6話ー夜会
12月中旬。王宮の広間が開放され、大規模な夜会が開かれた。例のワイバーンの討伐に大量の人員が派遣されることになったためである。いわゆる大規模遠征というやつだ。
ノワールが聞いた話では、国内のハーミッド伯領で魔物の兵器転用が行われたらしい。専用の研究施設が秘密裏に作られ、そこから10体の改造ワイバーンが逃げ出したのだそうだ。
この情報は討伐の指令と同時に公表になったものだ。
ハーミッド伯本人は研究所の存在を知らなかったと証言しているようだが、王宮側はすでに関与の証拠を握っているらしい。
さて。政治的中立派、エスターニュ侯爵家の次期当主であるノワールにとっては、“どちらにつくか”というお話になってくる。
そもそもハーミッド伯は反王家派だ。伯爵家そのものがどうというより、反王家の旗印と成っているヴェスタ公爵家との縁が深い家だ。
反王家派の謀の末端が尻尾を出したのか、はたまた反王家派の勢力を削ごうとした王宮側が、うまく罪を被せて伯爵家をひとつ取り潰そうとしているのか。
ヴェスタ公爵家の当代はなかなかの性悪のようだが、王宮もあれはあれで油断のならない狐の集まりである。
とは言え、王宮側が“魔物の兵器転用”を取り締まる姿勢であるのは明確だ。企んだのが誰であれ、その企みをどう利用した裁きであれ、王宮の姿勢自体は、エスターニュとしても賛同できる。
爪先ひとつかすっただけで人を殺せる魔物。そんなものはダメだ。徒に死人を増やしすぎる。
ハーミッド伯爵の主張が噂通り、あんな凶悪なものを監督不行き届きでうっかり造った、だとすれば、厳罰は当然だ。知らなかったことは罪にこそなれ減刑には値しない。
まぁつまり、今回の件でエスターニュが王宮側に反目する理由はない、ということになる。
王宮が明らかに非人道的な政治をしない限り、エスターニュは王家の臣下だ。政治的中立であっても、王家から授与される爵位を冠するということはそういうことである。諾々とは従わないまでも、道を見誤らないのであれば尽力は惜しまない。
夜会には討伐に参加する魔法士や騎士、それから治癒術士が集められている。
王族からの激励等、堅苦しい式典部分は何事もなく終了し、大広間には軽食と酒と音楽とが揃えられていた。
ホールの真ん中では手に手を取って踊る貴族たちの華やかな衣装が優雅に翻る。
ノワールは討伐の参加者なので、ローブ姿の正装だ。婚約者のいる者が夜会に参加するのであれば、パートナーをエスコートするのが通例だが、今回の夜会ではノワールもネロも討伐に参加する魔法士なので、そういう話にはならなかった。というか、互いにしなかった。
注目の的にならずに済んでなによりだ。
なによりだ、が。
ネロもこの討伐に参加する。
それは正直どうかと思う。
端的に言って、負傷者を戦場に連れて行くようでぞっとしないのだ。
負傷そのものは完治している。ネロは強いから、呪いによる制限があっても十分戦力として数え得る。
わかってはいるが、嫌な印象が理屈で消えるわけでもない。
不満をため息に変えて、ノワールはネロから目を逸らした。
討伐対象のワイバーンは魔力の多い者を標的にしている可能性があるとのことで、魔法士団の天恵持ちは総動員だ。もちろん、ノワールもその例に漏れない。ネロはノワールから3日に一度魔力の供給を受けているから、同行させたほうが手っ取り早い。
討伐は長期で、年内に帰れればいいな、といったところだ。
だが、そもそもあれを完治したと言って良いのか?あれだけの呪いを受けて尚、支障なく日常生活が送れているのは、ネロが凄いから出来ているというだけで…
「あの、エスターニュのノワール様。」
聞き覚えのない女性の声。出どころを辿れば薄紫のドレスの小柄な女性が立っている。
「そうだが…。失礼ですが、貴女は?」
「セリーヌ・フィシットと申します。」
フィシット。伯爵家だ。確か魔法士団に同じ家の者がいた。団員の姉か妹だろうか。
「私になにか?」
「その、わたしく、ノワール様と、一度お話してみたくて…」
「…はぁ。」
兄弟の伝手で夜会に参加し、交友を図る。令嬢たちにとっては、つまり結婚相手探しだ。ありがちな話ではあるが、よりによって自分に声を掛けてくる令嬢がいるというのが、ノワールとしては腑に落ちない。
厄介な天恵持ちで、愛想もない。これでも自分の評判はわかっているつもりだ。
「その、前にこういった場でお見かけしてから、ずっとお声がけできる機会を探しておりましたの。あの、兄からも貴方のお話を…」
生返事をしたノワールに、令嬢は健気にも話を続けていたが、ここで彼女の後ろを人が通りかかった。
「おや、失礼。」
人の多い夜会だ。タキシード姿の騎士に近づかれ、彼女は場所を譲らざるを得なくなる。
彼女はノワールに一歩近づいた。顔を見事に強張らせながら。
「失礼ですが。」
「ぁっ…」
俯きがちだった視線が、このとき始めてノワールを見返した。恐怖に凍りつく瞳を見て確信する。自信なさげな様子も、泳ぐ視線も乙女の恥じらいなどとは程遠い。
「俺は俺を怖がる方と、意味もなく親しくなるつもりはありません。何を思って声をかけたは知らないが、もう良いでしょう。」
あきれ返って吐き捨てる。欲しかったのは、エスターニュの名か、天恵持ちの武力か。どうでもいいが、勝手に寄ってきて怖がるのはやめてほしい。
「こ、…婚約者の方のお話は、さ、されないのですね。」
「は?」
「婚約者のいる方にお声がけしたこと、まずと、咎められるかと思っておりましたのに。…うまくいっていらっしゃらないのですか…?」
令嬢の声は震えていて、口上は明らかに棒読みだった。たぶん彼女は誰かに、“こう言え”と指示されている。
「貴女には関係ないだろう。」
咄嗟に返事をしてから、この言い方は不味かったかとちらりと思った。
彼女の後ろについている何者かは、ノワールのどんな答えを期待しているだろうか。
エスターニュ次期公爵は婚約者と上手くいっていないらしい。そんな噂を広めたいのかもしれない。いや、広まっても構わないか?そもそもネロとの婚約は呪いが原因であって上手く行くもなにもあったものではないが…
「あの、その…失礼しますっ!」
役目は果たしたとばかりに令嬢が逃げていく。
良くわからないが、エスターニュの内情を探ろうとしたのだろう。
エスターニュの家格はかなり高い。公爵家は国内に5つ、侯爵家は10しかないソルセルリーでは、公爵と侯爵の名はその下の爵位とは一線を画す。
もっとも、噂話程度で揺らぐ身代ではないから、何と言われようがどうでもいい。それに、ノワールはこんな回りくどいやり口は嫌いだ。
「いやぁ、ノワール殿も隅には置けんなぁ。」
ただでさえ嫌な気分なのに、ねっとりと神経を逆撫でする声が眼前からやって来た。
「ヴェスタ公爵様。」
蓄えられた髭をこすりつつ、ニヤリと細められた目には嫌らしい光が見え隠れしている。ヴェスタ公爵家は2年前に代が変わった。先代は、国が間違いを犯すのならば公爵家こそがお諌めしなければと意気込む堅物だったが、後を継いだ子息は王家のやり方に片っ端から難癖をつける、たちの悪い批評家のような男である。
今回は裁きにかけられているハーミッド伯とは懇意にしていたはずだが、気にするような素振りも、居心地の悪そうな様子も一切ない。
「可愛らしい方ではないか。ああいったのがお好みかな?ああいや、ノワール殿はレアニー子爵のところのご令嬢と親しいのだったか?」
公爵の言うレアニー子爵のところのご令嬢というのはウィーネのことである。好き勝手言われる筋合いはないのだが、相手の身分はノワールより上だ。無視を決め込むわけにもいかない。
「我々若輩者の色恋沙汰など、公爵様のお耳に入れる価値があるとは思えませんが。」
遠回しな、部外者は引っ込んでいろ、である。
しかもこの公爵、魔力の気配がする。周囲を威圧するために、わざと魔力を垂れ流しにしているらしい。
天恵持ちではない一般人にとって、周囲が感知できる量の魔力の流出は、決して過失ではありえない。明らかに故意だ。
相手を屈服させるための威圧行為。
天恵持ちは無意識にこれをしないために、必死で魔力制御を習得する。
「まぁそう言うな。ノワール殿が今その話をしたくない気持ちは分からなくはないが…だからこそ私が力になれるだろうと思ってな。…なぁ、そう思わんか?」
なんの話だ?訝しむノワールを尻目に、公爵が後ろを振り返る。付き従うようについてきた貴族たちが、そうだそうだと頷いた。
その中の何人かは顔が引きつっている。公爵の魔力に慄いているようだ。
にやり、公爵の髭面が笑みの形に歪む。
「嵌められたのだろう?あの狐に。」
狐。連想されるのは第3王子のライオネル殿下だ。間違っても王家主催の夜会で出す話題じゃない。呆れて言葉も出ないノワールに、公爵は畳み掛ける。
「誰があのような女とも思えぬものを嫁にしたいと思うものか。」
同意するような嘲笑が公爵の周りに広がっていく。
ここでようやくノワールは公爵が何を言っているかを少し理解した。ノワールとネロの婚約は、ライオネル殿下の悪巧みだと思っているらしい。
「あれではノワール殿があまりにも哀れだと話していたところよ。」
「いかにも。子も出来ぬものは女ではない。エスターニュ侯爵夫人には相応しくないだろう。」
「しかも性悪狐の子飼いではないか。」
ノワールの額に青筋が浮いた。
何をどう悪巧みだと思っているかは知らないが、彼らが口にしているのは純然たる誹謗中傷た。友人を罵倒されて黙っていられるほど、ノワールは優しくない。
賛同の声に気を良くした公爵が、ノワールへ向き直る。
「しかしまだ婚約だと言うではないか。どうだ?私に任せてみないかね?なにしろあの狐の子飼いだ。破談にするに相応しい後ろ暗い話などいくらでも…」
「お言葉ですが。」
怒気の滲む低い声で、ノワールは公爵の言葉を遮った。
怒りも不快感も、全部表情に出ているだろうに、こいつらは目も見えないらしい。
このまま話を続けられると思っているなら、余程の馬鹿だ。
「婚約は両家の間で取り決められたこと。俺には不満はありません。口出しは無用です。」
婚約は名ばかりでも、あれはノワールの友人なのだ。多少面倒が重なっても、その命を惜しむに能う相手だ。これ以上罵詈雑言を並べ立てられるのを許すことは出来ない。
「青いなぁ、ノワール殿。わからんかね。これはあの狐の謀略なのだよ。あの化け物をお前の嫁にして、ゆくゆくはそちらの鉱山に手を出すに違いない。おおそうだ。話の種になった手傷も、わざと負うように指示されていたのではないか?ワイバーンとやらの襲撃も…」
「言いたいことはそれだけか?」
声音が地を這った。
わざと手傷を負った?今生きているのが奇跡みたいなあいつが?
「そのワイバーンは狐と、その狐が忠義を尽くす主を憎むものが放ったらしいが、狐憎しと声高に叫ぶ貴公はそのお仲間か?」
「いやぁ、なにを突飛なことを。」
「突飛なことというならそちらだろう。無論、根も葉もない噂話だ。…公爵様のおっしゃった話と同じように。」
ノワールの本気の怒気をやっと感じたのだろう。公爵が目に見えて怯んだ。
「…」
後ろの取り巻きも、各々顔を青ざめさせている。公爵は好き勝手言ってくれたが、この連中だってどのくらいそれを信じていることやら。事実を悪意で捻じ曲げているだけだと気づいている者ほど、逃げ出したい顔をしている。
「公の夜会で、これ以上の噂話は無用かと思いますが?」
年も爵位も下の相手の迫力に完全に気圧されて黙った公爵は、冷や汗を滲ませた顔で果敢に顎を反らした。
「ふ……ふん。つまらない青二才めが。」
震えて掠れた声でぶつくさと文句を言いつつ、公爵が踵を返す。高い身分の人が夜会で晒すにはあまりにも情けない姿だったが、ノワールの溜飲は全く下がらなかった。
いっそ公爵と同じように魔力で威圧し返してやりたいところだ。だが、天恵持ちの本気の威圧はドラゴンすら怯んで逃げ出す代物である。この夜会の参加者のほとんどが恐怖で失神する。
それを思い出して堪えた上、抑制も外さなかったのだから褒めてほしい。
威張り腐った、情けない背中が去っていく。
しかもあいつ、化け物とか言ってたか。ネロをそう呼ぶのなら、ノワールの事も化け物だと思っているということだ。子どもが出来づらいのも天恵持ちの特徴だから、本人を目の前に罵倒していったわけだ。
派閥がどうのいう話どころではない。あんな奴には死んでも同調するものか。
苛立ちを隠しもせず、ノワールはため息をついた。
やりとりを近くで聞いてしまった人々の怯えた視線も鬱陶しい。
オレンジピールのショコラが、無性に食べたかった。
ミス発見!
こっそり直しました。




