
呪いが解けたら婚約は破棄しよう。
この年で婚約して、それはそのまま結婚するのが自然で、理由もなく白紙に戻せるものでもないけど。
それでもなんとかして破談にしよう。
ウィーネに笑いかける横顔が見えた。
あれだけ情熱的に人を愛せる男に、“政略結婚”だなんてまるで似合わない。
彼が連れ添うなら、それがウィーネでは無いにしろ、彼が愛した人でなければ。
ノワールの可能性を、未来を、他でもない自分が潰してしまうだなんて、ネロは絶対に嫌だった。




