(後編)
高橋誠は昼食を急いで済ませ、屋上に向かった。屋上には誰も居なかったが、校庭を眺めながら、手紙の差出人を待つことにした。
愛美は屋上に続く階段の見える廊下で、誠が本当にひとりで来るか、様子をうかがっていた。もし、ひとりで無かった場合はそのまま帰るつもりだった。ひとりで屋上に上がって行った誠を確認してから、愛美は屋上へ向かった。
屋上の扉を開けると、誠が、フェンス越しに校庭を眺めていた。
「高橋先輩、急に呼び出してすみません」
愛美は誠が振り返るのを待って、笑顔を見せた。愛美はこれで充分誠の気を引けると思った。
「君が手紙の子。名前が書いてなかったよ」
「ごめんなさい。恥ずかしかったのでつい……。1年の三好愛美です」
「三好さんだね。俺、高橋誠。ああ、それは知っているか」
誠が笑った。愛美もなんだか嬉しくなって笑っていた。
「高橋先輩、私と付き合ってもらえませんか?」
愛美には誠の答えがわかっていた。というより、わかっているつもりだった。愛美に告白されて、断る男子は存在しないはずだった。
「三好さん、ごめん。俺、三好さんと付き合うことは出来ないよ。三好さんを見るのも今日が初めてだし、話をしたことも無かっただろう」
愛美は誠の言葉が信じられなかった。いや、有ってはならない事が起きているとしか思えなかった。
「せ、せんぱい……」
「三好さんは可愛いから、俺なんかよりもっと良い彼氏がきっと出来るよ。本当にごめん。でも、ありがとう。三好さんみたいな可愛い娘に告白されて嬉しかったよ。じゃあ、俺、行くから……」
誠は校舎の中へと消えて行った。
愛美の体内で何かが砕け散った。愛美は呆然としたまま、午後の授業時間を屋上で過ごした。
その間、愛美の携帯には波奈からの着信履歴とメールがいくつも溜まって行った。
翌日は3年生の卒業式だったが、愛美は学校を休んでいた。放課後、波奈が心配して家まで来てくれた。
「愛美、どうしたの?」
「波奈、心配して来てくれたの? ありがとう。でも大丈夫、明日から学校に行くから……」
「本当に大丈夫なの? じゃあ、明日、学校でね」
愛美の中では、誠への執着心と憎悪が真っ黒い渦となって、心を支配していた。
翌日から愛美は、誠を尾行する様になった。3日ほど尾行を続けていると、誠には付き合っている彼女が居る事がわかった。彼女の名前は浅川真由。誠と同じ歳の幼馴染らしい。
愛美は真由の同級生を見付けだし、彼女の携帯番号とメールアドレスを手に入れた。そして、真由に大量の無言電話とメールを送り付けた。すぐに着信拒否をされた。それでも真由の中に、恐怖を植え付けるには充分だと思った。真由と誠が会う機会は、かなり減ったようだ。まずまずの成果を上げる事が出来た。
次に、愛美は波奈を呼び出した。高橋先輩のことで相談が有ると言ったら、波奈はすぐに来てくれた。
「波奈、私達親友だよね? こんな話、誰にも出来ないから……」
「愛美、大丈夫だよ、私達親友なんだから……。私に話してよ」
「うん、卒業式の前の日にね、高橋先輩に屋上へ呼び出されたの。そこで、先輩から告白されちゃった」
「すごい、高橋先輩って、あのカッコイイ人でしょう? それで、なんて答えたの?」
「うん、カッコイイ先輩だったけれど、話もしたこと無かったし……、翌日には卒業しちゃうわけでしょう。だから、ごめんなさいって……」
「えー、断ったんだ。もったいないなぁ」
「まあ、断ったのは良いんだけれども、最近誰かに後をつけられている気がするんだ。ちょっとこれを見てよ」
そう言ってスマホの画像を見せた。そこには、ピンク色でストライプのブラとパンティが写っていた。
「これなに?」
「知らないアドレスから送られて来たの。メッセージに『愛美ちゃんはこういう物が好きなんだね』って書いて有ったんだよ」
実際は愛美が自分で撮影した画像だった。当然メッセージもでたらめだ。
「これは怖すぎでしょう!」
「そうだよね。これを送って来たのは、たぶん高橋先輩だと思うんだよね」
「えっ! 高橋先輩が愛美にストーカーしているの? ヤバイじゃ無い。警察に相談した方が良いかな?」
「警察はなんだかいやだなぁ。そこまで大げさにしなくても……」
「わかった。何かあったら、すぐに連絡してね」
「うん、波奈、頼りにしているから……」
愛美は同じような話を、波奈の他にも数人に話した。これで、充分噂が広がるだろう。
愛美の昼間の時間は、その大部分が誠を尾行する事に費やされた。夜の時間は、愛美と誠が愛し合う妄想に費やした。
最初は公園や遊園地で手をつないで歩いている、そして帰りにキスをして別れるくらいの妄想だった。
そんな日が3ヶ月ほど続いたある日、いつもの様に愛美が誠を尾行していたときだった。誠が突然振り返り、愛美を見つめながら近付いて来た。愛美は動くことが出来なかった。誠は愛美の肩に手を掛けながら言った。
「三好さん、いい加減にしてくれよ! これ以上オレをつけ回さないでくれよ!」
「イヤ!」
愛美はそう言って、誠の手を振り切り、交差点を走って渡った。誠は反射的に愛美を追って交差点に入った時、クラクションの音が聞こえた。誠が音の方を向いた時には、タクシーが迫っていた。
誠は救急車に乗せられ、病院へと運ばれて行った。
愛美は誠が救急車に乗せられるのを遠くから見ていた。
「先輩が私の告白を断るからいけないんですよ」
そうつぶやいた。
数日後には、愛美にも誠の噂が聞こえて来ていた。
噂によると、誠は、女の子を追いかけようとして道路に飛び出したらしい。追いかけられた女の子は悲鳴を上げながら逃げていたそうだ。誠は、その女の子にストーカー行為をしていたらしい。
事故によって、愛美の流した噂に真実味が加わった様だ。愛美の思惑は、予想以上の成果をあげていた。
しかし、入院している誠は、現在、生死の際を彷徨っているらしい。さすがの愛美もそこまでは望んでいなかった。
愛美の妄想はエスカレートしていた。入院中の誠も、愛美の妄想の中では元気だった。
妄想の中の誠は毎晩、愛美の部屋に現れた。あらがう愛美を抱きしめ、一枚一枚服を脱がせて行く。涙を流しながら許しをこう愛美をおさえつけ、中学生の妄想とは思えない領域にまで達して行く。
妄想は妄想の域を超え、愛美の精神を蝕んでいった。
そんな妄想に疲れた愛美は波奈に相談した。
「自分の中に高橋先輩がいるの。毎晩、私を犯しに来るの」
「犯しに来るって……、高橋先輩は入院しているんでしょう。実際に来るわけじゃないんだから、愛美がしっかりしていれば大丈夫なんじゃ無いの? あの事故は愛美のせいじゃないんだし……。先輩の自業自得って言うヤツでしょう」
「でも、わたし……」
「大丈夫だよ、ちょっとしたノイローゼって言うヤツじゃないの? お医者さんに診てもらったら?」
「うん、波奈、ありがとう」
愛美は波奈に励まして欲しかったわけでは無かったのかも知れない。愛美と一緒になって、誠の悪口を言って欲しかったのかも知れない。誠を極悪人にする事が、愛美の精神の均衡を計る唯一の方法だったのではないか?
もしも波奈に精神病の知識が有ったなら、もっと適切なアドバイスが出来ただろう。しかし、女子中学生にそんな知識が有る筈が無い。
愛美の精神は、漆黒の闇へと歩を進めてしまった。
それから数日後、愛美はマンションの非常階段に立っていた。そこから波奈に電話をかけた。
「波奈、わたし……」
「愛美、どうしたの? 今、どこにいるの?」
「波奈、ごめんね。わたし……、もう耐えられない」
「えっ! なに? なにが耐えられないの? ねえ、今どこ? すぐに行くから!」
愛美は何に耐えられなかったのだろうか?
誠を交通事故に遭わせてしまった罪悪感に?
妄想の中の誠が行う行為に?
嘘で固めた現実逃避に?
愛美にもよくわからなかった。
愛美はまるで、小鳥が木の枝から飛び立つように、非常階段から飛び立った。
愛美からの電話が切れた。
しばらくすると、救急車やパトカーのサイレンが周辺に鳴り響いた。不安に成った波奈はサイレンの方向へ走った。今までの人生で一度も出したことの無い程の全力で走った。
マンションの前に到着した時、そこは救急車とパトカーの赤色灯の光が充満していた。
多くの野次馬が取り巻いている。野次馬達の会話によると、女子中学生がマンションから飛び降りたらしい。
波奈はその場に座り込み、泣きじゃくった。
泣いても、泣いても、涙は泉の様に湧いて来た。




