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消える記憶

 花の意識がなくなってからそろそろ二週間が経とうとしていた。


 一向に回復する兆しのない中、陸は朝から夜まで毎日病院に通っていた。


「辻本さん…。花の事は私たちが看ているから少しお家に帰って休んだら?」

 日に日にやつれていく陸を花の母は見ていられなかった。


 このまま意識が永遠に戻らなかったら…。

 考えたくない事が消しても消しても陸の頭の中を支配する。



「お義母さん、俺は大丈夫です。花が目覚めた時に側にいてやりたいんです…。」

 かろうじて心臓が動いている事が陸にとって唯一救いだった。


「お義母さんこそ、お家に一度帰ってやすんでください…。お義父さんも仕事あるのに一人で大変でしょうから。」

 自分は休暇をもらっているが花の父は働いている。

 自分の娘がこんな時にどんなに側にいてやりたいだろう…。

 そう思うと心が痛かった。


「そうね。じや、辻本さんにお任せして一度帰るわね。夕方また来るから。」

 そう言って手を振り病室を出て行く花の母。




 二人きりになった病室で、陸はピクリとも動かない花の表情をじっと見つめる。


「花…。今日はいい天気だよ。こんな日はあの公園の池のほとりで二人で弁当なんか食べると美味しいだろうな。」

『恋人ごっこ』でキスをしたあの頃がキラキラと脳裏に蘇る。


「花が作った弁当、美味しいだろうな…。俺たちまだピクニックも行ったことないだろう?

 これからたくさん二人で…、二人で思い出作るんだよな?」


 陸の声には花に繋がれたモニターの機械音だけがが悲しく返事をする。


「…そうだ、温泉もまだ行ってないよな。約束しただろう?部屋に露天風呂があるとこ、俺見つけたんだ。」

 こんな簡単な約束を、守ってあげることもできない自分の無力さが辛かった。


「なぁ…。俺花と二人でこれからずっと一緒に居られること、スゲー楽しみにしてたんだぜ?

 一緒に決めた部屋に早く目を覚まして帰ろう…。」


「…結婚するんだろ…?俺たち…。花…!お願いだ…、目を覚ましてくれ…!」

 力のない花の細い手をしっかり握りしめる陸。




 窓の外から入る午前中の柔らかい日差しが二人を包み込む。

 これからどんどん気温が上がり夏真っ盛りになる。



 花と出逢ってまだ数ヶ月なのに、陸はもう何年も前から自分の心の中に花がいた様な錯覚に陥る。

 短い間の二人の関係は何年もの時を超えるくらいに、陸に幸せをもたらし、未来に希望を与えてくれた。



 窓を開ければ夏が匂い立つ様に陸に降りかかる。

 この夏の匂いが消える頃、俺たちはどうなっているのだろう…。


 見えない未来に陸は一歩も前に踏み出せないでいた…。






 夕方、母が病院に帰ってくる。


「辻本さんありがとうね。だいぶ家のことできたから交代しましょう。」

 陸の背中をポンポンと叩き現実の世界へ引き戻す。


「…あぁ、はい。ちょっと俺も仮眠とってまた来ます。」

 ぐったりとした陸の様子を花の母は余りにも辛すぎて見ていられない。


「…花、またすぐ来るからな。」

 そう言って花の手を握りながら、頭を優しく撫でる。




 その時だった。

 陸の握った花の手がピクリと動き出すのを見逃さなかった。



「…花…?花?!」

 陸は必死に声をかける。


 花の母は驚きベットに駆け寄る。

 二人で花を必死に呼ぶ。



 瞼がピクピクと動き出し、静かにゆっくりと目が開く。



「花!!花!!」

 陸は久しぶりに瞼の開いた花の顔を見て、言葉よりも何よりも涙が溢れ出す。


「花…、よかった!」

 母もホッとした様に座り込む。


「お…かあさん…?」

 花は崩れて落ちる母を見て心配そうにな顔をする。


「花…、よかったね…!陸さんずっと花のそばについていてくれたのよ…!」

 陸の背中を摩り『本当によかった』と頷きあう。


「りく…さん?だれですか…?あなたは…?」

 自分の握られた手に視線を送る。


「…花?俺だよ?」

 まさか…そんな事があるはずがない…。


「…覚えてないのか…?」

 花の意識が戻って最高に嬉しい瞬間から、彼女の中から自分の存在が消えたことを知り、急に色が無くなった世界は、とても現実に起こっている事だと受け入れるにはあまりにも悲しすぎた…。

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